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26. 祭りの夜

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 ルコー村は、ナーダム地区の西の端っこに位置する、とても小さな村だった。

「チェックアウトは明日の午前十時です。こちらが部屋のカギ、階段を上って左側ですよ」
「ありがとうございます」

 一週間前に急いで予約した宿は、村の中心から少し外れた郊外にあった。併設された小さな食堂以外、宿の周りには食事できそうな場所はどこにもない。

(急だったけど、部屋が取れてよかった)

 部屋はシングルベッドの他、小さな椅子とテーブルが一組、奥に簡易の洗面台があるのみ。古い傷だらけのフローリングには、敷物ひとつないのだが、掃除が行き届いて悪い感じはしなかった。
 少し立て付けの悪い窓を音を立てて開くと、田舎特有の湿った土と清涼な若草の香りが、風に乗って部屋に運ばれてきた。

 私は一週間のお休みをもらって、久しぶりに故郷を訪れていた。
 ただし故郷と言っても実家ではなく、そこから数十キロ程離れた、観光地でも何でもないこの村に訪れたのには理由がある。

(今日がお祭り本番の日か……どんな感じかな。せっかくだから、少し早めに出かけてみようかな)

 この村では今夜、王都主催の大規模なお祭りが開催される予定だ。
 王都から派遣された調理人が総出で参加し、王都から運び込まれた肉や野菜が調理され、村人や訪れた旅人たちに振舞われる……そんなお祭りが国境付近の数多の村で、今夜一斉に開かれる。
 噂を聞きつけた近隣諸国からは、物見遊山と称して遠路はるばるやってくる旅行客も多く、それを見込んで王都の兵士が警備に当たることになっているらしい。

 私は窓枠に頬杖をついて、これといって特徴の無い平坦な平野が広がる風景を、窓からぼんやりと眺めた。中央広場を抜けて、この宿とは反対側の方角へ進むと、西の国境にかかる森がある。

 自分が、今夜の計画に協力できなかったことが、とても歯がゆかった。本当は何か手伝いたかったのに、ルイーズ様も宰相様も、ゲネルさんさえも、口をそろえて『危険だから』と私の協力をキッパリ拒絶したのだ。

『君はこれまで十分協力してくれた。ここから先は危険を伴うから、ついてこなくていいよ』
 ルイーズ様がいつものように淡々とした口調で言うも、やさしく深いまなざしで私を見つめた。

『あなたにできることは、作戦の邪魔にならないよう王宮にとどまり、ルイーズ様やゲネル隊長たちの無事を祈ることでしょうね。前回のように抜け出して、森へ向かったりしないように』
 宰相様に釘を刺されて、私はうなずくしかなかった。

『安心しなってお嬢さん、俺たちギルドメンバーに任せときな』
 ゲネルさんの口調には、私の不安を見透かすような、安心させるような響きがあった。

 そんなふうに皆に説得されて、私はこの計画から外れるしかなかった。正確に言うと、そっと見守ることにした……ただし王宮からではなく、現場で。

(こんなところまでやって来て、バレたら怒られるかな……)

 雇用主であるルイーズ様に『少しだけ実家に戻ってゆっくりしたい』とお休みの申請を出したら、一週間ならとあっさり許可が下りた。しかも親切にも、馬車を手配してくれるという。その申し出を丁重に断って、王都にやってきた時と同じ乗合馬車に夜通し揺られ、つい先刻この村に到着したばかりだ。
 到着した時は、まだ辺りは明るかったのに、こうして窓辺に座っているうちに夕闇が忍び寄り、通りはすっかり橙色に染まっていた。

 馬車に揺られ過ぎて、少し頭がふらついたけど、お腹はしっかりと空いて食欲は十分にある。村の中心へ行けば、きっと美味しい串焼き肉にありつけるだろう。

(美味しい物を食べれば、きっと気が晴れるだろう)

 そう思った時、私はそこではじめて自分が少し気が滅入っていたことに気づいた。足元に置かれた旅行鞄には、自分の荷物がすべて詰め込まれている。ここから自分はどこへ向かおうか……それはまだ、決めてない。





 お祭りは予想以上に盛り上がりを見せていた。
 村の中心部に近づくにつれて強くなってきたニンニク臭は、噴水がある広場に到着したときには、もはやまったく気にならなくなっていた。それくらい、辺りには臭いが充満していた。

(この提灯かあ)

 村のいたるところに、見慣れた提灯が飾られている光景に、感嘆のため息が漏れる。提灯の底には小さく『クラルテ商店』の刻印が刻まれているはずだ。

 ナーダム地区には祭りの開催地が二か所予定され、このルコー村はその開催地のひとつだ。
 宰相様から聞いた話では、うちの実家クラルテ商店にも、二百個ほど提灯を発注をしたそうだ。二百の受注なんて滅多にない。きっと両親も兄夫婦も驚いているはずだ。
 兄夫婦が継いで以来、店の経営状態はどうなっているだろう。兄はとにかく、兄嫁はしっかり者だから、きっとうまく切り盛りしているに違いない。両親はいろいろ口出してくるかもしれないけど、うまくやってるといいなと思う。

 広場に面した大通りには、おいしそうな肉料理の店が軒を連ね、小さな村からは想像もつかないほどの大勢の人々でにぎわっていた。
 私もさっそく串焼きの肉をひとつ買って、その場でかぶりついた。香ばしい肉汁がジュワッと口の中に広がり、蕩けそうなほど柔らかい。

(やっぱり、ニンニクが良い味だしてるなあ)

 あっという間に一本たいらげてしまった。
 お腹も満たされて、ふと顔を上げると、空はすっかり暗くなっていた。その代わり、辺りにはたくさんの提灯が点され、柔らかいあたたかな光が周囲をやさしく包み込んでいる。私の足は、自然と灯を追うように動き出した。

 しばらく提灯を追いかけて歩き続けると、小さな村のせいかあっと言う間に村の端まで辿り着いた。ここから少し先を行くと、森の入口がある。その先ではすでにギルドメンバーが、魔物除けの提灯を片手に森の奥へと向かっているはずだ。

(みんな無事帰ってきますように……)

 久しぶりに故郷の空気を吸ったせいかもしれないが、王都がやけに遠く感じてしまう。

(感じるんじゃなくて、実際遠いんだ)

 王宮で雇ってもらい、ルイーズ様や宰相様の近くで働けたことは、きっと田舎出の娘にしては稀にみる幸運なことなのだろう。本来ならば、直接会ったり話したりするなんてありえない人たちばかりだ。
 そんな経験を通して、自分は少し感覚が変になっていたのかもしれない……ルイーズ様と過ごした日々を、とても名残惜しく思うだなんて。

(……戻ろう)

 森に背を向け、村の中心部へ向かって引き返すことにした。提灯の光が、進む方向を照らしてくれる。向こうへ行けば、たくさんの人たちがお祭りを楽しんでいるだろう。その輪の中に、自分も入れてもらうんだ。

 やがて噴水の近くまで戻ってくると、長年の苔で変色した縁に浅く腰を下ろす。広場ではにぎやかな音楽に合わせて、たくだんの人たちが踊っていた。すぐに飛び込めると思った輪の中に、私はなかなか入れずにいた。自分がうまく楽しめるか、自信が持てなかったからだ。

(喉が乾いてきたかも……どこかの屋台で、ジュースでも買おうかな)

 村の大通りは、建物も人々の服装も売っているものも、王都のそれとはだいぶ違う。ふと脳裏に、王都で見た街並みと喧騒が鮮やかによみがえった。

『どうした。喉が乾いたなら、ジュースでも買うけど?』
『いえ、大丈夫です、特には乾いてないのでお気づかいなくっ!』
『……あっそ、あいにく僕は乾いてるんだ。あの店の果実水がいいな。ついでに君も付き合って』

 分かりにくい優しさで、私のことを存分に振り回してくれた、あの後ろ姿が忘れられない。こんなところに一人でいるのに、どうして思い出してしまったのだろう。

(やだな……帰りたくなっちゃうよ)

 そんな風に思うのは、帰るべきじゃないと気づいてしまったから。帰ったらもう、ルイーズ様への思いを止められなくなってしまいそうだから。
 でも普通に考えて、こんな不毛な思いは断ち切るべきなのだろう……少しばかりやさしくされて、うっかり勘違いしてしまうところだった。あの人とは立場も身分も、何もかも違いすぎる。

 実家に帰るつもりはない。あそこに私の居場所はないから。だからと言って、王宮に戻るつもりもなかった。
 途中で仕事を投げ出すつもりも、皆に迷惑もかけるつもりもない、と言うのは詭弁だろうか。結果的に、仕事を放りだして逃げてきたようなものだから。
 ルイーズ様と宰相様宛に手紙を置いてきた。辞表のつもりだけど、最後に顔を見て挨拶できなかったのは、この先何度でも後悔することになると思う。でも辞めたことに悔いはない……だって、私のできそうな仕事はもう何もない。

 この計画で魔物を一掃すれば、ルイーズ様が夜な夜な魔物討伐へ出かける必要はなくなる。そうなれば、無理なく公務と勇者のお仕事を両立できるようになって、私が仕事を手伝う必要もなくなる。それはよろこばしいことであり、私はただ無職というふりだしに戻るだけだ。
 そう、本来あるべき姿へ戻るだけなのに……どうしてこんなに悲しいのだろう。

「……せっかくのお祭りなのに、なに泣きそうな顔してるの」

 頭上から落ちてきた声は、きっと私にとって都合の良い空耳だ。

「ねえ、何か言ったら?」
「……」

 それなのに、私は本気になって喉を詰まらせ、両手で口を覆う。今直面してる現実が信じられなくて、怖くて顔を上げられないでいると、隣に誰かが座った気配がした。誰なのか、姿なんて見なくても分かった。

「いい加減、こっちを向いて挨拶ぐらいしなよね」

 焦れたように手首をつかまれ、そのまま引っ張られると、温かい胸に倒れこんでしまった。男性にしては細い指であごをすくわれ、無理やり顔を押し上げられてしまう。

「なに泣いてるの」
「……ふっ……だって、ルイーズ様がどうして、こんなところに……?」

 困った表情を浮かべたルイーズ様の口元が、やわらかく弧の字を描いた。

「まったく。休みは一週間だけだって言ったよね? それなのに君は、荷物をまとめて出て行っちゃうし。実家にも戻らずこんな場所で、たった一人でぼんやりしてるし。まったく見てられない、思わず声をかけたくなるってものだよ」

 そこでルイーズ様はいったん言葉を切ると、少し眉を寄せて言いにくそうに続けた。

「……本当は、君の好きにさせてあげたかった。そのうち落ち着いたら、いずれまた王都に遊びに来てくれるだろうって。その時また会えるからって、そう思ったけど……」

 つかまれた手首に、少し痛いくらいの力がこめられた。

「でも、それっていつになるか分からないだろう? 僕はその間、君無しで暮らすことになるの? それはどうも耐えられそうにないからね……だからこうやって、ここまで迎えに来るしかなかった」

 白い頬が、耳朶が、首筋が、夜目にもはっきりと鮮やかに赤く染まっていく。視線は合わないのに、見つめ合っている感じがする。

「ヨリ、君がいないと僕は……耐えられそうもないって言ってる。聞こえてる?」

 フワリと抱きしめられた私は胸がいっぱいになり、声も出せずに何度もうなずいた。
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