27 / 29
第7章
マスター候補1
しおりを挟む
一晩経っても、ぼくはポメラニアンのままだった。
お父さんも、お母さんもぼくが人間に戻れなくて大慌て。
土曜日だけど、ぼくを病院に連れて行って城之内先生に見せたのだ。
「渉くん、この間話をしたばかりなのに、どうしたんだい?」
「……」
しかしぼくも、ポメラニアンも何も話すつもりはなかった。もう何もかもどうでもいい気分だったからだ。
キャリーバッグの端っこに身を潜め、眉を八の字にした城之内先生や看護師さんが点滴を打つために手をのばしてくる。そのたびに、「ぼくに触らないで!」と低い唸り声をあげて噛む動作を繰り返した。
「渉、いい加減にしなさい!」
朝になってもぼくが、ご飯も、水もとらないことを心配してくれたお母さんだって、犬の姿で他人を攻撃しようとすれば怒るに決まっている。
それでも、もういやだったんだ。
ぼくが犬伏渉である限り、隼人とは友だちにも、仲のいい幼なじみにもなれない。それこそ記憶喪失になって今までのできごとを忘れたり、ぼくが女の子に性転換したり、異世界にでも行って隼人と同じ魂を持つ人間と一から関係を構築しない限り無理だ。
一番できそうなことといったら、このまま犬になって人間のときの記憶をなくし、隼人のところにポメラニアンとして顔を出して、死ぬまでよしよしされること。
「いいんですよ、気にしないでください、お母さん。いくら言葉では理解できても好きな人を忘れたり、恋心を封印するなんて大人でもなかなかできないことですから」
「本当に申し訳ありません、先生。昨晩、好きな子とどうもトラブルがあったみたいで……よかれと思って仲を取り持つどころか、息子が犬になるきっかけを与えてしまいました。私の監督不行き届きのせいです。家に帰ってくるなり、犬になって、私や主人が抱きしめたり、撫でたりしても『さびしいよ』、『悲しいよ』、『つらいよ』って、そればっかり言って詳しい話は一切してくれません」と、お母さんが、この世の終わりみたいな声を出して、ため息をつく。
「ねえ、渉。本当にこのままじゃ、ただのワンちゃんになっちゃうんだよ。お父さんは、自分より早く息子を亡くすなんて、やだよ~!」
子どもみたいに素直に思っていることを表現して涙を流せるお父さんが、ちょっとだけ羨ましい。
ぼくがこんなふうに泣いたら隼人を困らせるだけだもん。
「……では、やってみますか」
「何をでしょう?」と、ハンカチで目元を拭ったお母さんが困惑顔をする。
城之内先生がデスクの上にあった封筒を犬のぼくに嗅がせてくれた。
ご飯のにおいや、大好きな花の香りじゃないのに、なんだか、すごくいいにおいがして安心する。
犬のぼくは、お気に入りのタオルやぬいぐるみを手に入れたときみたいに封筒を両手で抱きしめ、口に含んだ。
あらかじめ手紙のほうを抜き取っていた城之内先生が、A4サイズの紙を、お父さんとお母さんに見せるのを横目で確認した。
「速達で早朝届いたんです。渉くんのマスター候補の方が、『ぜひ会わせてほしい』と連絡を入れてきてくれました」
「本当ですか!」
「じゃあ、うちの息子は……」
「少なくとも犬になって一生涯を過ごす不安はなくなるかと思います」
「でも、これって……」
目を細めて、お母さんが書類を読み返している。
「いいんだよ、鈴音ちゃん。まずは渉が人間に戻れない状態にならないことが先決なんだから!」
「だけど雄大さん……」
「何もしなければ渉は、そのうち犬から戻れなくなる。でもマスター候補に会って、本当に相性がよければ、渉はところ構わず犬に変態することだってなくなるし、たとえ犬になってもすぐにマスターの力で人間に戻してもらえるんだ!」
涙を拭ったお父さんが、いつもと違って凛々しい顔をする。
「では決まりですね。では、こちらの資料を持って先方の方のおうちまで行ってみてください。できればアポイントがあるほうがマスター候補の方との顔合わせもしやすいかと思います」
「ありがとうございます!」と両親は何度も頭を下げた。
そうして、ふたりがマスター候補の方の連絡先に電話をし、見事につながった。
ぼくは車に揺られて、自宅ではなくマスター候補の人のおうちへと連れて行かれたのだ。
「すごいわね、いかにもお金持ちって感じのおうち……」
「だよねー。僕たち、場違いな感じがするんだけど」
キャリーの中でふて寝をしていれば、お母さんと、お父さんが小声で話す声が聞こえる。
それからパタパタとスリッパを履いた足音が近づいてくる。扉がガチャッと音を立てて開いた。
「お待たせしました、犬伏さん。マスター候補に立候補している三上修二と申します」
ん? この声って……ぼくは起き上がり、目を見開いた。
「職業は声優。最近は小さな声優プロダクションの代表取締役社長も務めており、若手声優の育成をしております」
声優の三上修二!?
ぼくはお母さんと、お父さんが自己紹介をしている最中なのに、大きな声で元気よくワンワン鳴いた。子どもの頃から憧れているキャラクターの大御所声優兼大先輩で雲の上の人に会えて興奮したからだ。
お父さんも、お母さんもぼくが人間に戻れなくて大慌て。
土曜日だけど、ぼくを病院に連れて行って城之内先生に見せたのだ。
「渉くん、この間話をしたばかりなのに、どうしたんだい?」
「……」
しかしぼくも、ポメラニアンも何も話すつもりはなかった。もう何もかもどうでもいい気分だったからだ。
キャリーバッグの端っこに身を潜め、眉を八の字にした城之内先生や看護師さんが点滴を打つために手をのばしてくる。そのたびに、「ぼくに触らないで!」と低い唸り声をあげて噛む動作を繰り返した。
「渉、いい加減にしなさい!」
朝になってもぼくが、ご飯も、水もとらないことを心配してくれたお母さんだって、犬の姿で他人を攻撃しようとすれば怒るに決まっている。
それでも、もういやだったんだ。
ぼくが犬伏渉である限り、隼人とは友だちにも、仲のいい幼なじみにもなれない。それこそ記憶喪失になって今までのできごとを忘れたり、ぼくが女の子に性転換したり、異世界にでも行って隼人と同じ魂を持つ人間と一から関係を構築しない限り無理だ。
一番できそうなことといったら、このまま犬になって人間のときの記憶をなくし、隼人のところにポメラニアンとして顔を出して、死ぬまでよしよしされること。
「いいんですよ、気にしないでください、お母さん。いくら言葉では理解できても好きな人を忘れたり、恋心を封印するなんて大人でもなかなかできないことですから」
「本当に申し訳ありません、先生。昨晩、好きな子とどうもトラブルがあったみたいで……よかれと思って仲を取り持つどころか、息子が犬になるきっかけを与えてしまいました。私の監督不行き届きのせいです。家に帰ってくるなり、犬になって、私や主人が抱きしめたり、撫でたりしても『さびしいよ』、『悲しいよ』、『つらいよ』って、そればっかり言って詳しい話は一切してくれません」と、お母さんが、この世の終わりみたいな声を出して、ため息をつく。
「ねえ、渉。本当にこのままじゃ、ただのワンちゃんになっちゃうんだよ。お父さんは、自分より早く息子を亡くすなんて、やだよ~!」
子どもみたいに素直に思っていることを表現して涙を流せるお父さんが、ちょっとだけ羨ましい。
ぼくがこんなふうに泣いたら隼人を困らせるだけだもん。
「……では、やってみますか」
「何をでしょう?」と、ハンカチで目元を拭ったお母さんが困惑顔をする。
城之内先生がデスクの上にあった封筒を犬のぼくに嗅がせてくれた。
ご飯のにおいや、大好きな花の香りじゃないのに、なんだか、すごくいいにおいがして安心する。
犬のぼくは、お気に入りのタオルやぬいぐるみを手に入れたときみたいに封筒を両手で抱きしめ、口に含んだ。
あらかじめ手紙のほうを抜き取っていた城之内先生が、A4サイズの紙を、お父さんとお母さんに見せるのを横目で確認した。
「速達で早朝届いたんです。渉くんのマスター候補の方が、『ぜひ会わせてほしい』と連絡を入れてきてくれました」
「本当ですか!」
「じゃあ、うちの息子は……」
「少なくとも犬になって一生涯を過ごす不安はなくなるかと思います」
「でも、これって……」
目を細めて、お母さんが書類を読み返している。
「いいんだよ、鈴音ちゃん。まずは渉が人間に戻れない状態にならないことが先決なんだから!」
「だけど雄大さん……」
「何もしなければ渉は、そのうち犬から戻れなくなる。でもマスター候補に会って、本当に相性がよければ、渉はところ構わず犬に変態することだってなくなるし、たとえ犬になってもすぐにマスターの力で人間に戻してもらえるんだ!」
涙を拭ったお父さんが、いつもと違って凛々しい顔をする。
「では決まりですね。では、こちらの資料を持って先方の方のおうちまで行ってみてください。できればアポイントがあるほうがマスター候補の方との顔合わせもしやすいかと思います」
「ありがとうございます!」と両親は何度も頭を下げた。
そうして、ふたりがマスター候補の方の連絡先に電話をし、見事につながった。
ぼくは車に揺られて、自宅ではなくマスター候補の人のおうちへと連れて行かれたのだ。
「すごいわね、いかにもお金持ちって感じのおうち……」
「だよねー。僕たち、場違いな感じがするんだけど」
キャリーの中でふて寝をしていれば、お母さんと、お父さんが小声で話す声が聞こえる。
それからパタパタとスリッパを履いた足音が近づいてくる。扉がガチャッと音を立てて開いた。
「お待たせしました、犬伏さん。マスター候補に立候補している三上修二と申します」
ん? この声って……ぼくは起き上がり、目を見開いた。
「職業は声優。最近は小さな声優プロダクションの代表取締役社長も務めており、若手声優の育成をしております」
声優の三上修二!?
ぼくはお母さんと、お父さんが自己紹介をしている最中なのに、大きな声で元気よくワンワン鳴いた。子どもの頃から憧れているキャラクターの大御所声優兼大先輩で雲の上の人に会えて興奮したからだ。
10
あなたにおすすめの小説
やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。
毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。
そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。
彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
希少なΩだと隠して生きてきた薬師は、視察に来た冷徹なα騎士団長に一瞬で見抜かれ「お前は俺の番だ」と帝都に連れ去られてしまう
水凪しおん
BL
「君は、今日から俺のものだ」
辺境の村で薬師として静かに暮らす青年カイリ。彼には誰にも言えない秘密があった。それは希少なΩ(オメガ)でありながら、その性を偽りβ(ベータ)として生きていること。
ある日、村を訪れたのは『帝国の氷盾』と畏れられる冷徹な騎士団総長、リアム。彼は最上級のα(アルファ)であり、カイリが必死に隠してきたΩの資質をいとも簡単に見抜いてしまう。
「お前のその特異な力を、帝国のために使え」
強引に帝都へ連れ去られ、リアムの屋敷で“偽りの主従関係”を結ぶことになったカイリ。冷たい命令とは裏腹に、リアムが時折見せる不器用な優しさと孤独を秘めた瞳に、カイリの心は次第に揺らいでいく。
しかし、カイリの持つ特別なフェロモンは帝国の覇権を揺るがす甘美な毒。やがて二人は、宮廷を渦巻く巨大な陰謀に巻き込まれていく――。
運命の番(つがい)に抗う不遇のΩと、愛を知らない最強α騎士。
偽りの関係から始まる、甘く切ない身分差ファンタジー・ラブ!
【完結】アイドルは親友への片思いを卒業し、イケメン俳優に溺愛され本当の笑顔になる <TOMARIGIシリーズ>
はなたろう
BL
TOMARIGIシリーズ②
人気アイドル、片倉理久は、同じグループの伊勢に片思いしている。高校生の頃に事務所に入所してからずっと、2人で切磋琢磨し念願のデビュー。苦楽を共にしたが、いつしか友情以上になっていった。
そんな伊勢は、マネージャーの湊とラブラブで、幸せを喜んであげたいが複雑で苦しい毎日。
そんなとき、俳優の桐生が現れる。飄々とした桐生の存在に戸惑いながらも、片倉は次第に彼の魅力に引き寄せられていく。
友情と恋心の狭間で揺れる心――片倉は新しい関係に踏み出せるのか。
人気アイドル<TOMARIGI>シリーズ新章、開幕!
異世界転移した元コンビニ店長は、獣人騎士様に嫁入りする夢は……見ない!
めがねあざらし
BL
過労死→異世界転移→体液ヒーラー⁈
社畜すぎて魂が擦り減っていたコンビニ店長・蓮は、女神の凡ミスで異世界送りに。
もらった能力は“全言語理解”と“回復力”!
……ただし、回復スキルの発動条件は「体液経由」です⁈
キスで癒す? 舐めて治す? そんなの変態じゃん!
出会ったのは、狼耳の超絶無骨な騎士・ロナルドと、豹耳騎士・ルース。
最初は“保護対象”だったのに、気づけば戦場の最前線⁈
攻めも受けも騒がしい異世界で、蓮の安眠と尊厳は守れるのか⁉
--------------------
※現在同時掲載中の「捨てられΩ、癒しの異能で獣人将軍に囲われてます!?」の元ネタです。出しちゃった!
【完結・BL】俺をフッた初恋相手が、転勤して上司になったんだが?【先輩×後輩】
彩華
BL
『俺、そんな目でお前のこと見れない』
高校一年の冬。俺の初恋は、見事に玉砕した。
その後、俺は見事にDTのまま。あっという間に25になり。何の変化もないまま、ごくごくありふれたサラリーマンになった俺。
そんな俺の前に、運命の悪戯か。再び初恋相手は現れて────!?
【完結】社畜の俺が一途な犬系イケメン大学生に告白された話
日向汐
BL
「好きです」
「…手離せよ」
「いやだ、」
じっと見つめてくる眼力に気圧される。
ただでさえ16時間勤務の後なんだ。勘弁してくれ──。
・:* ✧.---------・:* ✧.---------˚✧₊.:・:
純真天然イケメン大学生(21)× 気怠げ社畜お兄さん(26)
閉店間際のスーパーでの出会いから始まる、
一途でほんわか甘いラブストーリー🥐☕️💕
・:* ✧.---------・:* ✧.---------˚✧₊.:・:
📚 **全5話/9月20日(土)完結!** ✨
短期でサクッと読める完結作です♡
ぜひぜひ
ゆるりとお楽しみください☻*
・───────────・
🧸更新のお知らせや、2人の“舞台裏”の小話🫧
❥❥❥ https://x.com/ushio_hinata_2?s=21
・───────────・
応援していただけると励みになります💪( ¨̮ 💪)
なにとぞ、よしなに♡
・───────────・
悪役令息の兄って需要ありますか?
焦げたせんべい
BL
今をときめく悪役による逆転劇、ザマァやらエトセトラ。
その悪役に歳の離れた兄がいても、気が強くなければ豆電球すら光らない。
これは物語の終盤にチラッと出てくる、折衷案を出す兄の話である。
ブラコンすぎて面倒な男を演じていた平凡兄、やめたら押し倒されました
あと
BL
「お兄ちゃん!人肌脱ぎます!」
完璧公爵跡取り息子許嫁攻め×ブラコン兄鈍感受け
可愛い弟と攻めの幸せのために、平凡なのに面倒な男を演じることにした受け。毎日の告白、束縛発言などを繰り広げ、上手くいきそうになったため、やめたら、なんと…?
攻め:ヴィクター・ローレンツ
受け:リアム・グレイソン
弟:リチャード・グレイソン
pixivにも投稿しています。
ひよったら消します。
誤字脱字はサイレント修正します。
また、内容もサイレント修正する時もあります。
定期的にタグも整理します。
批判・中傷コメントはお控えください。
見つけ次第削除いたします。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる