雪の匣庭

東崎 惟子@ 日曜西C24a

文字の大きさ
43 / 48

滝野絵里

しおりを挟む
 僕には音楽しかなかった。
 それが先天的なものか、幼いころからの英才教育によるものなのかわからない。
 ただ幸いにも僕には音楽の才があり、僕自身も音楽が好きだった。
 僕はずっと歌っていたかった。ギターを弾いていたかった。
 それは、文字どおり、真実の意味で永遠だ。
 もし神が僕に千年の寿命と、決して壊れぬ指をたまわして、命尽きるまで弾き語りを続けたとしても、僕は少しも満足しない。たとえどんなに長くても、それが有限である限り、一瞬と同じだからだ。それはもしかすると大宇宙的な話なのかもしれないけれど、僕はそういう頭が痛くなるような話をしたいわけじゃない。僕は頭が良くはないから、求めるものはシンプルだ。
 ――永遠の音楽。
 それが、僕の望み。
 これは到達するに非常に難しいのは言わずもがな、説明するのも困難な概念だと思う。
 その手がかりは、意外と近くに転がっている気がした。
 たとえば歌唱の最中何かの拍子で潰れた声が漏れ出ることがある。
 その瞬間に地獄の風景を幻視する。
 たとえばコーラスで声が裏返り、聞くに堪えないような高音が発声されることがある。
 そこに悪魔の影を見る。
 僕が求める永遠の音楽はそういうふとした割れ目、魔唱に転がっているのだ。
 けれど、余人は誰一人として理解してくれなかった。まず僕の言っていることが通じなかった。稀に、本当に奇跡的に他人の前で魔唱を実演できたこともあったが、彼らにはただの酷い嗄れ声にしか聞こえなかったようだ。
 だから、魔唱をひねり出す特訓を独学で始めた。それは、現代音楽で言えばデスボイスのように酷く喉を傷めるものだった。しかし、どれだけ喉を傷つけても、魔唱の意識的な発声には至らなかった。喉の奥の方に確かにとっかかりがあるのに届かないというもどかしい感覚。そも人間の声帯というものは、魔唱を囀る作りになっていないことを痛感した。
 周りの人間は僕を心配し、軌道修正を図った。もっと美しく格調高い音楽を目指すべきだと。僕にはその才能があると。
 けれど、僕はもはや普通の音楽に興味を示すことができなかった。誰のロックも、どんなジャズも、わずかだって僕の心を動かすことはできなくなっていた。
次第に、どいつもこいつも目障り、耳障りになってきた。彼らが心底僕のことを心配し、善意で助言してきているのも厄介だった。特に母親はヒステリックで、僕の言葉に耳を傾ける気はさらさらないようだった。
 だから、僕は喉を潰した。
 一石二鳥だった。
 ナイフを突き立てて、かき混ぜ、喉を作り変えてやったのだ。いうならば外科手術である。
 そうすることで僕の音は魔唱に近付くし、美しい声を失うことで、周りも諦めてくれると思ったのだ。事実そのとおりになった。
 あの日から、僕は魔唱を続けている。
 下手くそと殴られ、唾を吐き捨てられても、決してめげずに。
 僕の音楽を永遠にするための魔唱を。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

二重のカーテン (スカートの下の黒い意志)

MisakiNonagase
青春
洗濯物の隙間に隠したのは、母としての祈りと、娘のプライド。 かつて、女子高生という生き物はもっと無防備で、自由だった。 44歳の主婦、愛子が朝のベランダで手にするのは、娘たちが毎日履き替える漆黒のオーバーパンツ、通称「黒パン」。それは、令和を生きる娘たちが自らの尊厳を守るために身に着ける、鉄壁の「鎧」だった。 小学校時代のママ友たちとのランチ会。そこで語られるのは、ブルセラショップに下着を売っていた奔放な50代、無防備なまま凛と歩くしかなかった40代、そして「見せないこと」に命を懸ける10代の、あまりに深い断絶。さらには、階段で石像のように固まる父、生徒の背後に立たないよう神経を削る教師……。 一枚の黒い布を通して浮き彫りになる、現代社会の歪さと、その根底にある不器用なまでの「優しさ」。 ベランダに干された黒いカーテンの向こう側に、あなたは何を見ますか?

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

【完結】限界離婚

仲 奈華 (nakanaka)
ミステリー
もう限界だ。 「離婚してください」 丸田広一は妻にそう告げた。妻は激怒し、言い争いになる。広一は頭に鈍器で殴られたような衝撃を受け床に倒れ伏せた。振り返るとそこには妻がいた。広一はそのまま意識を失った。 丸田広一の息子の嫁、鈴奈はもう耐える事ができなかった。体調を崩し病院へ行く。医師に告げられた言葉にショックを受け、夫に連絡しようとするが、SNSが既読にならず、電話も繋がらない。もう諦め離婚届だけを置いて実家に帰った。 丸田広一の妻、京香は手足の違和感を感じていた。自分が家族から嫌われている事は知っている。高齢な姑、離婚を仄めかす夫、可愛くない嫁、誰かが私を害そうとしている気がする。渡されていた離婚届に署名をして役所に提出した。もう私は自由の身だ。あの人の所へ向かった。 広一の母、文は途方にくれた。大事な物が無くなっていく。今日は通帳が無くなった。いくら探しても見つからない。まさかとは思うが最近様子が可笑しいあの女が盗んだのかもしれない。衰えた体を動かして、家の中を探し回った。 出張からかえってきた広一の息子、良は家につき愕然とした。信じていた安心できる場所がガラガラと崩れ落ちる。後始末に追われ、いなくなった妻の元へ向かう。妻に頭を下げて別れたくないと懇願した。 平和だった丸田家に襲い掛かる不幸。どんどん倒れる家族。 信じていた家族の形が崩れていく。 倒されたのは誰のせい? 倒れた達磨は再び起き上がる。 丸田家の危機と、それを克服するまでの物語。 丸田 広一…65歳。定年退職したばかり。 丸田 京香…66歳。半年前に退職した。 丸田 良…38歳。営業職。出張が多い。 丸田 鈴奈…33歳。 丸田 勇太…3歳。 丸田 文…82歳。専業主婦。 麗奈…広一が定期的に会っている女。 ※7月13日初回完結 ※7月14日深夜 忘れたはずの思い~エピローグまでを加筆修正して投稿しました。話数も増やしています。 ※7月15日【裏】登場人物紹介追記しました。 2026年1月ジャンルを大衆文学→ミステリーに変更しています。

意味が分かると怖い話(解説付き)

彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです 読みながら話に潜む違和感を探してみてください 最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください 実話も混ざっております

さようなら婚約者

あんど もあ
ファンタジー
アンジュは、五年間虐げられた婚約者から婚約破棄を告げられる。翌日、カバン一つを持って五年住んだ婚約者の家を去るアンジュ。一方、婚約者は…。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

処理中です...