赫銀伝記-炎氷の天狐-

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邂逅

4 天狐の棲む森(下)

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“その日”ルグランは里から少し離れた沢の巨木の上で昼寝をしていた。

夕方、じいさまのためにお医者様が来てくださることになっていたので、僕は邪魔にならないように外に出た。
おじさんは一緒にいてもいいんだぞーって言ってたけど僕は日暮れまでには戻るーって言って家を出た。
じいさまには元気になってほしいからね。
お医者様が集中できるようにね。

そうしていつものように森の中を駆けながら小さな沢に辿り着いた。

水面が僕の瞳に反射して、輝いている。
既に太陽が沈みかけていて、沢はオレンジ色に染まっていた。

僕は、水面を見つめながら今朝じいさまに言われた言葉を思い出していた。

『ルグラン、もしも、もしもお前の身に危機が迫ったのならば、神殿の…、お前の好きな建物の先の森に逃げるのじゃ。よいな?そこなら誰もお前を追えぬ。』

じいさまはひどくやつれた顔をして僕を抱きしめながら言った。
昨日怖い夢でも見たのかな?と思った。

分かったけど、どうしてー?
僕はどこにも行きたくないよーって言ったら、そうだな、って笑ってた。

水面に写る魚や、揺れる木の葉の影を見ていると何だか眠くなってしまって、沢の近くの大きな木でちょっとだけごろごろすることにした。
小さな体をうまく木の洞に収めた僕は、いつの間にか寝てしまっていた。
沢を流れる水の音と、体を照らす沈みかけたお日様と、そよ吹く風のお昼寝セットで僕の意識は簡単に落ちていった。







『『『ルグラン』』』

じいさまの声が僕の頭の中に響き渡った。
僕は驚いて飛び起きた。

森はすっかり陽が落ちて、薄暗くなっていた。
星が怖いぐらい美しく見えた。

ああ、早く帰らなければ、と思い体を起こそうとしたけれど、突然じいさま声が僕の中で残響となってこだまして、体中の毛が逆立った。
全身を変な汗が伝った。

次の瞬間、頭の中に鮮明な映像が流れ込んできた。

見知った場所、ここは…僕の家だ。

荒らされた部屋に黒い天狐が1体と茶色い天狐が5体、対面していた。

黒い天狐はカッと目を見開くとその瞬間、黒いモヤのようなものがその体を纏った。
茶色い天狐達に向かって咆哮するその姿は、絶対的な強さを見せつけているようだった。

僕はあの黒いモヤが、じいさまが抱きしめてくれる時にしてくれる暖かいのに似てるなと思った。

そして、1体の茶色い天狐が鋭い爪を振り上げて黒い天狐に飛びかかった。

僕はとっさに目をつぶったが、映像は途切れない。

刹那、ジュッという音と共に茶色い天狐の腕がモヤに触れて消し飛ぶ。
ぼたぼた垂れる鮮血が床を染め、茶色は派手な音を立てて床に倒れ込んだ。 

他の4匹が1歩下がって威嚇をする。

再び黒い天狐が吠えた。
こちらに来るな、そう言ってるようだった。

茶色い天狐達が急所を狙って飛びかかる。
黒い天狐は4体の攻撃を必死に避ける。

黒い毛と茶色い毛がたくさん舞って、血が流れた。
とても、痛そうだった。

僕はもう見ていられなくてさっきよりも強くぎゅっと目を瞑ったが、映像が途切れることはなかった。
ただ流れ続ける映像にどうしたらいいかも分からず、為す術もなかった。

その攻防は幾重にも繰り返され、両者に疲れの色が見えてきた。
黒い天狐の方はもうずいぶん前に限界を迎えているようだった。

黒い天狐がグラついた。
口から赤黒い血がぼたぼた落ち、床を濡らしていく。
それでも踏ん張って、地を蹴り1匹に飛び掛って首元にかみつく。

が、一瞬黒いモヤが薄くなった。

刹那、茶色の天狐達はそれを待っていたと目をぎらつかせて一斉に黒い天狐の足首に噛み付きー

ぶちん、と鈍い音が二度して次に黒い天狐の絶叫がびりびりと空気中に響き渡った。





黒い天狐の健は完全に千切れ、血溜まりの中に動けなくなった瞳がこちらを見つめている。
呼吸は荒く、片目は完全に潰れている。

その天狐の背後に、赤い炎が迫っていた。



はっ、と我に返った僕の中に苦いものが駆け巡った。
じいさまの暖かいものが体から抜けていくような感じがした。
でも、それもなんだか違う気がした。

あれは、あの映像は本当なの?
そんな疑念はじいさまを失う恐怖ですぐに消し飛んでしまった。

今の天狐はもしかしたら…じいさま?

僕は泣き出しそうになるのを堪えて、木から飛び降りた。
ひどく混乱していた。
今見たものは何だったのか?
じいさまに会いたい。はやく。
その一心で里まで駆けようとした。

だがそれは腹部に走った鈍い痛みによって阻まれてしまう。
それから、一瞬宙を浮いた僕の体が地面に打ち付けられる。
痛みで呼吸が止まった。

「こんばんは、フォールとティアの息子よ。いい夜だね?」

薄ら笑いを浮かべるこの男はたしか、フラウダ。
じいさまに付きまとったり、おじさんの悪口を言ってたりおまけに僕のことをジロジロ見てくる、気持ちの悪い男だった。

「な、にするんです…か」

痛い。
痛い、痛い、痛い。

「今日は実にいい夜なんだよ。わかるかい?」

顔をしかめながら、首を振る。

「今、今日この夜から私が天狐の族長になるのだよ。それから君は、私から最初の命令をもらう者に選ばれた。喜びたまえ?」
「な、にを、言ってるんですか!族長はじいさまですよ!」

僕はフラウダを睨んだ。
周りには彼の仲間が集まっていた。

「おやおや、怖い顔だ。じいさま?ああー、あれねえ。今頃キャンプファイヤーでも楽しんでるんじゃないかな?君もおじいちゃんについて行ってあげてね?」

そう言って僕の顔を蹴り上げ、躊躇うことなくお腹を引き裂いた。

焼けるような痛みが走った。
声も出せなかった。
ぼたぼた何かが垂れる。
熱い、熱い。
視界がぼやける。

「縛ってからもっと致命傷を負わせろ。犬共は鼻がいい。早く済ますぞ。」

最後に聞こえたのはこんな声だった。







変な夢を見た。
汗が体に染み込んで気持ちが悪かった。
ルグランの助けを叫ぶ声が聞こえた気がした。

怖くなって朝起きてすぐにもしもの時のことを教えたが、逆に不安にさせたかもしれん。
すまないな、ルグラン。

今朝は、息子の顔も見た。
昼過ぎに医者が来ると言っておった。
わしはもう年じゃろうて、何度言うても聞かない心優しい息子だ。
ついこの間、俺はルグランの親になると張り切っておった。
わしは二人が大好きだから大賛成じゃ。



医者がわしの体を診た。
結果、わしは一月ほど前から魔力を抑制する薬を飲まされていた。
こんなことに気付けないくらい落ちぶれてしまったか、と悲しくなってしまった。
でもこれで心置きなく息子に後を譲れる。
そう思えば、早く回復したいという気持ちになった。



医者が帰って、陽が落ちてもルグランは帰ってこなかった。
心配になって迎えに行こうとしたら、玄関に人の気配がした。

5人か。厳しいかもな。

男たちはノックもなしに入り込んできた。
ルグランを出せ、という。

出すものか。
死んでもルグランは渡さん。

昔からずる賢い親子だった。

何を喋りだしたかと思うと牙狼族をルグランの魔力順応の力で吹き飛ばす計画を実行という。
娘婿が殺された方法だった。
より良い被害を生み出すために守護術の主であるわしを殺すとぬかした。
おまけに娘の最後まで喋りだした。
ルグランを殺して俺の子供を産まなかったから、嬲り殺して谷底に捨てた。
茶色の若いのがそう笑いながら答えた。

こやつらのお喋りのおかげで、怒りが欠乏していた魔力を補っていくのが分かった。
十分すぎる量だ。

さてと、

最大音量でルグランに思念を発した。

おお、気が付いたか。
なかなか筋がいいのう。

さて、ルグランはあの男の幻術に耐えられるかのう。
ルグラン、その映像は化かしだ。
普通の5歳には無理だが、お前なら気が付くはず。
頑張ってくれ。

『ルグラン、わしはまだ幼いお前を傷つけたくなかった一心で隙を見せてしまっていたようじゃ。ここで命を終えるかもしれんが、せいぜい逃げてお前の人生を楽しんでくれよ。

息子よ、天狐族を任せた。お前ならきっと、大丈夫じゃ。

わしの術の範囲にいたものはみな死ぬ。跡形も残らん。
わしが倒されたとしても死ぬ。

さあ、最後に暴れようかのう。
天狼族を潰さんとする阿呆な若造たちがどこまで持つか楽しみじゃ。』

これだけ言えば大丈夫じゃろう。
みな後は頼んだぞ。

ミヌラムの意識はここまでだった。

里の者は皆、ミヌラムの思念を受け取っていた。



翌日、彼は焼失した自宅の中で発見された。
灰と瓦礫の中、彼だけは燃えていなかった。
新族長、イギヌは泣きながら父親に治癒術をかけた。

同朝、フラウダ親子を含む複数名の姿が跡形もなく消えた。







痛い、苦しい。
帰りたい。

きつく縛られていて身動きが取れない。
口の中にも何かが詰められていて、声を出すこともできない。

ここはどこだろう。

ここは森のどのへんだろう。

じいさまやおじさんや里の人たちは大丈夫かな。

僕は泣きたくなかったから、ずっとじいさまのことを考えていた。
じいさまのあったかいのを想像した。

さっきまで僕に酷いことをしてた奴らが急に静かになった。

怖い。帰りたい。
とおさま、かあさま。
傷口から暖かいものが溢れて止まらない。
痛い、痛い。

だんだんと変な感覚になってきた。
耳と尾っぽから溶けてしまうような感じがした。
僕の耳と尾っぽが地面にくっ付いて取れなくなってしまった。
なんだろうこれ。
痛くは、ない。

もう死ぬのかな。

霞む視界に星空が映った。
綺麗だな。

どこからか銀色の風が吹いた気がした。

あ、そこに行きたいな。

そう思って目をつぶった。

次の瞬間、白い光が僕を包んだ。
地面にくっ付いてたはずの耳と尾っぽが自由になって、体が光の粒になって消えた。





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