Last Lesson

駄文のヒロ

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まだ何も始まっていなかった頃

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【放課後の教室】

 夕方の斜めの光。
 クラスメイトはほとんど帰り、数人だけが残っている。
 黒板の端には貼り紙が貼ってある。

  《エデンベクター追加接種
   未接種者は必ず申告すること》

 和真、席に座ったままそれを見ている。
 隣の席の男子生徒が、軽い調子で声をかける。

「なあ和真、まだ受けてないんだろ?
 早く打っとけよ。
 最近さ、受けてない奴って、何考えてるか分かんないって言われてんぞ」

 和真、曖昧に笑う。

「……別に、考えてないよ」

 男子生徒、肩をすくめる。

「考えてないならなおさらじゃん。
 考えなくていいって、楽だぞ?」

 彼はスマホを見ながら去っていく。

【保健室前の廊下】

 ドアの隙間から声が聞こえる。
 和真は通りすがりに、思わず足を止める。

 女子生徒(声)「……だから、怖いって言ってるのに……」

 保健教師(声)「大丈夫。
        打てばその“不安”自体、なくなるから」

 沈黙。

 女子生徒(声)「……それって、“慣れる”のとは違いませんか?」

 一瞬の間。

 保健教師(声)「違わないわ。
        慣れる、忘れる、感じなくなる。
        全部、同じことよ」

 和真、無意識に拳を握る。

【屋上】

 フェンス越しに見える街。
 遠くで救急車のサイレンが鳴り響いている。
 澪が自販機で水を買って、和真に差し出す。

 「はい。
  ……また、接種の話?」

 和真は小さく頷く。

「うん」

 二人、並んで座る。

「私さ、アルコールもダメだから
 ああいうの、余計に怖いんだよね」

「……怖いって、言っていいんだよな」

 彼女、少し驚いた顔で和真を見る。

「え?」

「みんなさ、「怖くない」か「もう慣れた」か「考える必要ない」って言う」

 フェンスを掴む。

「でもそれって……怖いって思う自分を消してるだけじゃないのかなって」

 澪、何も言わず聞いている。

「オレさ、弱いままなのは嫌だけど……」

 一拍。

「感じなくなる強さは、いらない」

 彼女、ゆっくり頷く。

「……和真って、変なとこ、ちゃんとしてるよね」

 和真、苦笑する。

「それ、褒めてる?」

「うん。
 少なくとも、自分の気持ちから逃げてない」

 夕焼け。
 二人の影がフェンスに重なる。

【夜・和真の部屋】

 机の上に、接種案内の封筒。
 開封されないまま置かれている。
 和真、ベッドに横になり、天井を見る。

 和真(モノローグ)(もし、これを打ったら――迷わなくなるんだろうか)

 目を閉じる。

 和真(モノローグ)(誰かが泣いてても、何も感じなくなったら……)

 一瞬、夢のような映像が流れる。
 人混み、誰かの叫び声があって、自分が立ち尽くしている。
 和真、目を開く。

 和真(モノローグ)(……それは、オレじゃない)

 和真は封筒を引き出しにしまい、閉める。
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