鸞の島

こいちろう

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 鸞は鮮やかな青い羽根に覆われた巨鳥である。眩いほどの光沢をした美しい鳥だ。雛たちが近寄り易いように、翼を目立たぬ色に変えてその前に現れるという。
 鸞は年を経て天上に上って天帝の御車に据えられる鈴となる。その鈴も鸞という。大鳥が鈴となるのか、鈴が大鳥となるのかは分からないが、鈴も大鳥も鸞である。その鸞は平穏な海を好むという。


 どれ程立ったのかは分からない。乙松が目を覚ましたのは丘の上だった。石塔の傍に転がっていた。先ほどまでシャオソンの亡骸を横たえていた台座のすぐ下だ。大鳥に掴まれていたはずだが、此処に乙松を落としていったのだろうか。
 乙松は何も覚えていない。景色に何の変わりもない。八角七層の石塔、そしてその上の二連の宝珠が日差しを浴びて光っている。 
 黄康が一人で丘を上がってきた。
「乙松親分よ、気が付いたか。オレはさっき目が覚めて下の集落に行ってきた。下はもの凄いことになってるぞ」
「まだ官軍がいるのか?」
「いや、違う。それが全く違うんだ。あれだけ焼け焦げた村が新しい集落になっていた。港も立派な波止だ。おんなじ村の筈だが、全く違う村になってるんだ。おまけに港の沖はジャンクだらけだ。寧波府辺りの軍船が皆集まったのじゃないのか。それ位、この湾の奥まで見事にジャンクの帆が並んでいる。鯨に追い込まれた小魚だ。湾の口に見も知らぬ巨大な黒船がいた。黒い煙を吹き出しながら、ジャンクに睨みを効かせている。きっと、ジャンクは皆あいつ等に閉じ込められたんだ」
「そりゃどういうことだ。戦でも始まったのか?この村はおまえたちが襲ったとき、まるっきり焼野原になったはずじゃないか」
「それが違うんだ。どうもあれから随分時間が経ったようだ。丸っきり違っている。出会う連中皆の様子がどうも違う。家並みの造も浜の様子も全く違う。違わないのはこの丘の景色だけだ。どうもオレたちは違う時代に来ちまったようだ」
そういえば先程来、遠くで砲撃の音が聞こえている。離れた音だが、聞いたことのないような強い破裂音だ。
 丘の先の海がよく見渡せる所まで歩いた。腰が重い。誰か背に張り付いているのか、とても重い。足もゆっくりでなければ前に出ない。まるで年寄だ。急に年寄の体になったようだ。
 眼下にもの凄い数のジャンクがいた。見慣れた明軍の船団だ。まさに鯨に追い込まれた小魚が浅い湾内に逃げ込んだように固まっている。それにしても多い数だ。遥か向こうの湾の奥までジャンク船で埋まっている。明軍全ての軍船を此処に集結させた程の数だ。その向こう、湾口の先の沖合に黒い巨体の艦船が数隻。かなりの距離でよく分からないが。此れまで見てきた船とは比べようもない位巨大で頑丈そうだ。それが、湾の中から一隻も出られぬように湾口を塞いでいる。数隻だが威容なのだ。ジャンクの群れを完全に威圧している。
 どこの国のものか分からない。時折威嚇するように、巨艦から砲撃の黒煙が上がる。湾内に向かって真っすぐに一発。あれほど距離が離れているのだ。ところがジャンクの一隻に見事に命中、全て百発百中だ。一発で木造のジャンク船など吹き飛んで、見る間に火柱を上げて沈没した。威嚇の心算だろうが、確実に一隻ずつ狙った獲物を沈めていく。
 凄まじい威力だ。脅しにしては充分過ぎる。逃げてくるわけだ。ジャンク船にも大砲を乗せてはいる。ポルトガル製の強力砲だ。だが、威力が全く違う。相手は随分離れているのだ。明の大砲など、その半分すら届くまい。此れでは明の軍船など抵抗もできず壊滅するだろう。
 此れだけ離れた高台にいても、耳をつんざくような轟音だ。真っすぐとんだ弾丸がジャンク船を一隻ずつ捉えて粉々に破壊していく様がよく見える。一隻ずつ一隻ずつ、時間をかけてじっくりと、しかし確実に犠牲を増やしていく。
「こんな恐ろしい砲撃はみたことがないぞ」
乙松は呆然としてしゃがみこんだ。
「見事にやられてるじゃないか」
黄康は嬉しそうに言う。
「あの大明帝国がだ。中華とかぬかす大民族がだぞ。何処の奴かも分からぬ奴に、強力な力で押さえつけられているのだ。手も足も出ぬ負け戦だぞ」

 その時、集落から若者の一団が急ぎ足で駆け上がってきた。
「おーい、えらい賑やかだが、ありゃあ何の戦だ?」
黄康が二人の若者を止めて様子を聞いた。
「こんなところで何を呑気な。英吉利船ですよ。英吉利艦隊の総攻撃だ。この間広東がやられたと聞いたが、とうとう此処いらまで来てしまった。あれだけの大砲の威力じゃ、全く叶うもんじゃない。広東もあっという間だったらしいが、今に軍船どころか此処ら辺の村じゅうが粉々に壊されてしまいますよ」
「英吉利だと?広東がやられたと?洋の内にも外にも、英吉利などいうものは聞いたこともない。大明の軍船だぞ。それが此れだけ勢ぞろいだ。それなのに叶わないのか?なんと大明帝国も情けないことじゃないか」
「大明帝国ですと?一体いつのことをおっしゃってるのか…」
「腰抜けの万暦帝は一体何をしてるんだ」
「万暦…それは遥か昔の帝の話か?どうも三百年ほど前のことを言っておられるようだ。今は清朝ですぞ。広東の水師提督も欽差大臣も何の役にも立たず、首を切ってばかりの情けない朝廷だ。そんな皇帝に清国を守れようもない。満州の支配もどうやら終いが見えてきた」
「満州人の朝廷などに任せてはおれまい。寧波府のお偉い連中など、阿片に毒されて腰も立たぬわ」
二人とも血気盛んな若者だ。
「満州か?満州といえば女真族だな!とうとうヌルハチが明朝を支配したのか」
黄康が驚いたように言った。
「小部族の分際であの大国を潰したか。此れは愉快だハハハ、そうかそうか明を潰してしまったか。それにしても、何が元でこんなに追いやられたんだ?」
若者たちは乙松と黄康を怪訝な目で見た。
「阿片をご存じだろう。英吉利が大量に阿片を持ちこんだ、あの大騒動だ。それを朝廷が始末した。この奥にある港でも、大量に押収した阿片を海に捨てたから、このあたり一体まで海が真っ白になったものな。それに英吉利が難癖をつけてきたのさ」
「乙松親方よ、どうもオレたちは違った時代に来てしまったようだな」
そういえば若者の頭髪が妙な恰好だ。満州流行りの弁髪か。
「一体あなた方は何処のお方だ。異国の方か?何を言っても知らないような不思議な顔をしておられる。しかし、そんな悠長な話をする間はもうありません」
「可成りなご年配にお見受けするが、一先ずあの石塔の下にある隠し穴にお逃げなさい。直に村のお年よりも皆避難して来よう。兎も角、今は海から少しでも離れて隠れたほうが良い。沿岸にいては何をされるか分からない」
「我々志ある者は、これから尾根伝いに歩いて、奥地の郷勇隊に合流する心算だ。この穴の中で、今から結団する。我々だって清朝などどうなろうと知らない。しかし、此処まで外敵に自分の国が荒らされて黙っておれるものか」
 二人の若者は決死の覚悟で戦おうと意気込んでいる。
「数ばかりいて纏まりのない我が国だが、此れほど強力な外敵に襲われたら、その時は皆が立ち上がらねば」
「明国であれ清国であれ、朝廷がどうであれ我が国だ。我が民だ。ご老人、我ら若者が我が民を守ってみせますぞ。どうぞ安心して、しばし穴の中に避難なさってください」
「もう悠長なことを話している暇など有りません。兎も角お隠れなさい。ご先祖様が、子孫を残すために築かれた塔の下の隠れ穴だ。村の者皆で隠れても余裕のある穴だ。其処で状況を細かにお聞きください。攻撃が陸に及ばぬ前にさあ、お隠れなさい」
「直にこの集落などぶっ壊されてしまいます。三百年程前に倭寇に焼き尽くされて以来の大惨事が起きる」
二人が激しい口調で交互に話す。それほどに切迫した状況なのだろう。
「よし、そうか。国のため、民のためか。しっかりとがんばってくれ」
黄康が呟くようにそういうと、若者たちは勇んで穴に入っていった。集まった仲間で義勇隊を結団するのだろう。

 黄康がポツリと言った。
「恐ろしい時代になったものだ。明朝にしろ、清朝にしろだ、これじゃあ、あの大中華民族もお終いだな」
寂しげな顔で湾内の状況を見つめている。
「オレは逃げんぞ。散々明の連中からは馬鹿にされ差別された小部族のオレだ。明の奴ら、どうにでもなれ!そう追ってきた。でも国は国だ。今の若い衆の言う通りだ。王朝が何だろうと、部族がどうだろうと、オレもこの国の一人だ。国とは住んでいる民のことだ。ヤム族もない満州族もない。明も清もない。皆この地に住む民の一人だ。同じ仲間だ。得体の知れぬ強い力で潰されようとしているのだ。小さい部族など一たまりもない。だから皆で一つに纏まるときだ。確かに強いものは強い!勝ち目がないのは端から分かっている。少数部族が大明国に立てついたところで何にも変わらないのとおんなじだ。でもな、オレは戦う!この国のために戦うてやる」
そう言って穴の中に入って行った。年も考えず若者たちの義勇隊に加わる心算か。黄康にも仲間を思う気持ちはあるのだ。


 乙松一人残された。さて、オレはどうしようか。そう思った時だった。
「ドドドドーン」
ものすごい爆撃音だった。衝撃波が丘全体が大きく揺れた。立ってはおれないような衝撃だ。
 英吉利がついに一斉砲撃を始めたのだ。始まった。砲撃の煙がたちまち湾内全てに広がった。ジャンクはもはや手の打ちようもない。激しい砲撃の白煙の中で、瞬く間に壊滅状態だ。集落にも砲弾が命中したようだ。まだお年寄りの上がってくる様子はないが…。
 中心の家並みや生木がメリメリと裂けて飛び散る音がした。何度も何度も集落は砲撃の的になった。折角数百年して復興したのだろうが、再び跡形のない焼野原だ。
 丘の上から見渡す限りの海の上は全てが黒煙に包まれた。おい、村人よ。早く逃げて来いよ。
 と、突然石塔の前が大きな翼に覆われた。
 零鳥だ。あの大鳥、鸞だ!見事な光沢の真っ青な羽。眩しいほどに輝いて青い翼を広げた神々しい姿だった。それに隠れるように、お年寄りたちが逃げてくる。石塔の前には乙松一人。
 鸞が黒煙に覆われた海上の遥か上を舞い上がる。眼下にはむごい海上戦の光景が繰り広げられていた。大明国か大清国か知らないが、これで中国もお終いか…
 乙松一人またその脚に掴まって、遥か空高くに消えていった。

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