10 / 49
9話・ご褒美をください
しおりを挟む
翌日——。アシュリーは何とか名前が書けるようになったが、それは容易ではなかった。
じっと椅子に座って文字を写す、ただそれだけのことがアシュリーにはとても難しかった。花や風、光とたわむれたり、歌ったり踊ったり、気ままに暮らす。それが本来のフェアリーの生活だったのだから。
だけど、アシュリーは努力した。目の前で動いていたアーネスト先生の綺麗な手…その記憶をたどりながら、懸命に自分の名前をつづっていた。
コンコンコン
——アーネスト先生だ!
扉を開ける。
「こんにちは、アシュリー」
「こんにちは、アーネスト先生」
うん、と目を合わせて頷きかけてくれる。
「はじめよう。席について」
先生はアシュリーを机に促し、自分は部屋の片隅にあったスツールを運んでアシュリーの隣に座った。
「課題はできているな?」
「……はい」
「ではここに」
差し出された紙にゆっくり文字を書いていく。
じっと手元を見られているのでとても緊張した。
『ア シ ュ リ ー』
「よろしい」
先生は満足げに微笑んでくれた。
「これが君の名前だな。アシュリー」
「はい!」
「では今日は文字を全部書けるように練習する。明日はいろいろ単語を書いてみよう」
アシュリーはショックを受けた。名前を書けてとても満足していたから。
勉強はまだ始まってもいなかったのだった……。
そのあとの一時間はアシュリーにとっては丸一日くらい長く感じた。そわそわと立ち上がっては挙動不審になり、「アシュリー、座りなさい」と何度も注意されてしまった。最後は「おすわり」の一言でしつけのいい犬のように座れるようになっていた。
「うん、なんとか全部書けたな」
「はい……」
ぐったりとうなだれるアシュリー。
「ごほうびをやろう」
途端にアシュリーが顔を輝かせる。
「なんでもいいですか?あたし……」
アーネスト先生はポケットからキャンディを取り出そうとしたのだが、その手を止めた。
「うん?何か欲しいものがあるのか?」
「あたし、先生の手に触りたいんです」
「……? 手に?」
先生はアシュリーの意図がわからず、眉をひそめる。
「だめですか?」
「……」
「触りたいのなら触ればいい」
手のひらを下に向けてそっと差し出されたその手はやはりとても綺麗だ。
「わぁ……」
アシュリーは左手で先生の手を取り、右手でそっと撫でてみる。
(あっ……。やっぱりとっても気持ちがいいわ。ひんやりとしていて…)
目を閉じてうっとりと撫でるアシュリーの様子を見つめる先生の顔には何の表情も浮かんでいなかったが、それは努めてそうしていた。心の中ではこの状況について忙しく思案しているのだ。
アシュリーはしばらく撫でたり握ったりしたあと、先生の手を裏返してみる。すると、手のひら側の薬指の中ほどに古い傷跡を発見した。
指でそっと触れてみる。
「子どもの頃にな、割れたグラスに触れて怪我した」
(怪我を……。人は体を切ると痛くって血が出るのよね。先生も痛かったのかしら。子どもの先生は泣いたのかしら……)などと、想像してしまう。泣いている小さなアーネスト少年…。そんなことを考えるとその傷跡が愛しいように思え、アシュリーはそっと口をつけた。
ちゅっ……
(あっ……)
くちびるからピリピリと快感がのぼってくる。先生の手はインクのにおいがする。手で触れたときはひんやりしたように感じたけど、今は少し熱いかもしれない……。
——ああ……手も素敵だけど……これがアーネスト先生のくちびるだったらどんな感触かしら。
アシュリーは感触を味わいながら、何度も先生の指にくちびるを押し当てた。
「アシュリー、そこまでだ」
無心にくちづけていた手をすっと離され、アシュリーは名残惜しかった。
先生は戻した手を胸の前で組んでしまい、見えなくなった。
「君は、私を誘惑しているのかな?」
「ゆう、わく……?」
アシュリーのキョトンとした顔を見て、アーネスト先生は短くため息をつく。
「自覚がなくこのようなことをしているなら、なおさら問題だ……。うかつに男の体を触って、情欲を煽るようなことはしてはいけない。相手が本気になってしまった時、傷つけられるのは君自身なのだぞ」
「あの、あたし……」
——怒られているのだろうか?先生はあくまで落ち着いてゆったりと話している。だが、とがめられているのは伝わってきた。
しゅんとしているアシュリーをしばし見つめていたアーネスト先生は、やれやれといった様子で額に手を当てた。
「はぁ……君くらいの年頃の女の子は仕方ないな...…。誰しもどうしても興味が止まらなくなるようだな。このようなことは初めてではないのだが……」
「すみません、あたし……人に触れると気持ちがよくて……」
アーネスト先生が眉をピクリと上げ、もう一度、今度は大きいため息をついた。
「気持ちいいからと、だれかれ構わず触れたりしていないだろうね?……性に興味が出てくる年頃だとしても、相手は選ぶべきだ。ここの子息や、まして使用人と間違いを起こすんじゃないぞ。」
アーネスト先生はいったん言葉を区切り、アシュリーの顔を見た。
「……君の好奇心は私が満たしてやる。それでいいな」
「……はい」
アシュリーが言葉の意味を分かっていたかどうかは疑問があるが、その日の授業はそこで終わることになった。
「今日書いた文字は明日までに練習しておくように。ではアシュリー、また明日」
じっと椅子に座って文字を写す、ただそれだけのことがアシュリーにはとても難しかった。花や風、光とたわむれたり、歌ったり踊ったり、気ままに暮らす。それが本来のフェアリーの生活だったのだから。
だけど、アシュリーは努力した。目の前で動いていたアーネスト先生の綺麗な手…その記憶をたどりながら、懸命に自分の名前をつづっていた。
コンコンコン
——アーネスト先生だ!
扉を開ける。
「こんにちは、アシュリー」
「こんにちは、アーネスト先生」
うん、と目を合わせて頷きかけてくれる。
「はじめよう。席について」
先生はアシュリーを机に促し、自分は部屋の片隅にあったスツールを運んでアシュリーの隣に座った。
「課題はできているな?」
「……はい」
「ではここに」
差し出された紙にゆっくり文字を書いていく。
じっと手元を見られているのでとても緊張した。
『ア シ ュ リ ー』
「よろしい」
先生は満足げに微笑んでくれた。
「これが君の名前だな。アシュリー」
「はい!」
「では今日は文字を全部書けるように練習する。明日はいろいろ単語を書いてみよう」
アシュリーはショックを受けた。名前を書けてとても満足していたから。
勉強はまだ始まってもいなかったのだった……。
そのあとの一時間はアシュリーにとっては丸一日くらい長く感じた。そわそわと立ち上がっては挙動不審になり、「アシュリー、座りなさい」と何度も注意されてしまった。最後は「おすわり」の一言でしつけのいい犬のように座れるようになっていた。
「うん、なんとか全部書けたな」
「はい……」
ぐったりとうなだれるアシュリー。
「ごほうびをやろう」
途端にアシュリーが顔を輝かせる。
「なんでもいいですか?あたし……」
アーネスト先生はポケットからキャンディを取り出そうとしたのだが、その手を止めた。
「うん?何か欲しいものがあるのか?」
「あたし、先生の手に触りたいんです」
「……? 手に?」
先生はアシュリーの意図がわからず、眉をひそめる。
「だめですか?」
「……」
「触りたいのなら触ればいい」
手のひらを下に向けてそっと差し出されたその手はやはりとても綺麗だ。
「わぁ……」
アシュリーは左手で先生の手を取り、右手でそっと撫でてみる。
(あっ……。やっぱりとっても気持ちがいいわ。ひんやりとしていて…)
目を閉じてうっとりと撫でるアシュリーの様子を見つめる先生の顔には何の表情も浮かんでいなかったが、それは努めてそうしていた。心の中ではこの状況について忙しく思案しているのだ。
アシュリーはしばらく撫でたり握ったりしたあと、先生の手を裏返してみる。すると、手のひら側の薬指の中ほどに古い傷跡を発見した。
指でそっと触れてみる。
「子どもの頃にな、割れたグラスに触れて怪我した」
(怪我を……。人は体を切ると痛くって血が出るのよね。先生も痛かったのかしら。子どもの先生は泣いたのかしら……)などと、想像してしまう。泣いている小さなアーネスト少年…。そんなことを考えるとその傷跡が愛しいように思え、アシュリーはそっと口をつけた。
ちゅっ……
(あっ……)
くちびるからピリピリと快感がのぼってくる。先生の手はインクのにおいがする。手で触れたときはひんやりしたように感じたけど、今は少し熱いかもしれない……。
——ああ……手も素敵だけど……これがアーネスト先生のくちびるだったらどんな感触かしら。
アシュリーは感触を味わいながら、何度も先生の指にくちびるを押し当てた。
「アシュリー、そこまでだ」
無心にくちづけていた手をすっと離され、アシュリーは名残惜しかった。
先生は戻した手を胸の前で組んでしまい、見えなくなった。
「君は、私を誘惑しているのかな?」
「ゆう、わく……?」
アシュリーのキョトンとした顔を見て、アーネスト先生は短くため息をつく。
「自覚がなくこのようなことをしているなら、なおさら問題だ……。うかつに男の体を触って、情欲を煽るようなことはしてはいけない。相手が本気になってしまった時、傷つけられるのは君自身なのだぞ」
「あの、あたし……」
——怒られているのだろうか?先生はあくまで落ち着いてゆったりと話している。だが、とがめられているのは伝わってきた。
しゅんとしているアシュリーをしばし見つめていたアーネスト先生は、やれやれといった様子で額に手を当てた。
「はぁ……君くらいの年頃の女の子は仕方ないな...…。誰しもどうしても興味が止まらなくなるようだな。このようなことは初めてではないのだが……」
「すみません、あたし……人に触れると気持ちがよくて……」
アーネスト先生が眉をピクリと上げ、もう一度、今度は大きいため息をついた。
「気持ちいいからと、だれかれ構わず触れたりしていないだろうね?……性に興味が出てくる年頃だとしても、相手は選ぶべきだ。ここの子息や、まして使用人と間違いを起こすんじゃないぞ。」
アーネスト先生はいったん言葉を区切り、アシュリーの顔を見た。
「……君の好奇心は私が満たしてやる。それでいいな」
「……はい」
アシュリーが言葉の意味を分かっていたかどうかは疑問があるが、その日の授業はそこで終わることになった。
「今日書いた文字は明日までに練習しておくように。ではアシュリー、また明日」
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
私は5歳で4人の許嫁になりました【完結】
Lynx🐈⬛
恋愛
ナターシャは公爵家の令嬢として産まれ、5歳の誕生日に、顔も名前も知らない、爵位も不明な男の許嫁にさせられた。
それからというものの、公爵令嬢として恥ずかしくないように育てられる。
14歳になった頃、お行儀見習いと称し、王宮に上がる事になったナターシャは、そこで4人の皇子と出会う。
皇太子リュカリオン【リュカ】、第二皇子トーマス、第三皇子タイタス、第四皇子コリン。
この4人の誰かと結婚をする事になったナターシャは誰と結婚するのか………。
※Hシーンは終盤しかありません。
※この話は4部作で予定しています。
【私が欲しいのはこの皇子】
【誰が叔父様の側室になんてなるもんか!】
【放浪の花嫁】
本編は99話迄です。
番外編1話アリ。
※全ての話を公開後、【私を奪いに来るんじゃない!】を一気公開する予定です。
バッドエンド予定の悪役令嬢が溺愛ルートを選んでみたら、お兄様に愛されすぎて脇役から主役になりました
美咲アリス
恋愛
目が覚めたら公爵令嬢だった!?貴族に生まれ変わったのはいいけれど、美形兄に殺されるバッドエンドの悪役令嬢なんて絶対困る!!死にたくないなら冷酷非道な兄のヴィクトルと仲良くしなきゃいけないのにヴィクトルは氷のように冷たい男で⋯⋯。「どうしたらいいの?」果たして私の運命は?
つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
+++++
・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる