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肆
しおりを挟む「陰花は女人禁制だ。お前を引き連れてはいけないよ。それどころか、男でも"買う"という目的もナシには、あの島に立ち入ることはできん。ずいぶんと身元調査にも厳しいようだしね」
そうなの?ぜひ行ってみたかったのに、と女郎のお時がガッカリした顔でなじみの客に言った。たまには旅行にでも連れてってやる、と言われ、よろこんだお時が希望したのは美しい海に囲まれた神秘の孤島、陰花島であった。
「もうウンと昔ですけど、まつかささんのトコロにもいたらしいわ、陰花の出が」
「ああ……そんなのは聞いたことある。俺がここらで遊び始めるよりも前だから、あんまり詳しくは知らないが」
「今は女郎……いえ、蔭間かしら?ともかく、こういうお見世には買えないそうね」
「"嫁ぎ先"の条件も厳しくなったんだ。貴重な血統だから」
「でもいいわねえ、あたしたちは必死になって請け出してくれる人を探すのに、あの子たちは待っていれば自動的に向こうからやってくるのよ、裕福で、いい家柄の男性が」
「世知辛い客で悪かったのう」
「おや、そうじゃないわ。あんたはあたしの一等よ」
「だが、あの島で旦那を待つだけの暮らし?それに奴らは一応男なのに、女の味も知ることなく、向こうからやってきただけの男に、生涯オンナとして添い遂げるのだぞ。そんなものはたして仕合わせかな?」
「男と同じに浮気心があるんなら、窮屈な人生かもしれないわね。でも……その子らが女と同じに育ったんなら、それでいいのよ」
お時がキセルの煙を、ホウと吐き出す。
「同じ女に対して、ずいぶんと抑圧的だ」
「何をおっしゃるの。ここで年季が入ったせいで、すっかり男好みの女にされただけよ」
「ははは、そうかい、そりゃ余計なことをいったね」
「ねえ、それよりどこに連れてってくださるの?箱根とか熱海なんていやよ。ずっと遠くに連れてってちょうだい」
「遠くか……そうだね、どこにしよう」
座敷に控えさせられ、十二歳のクロは目の前の二人の会話を、混ざるでもなくただじっと聞いていた。忙しければいろんな座敷を行ったり来たりするが、今日はそれほどでもないので、番頭に言われてここに控えている。酒がなくなればもってきて、客が手水に立てば手元灯をともして案内する。
お時ねえさんの"遠く"とはどこだろう。まさか心中でも目論んでいるのではあるまいな。クロは考える。このお客は情死なんぞ果たしてくれやしない。ほうぼうで遊んでいるし、妻子もある。死ぬとしたら、お時一人だ。
自殺をした魂はさまよいやすい。死ぬにしても、いろんなことにケリをつけて、スッキリしてから挑んでほしいものだ。お時ねえさんは美人だけど、少し思いつめるフシがある。思いあまってこの客の男を道連れになどされたら、たまったものではない。男は悪霊になりかねない。男女の心中がふたたび流行り出したので、「回収作業」をしなければならないキツネにすれば、警察並みに頭の痛いことである。クロは子供だから情死の意義などわからず、せっかく生まれることのできた命を、情にほだされてないがしろにするのはもったいないなあ、とぼんやり考えるにとどまっている。
……私は生まれたくとも、生まれられなかったのに。
ハッとした。何を言っているんだ。私は生まれることができたから、いまこうして生きているのではないか。親には捨てられ、シロには喰われそうになったが、社長のおかげで死は免れた。
でも、私のお母様はどんな方だろう。また思案する。どの座敷でも男女の話は本当に退屈だ。男の方でも退屈に違いない。きっと父はこういう手合いであろう。母のなじみで、うまいことばかり言って、いざというときにトンズラしたのだ。
シロの阿呆も、肝心なところは見ちゃいなかった。私はお母様を突き止めたところで、お会いしようとは思っちゃいない。迷惑であろうし、きっとどこかでしあわせに過ごされているはずだ。けれども、どんなお顔をして、お幾つくらいで、どんなお着物をお召しになっていたのか、その肖像だけでも知りたかった。
それというのも、生まれて間もないうちに捨てられたのに、なぜだかうすぼんやりとした記憶のようなものがある。それによれば、お母様は目に涙を浮かべながら、ごめんね、と何度も私に謝っていた。顔はどうにもハッキリしないのだ。しかしこれが、棄て置かれる瞬間に焼きついたものであろう。……ただそれだけなのだが、それだけのことが、私が彼女を恨めず、また忘れられない理由である。だから、ほんの少しでもその片鱗を知りたかった。お会いすることはないけれど、もしもいつかお顔を拝見する機会があれば、遠くからこっそりと覗いてみたい。
ー「へえ、自殺」
男が眉をひそめた。
「女将さんが言ってたわ。あの人はまつかささんのことも昔から知ってるから」
いつのまに、男女の話は「まつかさ屋」に戻っていた。
「お名前は……なんだったかしらね。こういうとこではよくある名前よ。その人、女のようにきれいだったから、女の名前をつけてもらってたんだって」
「へえ。陰花の人間を見たことはないが、男に買われるのだから、そりゃきれいだろうね。心中でもしたかい?」
「いいえ、お一人で死んだそうよ」
「ほう……旦那に捨てられでもしたのか」
「それがね、男だからと、ちっと危なっかしい遊び方をしてたみたいよ。つまりね、"外"には出さないで……」
ああ、と男があざけるように顔を歪めた。
「でも……そうはいっても陰花の人だから、知らないあいだにみごもっちゃったらしくて。早いうちにどうにかしなさいよ、とそこの女将さんには言われてたみたいだけど、思いきれずにずっと悩んでたみたい」
「そうは言っても、自分でしでかした結果だからなあ」
子供のクロには少しわからないところもあったが、その男の言葉には少し苛立ちをおぼえた。しかし何も言えないので、黙っていた。
「それで、日ごとに元気をなくしちゃってね。仕事もお休みがちになって……」
「その人の旦那に請け出してもらえなかったのかい」
「そこがいじらしいのよ。誓いを立てたお客がいたんだけど、その人はお医者を目指す人で、邪魔をするわけにはいかないから言えなかったんですって。それでもそのお客以外に愛する人がいなかったと見えて、気を病んだその人には八方ふさがりになったのね。それで……」
「はあ、どうとでもカタをつけられそうなもんだけど……死ぬにくらべりゃ、どうなろうと別にいいじゃないか。それじゃ、腹の子と心中したわけだ」
「そう。おかわいそうな話よ」
「だから陰花も管理が厳しくなったんだな。で、その医者の卵はどうした?」
「さあ……その方のことは何も」
「少なくともそのことは知ったろうな」
「恐らくね」
「苦悩が目に見える」
とてもそうとは思えない様子で、酒をクイっとかたむける。じっと座っていたクロの小さな胸には、暗いさざめきが起こった。気持ちがどんよりと沈んでいく。見知らぬ人の話なのに、こうも気分の悪い話はさすがにこたえる。
陰花のことは、話だけで知っている。その民のことは詳しくはわからないが、そこは高名なキツネが住まう島であり、社長は一度だけ上陸したことがあるそうだ。あたたかい風が吹き、空も海も青々として美しいが、なんとなく好きにはなれねえな、と言っていた。晴れていたはずなのに、全体が灰色がかっているように見えたそうだ。
「あ、そうそう、小春。小春さんよ」
ようやく思い出したその名を、お時が手を叩いて繰り返した。当然だが、本名はいまとなっては調べようもない。彼は名も無き墓の下で、名も無き女郎たちの骨と共に、粗雑に葬られている。
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