30 / 33
処分
しおりを挟む
この島に来てから、ラルフは心穏やかな気持ちでいられた。
殺せと命じられることもないし、殺そうと必死になって向かってくる敵もいない。配給で放り捨てるかのようにパンを与えられることもないし、寒い夜をマントも与えられず過ごさなくてもいい。
そして何より――ラルフを必要としてくれる。
こんな、戦うことしかできないラルフを。強さしか取り柄がないラルフを。
「もう一度言う、ジェイル。立て」
「……」
ラルフは、自分の頭が悪い自覚はある。
だけれど今まで、それで苦労したことはなかった。作戦は上層部が考えてくれるし、ラルフはただ与えられた命令通りに戦場に向かい、与えられた命令通りに敵兵を殺すだけだった。何も考える必要などなく、ただ毎日戦場で戦い続ければ良かっただけなのだ。
ゆえに、今まで考えなかった。
族長なんて言われて調子に乗っていたけれど、実際にラルフが族長として、この東の獅子一族に対して何もしていない。何をすればいいかなんて考えることもなく、毎日をただ過ごしていただけだ。
だから、分からなかった。
こんなにも、ジェイルがラルフに対して不信感を抱いていることも。どうしても族長になりたくてこんな暴挙に出る、その短慮さも。
そして何より――ジェイルがそんなにも、ラルフのことを憎んでいたことを。
「……お前に、勝てと……そう、言うのか」
「そうだ。俺に勝てば、東の獅子一族の族長はお前でいい。俺に勝つということは、つまりこの集落において最も強い人間だ。族長になってもおかしくないだろう」
「……ああ、その通りだな」
ジェイルが立ち上がり、その瞳に黒い炎が宿る。
それは、今ここでラルフを倒すことができれば、族長になれるという希望。そして、ラルフに対しての純粋な憎しみ。
「……」
ラルフにとって、東の獅子一族は初めてできた家族だった。
口うるさい長老、親しげに話しかけてくれる大人、慕ってくれる子供たち。そして――共に暮らしてくれているタリアとジュリ。
そんなラルフにとって、ジェイルもまた家族の一員だった。憎まれ口は叩くけれど、どこか憎めない男。腰抜けと全員に呼ばれながら、それでも笑っているおかしな奴。
だから今、ここでこうして対峙していること――それが、悲しい。
「ほら、全員離れな! 円になって取り囲め! これは、アウリアリア神のもと行われる、正当な決闘だ!」
長老の言葉に、全員が少しずつ離れていく。
ラルフとジェイルの戦いは、神の認めた決闘であるらしい。というか、その神がラルフらしいのだからおかしなものだ。
ジェイルが、ラルフを睨み付けながら構える。いつでも拳を出せるようにと、その両手を握りしめて胸の前へ。
「族長、いつでも始めるがいいよ。あたしらは、族長の判断に従うだけさ。もしも族長が、そこの腰抜けに手心を加えるってあっても、あたしらは何も言わない」
「……」
「もしもお前さんが何かの責任を感じていて、そこの腰抜けに族長を譲るってことになったとしても、あたしらはその判断に従うよ。それは神が決めたことなんだからね」
「……」
念を押すように、長老がラルフに対してそう言う。
これは正当な決闘であり、この決闘による勝敗は神が決めたもの――そういうことだ。
仮にラルフが今、ジェイルに対して族長という立場を譲るとしても、それは神であるラルフが決めたこと。そして、神が決めた以上東の獅子一族は全員従う必要がある。
だが――。
「い、くぞっ……!」
「……」
「俺が、族長だっ!! タリアは俺の……」
覚悟を決めたジェイルが、一歩を踏み出して腕を振り上げる。
ラルフの人知を超えた武を知りながら、しかしここで戦う以外に選択肢がない、と。
そこには、僅かな希望があったのかもしれない。
この場での断罪ではなく、ラルフと戦うという形にした――そこにラルフの迷いがあり、もしかすると族長を譲ってくれるのではないか、と。
しかし、残念ながら。
「ぐ、は……!」
「……」
無言で突き出したラルフの右手――その指先がジェイルの左胸に沈み、そのまま背中まで貫通する。
血を纏わせた手を、ジェイルの背中から生やして。
入ったときと異なるのは、その手――そこに、どくどくと脈打つ心臓が握られていること。
「……」
目を見開いたまま、ずるりとラルフへ向けて倒れてくる。
そしてラルフが右腕を振るうと共に、その指は体から抜けて、命の灯が消えたジェイルの体が大地に倒れ込んだ。
残念ながら。
敵として対峙した相手に対して、手心を加える――そんな発想は、最初からない。
帝国の黒い悪魔は、敵として存在する者全てを殺す災厄であるのだから。
「……」
一瞬で決着のついた戦いに、ジュリは震えていた。
殴りかかろうとしたジェイルの胸を一瞬で貫通し、その心臓を抜き取ったラルフの早業。当然ながらその動きは見えなかった。
ラルフは族長であり、族長は一族の者全てを背負う存在だ。そして、ジェイルもまたラルフにとっては背負うべき一族の者だった。
そんなジェイルを、あっさり殺した。
そこに僅かな迷いも、少しの躊躇いもなく。
「わす、やっちまったべや……」
ジュリは誰にも聞こえない、極めて小さな声で呟く。
こうなってしまった原因の一つは、ジュリの吐いた嘘だ。
ラルフが「妻」という言葉を、世話係であると誤解していた。どういう変換がなされたのかは分からなかったけれど、ずっとそう勘違いしていたらしい。
だからラルフは、ジェイルに告げたのだ。「お前に妻は必要ないだろう」と。妻という言葉を世話係だと思っていたから。
あのとき、ジュリが本当のことを言っていれば、この惨劇は防ぐことができたのかもしれない。
ラルフは失礼なことを言ったと謝罪したかもしれないし、ジェイルはラルフがタリアのことを妻と認識してなかったことを喜んだかもしれない。少なからずトラブルにはなったかもしれないが、こうしてジェイルが死ぬ必要はなかったかもしれない。
「はは……せけぇ……」
同時に、ジュリに襲いかかっているのは、己の危機だ。
もしも今後、ラルフが『エフィゥ』のことを『妻』だと認識するようになった場合、ジュリが嘘を吐いたことが分かるだろう。
そうなれば、ジュリにどんな沙汰が下るか――そんなもの、想像すらしたくない。
ゆえに。
「……わすだけが、ラルフさの、よんめごさなんばええ」
ラルフの『エフィゥ』は、ジュリ。
そう、勘違いしたままでいてもらうためには。
タリアが、邪魔だ――。
殺せと命じられることもないし、殺そうと必死になって向かってくる敵もいない。配給で放り捨てるかのようにパンを与えられることもないし、寒い夜をマントも与えられず過ごさなくてもいい。
そして何より――ラルフを必要としてくれる。
こんな、戦うことしかできないラルフを。強さしか取り柄がないラルフを。
「もう一度言う、ジェイル。立て」
「……」
ラルフは、自分の頭が悪い自覚はある。
だけれど今まで、それで苦労したことはなかった。作戦は上層部が考えてくれるし、ラルフはただ与えられた命令通りに戦場に向かい、与えられた命令通りに敵兵を殺すだけだった。何も考える必要などなく、ただ毎日戦場で戦い続ければ良かっただけなのだ。
ゆえに、今まで考えなかった。
族長なんて言われて調子に乗っていたけれど、実際にラルフが族長として、この東の獅子一族に対して何もしていない。何をすればいいかなんて考えることもなく、毎日をただ過ごしていただけだ。
だから、分からなかった。
こんなにも、ジェイルがラルフに対して不信感を抱いていることも。どうしても族長になりたくてこんな暴挙に出る、その短慮さも。
そして何より――ジェイルがそんなにも、ラルフのことを憎んでいたことを。
「……お前に、勝てと……そう、言うのか」
「そうだ。俺に勝てば、東の獅子一族の族長はお前でいい。俺に勝つということは、つまりこの集落において最も強い人間だ。族長になってもおかしくないだろう」
「……ああ、その通りだな」
ジェイルが立ち上がり、その瞳に黒い炎が宿る。
それは、今ここでラルフを倒すことができれば、族長になれるという希望。そして、ラルフに対しての純粋な憎しみ。
「……」
ラルフにとって、東の獅子一族は初めてできた家族だった。
口うるさい長老、親しげに話しかけてくれる大人、慕ってくれる子供たち。そして――共に暮らしてくれているタリアとジュリ。
そんなラルフにとって、ジェイルもまた家族の一員だった。憎まれ口は叩くけれど、どこか憎めない男。腰抜けと全員に呼ばれながら、それでも笑っているおかしな奴。
だから今、ここでこうして対峙していること――それが、悲しい。
「ほら、全員離れな! 円になって取り囲め! これは、アウリアリア神のもと行われる、正当な決闘だ!」
長老の言葉に、全員が少しずつ離れていく。
ラルフとジェイルの戦いは、神の認めた決闘であるらしい。というか、その神がラルフらしいのだからおかしなものだ。
ジェイルが、ラルフを睨み付けながら構える。いつでも拳を出せるようにと、その両手を握りしめて胸の前へ。
「族長、いつでも始めるがいいよ。あたしらは、族長の判断に従うだけさ。もしも族長が、そこの腰抜けに手心を加えるってあっても、あたしらは何も言わない」
「……」
「もしもお前さんが何かの責任を感じていて、そこの腰抜けに族長を譲るってことになったとしても、あたしらはその判断に従うよ。それは神が決めたことなんだからね」
「……」
念を押すように、長老がラルフに対してそう言う。
これは正当な決闘であり、この決闘による勝敗は神が決めたもの――そういうことだ。
仮にラルフが今、ジェイルに対して族長という立場を譲るとしても、それは神であるラルフが決めたこと。そして、神が決めた以上東の獅子一族は全員従う必要がある。
だが――。
「い、くぞっ……!」
「……」
「俺が、族長だっ!! タリアは俺の……」
覚悟を決めたジェイルが、一歩を踏み出して腕を振り上げる。
ラルフの人知を超えた武を知りながら、しかしここで戦う以外に選択肢がない、と。
そこには、僅かな希望があったのかもしれない。
この場での断罪ではなく、ラルフと戦うという形にした――そこにラルフの迷いがあり、もしかすると族長を譲ってくれるのではないか、と。
しかし、残念ながら。
「ぐ、は……!」
「……」
無言で突き出したラルフの右手――その指先がジェイルの左胸に沈み、そのまま背中まで貫通する。
血を纏わせた手を、ジェイルの背中から生やして。
入ったときと異なるのは、その手――そこに、どくどくと脈打つ心臓が握られていること。
「……」
目を見開いたまま、ずるりとラルフへ向けて倒れてくる。
そしてラルフが右腕を振るうと共に、その指は体から抜けて、命の灯が消えたジェイルの体が大地に倒れ込んだ。
残念ながら。
敵として対峙した相手に対して、手心を加える――そんな発想は、最初からない。
帝国の黒い悪魔は、敵として存在する者全てを殺す災厄であるのだから。
「……」
一瞬で決着のついた戦いに、ジュリは震えていた。
殴りかかろうとしたジェイルの胸を一瞬で貫通し、その心臓を抜き取ったラルフの早業。当然ながらその動きは見えなかった。
ラルフは族長であり、族長は一族の者全てを背負う存在だ。そして、ジェイルもまたラルフにとっては背負うべき一族の者だった。
そんなジェイルを、あっさり殺した。
そこに僅かな迷いも、少しの躊躇いもなく。
「わす、やっちまったべや……」
ジュリは誰にも聞こえない、極めて小さな声で呟く。
こうなってしまった原因の一つは、ジュリの吐いた嘘だ。
ラルフが「妻」という言葉を、世話係であると誤解していた。どういう変換がなされたのかは分からなかったけれど、ずっとそう勘違いしていたらしい。
だからラルフは、ジェイルに告げたのだ。「お前に妻は必要ないだろう」と。妻という言葉を世話係だと思っていたから。
あのとき、ジュリが本当のことを言っていれば、この惨劇は防ぐことができたのかもしれない。
ラルフは失礼なことを言ったと謝罪したかもしれないし、ジェイルはラルフがタリアのことを妻と認識してなかったことを喜んだかもしれない。少なからずトラブルにはなったかもしれないが、こうしてジェイルが死ぬ必要はなかったかもしれない。
「はは……せけぇ……」
同時に、ジュリに襲いかかっているのは、己の危機だ。
もしも今後、ラルフが『エフィゥ』のことを『妻』だと認識するようになった場合、ジュリが嘘を吐いたことが分かるだろう。
そうなれば、ジュリにどんな沙汰が下るか――そんなもの、想像すらしたくない。
ゆえに。
「……わすだけが、ラルフさの、よんめごさなんばええ」
ラルフの『エフィゥ』は、ジュリ。
そう、勘違いしたままでいてもらうためには。
タリアが、邪魔だ――。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
11
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる