没落令嬢、バイト始めました 〜毒舌執事と返済ライフ〜

いっぺいちゃん

文字の大きさ
9 / 132

第8話 焦げと祝福

しおりを挟む
朝の鐘が鳴る前、街角にパンの香りが広がっていた。
 昨日と同じ時間、同じ場所。けれど、胸の高鳴りは少し違う。
 もう任されることには慣れてきたはずなのに、
 今日はなぜか、新しい挑戦の朝に思えた。

「火、よし。粉、よし。……緊張、よし」

 誰もいない厨房で独り言を言うと、少しだけ笑えてくる。
 ハンナは仕入れに、セシルは帳簿の確認で商業組合へ出ている。
 この店を動かすのは、今のところ私ひとり。

 粉の袋を抱え、こね台の上に広げる。
 ふわりと舞う白い粒が、朝の光を弾いた。
 あの日、初めてパンを焦がしたときの私とは、もう違う。
 けれど、まだ完璧には遠い。

「今日も焦げゼロを目指すわよ」

     ◇ ◇ ◇

 焼き上がった陽だまりパンは、今朝もよく膨らんだ。
 ただ、オーブンの火を強くしすぎたのか、
 いくつかの表面がほんの少し、濃い金色をしている。

「……まぁ、焼き色ってことで」

 苦笑しながら並べていると、ドアの鈴が鳴った。
 最初のお客さんだ。

「おはようございます、陽だまりパンありますか?」

「はい! 焼きたてです!」

 袋に入れた瞬間、ふわっと焦げの香りが混じった。
 ――少し強かった。
 けれどそのお客さんは、袋を抱えて笑った。

「いい匂いだね。寒い朝は、ちょっと焦げてるくらいが温まるんだ」

 その言葉に、肩の力が抜けた。

「ありがとうございます。またお越しくださいね」

「もちろん。焦げてても、うまけりゃ正義だろ?」

 笑いながら去っていく背中を見送り、私はそっと息をついた。
 焦げの匂いが、どこか祝福のように感じられた。

     ◇ ◇ ◇

 昼頃、セシルが戻ってきた。
 帳簿を脇に抱え、いつもより少し早足だ。

「お嬢様、状況報告を」

「売れ行き好調、ただし一部に焦げ気味報告あり」

「焦げ気味……?」

「ちょっと焼きすぎただけ。でも、お客さんが焦げてもおいしいって言ってくれたの」

 セシルは一瞬だけ考え込み、すぐに微笑んだ。

「それは貴重なフィードバックです。焦げは失敗ではなく、個性です」

「あなたがそんなこと言うなんて意外ね」

「学習能力です。お嬢様の陽だまりパンは、失敗さえも温かい」

「うまいこと言うじゃない」

「事実申告です」

 二人で笑った。
 パンの香りが、昼の光と混ざり合ってやさしく漂う。

     ◇ ◇ ◇

 夕方、ハンナが帰ってきた。
 棚を見て、目を丸くする。

「全部、売り切れ? 焦げたのも?」

「はい。……少し焦がしましたけど、お客さんが喜んでくれて」

「焦がした? へぇ、それはいい経験したね」

「いい経験……ですか?」

「焦げの匂いってのはね、頑張った証拠なんだよ。
 焦げるまで焼いたってことは、パンに向き合ってた証拠さ」

 その言葉に胸が熱くなった。
 焦げを誇りに思っていいんだ。
 完璧じゃなくても、努力の匂いは人を笑顔にできる。

「……ハンナさん、今日もありがとうございます」

「礼はいらない。焦げがあったら次に生かす。それが職人の仕事さ」

 その言葉を、胸の奥に刻んだ。

     ◇ ◇ ◇

 夜、店を閉めたあと。
 私は焼き残った小さなパンを手に取り、セシルと分け合った。

「少し焦げてるけど……ほら」

「ありがとうございます。……うん、確かにこれは努力の味ですね」

「笑わないでよ」

「笑っていません。祝福しています」

「祝福?」

「はい。焦げの苦味は、努力の勲章です」

「詩人みたいなこと言うじゃない」

「職業病です。お嬢様に影響されています」

 小さな焦げ目をかじる。
 香ばしさの向こうに、かすかな甘みが残っていた。
 それが、今日いちばんおいしかった。

     ◇ ◇ ◇

📜本日の収支記録
項目 内容 金額(リラ)
収入 日給 +20
収入 完売歩合 +30
合計 +50
借金残高 24,841 → 24,791

セシルの一口メモ:
「焦げ」を「香ばしさ」と呼び直す発想。
お嬢様、言葉ひとつで価値は変わるのです。
それが“祝福”という名の再定義。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結保証】科学で興す異世界国家 ~理不尽に死んだ技術者が、「石炭」と「ジャガイモ」で最強を証明する。優秀な兄たちが膝を折るまでの建国譚~

Lihito
ファンタジー
正しいデータを揃えた。論理も完璧だった。 それでも、組織の理不尽には勝てなかった。 ——そして、使い潰されて死んだ。 目を覚ますとそこは、十年後に魔王軍による滅亡が確定している異世界。 強国の第三王子として転生した彼に与えられたのは、 因果をねじ曲げる有限の力——「運命点」だけ。 武力と経済を握る兄たちの陰で、継承権最下位。後ろ盾も発言力もない。 だが、邪魔する上司も腐った組織もない。 今度こそ証明する。科学と運命点を武器に、俺のやり方が正しいことを。 石炭と化学による国力強化。 情報と大義名分を積み重ねた対外戦略。 準備を重ね、機が熟した瞬間に運命点で押し切る。 これは、理不尽に敗れた科学者が、選択と代償を重ねる中で、 「正しさ」だけでは国は守れないと知りながら、 滅びの未来を書き換えようとする建国譚。

田舎娘、追放後に開いた小さな薬草店が国家レベルで大騒ぎになるほど大繁盛

タマ マコト
ファンタジー
【大好評につき21〜40話執筆決定!!】 田舎娘ミントは、王都の名門ローズ家で地味な使用人薬師として働いていたが、令嬢ローズマリーの嫉妬により濡れ衣を着せられ、理不尽に追放されてしまう。雨の中ひとり王都を去ったミントは、亡き祖母が残した田舎の小屋に戻り、そこで薬草店を開くことを決意。森で倒れていた謎の青年サフランを救ったことで、彼女の薬の“異常な効き目”が静かに広まりはじめ、村の小さな店《グリーンノート》へ、変化の風が吹き込み始める――。

過労死した俺、異世界で最強農業チートに目覚める。神農具で荒野を楽園に変えたら、エルフや獣人が集まって最高の国ができました

黒崎隼人
ファンタジー
「君、死んじゃったから、異世界で国、作らない?」 ブラック企業で過労死した俺、相川大地。 女神様から授かったのは、一振りで大地を耕し、一瞬で作物を育てる**最強の『神農具』**だった!? 右も左もわからない荒野でのサバイバル。 だけど、腹ペコのエルフ美少女を助け、頼れるドワーフ、元気な猫耳娘、モフモフ神狼が仲間になって、開拓生活は一気に賑やかに! 美味しいご飯とチート農具で、荒野はあっという間に**「奇跡の村」**へ。 これは、ただの農民志望だった俺が、最高の仲間たちと世界を救い、種族の壁を越えた理想の国『アグリトピア』を築き上げる物語。 農業は、世界を救う! さあ、今日も元気に、畑、耕しますか!

婚約破棄された幼い公爵令嬢、目覚めたら絶世の美女でした

鍛高譚
恋愛
『幼すぎる』と婚約破棄された公爵令嬢ですが、意識不明から目覚めたら絶世の美女になっていました 幼すぎる、頼りない――そんな理由で婚約者に見限られた公爵令嬢シルフィーネ。 心ない言葉に傷ついた彼女は、事故に遭い意識不明となってしまう。 しかし一年後、彼女は奇跡的に目を覚ます。 そして目覚めた彼女は――かつての面影を残しつつも、見る者すべてを惹きつける絶世の美女へと変貌を遂げていた! 周囲の反応は一変。婚約破棄を後悔する元婚約者、熱視線を送る他家の令息たち、さらには王太子からの突然の縁談まで舞い込み――? 「もう、誰にも傷つけられたくない。私は私の幸せを手に入れるの」 これは、冷たく突き放された少女が美しく咲き誇り、誇りと自由を手に入れる、ざまぁ&逆転恋愛劇。

側妃に追放された王太子

基本二度寝
ファンタジー
「王が倒れた今、私が王の代理を務めます」 正妃は数年前になくなり、側妃の女が現在正妃の代わりを務めていた。 そして、国王が体調不良で倒れた今、側妃は貴族を集めて宣言した。 王の代理が側妃など異例の出来事だ。 「手始めに、正妃の息子、現王太子の婚約破棄と身分の剥奪を命じます」 王太子は息を吐いた。 「それが国のためなら」 貴族も大臣も側妃の手が及んでいる。 無駄に抵抗するよりも、王太子はそれに従うことにした。

【㊗️受賞!】神のミスで転生したけど、幼児化しちゃった!〜もふもふと一緒に、異世界ライフを楽しもう!〜

一ノ蔵(いちのくら)
ファンタジー
※第18回ファンタジー小説大賞にて、奨励賞を受賞しました!投票して頂いた皆様には、感謝申し上げますm(_ _)m ✩物語は、ゆっくり進みます。冒険より、日常に重きありの異世界ライフです。 【あらすじ】 神のミスにより、異世界転生が決まったミオ。調子に乗って、スキルを欲張り過ぎた結果、幼児化してしまった!   そんなハプニングがありつつも、ミオは、大好きな異世界で送る第二の人生に、希望いっぱい!  事故のお詫びに遣わされた、守護獣神のジョウとともに、ミオは異世界ライフを楽しみます! 仕事繁忙期の為、2月中旬まで更新を週一に致します。 カクヨム(吉野 ひな)様にも投稿しています。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

「無能」と捨てられた少女は、神の愛し子だった――。 凍てつく北の地で始まる、聖獣たちと冷徹公爵による「世界一過保護な」逆転生活。

秦江湖
恋愛
魔法適性「鑑定」がすべてを決める、黄金の国ルミナリス。 名門ベルグラード公爵家の末娘アデリーンは、十五歳の鑑定式で、前代未聞の『鑑定不能(黒の沈黙)』を叩き出してしまう。 「我が家の恥さらしめ。二度とその顔を見せるな」 第一王子からは婚約破棄を突きつけられ、最愛の三人の兄たちからも冷酷な言葉とともに、極寒の地「ノースガル公国」へ追放を言い渡されたアデリーン。 着の身着のままで雪原に放り出された彼女が出会ったのは、一匹の衰弱した仔狼――それは、人間には決して懐かないはずの『伝説の聖獣』だった。 「鑑定不能」の正体は、魔力ゼロなどではなく、聖獣と心を通わせる唯一の力『調律師』の証。 行き倒れたアデリーンを救ったのは、誰もが恐れる氷の公爵ゼノスで……。 「こんなに尊い存在を捨てるとは、黄金の国の連中は正気か?」 「聖獣も、私も……お前を離すつもりはない」 氷の公爵に拾われ、聖獣たちに囲まれ、これまでの不遇が嘘のような「極上溺愛」を享受するアデリーン。 一方で、彼女を捨てた黄金の国は、聖獣の加護を失い崩壊の危機に直面していた。 慌ててアデリーンを連れ戻そうとする身勝手な王族たち。 しかし、彼らの前には「復讐」の準備を終えたアデリーンの兄たちが立ちはだかる。 「遅いよ。僕らのかわいい妹を泣かせた罪、一生かけて償ってもらうからね」 これは、すべてを失った少女が、真の居場所と愛を見つけるまでの物語。

処理中です...