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ⅶ
しおりを挟むー「思い込み?」
「ああ」
シロが出勤してから一時間。社長とゲーテが二人きりで話をすることはほとんど無いので、この『雑談』の時間はこれまでの付き合いの中での最長記録である。腹が減ったというので、たったいま寿司の出前を頼んで、テーブルには社長用の上握りと、ゲーテ用のシャリなしイカタコ抜きの刺身、茶わん蒸し、日本酒が並べられていた。
「そのあとで先生がヤツの股を開いて"ナカ"を確認したところ、あいつには確かに女陰めいたものはあれど、子宮などは無かったということだった。つまりちゅーとはんぱに陰花の肉体を受け継いでいうわけだ」
「やはりもともと陰花の肉体を持っていないことには……ということかい?」
「たぶん。元の赤ん坊はごくふつうの男の人間だったからな。もし女の赤ん坊だったなら、逆にチンコが生えてたのかな?その辺はよくわからん」
「はあ……無茶苦茶な身体をしておる。ともかくその妊娠騒動はクロ坊の思い込みによるカン違いだったわけか」
「結果的にはカン違いとなるが、本人にとってはただのカン違いじゃない。あいつは本気で子供ができたと思い込んだんだ。先生によると、そういう患者はままあるということだった。子供をほしいと望んだり、あるいは反対にそれに対して恐れを抱いたりという願望や苦悩の中に溺れると、その精神の作用に肉体が影響されるそうでな。思い込みによって妊娠と同じ症状を持って、先生んとこに駆け込んでくる女はときどきいたようだ」
「そんなことあるのかい。へえ、おもしろい。それもきっと一種のヒステリーじゃな。それにしてもクロ坊は"どっちの意味"でそんなことに陥ったんだろうな。不安か願望か……」
「さあな。そこまでは聞かんかった。だが俺たちがまた部屋に呼ばれて、先生からいまのような説明をされ、俺のほうではおおいに安堵したのだが、クロはそのうち布団の上でしくしくと泣き出してな。それが、不安が消えたことへの涙なのか、恥ずかしさやら混乱やらの涙なのか、あるいは………」
「…………」
「俺には聞けん。百年経っても聞けんままだ」
「俺らには永ごう分かりえない領域よ。だが平八と倖田殿には真意が分かったろうな」
「うむ……」
蓮太郎は半月ほどで柿本家に復帰して、「なんだお前、生意気だからとうとう暇を出されたのかと思っていた」とゲーテがからかいにいったところ、「あなたこそとっくに隅田川にでも捨てられていると思っていました」といつもとまったく変わらぬ調子で返された。
だがそれから蓮太郎は、どこか一皮剥けたように、いままで以上に仕事をこなすようになった。もともと寡黙ではあったが、よりいっそう物言わぬ男になったこともゲーテは気にかかった。
力仕事の雑用から客の接待まですべてを任せられるようになって、十八になるころには、使用人達に指示を出して彼らを取りまとめる立場にまで出世していったのだ。あれほどまきちらせていた『発情期』の匂いも薄まり、平八とあまり会わなくなったのか、彼の匂いもだんだんとしなくなっていった。
ただどうやら二人とも忙しくなっただけで、数ヶ月に一度、休み明けには平八の匂いをつけていたので、不仲というわけでは無いようであった。それもいままでは残り香程度の匂いであったのに、生々しいオスの体液の匂いに変わっており、「お前、あの男と交尾をしたら風呂で指を突っ込んでよく洗い流せよ」と顔をしかめながらマジメに注意をしたら、蓮太郎は堅い顔のまま無言で頬を真っ赤にしていた。
あのときの変化にはそういう顛末があったのか。ゲーテはようやく合点がいった。しかしひととおりこのように全てを知り終えたあとで、やはりゲーテにはどうでもいいことであった。ひとつだけ片付けるべきことと言えば、クロにサノとの親子関係を明かすことであるのだろうが、それは自分にどうこうできるものではない。だからゲーテはこれからも傍観するだけである。
「で、過去はいいとして、お前はこれからどうなるのが最善だと思ってんだい?」
ハマチを咀嚼しながら社長に尋ねる。
「サノにはいずれ約束を果たしてもらいたいとは思っている。親子として笑い合える日……。コソコソと隠し続けてはきたが、サノが打ち明ける覚悟を決めたとあれば背中を押すつもりだ。ヤツがこっちとあっちを自由に往来できるようになったときにもそのことを考えたが、あっという間に十年経っちまったな」
「ふうん。ま、時期もいいし、お前から話しちまってもいいんじゃねえか」
「時期?」
「クロ坊のやつ、二度目の嫁入りをするのじゃろう。キツネの嫁入りじゃ。めでたいじゃねえか」
「はっ、別に何も変わらねえよ。どうせもう大和とは一緒に暮らしてんだし、せいぜい夜職を揚がるだけさ」
「だがもっと広いトコに引っ越すそうじゃねえか。それで仕事も大和んとこの事務だろう。こりゃあ石川工務店の女将も同然よ」
「へへ、いつまで続くのやら」
「ずっと続くさ。あいつはサノに似て、惚れたら重い一途な男よ。平八のときも死ぬまでずっと一緒にいたじゃねえか」
「……そうかねえ。そうだといいけどな」
何だかんだとしあわせだったあの日々を、梅岡はときどき思い起こす。
東京はいつの時代も目まぐるしく変化してきたが、その潮流の中で、それなりに平和で質素に明るく楽しく暮らしてきた。時代が流れるごとその加速度は増すが、振り返るたびに、やはりあのころは良かった、と都合のいい補正がかかる。
だが本当に幸せだったのだ。かつてのクロも平八も、酸いも甘いも知ったはちす屋のねえやたちも、倖田と、倖田に拾われた後継ぎの息子も、事業を成功させた立松家も、その立役者の柿本夫人も、のちに倖田家に嫁いだ陰花の青年も、みんながあらゆる逆風を乗り越え、幸せを得ていた時代だ。
様々な人がどこかでつながり、そうして様々な人生を見てきた。その中に、佐野とサノが取り残されているとも思っていない。佐野はサノという生涯の友を得て、自分の人生の糧とした。サノはクロという子供を得て、その生き様を覗いたり聞いたりしては、親らしい不安や喜びを日々感じていた。どちらも今なお続く幸福だ。
しかしその中でひとつ足りないものと言えば、やはり親子として笑い合えるサノとクロの姿である。それが埋まれば、もっといい『アルバム』となる。いずれ自分がこの世に別れを告げるときに、あちらの世界に持っていく大事な思い出を、完ぺきなモノにしておきたい。
そのためには、どうすればいいだろう?梅岡は考える。そしてその答えはすぐに見つかった。
「よし、パーティーをしよう」
「……は?」
ゲーテは(また始まりやがった……)と苦い顔をした。しばらく黙りこんでいるときは、だいたいそのあとで脈絡のない思いつきを言い出す。それが昔からこの男の嫌いなところである。
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