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羽島には岡方も浜方もない。分ける隙さえないほどの小さな島だ。田萱に従って入植した子孫の五十人ばかりが、共に荒地を耕し網掛けを手伝いあいながら、やっとのことで生業を立てていた。他の島のように岡方だの浜方だのとせめぎ合う余裕さえない狭い島である。
漁は皆で網を引いて干鰯を作った。沖の網掛けは桂ケ島の漁師の取り分だ。羽島には沖乗りの船がない。船を持たない羽島の者は小舟で浜近くの魚を取るか、潜って磯のアワビやサザエを取るしか生業の手立てがない。藻塩を炊いて、塩漬けの魚を保存する。二毛作三毛作の畑は雑穀作りが中心だ。農漁とも自給自足で、伸びしろが全く見えなかった。それでも父親の代が島で何とか食えるようにしてくれた。
開墾して三十余年だ。ぼちぼち世代も変わってきた。段々畑を切り開いた小さな畑地と島の回りだけの漁場では手狭になった。
成長した乙松は、この島の浜で地付き漁を生業として生きてきた。乙松たち羽島育ちの世代も懸命に働いた。親たちが辛苦して開墾し、皆で肩寄せ合うてやっと生きてきたのだ。乙松たちはその姿を見ながら育った。
二十歳半ばで父親の吉松から、
「此れからはおまえが当主だ」と言われた。嫁にもろうた女房と産まれてきた娘を食わせるのが精一杯の生業だ。その上、島の皆の行く末も考えねばならぬ。
父親からは、
「田萱の一族を再び水軍にするな」と言われた。吉松は戦場で散々な苦しみを味わったのだ。その悲惨さを繰り返さぬよう、子や孫に聞かせていた。
貧しくても、小さなこの羽島で生きていくのが一番だ。戦地に行って功を挙げてその先に幸はあるか。
父親の思いは充分に分かった。田萱はもうこの島の中だけで暮らす漁民で居続ける。そう念じてきた。
それが、船を持つようになった。
桂水軍が小早船から関船に代えた。関船を使って秀吉軍の救援に物資を運ぶようになったのだ。そのため小早船を余り使わなくなっていた。その古びた小早を何隻か分けてもらったのだ。
小早船は、海賊衆の戦闘用の船だ。櫂の漕ぎ手を十人程乗せて、相手の船に近寄ってほうろく火矢を撃ちかける。瀬戸内海賊の主力の軍船だ。
乙松たちはこれを網掛け船に改造して沖合の漁を始めた。元々魚種の多い海だ。本土に水揚げすれば収益も上がった。乙松は小さいながら船持ちだ。従兄の一之助からは
「よっ!三州一の梶取」と揶揄われた。
やがて漕ぎ手を求めて、他の島から若い衆を集めるほどに水揚げも増えてきた。そのうち、海賊上がりの荒くれ者がどんどん集まって、さらに持ち船を増やしていった。羽島の浜は活気づいた。
「ホーオンエイヤ、負けるなエイヤー」の掛け声を合わせ、先頭に立って集めた衆と共によく働いた。
桂ケ島を巡る瀬戸内の状況は、この間、時代の流れに翻弄された。大内が滅び毛利が支配するようになってから、桂水軍は毛利側に付いた。大友攻めや石山の合戦の時は、毛利の援軍として救援の物資を運んだ。本能寺の変の後は来島の村上が秀吉に付いて、桂水軍もその傘下に入った。四国攻め、九州攻めと秀吉の戦に関船で付いて回った。後にその来島は戦功を挙げて、秀吉に大名として取り立てられ、桂氏もその家臣に組み込まれた。宮島の合戦以降三十余年、桂水軍は戦乱の時代に翻弄され続けていたのだ。
その陰で羽島は平穏でいられた。柱水軍が秀吉に従い、長らく九州遠征に感けていた間に、羽島はいつの間にか桂ケ島を凌ぐほどの漁村になった。乙松は梶取として周りの島々でも名を知られるようになり、やがて殿様からの覚えもめでたく、晴れて「羽島庄屋、田萱乙松」として認めてもらった。そして、大きな関船を一隻買い取った。沖乗りの大型船だ。瀬戸内海の港を広く商うて回る目的で手にした商売船だ。
元々、関船は小早船と同様、海戦用の軍船だ。瀬戸内の水軍がみな戦闘に追われている間に古い関船を買い取って、商売専門の船にしつらえたのだ。矢倉を取り外して積み荷を少しでも増やす工夫をした。漕ぎ手も少なくて済む。主に瀬戸内のあちこちの港で、荷を積んだ。九州から畿内にかけての港の荷を回す商売だ。何せ殆どの船が軍用に供出された時代だ。これがまた当たって、羽島に潤いをもたらすようになった。
更に若い人手が必要になった。あちこちの島から益々荒くれ者が集まった。商売の合間に隠れて、寄った港で盗賊まがいのあくどい強奪をするような連中だ。小金を持つようになった若い衆は近隣の島から女をさらってきて嫁にした。最初は嫌がっていた女たちも、やがては亭主の尻を叩いて稼がせる、たくましい島の女になっていった。ますます小さな島の浜は人が増え繁盛した。
悪いことも多々する連中だが、それも仕様がないと乙松は考えていた。皆戦に駆り出されて、何処とも分からぬ戦地で命を落とした時代だ。若い衆のそうしたエネルギーを抑えようなどとは考えたこともなかった。商売船で過ごせる日々がどれだけ有難いことか。
そのまま商船でいれば良かったのだ。回りの戦さが長引くほどに商船の仕事は益々増えて儲かっていたのだ。
ところが戦乱の世の中だ。瀬戸内の支配者は何れも船主を集めて水軍を大きくしていった。あらゆる船が脅されながらかき集められた。乙松の関船も戦さ場の物運びとして目をつけられた。先ず桂水軍から、そしてその上の村上三水軍から声がかかった。
父親の世代は皆が止めろと乙松に言った。乙松も吉松から言われ続けてきたことを固く守っていた。しかし、此れまでの縁から、桂水軍の強い誘いを断る訳にはいかない。来島村上からの声かけに至っては絶対的な命令だ。度々戦場に駆り出されるようになった。その桂氏が時には能島村上に付いたり来島村上に付いたり、またその村上が時流に併せて毛利から秀吉の水軍になってからは、動く範囲も広がった。
吉松からの忠告は常に頭にある。身内を戦場に関わらせぬよう、充分に注意しながら皆の命を守る心算でいた。最初は桂水軍の後ろについて荷を運び、併せて真っ当な商売も続けていたのだ。それが、時の流れでうまくはいかなくなった。乙松の船も直に戦さの物資ばかり運ぶようになったのだ。
特に九州攻めの時など、秀吉の側について度々戦場の真ん中に船を廻し、弓槍の武器を載せては届け続けた。火矢や鉄砲の行き交うその中を、彼方こちらの浜浦に関船を進め、味方に武器を届けて廻るのだ。
「ようやってくれた」
と桂俊勝からも誉められた。若い乗り組みたちは勇みあがった。その分、順調だった商売からは全く遠のいた。荒くれ物の船乗りの中には商売よりもこの方が血が燃えるなどと言う連中もいた。
瀬戸内の海賊は様子を見て勢いのある方の見方をする。桂水軍はそうした時流を読むのがうまかった。桂俊勝は今や来島藩の御重役だ。
親父の吉松からは
「争いに巻き込まれるな」と固く教えられていたが、乙松も次第に桂俊勝の生き方が正しいのではないかと思うようになった。
そして四国九州の平定が成った。今では、秀吉が関白様だ。
戦さが終わり、途端に海賊船禁止令だ。
『漁民は漁民に帰れ!』
武功の声高き水軍の将らは、桂俊勝と同じように武将として取り立てられた。ところが、余剰の海賊共は
「帰農せよ!」
と一喝されて追い戻された。関白様は、瀬戸内の海賊処分に取り分け厳しくあたった。
来島の村上は九州征伐の軍功を称えられ、大名に取り立てられ、能島村上は毛利の重役になった。桂氏は大名となった来島村上に付き従って拝領の地へ去って行った。困ったのは手下に着いた海賊だ。引っ張られて付き従った漁民が、海賊衆と言われ戦場に駆り立てられたのだ。指図の通り暴れまわった荒くれ者たちは、突然武器を取り上げられて生きる術がなくなった。
乙松のやっていた売買いも港から締め出された。戦さが終わってその後は、物の流れもなくなったのだ。最早闇の売買いすら当てはない。以前の伝手で廻船問屋を回ってみたが、港からは積み荷が全く消えていた。結局関船は空のまま羽島沖に留めて月日が経った。
血気盛んな寄せ集めの若い衆だ。沖乗りの船で網を打つのに左程の人手は不要だ。羽島の集落では刺激もない。熱を覚ますのに骨が折れた。頼っていた桂氏も秀吉から領地を貰った来島村上に従って陸に上がった。変わって桂ケ島は能島村上の重役が支配することになった。乙松たちは最早頼る当てもなくなった。
あの山には金鶏が埋まっている・・・そんな金鶏伝説は各地にある。その一つが桂ケ島だ。
羽島のすぐ目の前の桂ケ島は、軍笠のような三角形をした姿の良い山容をしている。山頂のごつごつした岩肌が、夕陽を浴びると赤く輝く。だから赤石山なのだが、島人は金鶏山ともいう。
乙松は年老いて体の弱った父親を家から連れ出し、度々この浜から赤石山の夕景を眺めた。此れからの生業についていろいろと吉松の知恵を借りたいのだ。
「親父どの、あの山は朝に夕に陽を受けるとまさに金鶏のような眩しさじゃのう。金塊ひとつあれば羽島も楽になると思わんか」
ゴツゴツした岩山の、その一つの巨岩が夕陽に染まって黄金色に光ってみえる。
「ほんにのう。いつもながら有難い眺めじゃ」
あの山に金鶏を埋めたという話は父親世代の島人から度々聞かされたことだ。人により少しずつ話の流れが違うから、どうせ眉唾の昔語りとは思うていた。
「あれを掘って太閤様に差し出したら、褒美で皆に楽をさせてやれるよのう」
大内家が隆盛を極めていた時代、山口から京に上る途、大嵐にあって難儀をしていた。その時に多賀谷と桂の小早船が何隻も繰り出して、御一行の御座船を守り、近くの柱ケ島に上陸させた。命拾いをした殿様は、いたく感謝して、多賀谷と桂の水軍に褒美を与えた。そして、白木の箱を差し出して、
「これには金鶏が入っておる。世に平穏をもたらす霊鳥だ。これを、この辺りの島に埋めるべし。四方常に黄金に染まり、風穏やかに船を航行できるであろう」
そう言われたという。
大内家の命により博多商人が明国から持ち帰ったものらしい。以来、赤石山が夕陽で眩しく光る日は、四方の海が荒れることはないという話だ。そりゃ夕陽の差すような天気の良い日の話だ。まず嵐にはなるまい。
そういう話は度々聞かされた。しかしあるとき親父殿が全く違う話をした。
「いいか乙松。おまえだけに本当の話をする。他の者に言ってはならんぞ。あの山にはな、金鶏等埋まっていないのだ」
「神妙な内訳話かと思うたら、なんだそんな話か。そんなもの端っから誰も信じてはおらんよ」
「いや、よう聞け。大内のお殿様から拝領したのは鸞じゃ。五寸四方の白木の箱が渡された。その中に入っておったのは黄金の鈴じゃ。
『この鈴を鸞という。代々この島で大事にいたせ。この鈴は人が振ったのでは鳴りはせぬ。自分の意思を持って鳴るのだ。その音が聞こえた時、初めて全ての海に平穏が訪れる。海の平穏を守る鈴なのじゃ』
殿様からそう伺ったのだ。天帝の御車の鈴なのだそうじゃ。世界に平和をもたらす真の指導者が現れた時、初めて鸞は自ら鳴るという。大内の殿様は、京に持って上がり、天子様に差し上げる心算であったという。この戦乱の世を静めたい、その気持ちであったと伺うておる。大嵐の中、世を鎮めるならば、まず京までの途をと思われたに違いない。あの山頂の岩場などではない。多賀谷と桂の頭二人が、瀬戸の島々の何れにか、誰にも知られぬように埋められた。今もあの島々の何れかにあるはずじゃ」
「親父殿は此れまで探してみたことはあるのか?」
「いやない。いいか、探すじゃないぞ。絶対ならん。もし掘出したらば世の中が乱れる。これはじいさまがワシにだけ語ってくれたことじゃ。ワシもおまえにだけ語っておく。鸞などと、他言は絶対いたすなよ。皆には金鶏伝説として言い伝わればそれでよい」
まあ、当てにならぬ昔語りを信じて金に代えようなどと、余計な労力を使っても仕方あるまい。その先鸞などと、ついぞ思い出すこともなかった。
「親父殿、この先どうやったら皆を食わせて行けようか?」
「そりゃあ、おまえの裁量じゃ。よう考えてみい」
親父殿は、夕陽照らす赤石山に向かって手を合わせて祈っていた。
漁は皆で網を引いて干鰯を作った。沖の網掛けは桂ケ島の漁師の取り分だ。羽島には沖乗りの船がない。船を持たない羽島の者は小舟で浜近くの魚を取るか、潜って磯のアワビやサザエを取るしか生業の手立てがない。藻塩を炊いて、塩漬けの魚を保存する。二毛作三毛作の畑は雑穀作りが中心だ。農漁とも自給自足で、伸びしろが全く見えなかった。それでも父親の代が島で何とか食えるようにしてくれた。
開墾して三十余年だ。ぼちぼち世代も変わってきた。段々畑を切り開いた小さな畑地と島の回りだけの漁場では手狭になった。
成長した乙松は、この島の浜で地付き漁を生業として生きてきた。乙松たち羽島育ちの世代も懸命に働いた。親たちが辛苦して開墾し、皆で肩寄せ合うてやっと生きてきたのだ。乙松たちはその姿を見ながら育った。
二十歳半ばで父親の吉松から、
「此れからはおまえが当主だ」と言われた。嫁にもろうた女房と産まれてきた娘を食わせるのが精一杯の生業だ。その上、島の皆の行く末も考えねばならぬ。
父親からは、
「田萱の一族を再び水軍にするな」と言われた。吉松は戦場で散々な苦しみを味わったのだ。その悲惨さを繰り返さぬよう、子や孫に聞かせていた。
貧しくても、小さなこの羽島で生きていくのが一番だ。戦地に行って功を挙げてその先に幸はあるか。
父親の思いは充分に分かった。田萱はもうこの島の中だけで暮らす漁民で居続ける。そう念じてきた。
それが、船を持つようになった。
桂水軍が小早船から関船に代えた。関船を使って秀吉軍の救援に物資を運ぶようになったのだ。そのため小早船を余り使わなくなっていた。その古びた小早を何隻か分けてもらったのだ。
小早船は、海賊衆の戦闘用の船だ。櫂の漕ぎ手を十人程乗せて、相手の船に近寄ってほうろく火矢を撃ちかける。瀬戸内海賊の主力の軍船だ。
乙松たちはこれを網掛け船に改造して沖合の漁を始めた。元々魚種の多い海だ。本土に水揚げすれば収益も上がった。乙松は小さいながら船持ちだ。従兄の一之助からは
「よっ!三州一の梶取」と揶揄われた。
やがて漕ぎ手を求めて、他の島から若い衆を集めるほどに水揚げも増えてきた。そのうち、海賊上がりの荒くれ者がどんどん集まって、さらに持ち船を増やしていった。羽島の浜は活気づいた。
「ホーオンエイヤ、負けるなエイヤー」の掛け声を合わせ、先頭に立って集めた衆と共によく働いた。
桂ケ島を巡る瀬戸内の状況は、この間、時代の流れに翻弄された。大内が滅び毛利が支配するようになってから、桂水軍は毛利側に付いた。大友攻めや石山の合戦の時は、毛利の援軍として救援の物資を運んだ。本能寺の変の後は来島の村上が秀吉に付いて、桂水軍もその傘下に入った。四国攻め、九州攻めと秀吉の戦に関船で付いて回った。後にその来島は戦功を挙げて、秀吉に大名として取り立てられ、桂氏もその家臣に組み込まれた。宮島の合戦以降三十余年、桂水軍は戦乱の時代に翻弄され続けていたのだ。
その陰で羽島は平穏でいられた。柱水軍が秀吉に従い、長らく九州遠征に感けていた間に、羽島はいつの間にか桂ケ島を凌ぐほどの漁村になった。乙松は梶取として周りの島々でも名を知られるようになり、やがて殿様からの覚えもめでたく、晴れて「羽島庄屋、田萱乙松」として認めてもらった。そして、大きな関船を一隻買い取った。沖乗りの大型船だ。瀬戸内海の港を広く商うて回る目的で手にした商売船だ。
元々、関船は小早船と同様、海戦用の軍船だ。瀬戸内の水軍がみな戦闘に追われている間に古い関船を買い取って、商売専門の船にしつらえたのだ。矢倉を取り外して積み荷を少しでも増やす工夫をした。漕ぎ手も少なくて済む。主に瀬戸内のあちこちの港で、荷を積んだ。九州から畿内にかけての港の荷を回す商売だ。何せ殆どの船が軍用に供出された時代だ。これがまた当たって、羽島に潤いをもたらすようになった。
更に若い人手が必要になった。あちこちの島から益々荒くれ者が集まった。商売の合間に隠れて、寄った港で盗賊まがいのあくどい強奪をするような連中だ。小金を持つようになった若い衆は近隣の島から女をさらってきて嫁にした。最初は嫌がっていた女たちも、やがては亭主の尻を叩いて稼がせる、たくましい島の女になっていった。ますます小さな島の浜は人が増え繁盛した。
悪いことも多々する連中だが、それも仕様がないと乙松は考えていた。皆戦に駆り出されて、何処とも分からぬ戦地で命を落とした時代だ。若い衆のそうしたエネルギーを抑えようなどとは考えたこともなかった。商売船で過ごせる日々がどれだけ有難いことか。
そのまま商船でいれば良かったのだ。回りの戦さが長引くほどに商船の仕事は益々増えて儲かっていたのだ。
ところが戦乱の世の中だ。瀬戸内の支配者は何れも船主を集めて水軍を大きくしていった。あらゆる船が脅されながらかき集められた。乙松の関船も戦さ場の物運びとして目をつけられた。先ず桂水軍から、そしてその上の村上三水軍から声がかかった。
父親の世代は皆が止めろと乙松に言った。乙松も吉松から言われ続けてきたことを固く守っていた。しかし、此れまでの縁から、桂水軍の強い誘いを断る訳にはいかない。来島村上からの声かけに至っては絶対的な命令だ。度々戦場に駆り出されるようになった。その桂氏が時には能島村上に付いたり来島村上に付いたり、またその村上が時流に併せて毛利から秀吉の水軍になってからは、動く範囲も広がった。
吉松からの忠告は常に頭にある。身内を戦場に関わらせぬよう、充分に注意しながら皆の命を守る心算でいた。最初は桂水軍の後ろについて荷を運び、併せて真っ当な商売も続けていたのだ。それが、時の流れでうまくはいかなくなった。乙松の船も直に戦さの物資ばかり運ぶようになったのだ。
特に九州攻めの時など、秀吉の側について度々戦場の真ん中に船を廻し、弓槍の武器を載せては届け続けた。火矢や鉄砲の行き交うその中を、彼方こちらの浜浦に関船を進め、味方に武器を届けて廻るのだ。
「ようやってくれた」
と桂俊勝からも誉められた。若い乗り組みたちは勇みあがった。その分、順調だった商売からは全く遠のいた。荒くれ物の船乗りの中には商売よりもこの方が血が燃えるなどと言う連中もいた。
瀬戸内の海賊は様子を見て勢いのある方の見方をする。桂水軍はそうした時流を読むのがうまかった。桂俊勝は今や来島藩の御重役だ。
親父の吉松からは
「争いに巻き込まれるな」と固く教えられていたが、乙松も次第に桂俊勝の生き方が正しいのではないかと思うようになった。
そして四国九州の平定が成った。今では、秀吉が関白様だ。
戦さが終わり、途端に海賊船禁止令だ。
『漁民は漁民に帰れ!』
武功の声高き水軍の将らは、桂俊勝と同じように武将として取り立てられた。ところが、余剰の海賊共は
「帰農せよ!」
と一喝されて追い戻された。関白様は、瀬戸内の海賊処分に取り分け厳しくあたった。
来島の村上は九州征伐の軍功を称えられ、大名に取り立てられ、能島村上は毛利の重役になった。桂氏は大名となった来島村上に付き従って拝領の地へ去って行った。困ったのは手下に着いた海賊だ。引っ張られて付き従った漁民が、海賊衆と言われ戦場に駆り立てられたのだ。指図の通り暴れまわった荒くれ者たちは、突然武器を取り上げられて生きる術がなくなった。
乙松のやっていた売買いも港から締め出された。戦さが終わってその後は、物の流れもなくなったのだ。最早闇の売買いすら当てはない。以前の伝手で廻船問屋を回ってみたが、港からは積み荷が全く消えていた。結局関船は空のまま羽島沖に留めて月日が経った。
血気盛んな寄せ集めの若い衆だ。沖乗りの船で網を打つのに左程の人手は不要だ。羽島の集落では刺激もない。熱を覚ますのに骨が折れた。頼っていた桂氏も秀吉から領地を貰った来島村上に従って陸に上がった。変わって桂ケ島は能島村上の重役が支配することになった。乙松たちは最早頼る当てもなくなった。
あの山には金鶏が埋まっている・・・そんな金鶏伝説は各地にある。その一つが桂ケ島だ。
羽島のすぐ目の前の桂ケ島は、軍笠のような三角形をした姿の良い山容をしている。山頂のごつごつした岩肌が、夕陽を浴びると赤く輝く。だから赤石山なのだが、島人は金鶏山ともいう。
乙松は年老いて体の弱った父親を家から連れ出し、度々この浜から赤石山の夕景を眺めた。此れからの生業についていろいろと吉松の知恵を借りたいのだ。
「親父どの、あの山は朝に夕に陽を受けるとまさに金鶏のような眩しさじゃのう。金塊ひとつあれば羽島も楽になると思わんか」
ゴツゴツした岩山の、その一つの巨岩が夕陽に染まって黄金色に光ってみえる。
「ほんにのう。いつもながら有難い眺めじゃ」
あの山に金鶏を埋めたという話は父親世代の島人から度々聞かされたことだ。人により少しずつ話の流れが違うから、どうせ眉唾の昔語りとは思うていた。
「あれを掘って太閤様に差し出したら、褒美で皆に楽をさせてやれるよのう」
大内家が隆盛を極めていた時代、山口から京に上る途、大嵐にあって難儀をしていた。その時に多賀谷と桂の小早船が何隻も繰り出して、御一行の御座船を守り、近くの柱ケ島に上陸させた。命拾いをした殿様は、いたく感謝して、多賀谷と桂の水軍に褒美を与えた。そして、白木の箱を差し出して、
「これには金鶏が入っておる。世に平穏をもたらす霊鳥だ。これを、この辺りの島に埋めるべし。四方常に黄金に染まり、風穏やかに船を航行できるであろう」
そう言われたという。
大内家の命により博多商人が明国から持ち帰ったものらしい。以来、赤石山が夕陽で眩しく光る日は、四方の海が荒れることはないという話だ。そりゃ夕陽の差すような天気の良い日の話だ。まず嵐にはなるまい。
そういう話は度々聞かされた。しかしあるとき親父殿が全く違う話をした。
「いいか乙松。おまえだけに本当の話をする。他の者に言ってはならんぞ。あの山にはな、金鶏等埋まっていないのだ」
「神妙な内訳話かと思うたら、なんだそんな話か。そんなもの端っから誰も信じてはおらんよ」
「いや、よう聞け。大内のお殿様から拝領したのは鸞じゃ。五寸四方の白木の箱が渡された。その中に入っておったのは黄金の鈴じゃ。
『この鈴を鸞という。代々この島で大事にいたせ。この鈴は人が振ったのでは鳴りはせぬ。自分の意思を持って鳴るのだ。その音が聞こえた時、初めて全ての海に平穏が訪れる。海の平穏を守る鈴なのじゃ』
殿様からそう伺ったのだ。天帝の御車の鈴なのだそうじゃ。世界に平和をもたらす真の指導者が現れた時、初めて鸞は自ら鳴るという。大内の殿様は、京に持って上がり、天子様に差し上げる心算であったという。この戦乱の世を静めたい、その気持ちであったと伺うておる。大嵐の中、世を鎮めるならば、まず京までの途をと思われたに違いない。あの山頂の岩場などではない。多賀谷と桂の頭二人が、瀬戸の島々の何れにか、誰にも知られぬように埋められた。今もあの島々の何れかにあるはずじゃ」
「親父殿は此れまで探してみたことはあるのか?」
「いやない。いいか、探すじゃないぞ。絶対ならん。もし掘出したらば世の中が乱れる。これはじいさまがワシにだけ語ってくれたことじゃ。ワシもおまえにだけ語っておく。鸞などと、他言は絶対いたすなよ。皆には金鶏伝説として言い伝わればそれでよい」
まあ、当てにならぬ昔語りを信じて金に代えようなどと、余計な労力を使っても仕方あるまい。その先鸞などと、ついぞ思い出すこともなかった。
「親父殿、この先どうやったら皆を食わせて行けようか?」
「そりゃあ、おまえの裁量じゃ。よう考えてみい」
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歴史・時代
1929年に起きた、世界を巻き込んだ大恐慌。世界の大国たちはそれからの脱却を目指し、躍起になっていた。第一次世界大戦の敗戦国となったドイツ第三帝国は多額の賠償金に加えて襲いかかる恐慌に国の存続の危機に陥っていた。援助の約束をしたアメリカは恐慌を理由に賠償金の支援を破棄。フランスは、自らを救うために支払いの延期は認めない姿勢を貫く。
ドイツ第三帝国は自らの存続のために、世界に隠しながら軍備の拡張に奔走することになる。
また、極東の国大日本帝国。関係の悪化の一途を辿る日米関係によって受ける経済的打撃に苦しんでいた。
その解決法として提案された大東亜共栄圏。東南アジア諸国及び中国を含めた大経済圏、生存圏の構築に力を注ごうとしていた。
この小説は、ドイツ第三帝国と大日本帝国の2視点で進んでいく。現代では有り得なかった様々なイフが含まれる。それを楽しんで貰えたらと思う。
またこの小説はいかなる思想を賛美、賞賛するものでは無い。
この小説は現代とは似て非なるもの。登場人物は史実には沿わないので悪しからず…
大日本帝国視点は都合上休止中です。気分により再開するらもしれません。
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