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最強天使、茜色の空に黄昏る
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「……ちょっとドキドキします」
力也くんは膝の上で、小さな両手をぎゅっと握った。
上界では文字が宙に浮かび、目の前に映像が現れるのは日常茶飯事だ。
しかし、下界が創り出す仮想の空間。その可能性は、いったいどれほどのものか。
俺もゴーグルを装着した。
「な、なんと……!」
——視界が一変した。
緑豊かな原始の森が広がり、巨大な恐竜たちが悠々と歩いている。
鳴き声、荒い鼻息、咀嚼音……。地響きを立てて進むティラノサウルス、角を突き合わせるトリケラトプス、優雅に木々の葉をむしゃむしゃと食むブラキオサウルス。まるで太古の世界にこの身が抱き込まれたようだ。
「すげえ! あちこちに恐竜がいる!」
遊を筆頭に、周囲の客たちの悲鳴交じりの歓声が響き渡る。肉食恐竜がこちらを狙う迫力に、思わず息を呑む。座席は小刻みに揺れ、振動が体にじわりと伝わる。
人間よ……なんと精巧な世界を生み出すのだ!
このクオリティ、東照宮や華厳の滝など、日光巡りのVRがあればきっと素晴らしいはず。最強天使、栃木制覇の野望を画策中。
——やがて光景はゆるやかに消え、ゴーグルを外した。みんな満足げな笑みを浮かべている。
「これも最高だったあ!」
遊は興奮冷めやらず。隣の力也くんも、俺に微笑んでいる。
「僕、すごく楽しかったです」
「よかったな」
力也くんが酔わぬようゴーグルに魔法をかける予定が、順番待ちの客の視線が多く断念。心配したが、だいじだったか(ホッ)。
「……ただ、僕ちょっと酔いそうでした」
やはりか!
「でも、恐竜の皮膚の質感がリアルで、植物の葉脈まで見えて。夢中になってしまいました」
……迫力やスリルに夢中になる者もいれば、力也くんはそんな細部に魅了されていたのか。人間の視点は、実に多様で興味深い。
その後もアトラクションを巡り、休憩を挟みつつ那須ハイパークを満喫。最後は観覧車へ向かうことになった。
遊が後ろに並ぶ久美ちゃんを気にしながら、俺の耳元でこそこそ囁く。
「久美ちゃんと二人で乗ることになったら、どうしよう……?」
「ははは。二人きりの観覧車を楽しめばよいではないか」
「でも俺さ、まだ告白する予定ないんだよ!?」
徐々に声が大きくなる遊。久美ちゃんはしのぶちゃんとミルクジェラートの話題に夢中だ。
その後ろでは、蒼くんと力也くんが穏やかに談笑。蒼くんが力也くんの目の下を引っ張り、「貧血だいじ?」と確かめている。
「……遊よ、告白はいつするつもりだ?」
「夏祭り!」
その大声に、屈んでいた俺は両手で耳を押さえた。天使は痛みを感じぬはずだが、どうやら遊の声は脳天まで直撃するらしい。
だが、花火を背景に告白とは。
遊なりに時を選び、考えているのか。ロマンチックではないか。
「にーちゃんはしのぶさんと乗ってチューしたいだろうからさ、俺たちは四人で観覧車に乗ろうよ!」
遊の声はさらに大きくなり、後方の蒼くんまで届くほどである。
「……お前だけ、車に乗せずに歩いて帰らせるぞ」
「えっ! にーちゃあーん!」
和やかな笑いが広がったところで、観覧車へ。
結局、久美ちゃんとしのぶちゃんがおしゃべりに花を咲かせたまま二人で乗り、残りの男四人が同乗するという珍しい組み合わせに落ち着いた。
——しかし。
観覧車から眺める栃木の景色は格別だった。夕陽が山々を艶やかに染め、心地よさそうに鳥たちが大空を羽ばたき、太陽が山の谷間へゆっくりと沈んでいく。
穏やかな夕暮れだ。思えば遊園地で丸一日を過ごすのは、天使の職務に就いて以来初めてである。ここまで時間を忘れて遊ぶとは……。
「サミュエルさん。遊といると、一日があっという間に過ぎませんか?」
向かいの蒼くんが窓辺に肘をつき、笑って問いかけた。その隣の力也くんも、同意するように微笑んでいる。
「ああ、その通りだな」
「サミュエルさんはさ、いつまで夏休みなの?」
遊の無邪気な声に、現実へと引き戻された。
俺と遊の時間は、再来週末で終わる。
当初はミッションコンプリートだけを考え、バレットの迎えは約一ヶ月後だと知ったときも頭がクラクラした。
だが、今は——
「……その名の通り、夏の終わりまでだ。遊」
茶色い瞳をまっすぐ見つめ、静かに答えた。
「でもさ、また栃木に遊びに来られるんだよね?」
返す言葉に詰まる。人間と親しくなり、その地を再び訪れる天使など、聞いたことがない。
上界に戻れば、俺は最強天使サミュエル。ここにいる全員の記憶から、俺の存在は消去される。
たとえ微笑みを交わしても、誰も「サミュエル」だとは気づかぬのだ。
「……サミュエルさん。夏の終わりまでに、たくさん思い出を作りましょう」
「僕もまた出かけたいです」
黙り込む俺に、蒼くんと力也くんが優しく声をかけた。
「一度離れてもさ、また戻ってこられるよ? 栃木はずっとここにあるから!」
「そうだな……。みんな、ありがとう」
俺の腕に絡みつく遊の頭をぽんぽんと撫で、窓の外へ視線を移した。
茜色の空と、その下に広がる小さな島国——日本の大地。
日本。恐らく、俺のルーツへと繋がる国。
さらに深く辿れば……俺の故郷は、ここ栃木なのかもしれぬ。
——続く——
力也くんは膝の上で、小さな両手をぎゅっと握った。
上界では文字が宙に浮かび、目の前に映像が現れるのは日常茶飯事だ。
しかし、下界が創り出す仮想の空間。その可能性は、いったいどれほどのものか。
俺もゴーグルを装着した。
「な、なんと……!」
——視界が一変した。
緑豊かな原始の森が広がり、巨大な恐竜たちが悠々と歩いている。
鳴き声、荒い鼻息、咀嚼音……。地響きを立てて進むティラノサウルス、角を突き合わせるトリケラトプス、優雅に木々の葉をむしゃむしゃと食むブラキオサウルス。まるで太古の世界にこの身が抱き込まれたようだ。
「すげえ! あちこちに恐竜がいる!」
遊を筆頭に、周囲の客たちの悲鳴交じりの歓声が響き渡る。肉食恐竜がこちらを狙う迫力に、思わず息を呑む。座席は小刻みに揺れ、振動が体にじわりと伝わる。
人間よ……なんと精巧な世界を生み出すのだ!
このクオリティ、東照宮や華厳の滝など、日光巡りのVRがあればきっと素晴らしいはず。最強天使、栃木制覇の野望を画策中。
——やがて光景はゆるやかに消え、ゴーグルを外した。みんな満足げな笑みを浮かべている。
「これも最高だったあ!」
遊は興奮冷めやらず。隣の力也くんも、俺に微笑んでいる。
「僕、すごく楽しかったです」
「よかったな」
力也くんが酔わぬようゴーグルに魔法をかける予定が、順番待ちの客の視線が多く断念。心配したが、だいじだったか(ホッ)。
「……ただ、僕ちょっと酔いそうでした」
やはりか!
「でも、恐竜の皮膚の質感がリアルで、植物の葉脈まで見えて。夢中になってしまいました」
……迫力やスリルに夢中になる者もいれば、力也くんはそんな細部に魅了されていたのか。人間の視点は、実に多様で興味深い。
その後もアトラクションを巡り、休憩を挟みつつ那須ハイパークを満喫。最後は観覧車へ向かうことになった。
遊が後ろに並ぶ久美ちゃんを気にしながら、俺の耳元でこそこそ囁く。
「久美ちゃんと二人で乗ることになったら、どうしよう……?」
「ははは。二人きりの観覧車を楽しめばよいではないか」
「でも俺さ、まだ告白する予定ないんだよ!?」
徐々に声が大きくなる遊。久美ちゃんはしのぶちゃんとミルクジェラートの話題に夢中だ。
その後ろでは、蒼くんと力也くんが穏やかに談笑。蒼くんが力也くんの目の下を引っ張り、「貧血だいじ?」と確かめている。
「……遊よ、告白はいつするつもりだ?」
「夏祭り!」
その大声に、屈んでいた俺は両手で耳を押さえた。天使は痛みを感じぬはずだが、どうやら遊の声は脳天まで直撃するらしい。
だが、花火を背景に告白とは。
遊なりに時を選び、考えているのか。ロマンチックではないか。
「にーちゃんはしのぶさんと乗ってチューしたいだろうからさ、俺たちは四人で観覧車に乗ろうよ!」
遊の声はさらに大きくなり、後方の蒼くんまで届くほどである。
「……お前だけ、車に乗せずに歩いて帰らせるぞ」
「えっ! にーちゃあーん!」
和やかな笑いが広がったところで、観覧車へ。
結局、久美ちゃんとしのぶちゃんがおしゃべりに花を咲かせたまま二人で乗り、残りの男四人が同乗するという珍しい組み合わせに落ち着いた。
——しかし。
観覧車から眺める栃木の景色は格別だった。夕陽が山々を艶やかに染め、心地よさそうに鳥たちが大空を羽ばたき、太陽が山の谷間へゆっくりと沈んでいく。
穏やかな夕暮れだ。思えば遊園地で丸一日を過ごすのは、天使の職務に就いて以来初めてである。ここまで時間を忘れて遊ぶとは……。
「サミュエルさん。遊といると、一日があっという間に過ぎませんか?」
向かいの蒼くんが窓辺に肘をつき、笑って問いかけた。その隣の力也くんも、同意するように微笑んでいる。
「ああ、その通りだな」
「サミュエルさんはさ、いつまで夏休みなの?」
遊の無邪気な声に、現実へと引き戻された。
俺と遊の時間は、再来週末で終わる。
当初はミッションコンプリートだけを考え、バレットの迎えは約一ヶ月後だと知ったときも頭がクラクラした。
だが、今は——
「……その名の通り、夏の終わりまでだ。遊」
茶色い瞳をまっすぐ見つめ、静かに答えた。
「でもさ、また栃木に遊びに来られるんだよね?」
返す言葉に詰まる。人間と親しくなり、その地を再び訪れる天使など、聞いたことがない。
上界に戻れば、俺は最強天使サミュエル。ここにいる全員の記憶から、俺の存在は消去される。
たとえ微笑みを交わしても、誰も「サミュエル」だとは気づかぬのだ。
「……サミュエルさん。夏の終わりまでに、たくさん思い出を作りましょう」
「僕もまた出かけたいです」
黙り込む俺に、蒼くんと力也くんが優しく声をかけた。
「一度離れてもさ、また戻ってこられるよ? 栃木はずっとここにあるから!」
「そうだな……。みんな、ありがとう」
俺の腕に絡みつく遊の頭をぽんぽんと撫で、窓の外へ視線を移した。
茜色の空と、その下に広がる小さな島国——日本の大地。
日本。恐らく、俺のルーツへと繋がる国。
さらに深く辿れば……俺の故郷は、ここ栃木なのかもしれぬ。
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