よく効くお薬

高菜あやめ

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後日談 夏の思い出

5. 「もう昔のことなんて、思い出せないようにね……」*

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 薄暗い部屋の中。障子越しに差し込む月光が、布団を青白く染めていた。まるで海底のように光がゆらめき、まだらな影を落としている。

「ん、はっ……」

 乱れた息が水音と混ざって、室内の空気に溶けていく。俺は背中から抱えられ、上と下を同時に攻められていた。しかし緩慢な指の動きはもどかしく、高みには引き上げてくれない。

「もっと声出していいよ」

 囁かれながら、敏感な乳首をやさしくこねられるばかりで、この甘い責め苦は止みそうにない。

(早く、楽にしてくれっ……)

 涙目で後ろを向くと、それまで執拗に項を舐っていた熱い舌が、スルリと口内に潜りこんだ。激しく貪られ、息継ぎもできない。

(も、やだ……おかしくなる……)

 涙に滲む視界に映ったのは、欲情に濡れた男の顔だった。乱れた前髪が汗ばんだ額に張りつき、毛先から一滴、数珠のような水滴がポタリと落ちる。
 紅潮した頬の熱は、寄せられた高い鼻梁からこちらへ伝わってきそうだった。

「……はっ……」

 視線が絡み合うと、ようやく唇を放された。新鮮な空気が一気に肺に入ってきて呼吸が緩んだ瞬間、下に押し込まれた指がグッと一段奥へと穿たれた。

「あっ……」

 たまらずに声を上げると、目の前に迫る白い喉仏が小さく震え、かすかな忍び笑いが洩れた。

「もう欲しい……?」

 荒い吐息混じりの誘惑が、耳元で囁かれる。俺がすがるようにうなずくと、体をうつ伏せにされ、ようやく待ち望んだものを下の口に押し当てられた。

(えっ、なんで……)

 ゆっくり押し込まれた楔は、浅い部分ばかり行き来して、ちっとも奥へ進もうとしない。一番感じる部分をわざと外しているのか、じれったい甘い感覚ばかりに、俺は半泣きで身もだえる。

「津和……それ、やだ……」
「……ん、気持ち良くない?」
「やだもっと、奥へ欲し……んっ」

 胸の尖りをきつく摘まれ、思わず高い声を上げてしまった。
 自分の声は、みっともなくて大嫌いだ。なのにこの男は、意地悪く仕掛けてきて、俺に声を出させようとする。

「もっと良い声、聞かせて」
「やだって言ってんだろ……もっと強く、しろよ……」
「駄目。今夜は、あまり無理させたくない」

 たしかに頭痛のせいで薬も飲んでるから、激しくされないのは助かる……はずなのに。
 この緩やかな愛撫のほうが、よっぽど堪える。

(い、いらねえ……逆に苦しいんだよ!)

 おそらく津和は、一回きりで終わらせるつもりだ。けれど恐ろしく長い時間をかけて、たった一回。
 つまり……津和が何度も達するあいだ、自分は一度しかいかせてもらえないということだ。

「……もういいから、いかせろよっ!」
「でも俺と同じ回数を付き合うのは、無理でしょ……君の体に障る」
「いいから、いかせろっ……お願いだ、あずさ……」

 すがるように名前を呼ぶと、体の中にある津和のものが熱く膨れ上がった。

「君はっ……ずるいぞ」

 グリッと中をえぐられ、ようやく激しい律動が始まった。体の芯がグズグズに甘く蕩けさせられ、熱い昂りが全身を支配する。

「ん……ちょっ、なんで!?」

 津和の手が、俺の解放しかけた根元をきつく戒めた。

「駄目……まだ、終わらせたくない」
「やめろ、いかせて……くっ……ん」

 すると津和は中のものをすばやく引き抜いた。俺があっけに取られていると、今度はグルリと仰向けにされた。

「顔が、見たい」
「え、あっ……」

 そのままいきなり深く貫かれ、狂おしいほど激しい律動が始まった。背のシーツが汗を吸って、熱を帯びた素肌にまとわりつく。

「あ、ああっ……」
「ケイ……ケイ……」

 濁流にさらわれ、岩に砕ける飛沫のように翻弄される。そして限界を超えた瞬間……大きく爆ぜた。

「んっ……」

 津和は数回穿ったあと、俺に続いて達した。止めどなく注がれる白濁は、貪欲な体の奥深くまで侵食していく。
 燻る余韻に震える体は、布団に投げ出された。その上に覆いかぶさった津和の体が、吸い取り紙のように張りつき、汗を奪っていく。

「……もう一回、いい?」

 荒い息が、そう耳打ちした。

「いいよ……」

 あと一回くらいなら大丈夫。
 でも達した直後は目眩がひどいから、あとで頭痛をぶり返すかもしれない。
 それでも津和には悟られたくなかった。こんな時くらい思いのままにさせたいし、なにより俺もされたかった。

 けれど……俺の異変は隠しきれなかったようだ。
 津和はゆっくりと体を起こすと、やさしい、労わるような声音で提案してきた。

「じゃあ、少し休んでからしよっか」
「……いいのかよ」

 腕枕をされて、やさしく抱き寄せられる。うれしい反面、津和はこんなんで満足できるのかと、不安に駆られる。
 初めて抱かれたときも、同じことを思った。それからずっと、津和は俺の体調を気づかってばかりで、激しく抱こうとすることは滅多にない。

(こんなんで、足りるわけがない……)

 申し訳なさにうなだれると、顎をすくわれて、ちゅっと軽く唇を吸われた。

「どうしたの」
「あのさ……本当は足りないだろ」
「ん? まあ、たしかに足りないけど」
「……ごめん」
「いや、休んだらもう一回するよ?」

 にこやかに笑う津和に、俺はいたたまれず目を伏せた。

「……せめて人並み程度には、出来ればいいんだけど」
「うーん、でもそれが君だから。そもそも比較対象も無いから、よく分からないけどね」

 津和の言葉に、少々引っかかりを覚える。

「比較対象が無いって、どういう意味?」
「言葉通りの意味だけど。君しか抱いたことないから」
「え……」
「ん?」

 まさか、とは思うが……。

「つ、津和さん。まさか、俺がその、初めてなの?」

 いや、まさか。笑って流そうとしたら、不思議そうな表情を浮かべた恋人が、小さく首を傾げた。

「俺の初めてって、君だけど? 何、そんなに変?」
「いやいや、待ってよ……」

 このエリートのイケメンが、まさか俺に会うまで経験ゼロ? 勝手に経験豊富かと思ってた……。

 驚いてしどろもどろする俺に、津和はすっかりへそを曲げてしまった。

「好きでもない人間と、付き合ったり抱き合ったりなんて、俺はごめんだ。君が初めての恋人だって、前に言っただろう?」

 そこで津和は、ハッとした顔をした。

「待てよ……まさか君」

 じっとりとからみつくような視線が、俺を射抜く。

「俺の前に恋人いたの?」
「……」

 そりゃ二十半ばも過ぎれば、そういう経験の一つや二つあってもおかしくないだろう?
 だが俺には、負のオーラを放つ津和を前に、そんな台詞を口にする勇気なんてない。

 津和はゆらりと体を起こすと、俺に覆いかぶさった。

「相手は女? まさか男と付き合ったことはないよね?」
「な、ないよ、男は!」
「じゃあ、女とはあるんだ」
「……」

 なにも言えずに黙っていたら、津和がゆっくりと枕元の箱に手を伸ばした。そして未開封の避妊具を手に取ると、歯でピリッと破いた。

「続きをしようか」

 おだやかな声なのに、目つきが怖い。

「大丈夫、君は横になっているだけでいいよ……俺がゆっくりじっくり疲れないように、朝まで可愛がってあげる」

 ゆっくりと頬を撫でられて、官能よりも恐怖が勝る……ヤバいかもしれない。

「もう昔のことなんて、思い出せないようにね……」

 愛おしむような、甘い口付けを落とされる。ゆっくりと指が首筋をすべり、胸の中心をたどって、下肢へ……。

(ひっ……!)

 中心をつかまれた途端、手の動きが容赦なくなった。性急に追い立てられ、あっという間に果ててしまう。

「まだ夜はこれからだよ……」

 その夜……津和は、甘く焦ったく、とんでもなくしつこかった。
 しかし約束通り『もう一回』をきっちり守ったのだった。

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