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第二部:絆の証明 - 仲間と守るべきもの
第16話:調和のハミング
しおりを挟む神社の境内を支配していたはずの、濃密な沈黙は消え去っていた。
その代わりに満ちていたのは、音ではない「何か」だった。
「キィィィィン……」
それは耳で聞こえる音ではなかった。頭蓋骨の内側、脳の柔らかな部分に直接、冷たいガラスの針を突き立てられるような、鋭利な感覚の暴力。アルゴ・インダストリーの実働部隊が起動した特殊装置が発する高周波は、ただの物理的な音波ではない。人の意識に直接作用し、恐怖や不安、焦燥といった負の感情だけを強制的に増幅させる、魂へのハッキングだった。
「ぐっ……ぁあ……!」
最初に膝をついたのは、健太だった。彼の自慢の熱血は、増幅された自己への疑念と無力感の前に、あっけなく鎮火させられていく。
「やめろ……頭が、割れる……」
翼が地面にうずくまり、耳を塞ぐが、意味はない。玲子は、どんな相手にも怯まなかったはずのその顔を苦痛に歪め、唇を噛みしめて耐えている。大輝ですら、その冷静な思考を維持できず、PCの画面に映る無意味な文字列をただ睨みつけていた。
そして、雄斗もまた、例外ではなかった。
彼の脳裏に、アルゴ・インダストリーで過ごした日々の光景が、悪夢のようにフラッシュバックする。無機質なオフィス、上司の冷たい声、日に日に色を失っていく窓の外の景色。心の奥底にしまい込んだはずの「灰色の空気」が、この不快なノイズによって無理やり引きずり出され、彼の精神を再び蝕んでいく。
「う、ぁ……!」
雄斗は、激しい頭痛に顔をしかめ、地面に片手をついた。
その地獄のような光景を、ソラだけが、わずかに異なる次元で受け止めていた。
彼女の身体には、あの「針が刺さる感じ」は、まだ届いていない。しかし、彼女の心には、別の形の情報が濁流となって流れ込んでいた。
(痛い、いたい、イタイ……)
それは誰かの声ではない。仲間たちの魂が発する、純粋な「苦痛」という名のデータだった。
健太の焦り、翼の恐怖、玲子の屈辱、大輝の混乱。そして、雄斗の、あのどうしようもなく重たくて冷たい「灰色の空気」。その全てが、フィルタリングされることなく、ソラの感覚世界に流れ込んでくる。
目の前の景色から、色が抜けていく。風の音はくぐもって聞こえ、草花の香りは、まるで腐臭のように感じられた。守られていたはずの、あの心地よかったはずの場所が、今、耐え難い「不快」で満たされている。
(みんなが、痛い。苦しい)
守られてばかりだった。与えられてばかりだった。温かい上着も、美味しい卵焼きも、楽しいという感情も、全部みんながくれたものだった。そのみんなが今、自分のせいで苦しんでいる。アルゴ社の男たちが「共鳴触媒」と呼んだのは、自分のことだ。ならば、この苦しみの原因は、自分なのだろうか。
(私の、せい……?)
その事実に、ソラの胸に、これまで感じたことのない熱い何かが込み上げてきた。それは、罪悪感や責任感といった、まだ名前を知らない感情の原液。論理ではない。ただ純粋な、魂の叫び。
(いやだ)
仲間たちの痛みが、自分の痛みのように感じられた。いや、それ以上に耐えられない。
(みんなが痛いのは、いや)
どうすればいいかは、わからない。でも、ただ、願った。
「みんなの痛いのが、なくなればいいのに」
その瞬間。
ソラの唇から、ふっと息が漏れた。それはハミングとも呼べないような、ただの澄んだ音の粒子。特定のメロディを持たない、ただ純粋な「心地よさ」を求めるかのような、穏やかで、どこまでも透明な音色だった。
不思議なことが、起こる。
ソラの放ったそのか細い音は、境内を満たす不快なノイズと、ふわりと混じり合った。
不協和音を、より大きな力で打ち消すのではない。まるで、濁りきった水の中に、一滴の浄化剤を垂らすように。あるいは、荒れ狂う嵐の真っ只中で、一羽の蝶が舞うように。
ソラの音は、ノイズの波形そのものに寄り添い、そのトゲトゲした形を、より穏やかで、より安定した、美しい波形へと「調和」させていくのだ。
「……あれ?」
最初に顔を上げたのは、健太だった。頭の中をかき乱していた金切り声が、いつの間にか、遠い夏祭りの夜に聞いたような、懐かしい祭囃子の響きに変わっている。
翼が感じていた鋭い痛みは、母親の膝の上で聞いた子守唄のような、穏やかな振動になっていた。玲子や大輝の精神を縛り付けていた圧迫感もまた、静かな教会のパイプオルガンのような、荘厳な響きへと姿を変えていた。
変化は、敵であるはずの実働部隊の兵士たちにも及んでいた。彼らのヘルメットの中の通信機から聞こえるのは、もはや攻撃命令ではない。ただ、どうしようもなく心地よい、故郷の風景を思い起こさせるような、優しい音色。彼らは攻撃の意思を忘れ、その現象の中心で静かに佇む少女を、呆然と見つめていた。
やがて、アルゴ社の特殊装置は、自らが発したノイズが、完全に調和された美しいハーモニーへと変換されたことで、その論理回路に致命的なエラーを起こした。甲高い悲鳴のような音を最後に一つだけ立てて、完全に沈黙した。
完全な静寂が、再び境内を支配する。
ソラは、自分が何をしたのか理解できないまま、ただ、仲間たちの周りから「痛い」が消えたことに安堵し、その場に静かに座り込んだ。
アル-ゴ社の部隊は、理解不能な現象を前に混乱の極みにあった。リーダーはしばらく逡巡した後、撤退を意味するハンドサインを部下たちに送る。彼らは、まるで幽霊でも見るかのような目でソラを一瞥すると、音もなく、森の闇へと溶けていった。
ソラは、自らの内に眠る力の、そのほんの片鱗に触れた。
そして、何よりも強く、仲間を「守る」という意思が、どれほど温かく、どれほど力強いものなのかを、この時、初めて自覚したのであった。
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