よく効くお薬

高菜あやめ

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スピンオフ【白石と片瀬】

6. ごあいさつ

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 とうとう実家に帰る日を迎えたが、稔に緊張感はなかった。父親と顔を合わせるのは少々気まずいが、立派に社会人として一人暮らししてるのだから、なにも引け目に感じることない。
「うわっ、スーツ着てる」
 かなたのほうは緊張していた。しかも、とても。気合いを入れてスーツ姿なのだが、向かう先は実家と、昔からしょっちゅう出入りしていた幼馴染の家だ。稔は違和感を拭えず、本人にもそう伝えると、あきれた顔をされた。
「正式にごあいさつするから、当然だろう」
「へっ、ごあいさつ?」
「お前ときちんと付き合うって、報告するんだから……ダメか?」
 いや、ダメではない。
(これじゃまるで結婚報告っつーか、婚約報告みたいじゃないか)
 かなたの真面目さと真剣さは伝わるが、稔の気持ちが追いつかない。しかし付き合うとは、いずれはこうなることを意味する。もういい年頃で、周囲が結婚していく中かなたと付き合うということは、彼と人生を歩むという意味だ。
(俺もう女の子と結婚しないのか……)
 しかし稔にとっての女の子は、今も昔も茉莉花だけだ。他の女の子となんて想像つかない。ハンドルを握るかなたの隣で、リクライニングを目一杯倒しながら、車窓から流れる景色をぼんやりとながめた。
 こうして振り返ってみると、正直なところ茉莉花と付き合うことも想像できなかった。一度も具体的にどうしたいと考えたことはない。茉莉花はやさしくてかわいくて、理想の女の子だが、稔相手に恋愛するとは考えられなかった。
(あれ、じゃあ俺の恋愛対象って、誰だったんだ?)
 茉莉花に似た女の子に興味をひかれたが、具体的に付き合ってどうこうしようとは考えなかった。
(あれあれ? じゃあ俺が茉莉花に片想いしてたって思い込んでたのか? 結婚式じゃどうだったっけ?)
 自分にとって最高な女の子が、誰かの女の子になってしまったあの衝撃は、失恋ではなかったのか? たしかに結婚式の日は衝撃を受けたし、その後一週間ほどは彼女を思い出しては切ない気持ちになった。しかし失恋とはそんな程度か? 小さなころからずっと思ってきた子だぞ……稔は自問自答しながら混乱していた。
「ついたぞ。まずはお前の実家」
「あ、うん……」
 久しぶりの我が家は、二階建ての小さな一軒家で、記憶の中のそれと寸分変わらないはずなのに、まるで他人行儀に見えた。
「どうしよう、インターホン鳴らすべき?」
「しるか。お前の実家だろう」
 稔は迷ってから、やはりインターホンを押すことにした。

「……なんだ、もう着いたのか」
「お父さん」
 インターホンで玄関の扉を開けたのは、意外にも父親だった。記憶の父親よりも若く思えるのは、普段着だからだろうか。
(お父さん、ジーンズなんて履くんだ)
 仕事帰りのスーツ姿の印象ばかりあったため、稔のイメージとはかなり違う。しかし眉間に寄ったしわから、やはりあの人だと納得がいった。
「連絡くれれば、駅まで車で迎えにいったのに」
 そんな言葉に、稔はポカンとする。聞き間違いだろうか、それともかなたがいるからだろうか? そのかなたは、父親に向かって少し緊張気味に頭を下げていた。
「お久しぶりです」
「ああ、かなたくんか。よく来たね」
 にこやかまではいかないが、父親はかなたに対して態度がやわらかい。二人にはさまれる形で家の中に入った稔は、キッチンから顔を出す母親に迎えられた。
「お帰り、稔」
「ああ、うん。ただいま」
 手土産の菓子の紙袋を渡すと、母親は大層よろこんだ。こんな小さなことでもよろこばれるとくすぐったい。
「そういえば仕送り、もう気にしなくていいのよ?」
「いや、大学の費用とか出してもらったから」
「やあねえ、もう何年経ってると思ってんのよ。あんたもいい年なんだから、将来に向けて、そろそろ貯金しなさい」
「多少はしてるよ……」
 稔は母親の言葉にドキリとした。もしかしたら結婚費用とか、考えているのだろうか。そうだとすれば、かなたとの将来には今のところ結婚はない。
(そのうち日本の法律も変わるかなあ……て、気の早いのは俺もか)
 母親に追い立てられてリビングに入ると、テーブルにはご馳走が山のように並べられていた。
「うわっ、すげえ」
「お父さんも手伝ってくれたのよ」
 思わず父親に振り返ると、キッチンの入り口で気まずそうに立ってる姿があった。
「腰を痛めてテニスをやめたんだ。暇な時間ができたから、料理をはじめただけだ」
「そうなんだ……ありがとう」
「食ってから言え。味はうまいぞ、俺はセンスがあるからな」
 その場にいた全員が笑った。笑いながら、稔は不思議な気分だった。うちって、こんなになごやかな雰囲気してただろうか? 学生時代はもっと暗かった気がする。具体的になにがあったというわけではないが、父親の厳しい視線や、言葉の端々から受ける印象……だろうか。
 しかし今こうして話してみると、口調も態度も変わったように思えない。視線だって厳しい……いや、厳しいというより、観察するような目だ。
「稔、さいきん体調はどうだ」
「えっ、なんで?」
「会社員だから、朝早くから出社するだろう。一人で起きられるのか」
「ああ、うん。アラームつけてるから」
「そうか……ならいいが」
 父親の視線が幾分やわらいだところで、稔は気がついた。もしかしたらあの厳しい視線は、稔の体を心配してたのかもしれない。
(え、待って。なんか俺、昔からいろいろ勘違いしてたとか? いや俺も子どもだったし……)
 ぼうぜんとする稔の隣で、かなたが口を開いた。
「食事前にすいません。先にお話があります」
 稔は顔を上げた。まさか、このタイミングで?
「実は、稔くんと、お付き合いさせていただいてます」
 かなたの横顔を見つめる。そして両親に視線を向けると、母親は喜色をにじませ、一方の父親は渋面を浮かべていた。
「ええと、稔がかなたくんを連れて帰ってきた、ということは、両思いってことでいいのよね?」
「当たり前だろう……それに、かなたくんがスーツを着てる時点で、俺は薄々気がついていたぞ」
 母親と父親がお互い意見交換する中、かなたはひと言も発しなかった。
「まあ、とりあえず上着を脱いで、席に着くといい。料理が冷める」
「お父さんたら。かなたくんに、もっと何か言ってあげないと」
「しかたないだろう。うちの息子がいいなら、俺が折れるしかないんだから……かなたくん、酒は飲めるか?」
「はい、飲めます」
「じゃあいいワインを開けよう。乾杯しなくてはな」
 稔はこの一連のやり取りを、あっけに取られてながめていた。もっとなんか、こう反対するとか、怒鳴られるとか、そんな想像していたリアクションとだいぶ違う。
「稔、グラス後ろの棚から取って」
「あ、うん」
 背後にある食器棚からワイングラスを取り出して母親に手渡すと、そこには少女のような笑みをたたえた顔があった。
「後で付き合うことになったキッカケとか、くわしく教えて」
「……」
 まさか母親に恋バナをリクエストされるとは思わず、稔は失笑するしかなかった。両親とも、同性同士とか特に気にしてない様子だ。そういえば稔が小さいころ、父親は長いこと海外へ単身赴任をしていた。そして母親は帰国子女だった。広い世界を見てきた二人は、そういった偏見はあまりないのかもしれない。
「日本の法律も、そのうち変わるかもしれんな」
 父親のつぶやきに、稔はびっくりする。
(俺の思考と似てるかも……)
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