桜の花びらは、いつ散ってくれるのだろうか。

北国

文字の大きさ
21 / 22

22. 受容

しおりを挟む
 その後、広瀬が保健室に行ったことで、秋山の言う通り、いじめの件が学校中に発覚した。
 そのことを受けて、桜井のクラスでも、いじめに対するアンケートが行われることになった。桜井はアンケート用紙に、自身のいじめについて書いた。経緯も、自分がされたことも、自分の想いも、全て吐き出した。
 そして桜井は放課後、担任の先生に呼ばれ、誰もいない理科準備室へと訪れた。
 担任は深刻そうな顔で、「座って」と桜井を椅子に座らせた。

「早速だけど、いじめの件について話そう。単刀直入に聞くけど、君が書いた内容は本当のことか?」

「はい」と桜井は静かに頷いた。
 すると先生は「そうか……」と言って、眉を顰めた。

「……正直、信じられないが、何か証拠はあるのかい?」
「高山さんの葬式の日、僕が広瀬くんに告白した動画があります。その動画がクラスで拡散されているか分かりませんが、少なくとも、高山さんの親友である山岸さんは、その動画を持っています」

 淡々と説明する桜井に、先生は目を丸くした。そして「……その、言っていいのか分からないけれど」と前置きして、桜井を見つめた。

「いじめ、辛くないの? どうも、君の様子から、そうも見えないんだけども……」

 桜井は、自分でも妙に冷静だと感じた。自分の中のあらゆる葛藤が消え、心の余裕が生まれたからだろうか。

「もちろん、辛いです。でも、自分のしたことを考えれば、当然のことですから」

 さらりと言いのける桜井に、先生は唖然とした。

 いじめの原因は自業自得。その事実に、もう苦しみも後悔もなかった。

「それは、つまり、いじめを受け入れている、と?」
「はい。その通りです」

 桜井がそう言うと、先生は肩を小刻みに震わせながら、苦い顔をした。

「それは、違うと思う」

 先生は真剣な眼差しで桜井を見た。

「いじめは、何があっても許されることじゃない。君がそれを受け入れたとしても、自業自得だろうと、いじめはあってはならないものなんだよ。だから、調査が終わったら、教育委員会にも連絡して、いじめを解決できるように動くから」

 先生の言うことは、ごもっともだった。特に否定する気はない。だが、先生の言葉には、これっぽっちも期待していなかった。

「……僕のしたことは、周りから見れば、不謹慎で、間違っている。でも、僕は正しいことをしたと思っています」
 先生は目をしばたたいた。桜井は言葉を続けた。

「そして、いじめのおかげで、広瀬くんのおかげで、僕は自分の生き方に悩めました。悩んで、悩んで、やっと答えを見つけることができました。その答えを、誰にも否定されたくないんです」

 桜井は、自分の想いを吐露した。

「その答えを示すために、いじめを受け入れると? そんなこと、する必要はないだろう。いじめは、回避できるんだ。逃げたっていいんだ。どうして辛い思いをしてまで、受け入れようとする?」

 先生の眉間に濃いしわが刻まれる。その表情は悲しみながらも、どこか怒っているようにも見えた。
 桜井は、そんな先生を前にしても臆することはなかった。ただじっと、前を見据えた。

「それが僕の幸福につながっていると思うからです。籠りっきりの生き方から飛び出して、人の信条や考え方を知って、その人の生き方を愛して、貫くことを願う。
 それが、僕の心を喜びで満たしてくれるんです。いじめを受け入れることは、その過程なんです」

 先生の瞳が揺れ動いた。そして先生は何かを言おうとして、口を小さくあけたが、口から言葉が出ることはなかった。

「なので、いじめが今後どうなるのか分かりませんが、僕は、いじめの存在を受け入れます」

 そう言って、桜井は「失礼します」と席を立った。

「……待ってくれ」

 先生は重々しく口を開いた。

「君の考えは、分かった。だが、私は君の担任だ。だから、いじめの解決には全力で動く。君がたとえ期待していなくても、受け入れても、私はいじめの存在を否定する」

 桜井は先生に何も返さず、そのまま理科準備室を出た。
 全ての想いを吐き出したからだろうか、桜井の心はかつてないほど晴れ晴れとして、澄み渡っていた。
 まるで雲一つない青空と一体になったような、どこまでも爽やかな感覚に、桜井は思わず笑みが零れた。

 先生がいじめを解決することを約束したものの、それでも、決していじめはなくなることはなかった。
 先生の目が届かない場所で、いじめは行われる。例のアンケート以降、クラスメイト達は発覚を恐れて、暴力などの目に見えるいじめはしないし、机にごみが入れられることはなくなった。だが、変わらず非難や罵倒は浴びせられ続けた。
 そして秋のある日、男子生徒は桜井を人気のない体育館裏に引っ張った。
 桜井のいじめの件がいよいよ公になり、主犯の男子生徒に退学処分が下されることになった。クラス中の空気がざわめく中、男子生徒は、桜井が先生にチクった、と怒りを露にしていた。
 そして、「どうせ明らかになったし」と開き直って、体育館裏に桜井を連れ出し、桜井の顔を殴った。
 殴られた衝撃で一瞬、頭がぐらつき、桜井はその場に倒れこんだ。

「ほら、痛いんだろ!」

 倒れこんだ桜井に、追い打ちをかけるように、男子生徒はみぞおちを蹴った。

「お前のせいだぞ、お前が先公にチクるから悪いんだ! おかげで俺は退学する羽目になるかもしれない。どう落とし前を取ってくれるんだ!?」

 罵詈雑言に暴力を浴びせられ、力が出ない。だが、桜井は肩を震わせて、気力の尽きる限り、口を大きくあけて笑い始めた。
 自分でも、こんなに笑ったのは初めてだった。笑いすぎて、殴られたみぞおちが痛む。それでも、どうしても笑いを止められなかった。
 男子生徒は、突然の桜井の爆笑に困惑したようで、その場から動けなくなった。

「君の言う通りだよ。君からいじめを受けるのも、今殴られているのも、全て自業自得だ」

 桜井は目尻に滲んだ涙を拭った。

「……笑ったのは、君が退学するからじゃない。決して君を馬鹿にするつもりも、君が退学して喜ぶつもりもない」
「は? じゃあ、なんで、笑ってんだよ……」

 男子生徒は、唇をわなわなと震わせた。
 桜井はふっと柔らかく微笑んだ。それは、桜井の心からの笑顔だった。

「僕は、いじめによって、広瀬くんの幸せを願う生き方を肯定できる。自分が幸せになれると確信できる。それを君と僕に証明できるから、嬉しいんだよ」

 男子生徒は、口をぱくぱくと金魚のように動かした。そして、「は」と息を吐き、乾いた笑いを浮かべた。

「お前、マゾかよ?」
「君がそう思うなら、それでいいよ。それと、どれだけ君に殴られても、痛くても、僕はそれを受け入れるし、殴り返すつもりもない。君が僕を痛めつけることで、喜びを感じるのは確かだから」

 男子生徒の顔が蒼白くなった。そして、この世のものとは思えないほど気持ち悪いものを見たような目で、桜井を軽蔑した。

「自ら喜んでサンドバッグになる奴なんか、殴ってもつまんねえわ。気持ち悪。近づく気も失せるわ」

 男子生徒は舌打ちをして、足早にその場を去っていった。桜井は立ち上がろうとしたが、上手く体に力が入らず、諦めてあおむけになった。
 秋の冷たい風が桜井の頬を撫でた。少し冷たかったが、頬のあざを冷やすには十分だろうと思っていた。
 その時ふと、足音が聞こえ、桜井はその足音に耳を傾けた。

「……何してんだよ」

 桜井の眼前に、広瀬の端正な顔が映った。

「日向ぼっこ」
「ここ日陰だし、鼻血出てんのにか?」

 そう言われて、桜井は手で鼻を拭った。そして手を見ると、赤い血がべっとりついていた。桜井はようやく、自分が鼻血を出していることに気が付いた。

「気が付かなかった……」

 そう言って、桜井はワイシャツの袖で鼻血を拭った。白いワイシャツに血がついても、桜井は何とも思わなかった。
 広瀬はそんな桜井を見ても、眉一つ動かさなかった。そして、桜井の横に座り始めた。

「……全部、見てた。お前が殴られてるところ。お前の言葉も、全部聞いた」
「うん」
「お前、強いんだな」

 桜井は目を丸くして、広瀬に顔を向けた。

「前に、俺よりも強くないって言ってたけど、十分強いと思う」

 そう言うと、広瀬は桜井の顔をそっと手で包んだ。
 そして、ゆっくりと自分の顔を近づける。
 広瀬の薄い唇が、桜井のそれと重なった。
 桜井は目を丸くしながらも、その一瞬を受け入れた。
 広瀬の唇は、どこまでも優しく温かった。
 そして、互いの唇が離れた。唇に残った温もりは、秋の風と共にすぐに消えた。

「……誇っていい」

 桜井は「そんなことないよ」と笑いながら、一筋の涙をこぼした。
 広瀬は桜井を愛していない。口づけたのも、ただ己の欲求に素直に従ったまでだ。そこに愛おしさも、名残惜しさも無い。
 それでも、桜井は自分の生き方の姿勢を、大切な人に示せたことが、ひどく嬉しかった。

 ─きっとこの感覚を、幸せと呼ぶんだろう。桜井はその感覚を大切に噛み締めた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

僕のために、忘れていて

ことわ子
BL
男子高校生のリュージは事故に遭い、最近の記憶を無くしてしまった。しかし、無くしたのは最近の記憶で家族や友人のことは覚えており、別段困ることは無いと思っていた。ある一点、全く記憶にない人物、黒咲アキが自分の恋人だと訪ねてくるまでは────

バイト先に元カレがいるんだが、どうすりゃいい?

cheeery
BL
サークルに一人暮らしと、完璧なキャンパスライフが始まった俺……広瀬 陽(ひろせ あき) ひとつ問題があるとすれば金欠であるということだけ。 「そうだ、バイトをしよう!」 一人暮らしをしている近くのカフェでバイトをすることが決まり、初めてのバイトの日。 教育係として現れたのは……なんと高二の冬に俺を振った元カレ、三上 隼人(みかみ はやと)だった! なんで元カレがここにいるんだよ! 俺の気持ちを弄んでフッた最低な元カレだったのに……。 「あんまり隙見せない方がいいよ。遠慮なくつけこむから」 「ねぇ、今どっちにドキドキしてる?」 なんか、俺……ずっと心臓が落ち着かねぇ! もう一度期待したら、また傷つく? あの時、俺たちが別れた本当の理由は──? 「そろそろ我慢の限界かも」

かわいい美形の後輩が、俺にだけメロい

日向汐
BL
過保護なかわいい系美形の後輩。 たまに見せる甘い言動が受けの心を揺する♡ そんなお話。 【攻め】 雨宮千冬(あめみや・ちふゆ) 大学1年。法学部。 淡いピンク髪、甘い顔立ちの砂糖系イケメン。 甘く切ないラブソングが人気の、歌い手「フユ」として匿名活動中。 【受け】 睦月伊織(むつき・いおり) 大学2年。工学部。 黒髪黒目の平凡大学生。ぶっきらぼうな口調と態度で、ちょっとずぼら。恋愛は初心。

学校一のイケメンとひとつ屋根の下

おもちDX
BL
高校二年生の瑞は、母親の再婚で連れ子の同級生と家族になるらしい。顔合わせの時、そこにいたのはボソボソと喋る陰気な男の子。しかしよくよく名前を聞いてみれば、学校一のイケメンと名高い逢坂だった! 学校との激しいギャップに驚きつつも距離を縮めようとする瑞だが、逢坂からの印象は最悪なようで……? キラキライケメンなのに家ではジメジメ!?なギャップ男子 × 地味グループ所属の能天気な男の子 立場の全く違う二人が家族となり、やがて特別な感情が芽生えるラブストーリー。 全年齢

ずっと好きだった幼馴染の結婚式に出席する話

子犬一 はぁて
BL
幼馴染の君は、7歳のとき 「大人になったら結婚してね」と僕に言って笑った。 そして──今日、君は僕じゃない別の人と結婚する。 背の低い、寝る時は親指しゃぶりが癖だった君は、いつの間にか皆に好かれて、彼女もできた。 結婚式で花束を渡す時に胸が痛いんだ。 「こいつ、幼馴染なんだ。センスいいだろ?」 誇らしげに笑う君と、その隣で微笑む綺麗な奥さん。 叶わない恋だってわかってる。 それでも、氷砂糖みたいに君との甘い思い出を、僕だけの宝箱にしまって生きていく。 君の幸せを願うことだけが、僕にできる最後の恋だから。

ある日、友達とキスをした

Kokonuca.
BL
ゲームで親友とキスをした…のはいいけれど、次の日から親友からの連絡は途切れ、会えた時にはいつも僕がいた場所には違う子がいた

あなたに捧ぐ愛の花

とうこ
BL
余命宣告を受けた青年はある日、風変わりな花屋に迷い込む。 そこにあったのは「心残りの種」から芽吹き咲いたという見たこともない花々。店主は言う。 「心残りの種を育てて下さい」 遺していく恋人への、彼の最後の希いとは。

【bl】砕かれた誇り

perari
BL
アルファの幼馴染と淫らに絡んだあと、彼は医者を呼んで、私の印を消させた。 「来月結婚するんだ。君に誤解はさせたくない。」 「あいつは嫉妬深い。泣かせるわけにはいかない。」 「君ももう年頃の残り物のオメガだろ? 俺の印をつけたまま、他のアルファとお見合いするなんてありえない。」 彼は冷たく、けれどどこか薄情な笑みを浮かべながら、一枚の小切手を私に投げ渡す。 「長い間、俺に従ってきたんだから、君を傷つけたりはしない。」 「結婚の日には招待状を送る。必ず来て、席につけよ。」 --- いくつかのコメントを拝見し、大変申し訳なく思っております。 私は現在日本語を勉強しており、この文章はAI作品ではありませんが、 一部に翻訳ソフトを使用しています。 もし読んでくださる中で日本語のおかしな点をご指摘いただけましたら、 本当にありがたく思います。

処理中です...