桜の花びらは、いつ散ってくれるのだろうか。

北国

文字の大きさ
17 / 22

17. 叫声

しおりを挟む
 その日以降、桜井は学校を欠席し続けた。
 もう、何も考えたくなかった。広瀬のことも、クラスメイトのことも、思い出すだけで辛くなるだけだ。だから、何も考えずにいたい。
 何をする気にもならず、暗い部屋の中で、桜井はベッドに籠り続けた。時計の秒針の音だけが、静かな部屋に流れる。そうして桜井は時が過ぎるのを待つように、ただ部屋の天井を空虚な目で見つめ続けた。
 そうして、どのくらいの時間が経ったか分からなくなった頃、桜井の家のチャイムが鳴った。出るのも億劫になった桜井は、無視してやり過ごそうとした。しかし、二度、三度、四度とチャイムが鳴り、桜井は仕方なくインターホンを見た。
 画面には、秋山が私服姿で立っている姿が映し出された。桜井は応答しようか迷い、インターホンの応答ボタンを押すことを躊躇う。しかし、その時、玄関の扉がガチャリと開いた音がした。

「おや、開いている……?」

 秋山の声が聞こえ、桜井はまさか、と思い玄関へ向かった。すると秋山は靴を脱ごうとしていた。

「ああ、やっぱりいたんだね。心配したよ。学校にも来ないし、家のチャイムを押しても出なかったものだから。それと、家の鍵はかけておいた方がいいよ」
「……勝手に上がろうとしないでもらえませんか」
「これはすまない」

 秋山は脱ぎかけの靴を履いた。そして、桜井の顔をまじまじと見た。

「……顔色がずいぶん悪いね。それに目の下の隈も濃くなっている。眠れないのかい?」

 桜井は何も答える気力がなく、俯いた。

「少し、話したいことがある。外に出ないか」

 秋山は少し困ったような笑みを向けた。
 だが、ちっとも外に出る気が起きない。もう、何もしたくない。

「結構です。……もう、帰ってください」

 桜井はか細い声でそう言った。しかし、秋山は食い下がった。

「帰らないよ。君は、外に出たくないのかい?」

 桜井が頷くと、秋山は「そうか」と言って、上がり框に座り始めた。
 桜井は訳が分からず、座る秋山に困惑した。

「何、してるんですか」
「君が外に出る気になるまで、待機しようと思って」
「迷惑です。帰ってくれませんか」
「それはできない相談だ。一週間でも、一か月でも、君が外に出ようとするまで私は座り続ける」

 秋山は頑なに立ち上がろうとはしなかった。そんな秋山の態度を見ても、桜井の心は全く動かなかった。桜井は「帰ってください」と言い残し、部屋に戻った。
 そして、再びベッドに籠る。
 何も考えないよう、桜井は目を閉じた。だが、ふとしたタイミングで思い出してしまう。クラスメイトや先生の視線と言葉。広瀬の無関心な態度。自分の過ちと怒り。そして広瀬に対する憧れと嫉妬。
 それらは桜井の頭を支配し、じわじわと苦しめる。苦しみは逃げ場を失くし、どんどん大きくなってゆく。
 静まれ、静まれ。頼むから静まってくれ。桜井は心の中で必死に願い続けた。

「君はそうやって、また引き籠るのかい?」

 どこからか声が聞こえ、桜井は目を見開いた。

「父親に捨てられ、母親も君を見ようともしない。そうして一人で孤独感を抱えて、絵の世界に籠ったんだろう?」
「絵の世界に引き籠ってばかりだったから、友人の一人もできやしない。そんな自分を卑下して、『自分は空気だから仕方ない』と思い込んだ」
「せっかく絵の世界から出ても、目の前の苦しみに、また逃げようとしてるんでしょ?」

 一体誰の声なのか、桜井には全く分からない。

「ねえ、桜井くん」

 ふと女性の声が聞こえた。桜井が顔を上げると、高山が冷たい目で桜井を見下していた。

「どうして、私の気持ちを知っておいて、あんなことを言ったの」
「ごめん……」
「私、広瀬くんに愛されてなくて、本気で悩んだんだよ。なのに、自分だけ愛されようなんて……」

 ─そんなの、絶対に許さないから。

 高山の姿が黒く粘り気のある液状に変わってゆき、桜井に襲い掛かる。桜井は恐怖を感じ、必死に逃げた。住宅街の曲がり角を曲がり、並木道を突き抜ける。そして、目の前に校門が見えた時、誰かの肩が桜井にぶつかった。
 桜井が振り向くと、そこには秋山が立っていた。

「君は、どこまでも純粋で、どこまでも無知だ」

 秋山が怪しい笑みを浮かべて、桜井に歩み寄る。

「そして、他人の目を覗き込む。だから、感情の起伏にも敏感。なのに、君は私の気持ちを受け入れようとしない。広瀬くんの気持ちも、高山さんの気持ちも、無碍にするんだろう?」

 秋山の手が桜井の頬を撫でる。しかし、その感触はあまりに冷たく、気持ち悪い。

「そのくせ、被害妄想ばかり浮かぶ。自分で自分を苦しめて、何が楽しいんだい?」

 ─悲劇のヒロイン気取り。

 秋山の顔が崩れ、高山と同じように黒い液体に変わってゆく。また、逃げなければ。桜井は再び走り出した。学校の中に飛び込み、桜井は誰もいない教室に逃げ込み、机をドアのそばに積み上げた。誰も入ってくるな。誰も、僕に近づかないでくれ。

「俺には、お前の行動が全く理解できない」

 後ろから声が聞こえる。桜井が振り返ると、広瀬が立っていた。桜井は怖くなり、静かに後ずさる。

「どうして自分を責め、人に八つ当たりできる。無関心でいれば、責めるという発想自体無くなる」
「……うるさい」
「俺の態度を恨んで、妬んでいるなら、お前も無関心になればいいだろ? ……まあ、お前にはできないか」
「うるさい」
「自分を苦しみから救うこともしない。自分を見殺しにしようともしない。そんな冷たい奴を愛してしまったのに、どうしてそれを期待するんだ?」
「うるさい……! もう黙れよ!」

 桜井は近くにあった椅子を振り回した。ゴン、と鈍い音がして、広瀬はその場に倒れこんだ。

「お前は広瀬くんじゃない! 広瀬くんはそんなこと言わない!広瀬くんの姿で、これ以上言葉を口にするな!」

 そう言うと、広瀬の顔が真っ白になった。目も鼻も口も消え、のっぺらぼうとなった広瀬の顔は徐々に変化していく。そして、誰よりも見覚えのある顔になり、桜井は目を丸くした。

「分かっているんだろう。全部。もう『どうしようもない』って」

 目の前の男が立ち上がる。そして、二人は向かい合った。

「広瀬くんは無関心を貫くことで、自分の苦しみを克服し、自分の生き方に幸せを見出した」

 ─なら、お前はどう立ち向かう。僕の幸せは一体何だ。

 桜井は、ふっと目を覚ました。ベッドから起き上がり、時計を見る。秋山が来てから三時間が立ち、もう夕方になっていた。
 桜井はふらふらと部屋を出た。玄関を見ると、秋山はまだ座っていた。

「……どうして、帰らないんですか」

 桜井は静かに問う。
 すると、秋山は桜井の方を振り返って微笑んだ。

「君が好きだからだよ」
「……僕を好きになっても、辛くならないんですか。虚しくならないんですか」

 桜井がそう言うと、秋山が「うーん」と頭を捻った。そして、秋山はゆっくりと立ち上がった。

「私についてきたら、その答えが分かるよ」

 秋山は手を差し伸べた。桜井はその手をまじまじと見つめた。白くしなやかで細い手。なのに、どこか逞しさを感じさせる。

「きっとその答えの中に、君が求めるヒントもある。……どうする?」

 桜井はその手を掴もうか迷った。掴んだところで何も変わらない。この複雑な心は、どうしようもできない。
 ─なら、お前はどう立ち向かう。僕の幸せは一体何だ。
 もし、『僕』の言う通り、答えを見つけることができたら。答えが見つからなくても、何かを掴むことができれば、この辛い感情は消えてくれるのだろうか。辛い現実を変えられるのだろうか。どうしようもないこの気持ちは変えられるのだろうか。
 その時、僕は、幸せだと言えるのだろうか。
 桜井は手を躊躇いがちに伸ばした。そして、弱弱しく秋山の手を掴んだ。
 秋山は安心したように、ふっと笑みを零した。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

「好きって言ったら負け!」完璧すぎる生徒会コンビの恋愛頭脳戦は今日も平行線です~恋は勝ち負けじゃないと知るまでの攻防戦

中岡 始
BL
「好きって言ったら負け」 それが、俺たちの間にある、たったひとつのルールだった。 星遥学園の顔、生徒会長・一ノ瀬結翔と副会長・神城凪。 容姿、成績、カリスマ性――すべてが完璧なふたりは、周囲から「最強ペア」と呼ばれている。 けれどその内側では、日々繰り広げられる仁義なき恋愛頭脳戦があった。 ・さりげない言葉の応酬 ・SNSでの匂わせ合戦 ・触れそうで触れない、静かな視線の駆け引き 恋してるなんて認めたくない。 でも、相手からの“告白”を待ち続けてしまう―― そんなふたりの関係が変わったのは、修学旅行での一夜。 「俺、たぶん君に“負けてもいい”って思いかけてる」 その一言が、沈黙を揺るがし、心の距離を塗り替えていく。 勝ち負けなんかじゃない、想いのかたちにたどり着くまで。 これは、美形ふたりの駆け引きまみれなラブコメ戦線、 ついに“終戦”の火蓋が落ちるまでの物語。

伝説のS級おじさん、俺の「匂い」がないと発狂して国を滅ぼすらしいい

マンスーン
BL
ギルドの事務職員・三上薫は、ある日、ギルドロビーで発作を起こしかけていた英雄ガルド・ベルンシュタインから抱きしめられ、首筋を猛烈に吸引。「見つけた……俺の酸素……!」と叫び、離れなくなってしまう。 最強おじさん(変態)×ギルドの事務職員(平凡) 世界観が現代日本、異世界ごちゃ混ぜ設定になっております。

赤い頬と溶けるバニラ味

hamapito
BL
在宅勤務が選べるようになっても出社し続けているのは、同期の岡野に会うためだった。 毎日会うのが当たり前になっていたある日、風邪をひいてしまい在宅勤務に切り替えた。 わざわざ連絡するのもおかしいかと思ってそのままにしていたけれど……。    * 岡野はただの同期。それ以上でも以下でもない。 満員電車に乗ってでも出社している理由だって「運動不足になりそうだから」って言ってたし。 岡野に会えるのが嬉しい俺とは違う。    *

六年目の恋、もう一度手をつなぐ

高穂もか
BL
幼なじみで恋人のつむぎと渉は互いにオメガ・アルファの親公認のカップルだ。 順調な交際も六年目――最近の渉はデートもしないし、手もつながなくなった。 「もう、おればっかりが好きなんやろか?」 馴ればっかりの関係に、寂しさを覚えるつむぎ。 そのうえ、渉は二人の通う高校にやってきた美貌の転校生・沙也にかまってばかりで。他のオメガには、優しく甘く接する恋人にもやもやしてしまう。 嫉妬をしても、「友達なんやから面倒なこというなって」と笑われ、遂にはお泊りまでしたと聞き…… 「そっちがその気なら、もういい!」 堪忍袋の緒が切れたつむぎは、別れを切り出す。すると、渉は意外な反応を……? 倦怠期を乗り越えて、もう一度恋をする。幼なじみオメガバースBLです♡

ある日、友達とキスをした

Kokonuca.
BL
ゲームで親友とキスをした…のはいいけれど、次の日から親友からの連絡は途切れ、会えた時にはいつも僕がいた場所には違う子がいた

2度目の恋 ~忘れられない1度目の恋~

青ムギ
BL
「俺は、生涯お前しか愛さない。」 その言葉を言われたのが社会人2年目の春。 あの時は、確かに俺達には愛が存在していた。 だが、今はー 「仕事が忙しいから先に寝ててくれ。」 「今忙しいんだ。お前に構ってられない。」 冷たく突き放すような言葉ばかりを言って家を空ける日が多くなる。 貴方の視界に、俺は映らないー。 2人の記念日もずっと1人で祝っている。 あの人を想う一方通行の「愛」は苦しく、俺の心を蝕んでいく。 そんなある日、体の不調で病院を受診した際医者から余命宣告を受ける。 あの人の電話はいつも着信拒否。診断結果を伝えようにも伝えられない。 ーもういっそ秘密にしたまま、過ごそうかな。ー ※主人公が悲しい目にあいます。素敵な人に出会わせたいです。 表紙のイラストは、Picrew様の[君の世界メーカー]マサキ様からお借りしました。

僕のために、忘れていて

ことわ子
BL
男子高校生のリュージは事故に遭い、最近の記憶を無くしてしまった。しかし、無くしたのは最近の記憶で家族や友人のことは覚えており、別段困ることは無いと思っていた。ある一点、全く記憶にない人物、黒咲アキが自分の恋人だと訪ねてくるまでは────

【本編完結】才色兼備の幼馴染♂に振り回されるくらいなら、いっそ赤い糸で縛って欲しい。

ホマレ
BL
才色兼備で『氷の王子』と呼ばれる幼なじみ、藍と俺は気づけばいつも一緒にいた。 その関係が当たり前すぎて、壊れるなんて思ってなかった——藍が「彼女作ってもいい?」なんて言い出すまでは。 胸の奥がざわつき、藍が他の誰かに取られる想像だけで苦しくなる。 それでも「友達」のままでいられるならと思っていたのに、藍の言葉に行動に振り回されていく。 運命の赤い糸が見えていれば、この関係を紐解けるのに。

処理中です...