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出る杭
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台所は、奥の人間がほとんどいるのではないかと思うような混雑だった。
「これは桔梗の間のお毒味に持っていって」
出来上がった膳が運ばれていく。
桔梗の間は、もう一人の側室、桔梗の方さまのお部屋だ。
みな、それぞれに持ち場があって、料理をつくる者、できた料理を食器に盛る者、膳を並べていく者、その膳に食器を並べる者、運ぶ者・・・。
みな忙しそうに働いている。
手の空いた者は、隅の方で昼食をとっている。
交代でとらなければ、何十人もの女中がいっぺんに食事をする場所もない。
「あの、私は何をすれば・・・」
「・・・」
ちらりと横目に見られて、邪魔だと言わんばかりに押しやられる。
「あの・・・」
めげずに他の女中に声をかける。
「ちょっと、どいて」
こちらははっきりと邪魔扱いされた。
おようを見ているのか、何かヒソヒソと話をしている女中もいる。
「ちょっとあなた、洗い物手伝って」
洗い場から声がした。
「はい!」
洗い場に向かう途中で、話し声がおようの耳に届く。
「あの人なの? 下っ端のくせして、芙蓉の方さまが直接お言葉をかけられたのって」
「なんでも千代さまと親しいのだとか」
もう噂になっている。
何かあると、すぐに広まってしまうものなのだ。
この馴染まないような、妙な空気はそのせいなのか。
洗い場にたどり着くと、山のような洗い物が待っていた。
食べ終わった器が次々に運ばれてくる。
家とは違ってその数は桁がちがう。
おようの周りから、すっと人が少なくなった。
「早く洗って!」
とにかく、手を動かすしかない。
おようは、汚れを落とすだけで、あとは拭き上げるまでは流れ作業のように人の手に渡っていく。
家でもやっていることなのに、勝手が違った。
丁寧にやっている時間がない。
とにかく早く手を動かさなかればならないのだ。
「遅いわよ」
言われなくてもわかっている。
洗い終わらないうちに、次から次へ、どんどんやってきた。
終わりが見えない。
黙々と背を向けて作業しているため、他の女中たちがまったく見えなかった。
(冬ならあかぎれものね)
夏に向かっている季節なのがありがたかった。
湧き上がってくるもやもやするものを、無理やり押し込んで、半ば意地のように手を動かし続けた。
だが、どれほどの刻が過ぎたのか、次第に洗い物が少なくなってきた。
肩も腰も痛くなり、厠が我慢できなくなって、慌てて走っていったが、戻ったとき、あっと声をあげてしまいそうになった。
あの戦場のようだった台所には、もう人の姿がまばらになっていた。
くすくすと笑い声が聞こえる。
「あら、おようさん、お食事はすみました?」
おさきがそばに寄ってきて、上目遣いでおようをみた。
「いえ、まだです」
気を張っていたせいか、お腹が空いた感覚がなく、お呼びも掛からなかったので、そのまま続けてしまっていた。
「早く食べないと、なくなってしまうわよ。要領よくやらないと、ここでは生きていけないわ」
こっち、と引っ張っていかれ、お膳の前に座った。
「下げられてしまうところでした」
「ありがとうございます」
「いいことを教えてあげます」
おさきが、体をピッタリとおようにくっつけて囁いた。
「そこそこの女でも、気をつけないと、痛い目を見てしまいます」
「・・・」
「それは、小賢しい真似をして、上のお方に気に入られようとする人」
「え?・・・」
「出る杭は、打たれます。飛び出し具合が大きければ大きいほど・・・」
背筋が寒くなり、思わずおさきの顔を見てしまった。
飛び出てしまった、ということなのだろうか。
「お気をつけて。三日と持たずにいなくなる人が、たくさんいらしてよ」
にっこり微笑むと、離れていった。
「ちょっと、早くしてくれないと、片付かないじゃないの」
「すみません」
小言を言われて、慌てて箸をとる。
(どうしよう)
天国から地獄へ突き落とされたような気分になる。
これが、奥というところなのだ。
「あとは片付けといて」
どう振る舞えばいいのかわからないまま、冷えたご飯を口に運んだ。
怒涛のような一日がすぎ、眠りにつく時刻が来た。
くたくたに疲れて、もう何も考えられない。
みんな、自分の夜具をそれぞれ抱えて、部屋に運ぶ。
見様見真似のおようは、最後になってしまう。
昼間に磨いた部屋で、十人ほどの女中が一緒に寝ることになっている。
夜具を抱えて、おようがいくと、部屋の中はもういっぱいで、入れない。
敷居ぎわまで夜具が敷かれていて、つめてもらわなければ、寝る場所がなかった。
女中たちは、わざとなのだろう、見て見ぬふりで眠りにつく。
仕方なく、廊下に夜具を敷いた。
どこで寝ようが同じことだ。
話をする気力も残っていなかった。
「これは桔梗の間のお毒味に持っていって」
出来上がった膳が運ばれていく。
桔梗の間は、もう一人の側室、桔梗の方さまのお部屋だ。
みな、それぞれに持ち場があって、料理をつくる者、できた料理を食器に盛る者、膳を並べていく者、その膳に食器を並べる者、運ぶ者・・・。
みな忙しそうに働いている。
手の空いた者は、隅の方で昼食をとっている。
交代でとらなければ、何十人もの女中がいっぺんに食事をする場所もない。
「あの、私は何をすれば・・・」
「・・・」
ちらりと横目に見られて、邪魔だと言わんばかりに押しやられる。
「あの・・・」
めげずに他の女中に声をかける。
「ちょっと、どいて」
こちらははっきりと邪魔扱いされた。
おようを見ているのか、何かヒソヒソと話をしている女中もいる。
「ちょっとあなた、洗い物手伝って」
洗い場から声がした。
「はい!」
洗い場に向かう途中で、話し声がおようの耳に届く。
「あの人なの? 下っ端のくせして、芙蓉の方さまが直接お言葉をかけられたのって」
「なんでも千代さまと親しいのだとか」
もう噂になっている。
何かあると、すぐに広まってしまうものなのだ。
この馴染まないような、妙な空気はそのせいなのか。
洗い場にたどり着くと、山のような洗い物が待っていた。
食べ終わった器が次々に運ばれてくる。
家とは違ってその数は桁がちがう。
おようの周りから、すっと人が少なくなった。
「早く洗って!」
とにかく、手を動かすしかない。
おようは、汚れを落とすだけで、あとは拭き上げるまでは流れ作業のように人の手に渡っていく。
家でもやっていることなのに、勝手が違った。
丁寧にやっている時間がない。
とにかく早く手を動かさなかればならないのだ。
「遅いわよ」
言われなくてもわかっている。
洗い終わらないうちに、次から次へ、どんどんやってきた。
終わりが見えない。
黙々と背を向けて作業しているため、他の女中たちがまったく見えなかった。
(冬ならあかぎれものね)
夏に向かっている季節なのがありがたかった。
湧き上がってくるもやもやするものを、無理やり押し込んで、半ば意地のように手を動かし続けた。
だが、どれほどの刻が過ぎたのか、次第に洗い物が少なくなってきた。
肩も腰も痛くなり、厠が我慢できなくなって、慌てて走っていったが、戻ったとき、あっと声をあげてしまいそうになった。
あの戦場のようだった台所には、もう人の姿がまばらになっていた。
くすくすと笑い声が聞こえる。
「あら、おようさん、お食事はすみました?」
おさきがそばに寄ってきて、上目遣いでおようをみた。
「いえ、まだです」
気を張っていたせいか、お腹が空いた感覚がなく、お呼びも掛からなかったので、そのまま続けてしまっていた。
「早く食べないと、なくなってしまうわよ。要領よくやらないと、ここでは生きていけないわ」
こっち、と引っ張っていかれ、お膳の前に座った。
「下げられてしまうところでした」
「ありがとうございます」
「いいことを教えてあげます」
おさきが、体をピッタリとおようにくっつけて囁いた。
「そこそこの女でも、気をつけないと、痛い目を見てしまいます」
「・・・」
「それは、小賢しい真似をして、上のお方に気に入られようとする人」
「え?・・・」
「出る杭は、打たれます。飛び出し具合が大きければ大きいほど・・・」
背筋が寒くなり、思わずおさきの顔を見てしまった。
飛び出てしまった、ということなのだろうか。
「お気をつけて。三日と持たずにいなくなる人が、たくさんいらしてよ」
にっこり微笑むと、離れていった。
「ちょっと、早くしてくれないと、片付かないじゃないの」
「すみません」
小言を言われて、慌てて箸をとる。
(どうしよう)
天国から地獄へ突き落とされたような気分になる。
これが、奥というところなのだ。
「あとは片付けといて」
どう振る舞えばいいのかわからないまま、冷えたご飯を口に運んだ。
怒涛のような一日がすぎ、眠りにつく時刻が来た。
くたくたに疲れて、もう何も考えられない。
みんな、自分の夜具をそれぞれ抱えて、部屋に運ぶ。
見様見真似のおようは、最後になってしまう。
昼間に磨いた部屋で、十人ほどの女中が一緒に寝ることになっている。
夜具を抱えて、おようがいくと、部屋の中はもういっぱいで、入れない。
敷居ぎわまで夜具が敷かれていて、つめてもらわなければ、寝る場所がなかった。
女中たちは、わざとなのだろう、見て見ぬふりで眠りにつく。
仕方なく、廊下に夜具を敷いた。
どこで寝ようが同じことだ。
話をする気力も残っていなかった。
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