ワスレ草、花一輪

こいちろう

文字の大きさ
2 / 7

しおりを挟む
 板橋宿は、石神井川に架かる小さな板橋を中心に、街道沿いに東西に延びた町で、江戸に向かって家並みの続く中山道一の宿場町だ。川の西岸を上宿、東岸を仲宿、さらにその続きに平尾宿がある。平尾宿からは東に二里ばかり、巣鴨、白山、本郷と街並みが続いて、終着の日本橋だ。
 三人はその上宿にあるむさし屋に宿を取った。常助はこれまでのように木賃宿ですませる心算であったが、最後の夜だからというおなつの願いで、結局その旅籠に決めたのである。遊行でもない限り、木賃宿で済ませるのが当たり前のご時世だ。薪代ばかりの払いで旅籠代一人分で三人を支払ってもおつりが来るのだ。金策目当ての常助にしてみれば大散財である。仇を追い回っている新平にもそれ程余裕があるとは思えない。
 常助にも一つ、心中に思うところがあった。         
「新平さんには、今夜は一人でゆっくり休んでもらおう」とおなつに言って、中庭を挟んだ別棟の中二階に自分となつの部屋を取った。この忌々しい侍の顔を見ないで済む。それに一晩おなつに因果を言い含めることができる。何せ里を出てからろくに口もきかないでいるのだ。承知はしているだろうが、家の事情をよく言い含めて納得させよう。納得させたうえで詫びの一つくらい言いたいという気持ちもあったのだ。
  女中に案内された部屋のすぐ下を、石神井川が流れている。雨が降らない所為か、水の流れはほんの僅かだ。その澄んだ水面を、まだ沈み切らぬ西日が強く照りつけて眩しく光る。水面に影を落として飛び交う赤蜻蛉の姿が実に清々しい。対岸には仲宿の家並みが所狭しと重なりあっている。川下の向こうにはこんもりと霞みがかった丘。王子権現の辺りだろうか、その付近一帯広々とした田地だ。その向こうに浅草や本所の町並みが続いて居るのだろう。

 新平にとっては三年ぶりの江戸の地である。江戸勤番の父が暴漢に殺害されたという報せを受けて国許から駆けつけた時は、こうして江府の眺望を楽しむ余裕も無かった。
  芦田藩は西国の小藩であるが、温かい気候で実り豊かな地であり、塩田や絣造りなどの特産もあって城下は賑わっていた。しかし、代々の藩主が老中などの要職に就き、そのため江戸定府が続いた。従って藩の財政は恒常的に厳しかった。
 江戸本郷にある中屋敷詰めの勤番侍、田嶋幸七が殺害されたのは、三年前の年の暮れであった。江戸勤番の侍は、いつもは宛がわれたお屋敷中の長屋で過ごすのだが、月に何度か街中に外出することを許される。その日は門限までは自由に江戸の町を散策出来るのだ。年の瀬の仕事に追われる中、一日外出を許された幸七は、いつもの事だが藩邸近くの飯屋で酒を飲んでいた。ここの飯屋の煮芋をあてに一杯やるのが楽しみだった。酒を飲み出すと切りが無くなるのが幸七の悪い癖だ。ことにその日は底冷えのする寒い夕刻であった。いつも以上に深酒になった。門限まであと少し、そう思いながら酒を楽しむ。
「申し、田嶋様。ご重職様よりの使いの者でございまする」
そう言いながら書状を差し出す者がいた。以前より中間部屋で顔を見知った渡り奉公のウメ造であった。一度中間部屋の中で博打をしていたところを見とがめて叱ったことがある。
「このような夜更けに何だ?」
「お渡しする前に、一つ言伝が」
ここで言うてみろというと、「ここでは不味うございます。一寸表で」という。
そんな大事をこんな小者にと訝しみながら外に出た。冷たく寒い風の吹く夜だった。不覚にも酔いが回って足下が覚束ない。
 ご苦労、と千鳥足で外に出て店の戸口に寄りかかって言ったところに、ウメ造の突き出した匕首が胸深く突き刺さった。不意を食らって幸七は何をすることも出来なかった。曲者め!そう叫ぶのが精一杯だった。どっとその場に崩れ落ちる。聞きつけた店の者が駆けてきたが既に賊の影はなく、鮮血に染まった幸七は弱い呻きを上げながら倒れ伏した。
「賊は中間のウメ造・・・」幸七の最期の言葉となった。翌朝、報せを聞きつけ駆けつけた弟の嘉右衛門に看取られながら、意識の戻らぬまま息を引き取った。

 国許では、嫡男の新平と娘の千勢が病弱な母親を助けて暮らしていた。新平は十九歳、千勢は十八歳であった。千勢は生来大柄の気丈な性格で、藩内随一の傑女と知られた男勝りであった。それに比べて、新平は温厚で控え目な質であった。報せを受けた時も、ただ呆然とした兄を尻目に、千勢は黙々と旅立ちの準備を整えた。即座に仇討ちの決意をしたのである。芦田藩でもウメ造の行方を探索してはいた。中間や小者など、一季抱えの出替り奉公人は口入屋から斡旋されてくる。口入屋は請人が身元を保証すれば仕事を斡旋する。従って請人が一番ウメ造を知っているはずだ。ところが、ウメ造については請人も実にいい加減な情報しか知らなかった。
「あやつは上州から出てきたと言っていたが、どうも上方の訛りが少しあったようだ」
「海を珍しがっていたから、山国育ちではなかろうか」
どれもこれも曖昧な情報だ。嘉右衛門が永く抱えている中間の文吉は、
「渡り中間は口入屋には偽名を伝えておることが多うございます故、ウメ造だって本名かどうかも分かりません。手前の存じております中間から聞いたところじゃあ、博打が元で随分とあちこちで問題になった奴みたいで、何でも中山道筋の生まれだとか聞いておりました」と、また違う情報を話した。
 一向に手がかりもなく、新年の正月も既に下旬を迎えていた。藩邸に赴いた兄妹は、叔父嘉右衛門を後見として仇討の嘆願を願い出た。太平な世が長く続いたこのご時世だ。徒らに時間と費用の嵩む仇討ちを奨励する武士道などは薄れていた。表向きには仇を討つべし、などと威勢の良いことを言っているが、実際このような事態が生じても、役人の袖に金を掴ませ、病死と偽って仇討ちを避ける輩も少なからずあった。ましてや、芦田の藩主は代々が江戸定府である。藩の財政はひっ迫していたから、快く後押しを約束して、送り出せるような状況ではない。嫡子である新平も混乱していた。無論、父の無念は思ったが、金の工面はどうするのか。只でさえ苦しい一家の明日からのことも気にかかった。が、早々に決意を固めて周囲に敵討ちを吹聴する妹と叔父を前に、己れの意見を示すのも憚られた。
  叔父の嘉右衛門は田嶋家の次男坊として生まれた。長い部屋住みの後、江戸詰め家老の笠松勘解由に漸く召し抱えられた軽輩である。苦労人であるが為、利害には聡く弁巧に長けている。このたびの一件でも、仇きへの恨みはもちろんだが、それよりも仇討ち本懐成就の誉れに魅力があったに違いない。旨く行けばご加増も望めるのだ。只でさえ機会の少ない軽輩に、これほどの好機は又と無い。一攫千金の機会が巡ってきた。嘉右衛門にはそうした野心もあっただろう。
 お役所の手続きには時間がかかる。三人の嘆願書が藩のご重役に渡り、評定所において仇討御帳に登録されるまでに一ヶ月が経った。既に二月も下旬、春の盛りである。届け出を終えると、新平と嘉右衛門は早速江戸を出立した。最も仇討ちに燃えていた千勢は、中屋敷近くの叔父の知人宅に留め置かれた。
「いや、どうしてもならぬと言われるのなら、私は男の形をして諸国を回る」
千勢は得心がいかない様子で、自分も諸国を回りたいと頑と言い張った。しかし、嘉右衛門に強く押さえられた。
「女の事でもある。ただそれ以上に、其方には江戸において情報を集めるという大事な役目があるのだ。文吉と二人でしっかり情報を我々に上げておくれ」
強い思いはあるのだが、もはや従うしかなかった。

 出立の日、千勢は尚も歯がゆがっていた。叔父と甥は、本郷の藩邸から先ず東海道を西に進んだ。ウメ造の博打仲間から得た情報では、以前は上方で商いをしていたらしい。
「博打好きのウメ造のことだ、上方のそうした賭場を回ってみよう」
 そこで京、大坂を隈無く探したが、ようとして分からない。そこで山陽路、さらには四国松山、丸亀と博打仲間から上がった賭場先を廻ったが、消息の情報すら掴めなかった。更に京都から山陰を廻って一年が経ち、路用の金策のため国元の芦田の家に戻った。江戸の千勢からも何ら情報が入らぬままに二年目を迎えた。そのうち、叔父と甥は仲違いを始めた。元々そりの合わない二人である。叔父には甥の甘い性根が気に食わない。甥の方は理詰めで人を押さえつけようとする叔父の威圧的な物言いが鼻についた。やがて嘉右衛門が腰痛を訴えた事もあり、暫く田嶋の家にて休養することにした。
 その後、新平は一人で行動を取った。別れに際して嘉右衛門は大様な甥に、必ず所在の報告を、江戸と国元に入れるよう念を押して言い聞かせた。
「一人で動き急ぐな。仇討ちという大義があるのだ。よくよく世間の目には注意せよ。よいか、連絡だけは絶対途切らせてはならんぞ。こちらからも必ず連絡を入れる」
 ある時、大坂の藩邸を伺うた新平に、京都の水茶屋でウメ造らしい男を見かけたという情報が入った。新平はすぐにそのまま一人で京都に向かった。だが、似た男らしいということ以外、どこでどうして居るのやら詳しい情報はない。新平は仕方なく大坂に戻り、所在と経緯を叔父に知らせた。
 その頃江戸の千勢に有力な情報が入った。ウメ造が江戸に戻っているというのである。昔の中間仲間が見かけたというのだ。千勢は早速国元に報せを送った。丁度折良く腰痛の治癒した嘉右衛門は、新平の留まっていた大坂の木賃宿に「大阪の藩邸で合流し江戸に向かおう」と連絡を入れ、早速江戸に向かったのである。ところが、同じ頃新平も異なる情報を得た。ウメ造が僧侶の姿で木曽路を北に向かっている、というのだ。もうすでに二年目も五月雨の季節。そろそろ若い新平に焦りが出てきた。大坂の藩邸にでも伝えておけばよかったのだ。だが、やっと入手した有力な情報に気が流行り、書き置きもせずそのまま旅発った。

 六月五日、千勢と嘉右衛門は仇きウメ造を護持院が原において見事に討ち取った。
『傑女チセ、熱夏暁霞の仇討ち!』
『颯爽たる女丈夫、天晴れ!仇討ち護持院原の大舞台』
 この噂は、その日のうちに江戸中の大評判となった。何せ久々に聞く快挙だ。人々は口々に「烈女ちせ」と褒め称え、数多のかわら版が飛び交った。何と言っても相撲取りのような大女が亀のようなウメ造を足で押さえて大見得を切っている。この絵入りのヨミウリがたちまち評判となり売れに売れた。
 こうなれば藩の方でも黙ってはいない。何しろこのような快挙を遂げ、世間の評判を取った孝女チセだ。藩としてもこの上もない誉れであると称えずには居れない。千勢と嘉右衛門は辻番での簡単な取り調べを終えた後、早速本所にある藩の添屋敷に丁重に迎えられたのである。
 一方新平は、その頃疲労困憊仕切った身体を休める間もなく、信州の山中を彷徨い歩いていた。行く先々で偽の情報ばかり掴まされ、その都度落胆し、疲れと焦りが募った。妻籠、福島、塩尻、諏訪と街道筋の宿場全てを虱潰しにあたっては見たのだ。しかし、一向に埒が開かない。そのうち路銀は乏しくなる。日頃の溜まった不満からつまらぬ喧嘩の巻き添えを食う。次第に仇討ちの執念も癒え始めていた。仇きの所在をはっきり突き止め、しかる後に呼び寄せようと、遅れ遅れになった叔父への連絡も、今となっては益々書き辛くなった。 そうこうする内に、とうとう積み重なった過労と持病の癪の痛みが激しくなり、日に数里も歩けなくなってしまった。ウメ造は中山道にいる!と聞いた時から、道が大きく逸れていったのだ。運命の悪戯とは言え、新平にしてみれば恨み言の一つも言いたくなるような、実に非情な巡り合わせであった。


 
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

天正の黒船

KEYちゃん
歴史・時代
幕末、日本人は欧米諸国が日本に来た時の黒船に腰を抜かした。しかしその300年前に日本人は黒船を作っていた。

鸞の島

こいちろう
歴史・時代
 鸞は鮮やかな青い羽根に覆われた霊鳥である。雛たちの前では子らが近寄り易いよう、落ち着いた色に姿を変えて現れるという。  年を経ると天上に上り天帝の御車に据えられる鈴となる。その鈴も鸞という。大鳥が鈴となるのか、鈴が大鳥となるのかは分からないが、鈴も大鳥も鸞である。その鸞は平穏な海を好むという。  世界に平和をもたらす真の指導者が現れた時、初めて鸞は自ら鳴る

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

織田信長IF… 天下統一再び!!

華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。 この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。 主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。 ※この物語はフィクションです。

世界はあるべき姿へ戻される 第二次世界大戦if戦記

颯野秋乃
歴史・時代
1929年に起きた、世界を巻き込んだ大恐慌。世界の大国たちはそれからの脱却を目指し、躍起になっていた。第一次世界大戦の敗戦国となったドイツ第三帝国は多額の賠償金に加えて襲いかかる恐慌に国の存続の危機に陥っていた。援助の約束をしたアメリカは恐慌を理由に賠償金の支援を破棄。フランスは、自らを救うために支払いの延期は認めない姿勢を貫く。 ドイツ第三帝国は自らの存続のために、世界に隠しながら軍備の拡張に奔走することになる。 また、極東の国大日本帝国。関係の悪化の一途を辿る日米関係によって受ける経済的打撃に苦しんでいた。 その解決法として提案された大東亜共栄圏。東南アジア諸国及び中国を含めた大経済圏、生存圏の構築に力を注ごうとしていた。 この小説は、ドイツ第三帝国と大日本帝国の2視点で進んでいく。現代では有り得なかった様々なイフが含まれる。それを楽しんで貰えたらと思う。 またこの小説はいかなる思想を賛美、賞賛するものでは無い。 この小説は現代とは似て非なるもの。登場人物は史実には沿わないので悪しからず… 大日本帝国視点は都合上休止中です。気分により再開するらもしれません。 【重要】 不定期更新。超絶不定期更新です。

本能寺からの決死の脱出 ~尾張の大うつけ 織田信長 天下を統一す~

bekichi
歴史・時代
戦国時代の日本を背景に、織田信長の若き日の物語を語る。荒れ狂う風が尾張の大地を駆け巡る中、夜空の星々はこれから繰り広げられる壮絶な戦いの予兆のように輝いている。この混沌とした時代において、信長はまだ無名であったが、彼の野望はやがて天下を揺るがすことになる。信長は、父・信秀の治世に疑問を持ちながらも、独自の力を蓄え、異なる理想を追求し、反逆者とみなされることもあれば期待の星と讃えられることもあった。彼の目標は、乱世を統一し平和な時代を創ることにあった。物語は信長の足跡を追い、若き日の友情、父との確執、大名との駆け引きを描く。信長の人生は、斎藤道三、明智光秀、羽柴秀吉、徳川家康、伊達政宗といった時代の英傑たちとの交流とともに、一つの大きな物語を形成する。この物語は、信長の未知なる野望の軌跡を描くものである。

【架空戦記】狂気の空母「浅間丸」逆境戦記

糸冬
歴史・時代
開戦劈頭の真珠湾攻撃にて、日本海軍は第三次攻撃によって港湾施設と燃料タンクを破壊し、さらには米空母「エンタープライズ」を撃沈する上々の滑り出しを見せた。 それから半年が経った昭和十七年(一九四二年)六月。三菱長崎造船所第三ドックに、一隻のフネが傷ついた船体を横たえていた。 かつて、「太平洋の女王」と称された、海軍輸送船「浅間丸」である。 ドーリットル空襲によってディーゼル機関を損傷した「浅間丸」は、史実においては船体が旧式化したため凍結された計画を復活させ、特設航空母艦として蘇ろうとしていたのだった。 ※過去作「炎立つ真珠湾」と世界観を共有した内容となります。

もし石田三成が島津義弘の意見に耳を傾けていたら

俣彦
歴史・時代
慶長5年9月14日。 赤坂に到着した徳川家康を狙うべく夜襲を提案する宇喜多秀家と島津義弘。 史実では、これを退けた石田三成でありましたが……。 もしここで彼らの意見に耳を傾けていたら……。

処理中です...