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9話ーおじさん、婚活をする②
しおりを挟む田口から番を探してはどうかと提案され、前中を紹介して貰ってから一週間ほど経った週末、雄大の姿はとあるホテルにあった。
婚活イベントに参加するために来ていて、先程受付を済ませたところだ。
ホテルでは毎月のように出会いの場を提供するイベントが行われているようで、雄大は受付でプロフィールカードと交換して受け取ったパンフレットに目を落とす。
番、婚活、パートナー、強調するように大きな字と派手な色味で装飾された文字を視線でなぞるように見ていく。最初は躊躇いのあったこれらの文字たちも今は雄大の中に馴染んでいる。
避けては通れないものなのだから前向きに、と自分に言い聞かせて会場に来たが、やはり文字や言葉に慣れても実際に行動を起こすとなると若干の憂鬱さが足を重たくさせる。いや、本当のところはこの枷の原因に雄大も気付いている。
共に暮らす戸賀井の存在だ。
彼に相談して快く出会いの場に送り出して貰おうと思っていたのにちょっとした言い争いになってしまった。
その日から殆ど会話をしていない。仲直りしたいという感情はなく、というかそもそも仲を修復するほどの関係にないし、喧嘩というほど大袈裟なものでもないから謝るのも違う。強いて言えば互いの意見の食い違いだろうか。
ただ、歯車の狂いは小さくてもしっかりと影響を及ぼす。喧嘩ではない、謝る必要はない、普段通りでいい、と思いつつも実際戸賀井にどう接すればいいか迷っている雄大が良い例だろう。
そんな中で迎えたイベント日、ポジティブな感情は薄く、早くも帰りたいと思ってしまっている。
雄大は前中の言葉を思い出す。「難しく考えないで、単なるお友達探しだと思えばいい」そうだ、この一回でどうにかなるわけじゃない。絶対に番わないといけないわけでも、結婚を決めないといけないわけでもない。
ただ、上手くいけばこういう場所で番が見つかるかもしれない、好きになれる相手が出来るかもしれない、それだけのことだ。ただじっとしているよりも行動した方が良い、その程度の意識でここに居る。雄大は自分に言い聞かすようにして、体中を巡る陰鬱な気配を消し去ろうと深呼吸を繰り返す。
軽い気持ちで、挑もう。
それで面白い出来事が起きれば――勿論何も起きなくとも――自宅に持ち帰って戸賀井に話そう。
それできっと普通に戻れるはずだ。
イベントスタッフに声を掛けられ、番号を確認されると「こちらへ」と案内される。個人指導の学習塾のようにブースが幾つも設けられ、手元にある番号と同じ番号のブースに入って二つ置かれ椅子の内の一つに雄大は腰掛けた。
受付で受け取ったイベントの詳細が書かれた紙を読みながら、なるほど、と小さな空間に似合った声量で呟く。
参加するΩはこのブースから動かない。αが十分おきに入れ替わりでここに来て、時間がきたらまた他のΩが待つブースに移動していく、というシステムのようだ。
前中に婚活イベントに参加したいと連絡した際に「門村さんは大勢でワイワイする感じは苦手でしょう? おすすめがあるから私に任せて」と言われた。
確かにこれなら一人でも参加しやすいし、大勢の中で誰とも話せない、孤立するということもない。
イベント開始のアナウンスがあってから、早速最初の相手が現れた。挨拶を交わして、引き攣り気味の笑顔で「緊張してます」と素直に伝えて自己紹介をした。
持ち時間は十分だから互いの仕事の話をしている内に時間が来てしまい、ほんの数分置いてから二人目が雄大のブースに入ってくる。今度は相手の趣味を聞いている間に時間が過ぎた。三人目が終わった時点で緊張はなくなり、出会いの場にしてはあっさりし過ぎている環境に安心感さえ湧いて来た。
ただこの感じだと前中の言っていたような「お友達探し」も難しい。目の端に革靴が映って、四人目の相手が来たのだと分かり、雄大は顔を上げる。
「……あれ?」
「門村先生?」
光沢のあるイタリアンカーフにライトグレーのスーツが良く合う。こんな場所にTシャツを着てその上にシャツを羽織り、ラフなパンツ姿で来ている自分が恥ずかしいと思いながら視線を上げると見知った顔が視界に入る。
何処で会ったかな、と考える間もなく相手の方が雄大の名を呼び笑顔を見せた。
「覚えてるかな。兼田です、兼田翔」
「あっ……ああー! 兼田くんの、お兄さん!」
そうです、そうです、と笑顔のままで用意された椅子に翔が座る。α男性の特徴ともいえる長身に、小さな顔が乗っている。綺麗な二重瞼と大きな目を縁取るような長い睫毛、大型なのに可愛い犬と表現した方が良いような人懐っこい笑みで雄大を見つめる。
翔は雄大が以前勤務していた小学校の生徒の父兄だ。雄大は翔の弟が六年生の時にクラス担任だった。年の離れた兄弟で、既に両親が他界していたため、参観日や家庭訪問、欠席の時の連絡などは当時既に社会人であった兄の翔が受け持っていた。
「まさかこんなところで再会するなんて。門村先生、お元気でしたか」
「ええ。お兄さんもお元気そうで。駿くんも元気にしてますか?」
「はい。もう高校二年になりました」
「そうかぁ、もうそんなに……俺もおじさんになるわけだ」
「いやいや、門村先生はお若いですよ」
雄大は愛想笑いを返す。世辞だと理解しているのに「若い」という言葉に喜んでしまう。人の感情構造は実に単純だ。
「駿くんも高校生なら、お兄さんも一安心ですね」
そうですね、と翔は答えたが、ほんの少し遠くを見るような表情をする。
「俺がなかなか結婚しないのを駿が心配してまして。自分のせいだと思ってるみたいです。俺としては両親が亡くなっても生きて来れたのは駿が居たからなんだけど、駿は自分をお荷物だと思ってるみたいで。だから早く家庭を持って欲しい、兄ちゃんの人生を歩んで欲しいって……ここも駿の奴が勝手に申し込みしちゃって仕方なく来たって感じだったんですけど……」
「そうですか……俺は一年間しか駿くんと接してないですけど、体育の時間に怪我した子を保健室に連れて行ってくれたり、授業中に気分が悪くなった友達にいち早く気付く、思いやりのある子です。お兄さんが駿くんを誠実に育てて来たからこその優しさだと思います。駿くんはお兄さんのことを思って、お兄さんの人生を大切に生きて欲しいと思ってるんでしょうね。勿論、お兄さんもそのことをよく分かってる。とても素敵な関係だと思います。家に帰ったら、きちんと駿くんにお荷物じゃないって言ってあげてください。ついでに俺に会ったことを笑い話にでもして伝えてくださいね」
「……なんだか個人面談みたいです」
「ですね」
二人、目を合わせて笑うと、持ち時間が来てしまい、翔が慌てた様子で名刺を差し出して来る。
「俺、てっきり先生はαだと思ってたんです。クラスを受け持てるのはαだけって聞いたことがあって。勿論今はそんなことないだろうけど……あー、えっと、こんな話はどうでもよくて……また会いたいです」
翔は無自覚だろうが、先程までの笑顔が嘘のように真剣に、獲物を見るような目つきで雄大を見ている。
持って生まれた、αの雰囲気作りというのは物凄いものだと思い知らされる。カップル成立したわけでもないのに、連絡先を受け取るのは違反ではないのかと頭では分かっているのに、有無を言わさぬ空気は雄大の中から「拒否」という感情を失わせる。
目を合わせたままで名刺を受け取る。「連絡してください。駿と一緒に飯でも行きましょう」と言われて、雄大は頷いた。
翔の言うことを聞き入れると何故だかぞわぞわと心臓が騒ぐ。そんなはずはないのに直接心臓を撫でられている感じ、油断したら声が漏れてしまいそうで、名刺を支え持つ指が震える。
幸いにも制限時間に守られ、翔は雄大の変化に気付かずにブースを出て行った。
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