4 / 14
逃げる理由
第四話 呼ばれない名前
しおりを挟む
最初に奪われるのは、名前だ。
それが怪異の作法だと、彼は言った。
「君さ」
そう呼びかけられた瞬間、胸の奥がざわついた。
放課後の空き教室。
夕焼けが窓に貼りついて、世界をオレンジ色にしている。
「……俺の名前、知ってますよね」
「知ってるよ」
でも彼は、呼ばない。
教師でも、生徒でもない。
制服は着ているけど、どこか浮いている男。
顔立ちははっきりしているのに、印象が残らない。
「呼ばないんですか」
「呼ばない」
即答だった。
「君の名前、今は使えないから」
「どういう意味ですか」
彼は椅子に腰掛け、机の上に足を投げ出した。
行儀の悪さが、妙に板についている。
「名前ってさ、立場だから」
「立場?」
「人間としての居場所」
嫌な言い方だった。
「君、もう半分、そっち側だろ」
「そっちって、怪異の?」
彼は笑った。
笑ったはずなのに、目が動いていない。
「怪異“だった”人間の」
「……人間だった、怪異?」
「逆だと思う?」
喉が渇く。
「君はね、怪異に“なる”んじゃない」
彼は続ける。
「人間をやめそこなってる」
教室の影が、じわりと濃くなる。
壁際で、何かが蠢いた。
「冗談、きついですよ」
「冗談なら、名前呼ぶよ」
彼は立ち上がり、僕の目の前に立った。
「君は、名前を呼ばれることで存在してた」
「……」
「でも今は、役割でしか呼ばれてない」
思い当たる節が、多すぎた。
「便利な聞き役」
「厄介ごとの受け皿」
「いなくなっても困らない人」
一つ一つが、刺さる。
「それ、怪異と同じだ」
「……違います」
声が、少し震えた。
「違う?」
彼は首を傾げる。
「じゃあ聞くけど――」
彼は、僕の名前を呼ぼうとした。
音にならない。
口は動いているのに、声が出ない。
「ほら」
彼は肩をすくめる。
「もう呼べない」
「……っ」
「安心しなよ」
彼は、やけに優しい声で言った。
「完全に向こうへ行くまでは、誰も呼べない」
窓の外で、風が鳴った。
教室の影が、僕の足元に集まる。
「じゃあ、どうすれば」
「選ぶんだ」
彼は、出口を指さした。
「名前を取り戻すか」
次に、影を指す。
「それとも、居場所を増やすか」
どちらも、同じに見えた。
「……あなたは、どっちなんですか」
「俺?」
彼は、少しだけ考えてから答えた。
「もう、名前ないから」
その瞬間、
教室から、影が消えた。
彼もいない。
名前を呼ばれないまま、僕だけが残された。
黒板に、白い文字が残っている。
――次は、君が呼ぶ番だ
誰を、か。
それは、まだ書かれていなかった。
それが怪異の作法だと、彼は言った。
「君さ」
そう呼びかけられた瞬間、胸の奥がざわついた。
放課後の空き教室。
夕焼けが窓に貼りついて、世界をオレンジ色にしている。
「……俺の名前、知ってますよね」
「知ってるよ」
でも彼は、呼ばない。
教師でも、生徒でもない。
制服は着ているけど、どこか浮いている男。
顔立ちははっきりしているのに、印象が残らない。
「呼ばないんですか」
「呼ばない」
即答だった。
「君の名前、今は使えないから」
「どういう意味ですか」
彼は椅子に腰掛け、机の上に足を投げ出した。
行儀の悪さが、妙に板についている。
「名前ってさ、立場だから」
「立場?」
「人間としての居場所」
嫌な言い方だった。
「君、もう半分、そっち側だろ」
「そっちって、怪異の?」
彼は笑った。
笑ったはずなのに、目が動いていない。
「怪異“だった”人間の」
「……人間だった、怪異?」
「逆だと思う?」
喉が渇く。
「君はね、怪異に“なる”んじゃない」
彼は続ける。
「人間をやめそこなってる」
教室の影が、じわりと濃くなる。
壁際で、何かが蠢いた。
「冗談、きついですよ」
「冗談なら、名前呼ぶよ」
彼は立ち上がり、僕の目の前に立った。
「君は、名前を呼ばれることで存在してた」
「……」
「でも今は、役割でしか呼ばれてない」
思い当たる節が、多すぎた。
「便利な聞き役」
「厄介ごとの受け皿」
「いなくなっても困らない人」
一つ一つが、刺さる。
「それ、怪異と同じだ」
「……違います」
声が、少し震えた。
「違う?」
彼は首を傾げる。
「じゃあ聞くけど――」
彼は、僕の名前を呼ぼうとした。
音にならない。
口は動いているのに、声が出ない。
「ほら」
彼は肩をすくめる。
「もう呼べない」
「……っ」
「安心しなよ」
彼は、やけに優しい声で言った。
「完全に向こうへ行くまでは、誰も呼べない」
窓の外で、風が鳴った。
教室の影が、僕の足元に集まる。
「じゃあ、どうすれば」
「選ぶんだ」
彼は、出口を指さした。
「名前を取り戻すか」
次に、影を指す。
「それとも、居場所を増やすか」
どちらも、同じに見えた。
「……あなたは、どっちなんですか」
「俺?」
彼は、少しだけ考えてから答えた。
「もう、名前ないから」
その瞬間、
教室から、影が消えた。
彼もいない。
名前を呼ばれないまま、僕だけが残された。
黒板に、白い文字が残っている。
――次は、君が呼ぶ番だ
誰を、か。
それは、まだ書かれていなかった。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
可愛らしい人
はるきりょう
恋愛
「でも、ライアン様には、エレナ様がいらっしゃるのでは?」
「ああ、エレナね。よく勘違いされるんだけど、エレナとは婚約者でも何でもないんだ。ただの幼馴染み」
「それにあいつはひとりで生きていけるから」
女性ながらに剣術を学ぶエレナは可愛げがないという理由で、ほとんど婚約者同然の幼馴染から捨てられる。
けれど、
「エレナ嬢」
「なんでしょうか?」
「今日の夜会のパートナーはお決まりですか?」
その言葉でパートナー同伴の夜会に招待されていたことを思い出した。いつものとおりライアンと一緒に行くと思っていたので参加の返事を出していたのだ。
「……いいえ」
当日の欠席は著しく評価を下げる。今後、家庭教師として仕事をしていきたいと考えるのであれば、父親か兄に頼んででも行った方がいいだろう。
「よければ僕と一緒に行きませんか?」
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる