つらじろ仔ぎつね

めめくらげ

文字の大きさ
上 下
12 / 60

しおりを挟む



「陰花は女人禁制だ。お前を引き連れてはいけないよ。それどころか、男でも"買う"という目的もナシには、あの島に立ち入ることはできん。ずいぶんと身元調査にも厳しいようだしね」

そうなの?ぜひ行ってみたかったのに、と女郎のお時がガッカリした顔でなじみの客に言った。たまには旅行にでも連れてってやる、と言われ、よろこんだお時が希望したのは美しい海に囲まれた神秘の孤島、陰花島であった。

「もうウンと昔ですけど、まつかささんのトコロにもいたらしいわ、陰花の出が」

「ああ……そんなのは聞いたことある。俺がここらで遊び始めるよりも前だから、あんまり詳しくは知らないが」

「今は女郎……いえ、蔭間かしら?ともかく、こういうお見世には買えないそうね」

「"嫁ぎ先"の条件も厳しくなったんだ。貴重な血統だから」

「でもいいわねえ、あたしたちは必死になって請け出してくれる人を探すのに、あの子たちは待っていれば自動的に向こうからやってくるのよ、裕福で、いい家柄の男性が」

「世知辛い客で悪かったのう」

「おや、そうじゃないわ。あんたはあたしの一等よ」

「だが、あの島で旦那を待つだけの暮らし?それに奴らは一応男なのに、女の味も知ることなく、向こうからやってきただけの男に、生涯オンナとして添い遂げるのだぞ。そんなものはたして仕合わせかな?」

「男と同じに浮気心があるんなら、窮屈な人生かもしれないわね。でも……その子らが女と同じに育ったんなら、それでいいのよ」

お時がキセルの煙を、ホウと吐き出す。

「同じ女に対して、ずいぶんと抑圧的だ」

「何をおっしゃるの。ここで年季が入ったせいで、すっかり男好みの女にされただけよ」

「ははは、そうかい、そりゃ余計なことをいったね」

「ねえ、それよりどこに連れてってくださるの?箱根とか熱海なんていやよ。ずっと遠くに連れてってちょうだい」

「遠くか……そうだね、どこにしよう」

座敷に控えさせられ、十二歳のクロは目の前の二人の会話を、混ざるでもなくただじっと聞いていた。忙しければいろんな座敷を行ったり来たりするが、今日はそれほどでもないので、番頭に言われてここに控えている。酒がなくなればもってきて、客が手水に立てば手元灯をともして案内する。

お時ねえさんの"遠く"とはどこだろう。まさか心中でも目論んでいるのではあるまいな。クロは考える。このお客は情死なんぞ果たしてくれやしない。ほうぼうで遊んでいるし、妻子もある。死ぬとしたら、お時一人だ。

自殺をした魂はさまよいやすい。死ぬにしても、いろんなことにケリをつけて、スッキリしてから挑んでほしいものだ。お時ねえさんは美人だけど、少し思いつめるフシがある。思いあまってこの客の男を道連れになどされたら、たまったものではない。男は悪霊になりかねない。男女の心中がふたたび流行り出したので、「回収作業」をしなければならないキツネにすれば、警察並みに頭の痛いことである。クロは子供だから情死の意義などわからず、せっかく生まれることのできた命を、情にほだされてないがしろにするのはもったいないなあ、とぼんやり考えるにとどまっている。

……私は生まれたくとも、生まれられなかったのに。

ハッとした。何を言っているんだ。私は生まれることができたから、いまこうして生きているのではないか。親には捨てられ、シロには喰われそうになったが、社長のおかげで死は免れた。

でも、私のお母様はどんな方だろう。また思案する。どの座敷でも男女の話は本当に退屈だ。男の方でも退屈に違いない。きっと父はこういう手合いであろう。母のなじみで、うまいことばかり言って、いざというときにトンズラしたのだ。

シロの阿呆も、肝心なところは見ちゃいなかった。私はお母様を突き止めたところで、お会いしようとは思っちゃいない。迷惑であろうし、きっとどこかでしあわせに過ごされているはずだ。けれども、どんなお顔をして、お幾つくらいで、どんなお着物をお召しになっていたのか、その肖像だけでも知りたかった。

それというのも、生まれて間もないうちに捨てられたのに、なぜだかうすぼんやりとした記憶のようなものがある。それによれば、お母様は目に涙を浮かべながら、ごめんね、と何度も私に謝っていた。顔はどうにもハッキリしないのだ。しかしこれが、棄て置かれる瞬間に焼きついたものであろう。……ただそれだけなのだが、それだけのことが、私が彼女を恨めず、また忘れられない理由である。だから、ほんの少しでもその片鱗を知りたかった。お会いすることはないけれど、もしもいつかお顔を拝見する機会があれば、遠くからこっそりと覗いてみたい。


ー「へえ、自殺」

男が眉をひそめた。

「女将さんが言ってたわ。あの人はまつかささんのことも昔から知ってるから」

いつのまに、男女の話は「まつかさ屋」に戻っていた。

「お名前は……なんだったかしらね。こういうとこではよくある名前よ。その人、女のようにきれいだったから、女の名前をつけてもらってたんだって」

「へえ。陰花の人間を見たことはないが、男に買われるのだから、そりゃきれいだろうね。心中でもしたかい?」

「いいえ、お一人で死んだそうよ」

「ほう……旦那に捨てられでもしたのか」

「それがね、男だからと、ちっと危なっかしい遊び方をしてたみたいよ。つまりね、"外"には出さないで……」

ああ、と男があざけるように顔を歪めた。

「でも……そうはいっても陰花の人だから、知らないあいだにみごもっちゃったらしくて。早いうちにどうにかしなさいよ、とそこの女将さんには言われてたみたいだけど、思いきれずにずっと悩んでたみたい」

「そうは言っても、自分でしでかした結果だからなあ」

子供のクロには少しわからないところもあったが、その男の言葉には少し苛立ちをおぼえた。しかし何も言えないので、黙っていた。

「それで、日ごとに元気をなくしちゃってね。仕事もお休みがちになって……」

「その人の旦那に請け出してもらえなかったのかい」

「そこがいじらしいのよ。誓いを立てたお客がいたんだけど、その人はお医者を目指す人で、邪魔をするわけにはいかないから言えなかったんですって。それでもそのお客以外に愛する人がいなかったと見えて、気を病んだその人には八方ふさがりになったのね。それで……」

「はあ、どうとでもカタをつけられそうなもんだけど……死ぬにくらべりゃ、どうなろうと別にいいじゃないか。それじゃ、腹の子と心中したわけだ」

「そう。おかわいそうな話よ」

「だから陰花も管理が厳しくなったんだな。で、その医者の卵はどうした?」

「さあ……その方のことは何も」

「少なくともそのことは知ったろうな」

「恐らくね」

「苦悩が目に見える」

とてもそうとは思えない様子で、酒をクイっとかたむける。じっと座っていたクロの小さな胸には、暗いさざめきが起こった。気持ちがどんよりと沈んでいく。見知らぬ人の話なのに、こうも気分の悪い話はさすがにこたえる。

陰花のことは、話だけで知っている。その民のことは詳しくはわからないが、そこは高名なキツネが住まう島であり、社長は一度だけ上陸したことがあるそうだ。あたたかい風が吹き、空も海も青々として美しいが、なんとなく好きにはなれねえな、と言っていた。晴れていたはずなのに、全体が灰色がかっているように見えたそうだ。

「あ、そうそう、小春。小春さんよ」

ようやく思い出したその名を、お時が手を叩いて繰り返した。当然だが、本名はいまとなっては調べようもない。彼は名も無き墓の下で、名も無き女郎たちの骨と共に、粗雑に葬られている。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

家鴨の空

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:7pt お気に入り:3

末っ子の私は妻でママで恋人です

BL / 連載中 24h.ポイント:14pt お気に入り:44

魔王様として召喚されたのに、快楽漬けにされています><

krm
BL / 完結 24h.ポイント:85pt お気に入り:290

私のバラ色ではない人生

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:100,665pt お気に入り:4,855

俺の悪役チートは獣人殿下には通じない

BL / 連載中 24h.ポイント:7,081pt お気に入り:1,649

処理中です...