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2話・消えたフェアリー
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はぁっ……はぁっ……
人間の体は不便だ。
飛ぶこともできないし、走ると息が上がる。
気がはやるのに、足が重くなってきてうまく走れない。
花園の入口が見えてきた。
ぐるりと高い生垣に囲まれてまだ中の様子は見えない。
「シンシア……みんな……!」
やっとのことでたどり着いたアシュリーは息を切らしながら花園の中に飛び込んだ……!
——そこには何もいなかった。
いつも光とささやきや、クスクス笑う声があふれていたのに、怖いくらい静かだった。
何もいない。何も聞こえない。ただ花々だけが悲しげに風に揺れていた。
「……うそ……。シンシア! シンシア……!!!」
「いやだ!! 戻りたい……!! フェアリーに戻して!!」
「ごめんなさい!! ごめんなさい!! ……もう、もうしないから…!! ああっ」
膝から崩れ落ちたアシュリーは泣き叫んだが、答えるものはいなかった。
うわーん、うわーんとひとしきり泣き、苦しい呼吸を整えながらひくひくと泣きじゃくっていると、ふと近くに誰かがいることに気付いた。
アシュリーが少し落ち着いたのを見て、その人はそっとミルラの花を一輪差し出してくれた。しっかりとした茎に、たくさん花びらがついた、見る人を元気づけるような黄色い花だ。アシュリーが受け取ってぼんやりとその人を見上げると、ハンカチで涙をぬぐってくれる。
「……悲しみは続かない。そんなに泣かないで」
ボソリとつぶやくその顔は、彫りが深く精悍なのにどこか朴訥としている。無造作に伸びウェーブした赤茶色の髪が、額や頬にかかっている。
その顔はアシュリーの見知った顔だった。
「ジャン……」
「……?」
見知らぬ少女と思っていたものを、名を呼ばれて、ジャンは不思議そうにアシュリーの顔をまじまじと見つめた。
「まさか……お前は……」
「ジャン……!!」
アシュリーはジャンの胸に飛び込み、またひとしきり泣いた。
ジャンはこの屋敷の庭師だ。
長身でがっちりとした筋肉質な体つきは、初めて見た者には少し威圧感を与えるかもしれない。その実、内面は心やさしく花と植物を愛する純朴な男で、彼自身もフェアリーたちから愛されている。そのせいか二十歳をずいぶん過ぎても、いまだにフェアリーを見ることができるのだ。
花園の手入れをするためにやってきたときには、必ずフェアリーたちに挨拶してくれるし、だからと言って無理に関わろうとはしないで適切な距離を置いていてくれる。そんなジャンのことを、普通なら人を信用しないフェアリーたちも彼のことだけは認めている。
もちろんアシュリーとも顔見知りであった。
人が好きなアシュリーだから、花々の手入れをしているジャンに近づいては、あれこれ質問をしたり、ときにはエルナンやディーンと遊んだ話を(一方的に)聞かせたりしていた。
ジャン自身はおしゃべりな性格ではなく無口な方だったが、アシュリーを邪険にはせずいつも根気強く聞いてくれるのだった。
「そうか、フェアリーに戻れなくなったのか……」
アシュリーが少し落ち着いたのを見てジャンが口を開く。
何も話していないのになぜ?とふしぎな顔でジャンを見た。
「アシュリーが泣いてる間にフェアリーたちが教えてくれた」
そうか……見えないけど、やはりフェアリーたちはここにいるのだ。人間のジャンには見えているのに、自分には見えない……。
そう思うとひっこんだはずの涙がまた出てくる。もう干からびそうなほど泣いたのに……。
ジャンは困ったような、いたわるような顔をして、アシュリーが泣き止むまでそばにいてくれた。泣きじゃくりながらも、ジャンが頭を撫でてくれる手はとても心地よく感じた。
「これからどうしたらいいんだろう……」
うつむきながらつぶやく。
「あたし、本当に戻れないのかな……」
「わからない」
率直なジャンの言葉に、少し傷つく。
「でも、人間は食べて寝て暮らしていかないと生きていけない」
たしかにそうだ。
「屋敷でディーンには会えたのか?」
そう訊かれて、アシュリーは屋敷であったことをすべて話した。
エルナンとその両親に遭遇し、記憶を変えてしまったこと。
うっかりお菓子を口にしてしまったこと。
ディーンは自分を覚えていなかったこと。
フェアリーの姿を見せようとしたときには魔法が使えなくなっていたこと。
「……そうか」
ジャンは何かを考えている。
「それは不幸中の幸いかもしれないな」
「不幸中の幸い?」
「ああ、しばらくの間は従姉妹のアシュリーとして屋敷に滞在できるだろう。休暇の間に訪問客が長居することは、この屋敷ではよくある。その間に何か元に戻れる方法がないか、調べてみよう」
「戻れる……?」
パっと表情を明るくするアシュリーにジャンはまた率直に答える。
「わからないが」
アシュリーはうなだれるが、ジャンはそのまま続けた。
「ただ、フェアリーたちは探すと言ってる。今、大勢のフェアリーが花園を飛び立ったようだ」
「……!!」
シンシア以外、いつもは「お馬鹿なアシュリー」「嵐の子」などとからかっていたフェアリーたちだった。なのに、自業自得な失敗をしたアシュリーを助けようとしてくれているのか。花園で生まれ、花園を出たことのない子がほとんどなのに……。
「もう泣くな」
グイっとジャンが指でアシュリーの目尻をぬぐう。
「何かわかったら知らせる。今は屋敷に戻るのがいい」
アシュリーはこくりとうなずくと立ち上がった。
花園を出ると、小道の向こうから走ってくるエルナンが見えた。
「やっぱりここにいたのか。ごめんな、ディーンと話したけど全然通じなくて……。もう戻るのか?」
「あたし……しばらく屋敷に置いてもらえないかな?」
「……!! もちろんいいよ!! どうやって思い出させるか、作戦考えないとな!」
にかっと笑うエルナンの明るさが今は救いだと思った。
人間の体は不便だ。
飛ぶこともできないし、走ると息が上がる。
気がはやるのに、足が重くなってきてうまく走れない。
花園の入口が見えてきた。
ぐるりと高い生垣に囲まれてまだ中の様子は見えない。
「シンシア……みんな……!」
やっとのことでたどり着いたアシュリーは息を切らしながら花園の中に飛び込んだ……!
——そこには何もいなかった。
いつも光とささやきや、クスクス笑う声があふれていたのに、怖いくらい静かだった。
何もいない。何も聞こえない。ただ花々だけが悲しげに風に揺れていた。
「……うそ……。シンシア! シンシア……!!!」
「いやだ!! 戻りたい……!! フェアリーに戻して!!」
「ごめんなさい!! ごめんなさい!! ……もう、もうしないから…!! ああっ」
膝から崩れ落ちたアシュリーは泣き叫んだが、答えるものはいなかった。
うわーん、うわーんとひとしきり泣き、苦しい呼吸を整えながらひくひくと泣きじゃくっていると、ふと近くに誰かがいることに気付いた。
アシュリーが少し落ち着いたのを見て、その人はそっとミルラの花を一輪差し出してくれた。しっかりとした茎に、たくさん花びらがついた、見る人を元気づけるような黄色い花だ。アシュリーが受け取ってぼんやりとその人を見上げると、ハンカチで涙をぬぐってくれる。
「……悲しみは続かない。そんなに泣かないで」
ボソリとつぶやくその顔は、彫りが深く精悍なのにどこか朴訥としている。無造作に伸びウェーブした赤茶色の髪が、額や頬にかかっている。
その顔はアシュリーの見知った顔だった。
「ジャン……」
「……?」
見知らぬ少女と思っていたものを、名を呼ばれて、ジャンは不思議そうにアシュリーの顔をまじまじと見つめた。
「まさか……お前は……」
「ジャン……!!」
アシュリーはジャンの胸に飛び込み、またひとしきり泣いた。
ジャンはこの屋敷の庭師だ。
長身でがっちりとした筋肉質な体つきは、初めて見た者には少し威圧感を与えるかもしれない。その実、内面は心やさしく花と植物を愛する純朴な男で、彼自身もフェアリーたちから愛されている。そのせいか二十歳をずいぶん過ぎても、いまだにフェアリーを見ることができるのだ。
花園の手入れをするためにやってきたときには、必ずフェアリーたちに挨拶してくれるし、だからと言って無理に関わろうとはしないで適切な距離を置いていてくれる。そんなジャンのことを、普通なら人を信用しないフェアリーたちも彼のことだけは認めている。
もちろんアシュリーとも顔見知りであった。
人が好きなアシュリーだから、花々の手入れをしているジャンに近づいては、あれこれ質問をしたり、ときにはエルナンやディーンと遊んだ話を(一方的に)聞かせたりしていた。
ジャン自身はおしゃべりな性格ではなく無口な方だったが、アシュリーを邪険にはせずいつも根気強く聞いてくれるのだった。
「そうか、フェアリーに戻れなくなったのか……」
アシュリーが少し落ち着いたのを見てジャンが口を開く。
何も話していないのになぜ?とふしぎな顔でジャンを見た。
「アシュリーが泣いてる間にフェアリーたちが教えてくれた」
そうか……見えないけど、やはりフェアリーたちはここにいるのだ。人間のジャンには見えているのに、自分には見えない……。
そう思うとひっこんだはずの涙がまた出てくる。もう干からびそうなほど泣いたのに……。
ジャンは困ったような、いたわるような顔をして、アシュリーが泣き止むまでそばにいてくれた。泣きじゃくりながらも、ジャンが頭を撫でてくれる手はとても心地よく感じた。
「これからどうしたらいいんだろう……」
うつむきながらつぶやく。
「あたし、本当に戻れないのかな……」
「わからない」
率直なジャンの言葉に、少し傷つく。
「でも、人間は食べて寝て暮らしていかないと生きていけない」
たしかにそうだ。
「屋敷でディーンには会えたのか?」
そう訊かれて、アシュリーは屋敷であったことをすべて話した。
エルナンとその両親に遭遇し、記憶を変えてしまったこと。
うっかりお菓子を口にしてしまったこと。
ディーンは自分を覚えていなかったこと。
フェアリーの姿を見せようとしたときには魔法が使えなくなっていたこと。
「……そうか」
ジャンは何かを考えている。
「それは不幸中の幸いかもしれないな」
「不幸中の幸い?」
「ああ、しばらくの間は従姉妹のアシュリーとして屋敷に滞在できるだろう。休暇の間に訪問客が長居することは、この屋敷ではよくある。その間に何か元に戻れる方法がないか、調べてみよう」
「戻れる……?」
パっと表情を明るくするアシュリーにジャンはまた率直に答える。
「わからないが」
アシュリーはうなだれるが、ジャンはそのまま続けた。
「ただ、フェアリーたちは探すと言ってる。今、大勢のフェアリーが花園を飛び立ったようだ」
「……!!」
シンシア以外、いつもは「お馬鹿なアシュリー」「嵐の子」などとからかっていたフェアリーたちだった。なのに、自業自得な失敗をしたアシュリーを助けようとしてくれているのか。花園で生まれ、花園を出たことのない子がほとんどなのに……。
「もう泣くな」
グイっとジャンが指でアシュリーの目尻をぬぐう。
「何かわかったら知らせる。今は屋敷に戻るのがいい」
アシュリーはこくりとうなずくと立ち上がった。
花園を出ると、小道の向こうから走ってくるエルナンが見えた。
「やっぱりここにいたのか。ごめんな、ディーンと話したけど全然通じなくて……。もう戻るのか?」
「あたし……しばらく屋敷に置いてもらえないかな?」
「……!! もちろんいいよ!! どうやって思い出させるか、作戦考えないとな!」
にかっと笑うエルナンの明るさが今は救いだと思った。
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