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"いらない”と言われたので、消えました。
第3話:誰にも言わない理由
扉の前で、足が止まる。
ノックをすれば、すぐに開くだろう。
中にいるのは、よく知っている人たちだ。
いつも通り、迎えてくれる。
「お嬢様」と呼んで、微笑んで。
何も知らない顔で。
――それで、終わり。
指が、わずかに浮く。
叩こうとして、やめた。
「……だめ」
小さく、呟く。
これ以上、踏み込んではいけない。
ここは、“戻ってしまう場所”だ。
廊下に背を預ける。
扉一枚隔てた向こう側に、日常がある。
温かくて、当たり前で。
だからこそ――
壊せない。
「言えば、きっと」
言葉が、自然とこぼれる。
言えば、止められる。
誰かが手を取って、首を横に振ってくれる。
そんなこと、しなくていいと。
ここにいればいいと。
必要だと。
――きっと、言ってくれる。
あの人も。
この家の誰もが。
優しいから。
「……だから、言えない」
視線を落とす。
床に落ちた自分の影が、やけに薄く見えた。
言われてしまったら、揺らぐ。
ほんの少しでも、“残りたい”と思ってしまったら。
終われなくなる。
それが、一番怖い。
「引き止められる方が、辛いから」
ぽつりと落とした言葉は、静かに消えた。
誰にも届かないまま。
それでいい。
届かせるつもりも、ない。
扉の向こうで、笑い声がした。
何気ない会話。
何気ない時間。
その中に、自分がいたこともあった。
……そのはずなのに。
ほんの一瞬だけ。
“自分のいない会話”が、聞こえた気がした。
けれど。
それは、もうすぐ“なかったこと”になる。
だったら、せめて。
最後くらい、綺麗なままでいい。
泣いて、縋って、困らせて。
そんな記憶を残すくらいなら。
何も知らないまま、終わらせる方がいい。
「……ずるいですね」
苦笑が漏れる。
何も言わずに消えるなんて。
きっと、後から困る人もいる。
探す人も、いるかもしれない。
それでも。
“思い出せない”のなら。
きっと、すぐに元に戻る。
そういう世界になる。
それが、この魔法だ。
だったら――
大丈夫。
誰も、傷つかない。
少なくとも、長くは。
背を扉から離す。
これ以上ここにいると、本当に開けてしまいそうだった。
一歩、下がる。
もう一歩。
距離を取るたびに、胸の奥が静かになっていく。
戻らないための距離。
決意を保つための距離。
「……これでいい」
誰に言うでもなく、そう言った。
繰り返さないと、揺らぎそうだったから。
踵を返す。
もう、振り返らない。
振り返ったら、きっと。
開けてしまう。
呼んでしまう。
――行かないで、と。
そんな言葉、言うつもりはないのに。
言えてしまう気がした。
だから。
最初から、選ばない。
廊下の先へと歩き出す。
足音が、やけに響く。
誰もいないはずなのに、誰かに見られているような気がした。
けれど、気にしない。
もうすぐ、それも終わる。
“見ている誰か”ごと、消えるのだから。
階段を下りる。
窓の外は、少しだけ暗くなっていた。
夜が近づいている。
終わりの時間が、近づいている。
それでも、足は止まらない。
止めない。
止めたら、全部が無駄になる。
ここまで決めてきたことも。
耐えてきた時間も。
全部。
「……あと、少し」
小さく呟く。
それは、自分を進ませるための言葉。
誰にも言わないと決めた。
誰にも知られないと決めた。
だから、ちゃんと。
最後まで――ひとりで終わる。
それが、わたくしの選択だから。
……本当に、“わたくしの選択”だったのかは、もうわからない。
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