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第一章・王都ノスターム
初めての仕事
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裏口の扉の先は薄暗い通路になっていた。ガラの説明によると、ここはサク達のような作業員専用の通路らしい。
「見えるか新入り。ここが闘技場の中だよ」
ルタが顎で道の先を示す。その脇から通路の向こうを覗き込んだサクは、視界に飛び込んできた物に思わず口を押さえた。
「あれが……ドラゴンですか?」
通路の向こうの広場の中心で横たわっている生き物。いや、正確には、もう生き物ではない。ワニのように長く突き出た顔に、大きく捻れたツノ。全身を覆う黒光りする頑丈そうな鱗は、一部が無惨に剥げ落ちて、地面に散らばっている。
「私、あんなの初めて見ました……」
サクの故郷の周りにも、ときおり野生の魔物が姿を現すこともあったが、さすがにドラゴンなんて強力な魔物は見たことがない。その体も、実家で世話をしていた牛より大きい。
「ああいうデカい奴は、魔物狩りの時に根こそぎ狩られちまってるはずだからな。俺も、ここに来るまでドラゴンなんざ見たことなかったよ」
そういってルタが肩をすくめた。こんな魔物まで、王都は管理下に置いているのか。
「あれ?待ってください、今から私達があれを片付けるんですか?」
「だから、さっきからそう言ってんだろうが」
今さら何を言ってるのか、とルタが呆れた声をあげる。
「あんなの、どうやって……」
「それを今から説明するからね。ほら行くよ二人とも」
いつの間にか、ガラが先頭に立って手招きしている。
「あ、今行きます!」
急いで駆け出したサクの後ろで、ルタもため息をつきながら着いてきた。
試合場に足を踏み入れた瞬間、眩しい太陽の光に目を射抜かれた。闘技場には天井がなく、頭上からは太陽の光が容赦なく降り注いでいる。建物の二階ほどの高さから、こちらを見下ろす形で取り囲んでいる客席の上にも、当然の如く屋根はない。急に雨が降ったりしたら、どうするのだろう。
「さあーて、どっから手ぇつけますかねえ」
「ああ、その前に。少し待ってくれるかい」
そういってガラは、ドラゴンの死体に歩み寄ると、目を閉じて両手を組み合わせた。それを見たルタが露骨に顔を顰める。
「あのなあ、ガラさんのこだわりに文句つける気はないけどよ。王宮の近くでは、それやめろって、いっつも言ってんだろ。魔王信仰だと思われたらどうすんだ」
「魔王信仰?」
耳慣れない言葉に首を傾げる。
「そのまんまだよ。人間のくせに魔王を信仰してる奴らのことだ。今の王政に不満を持ってて、魔王が統治してた時代に戻そうとしてるヤバい連中だよ」
「そんな……今の王様にどれだけ不満があったとしても、魔王の方が良いだなんて、いくらなんでもおかしいですよ。だって人間を滅ぼそうとしていたんですよ?」
「俺に言われたって知らねえよ。とにかく、そういう連中もいるってことだ。実際会ったことは無いがな」
そういって、ルタが、ふんと鼻を鳴らした。二人のやり取りを黙祷しつつ聞いていたガラが、苦笑して顔をあげる。
「別に魔王や魔物を信仰しているつもりはないんだがねえ。この大地で命を落とした者は皆、精霊の元に還って、大地を巡る。私は、それは魔物であっても同じだと思っているんだ。だから、人にするのと同じように、彼らにも手を合わせる。ただ、それだけのことだよ」
「そんな理屈、騎士団のやつらに通用するとは思えねえな。王家に反抗してると思われたら、速攻牢屋にぶち込まれてもおかしくねえ。そこまでしてガラさんが魔物なんかのために祈ってやる必要ねえだろ?」
苛立ったようにルタが言う。
しかし、ルタがわざわざ、そうやってガラを心配する素振りを見せるとは、なんだか意外だった。
「もしかして、ルタさんって案外いい人なんですか?」
「あ?案外って何なんだよ。どっからどう見てもいい人だろうが俺は」
「いや、見た目は別に……」
むしろ目つきも口調も態度も悪いし、どこからどう見ても、素行のよろしくない人に見える。
「……お前は大人しそうなツラして、遠慮を知らねえな」
眉を寄せてぼやくルタの後ろで、ガラがおかしそうに笑った。
「おや、さっき会ったばかりだというのに、もう仲良くなったようだね」
「どこがだよ!おい、もういいだろ、さっさと終わらせて帰るぞ。こんなとこに長居したくねえ」
そういってルタが作業着の袖を豪快に捲ると、鍛えられた二の腕が顕になった。
「さて、まずはこいつをどうにかしねえとな」
そういって、ルタがドラゴンの死体を足先で小突く。
「ガラさん、こいつも加工業者に流すのか?」
「ああ、そうだね。騎士団からそっちにも依頼が行っているそうだから、この後引取りに来てくれるはずだよ」
「加工業者?」
首を傾げるサクに、すかさずガラが答えてくれる。
「ドラゴンの鱗や魔獣の毛皮といった素材は、家具や装飾品に加工される。物によっては、高級品として取り引きされているくらいだ。王家にしてみれば、闘技場で倒された魔物をそのまま業者に卸せば、一石二鳥ということだね」
「まったく、金儲けに余念のないこった」
皮肉っぽくルタが笑う。
そういえば、仕事を探して初めて王都にやってきた頃、中心部のあたりで変わった色の毛皮をまとった人を何人か見かけたが、今思えば、あれは魔獣の毛皮だったのか。
「さて、業者に卸すっつうことは、なるべく傷つけないように運び出さねえとな。ガラさん、俺台車借りてくるわ」
そういって、ルタは先ほど入ってきたのとは別の大きな通路に駆けて行った。馬車ごと入れそうな広さがあるので、おそらく試合の時はあそこから魔物を試合場に入れるのだろう。
「じゃあ、待っている間、私達はゴミ拾いでもしておこうか。ああ、作業の時は、ちゃんと手袋をつけるんだよ。怪我しないようにね」
そういって、ガラが皮製のゴミ袋を持って微笑む。周りをよく見れば、観客が投げ入れたと思われるゴミがあちこちに散乱していた。多くは果物の皮や食べ物の包み紙の類だが、中には砕けた瓶の欠片まで混じっている。こんな物を投げて、中で戦っている人に当たったらどうするつもりなのだろう。
ガラと手分けして、試合場の上を片付けていく。陽を遮るものがないため、直射日光に炙られた額から汗が流れ落ちて、石で出来たタイルの隙間に染み込んでいく。
汗を拭おうと顔をあげた時、ちょうどルタが大きめの台車を引いて戻ってきたところだった。
「おい、こいつ引き上げるから手伝ってくれ」
ルタに呼ばれて、サクとガラは作業を中断して彼の元に駆け寄った。横たわるドラゴンの横に台車を固定し、その首に縄を掛けながらルタが言う。
「俺が引き上げるから、下から押してくれ」
頷いて、ガラと二人でドラゴンの足を支えた。そのまま、思い切り力を込めて押しあげる。びっしりと詰まった鱗のせいか、見た目以上に重い。
「あーくそ、尻尾が邪魔くせえな。切るか」
当たり前のように言われた一言に、思わず耳を疑った。
「……切るんですか?」
「おう。価値が下がるとか言って、業者にはあんまいい顔されねえけどな。そもそも運び出せなきゃどうしようもねえ」
軽い調子で言いながら、引き上げかけたドラゴンをおろし、背負ってきた道具箱の中から細身のノコギリのような物を取り出した。淡い青に光る刀身は、おそらく普通の鋼などではないのだろうが、なんという鉱石で出来ているのか、サクには判別できない。
「普通は滅多にないことなんだけど、闘技場だと大型の魔物が扱われるからね。運び出すために、やむなく解体する必要が出てきたりもする」
「そもそも、こっちがバラす必要ないくらい、ぐっちゃぐちゃになってる時もあるけどな」
ルタがしれっと恐ろしいことを言う。どうやって戦えば、こんな魔物をぐっちゃぐちゃに出来ると言うのか。
雑談のついでのような勢いで、ルタがドラゴンの尻尾のつけ根に足をかけ、青いノコギリでガリガリと削り始めた。岩でも削っているような、硬い音が闘技場の中に響く。到底生き物を解体しているとは思えない。
「サクちゃんは、初めてのわりに随分落ち着いているねえ。なかなかショッキングな光景だと思うけど」
見るともなしにルタの作業の様子を見守っていると、ガラにそう言われた。
「あ、ええと……実家が畜産農家で、食肉の加工とか、子供の頃から手伝わされてたんです。だから、この位は別に」
サクの答えに、ルタが短く笑う。
「食肉加工ねえ。確かに似たようなもんかもな。おい、新入り知ってるか?ドラゴンの肉ってのは、この辺じゃ高級食材なんだぞ。牛なんかより脂がのってて美味いんだと。俺は食ったことねえけど」
「え、じゃあこれも食べるんですか?」
思わず目の前に転がっているドラゴンを見つめる。爬虫類じみた見た目といい、金属のような光沢を放つ鱗といい、この状況を抜きにしても、まったく食欲をそそられる要素がない。
しかし、サクの疑問に対して、ガラが即座に手を振って否定する。
「いやいや、さすがにこれは食用にはならないよ。今から運び出したんじゃ鮮度も落ちるし、そもそも衛生的に良くないからねえ」
「食用のやつは、また別に管理してるんだろ?それこそ農家みてえな感じで」
食用ドラゴンの専門農家……緑のまきばに放牧されるドラゴンの群れを想像してしまい、サクはなにやら複雑な気持ちになった。こんな強そうな魔物でも、その扱いは牛や豚と変わらないのか。そういえば、海の向こうの遠い異国では、牛と人を戦わせる娯楽もあるらしい。
「おーし、こんなもんでいいか。もう一回引き上げるぞ」
自分の腕より太い尻尾を軽々持ち上げて台車に放り投げたルタが、再び台車の上に立つ。
切り取ったばかりの部分を乱暴に扱ったせいで、濃紺のつなぎの肩に、べったりと黒っぽい体液が付いてしまっているのだが、ルタの方は気にする様子がない。もしかしなくても、作業着が濃い色に染められているは、このためか。
いろいろと思うところがありつつも、再びガラと二人でドラゴンの体を支えて、傾けた台車の上に、今度こそ引き上げる。そうして縄で死体を固定すると、試合場の端までルタが引いて行った。この後、業者が来て、そのまま持っていくのだろう。
「さて、と。あとはいつも通り、試合場の掃除かな」
辺りを見回すガラに、駆け戻ってきたルタが頷く。
「洗剤かけてモップな。この辺大雑把でいいとこだけは助かるわ」
そういって、ルタは足元に転がっていた鉄製の錆びたバケツを拾いあげると、いきなりサクの方に放り投げた。
「うわ、ちょ、危ないでしょ!投げないでくださいよ!」
飛んできたバケツを、慌てて頭の上でキャッチする。危うく頭にバケツを被ってしまうところだった。
「悪い悪い。さっきの裏口のとこに井戸があるから、それで水汲んできてくれ」
まったく悪いと思っていなさそうな口調で詫びつつ、ルタが犬を追い払うような仕草をする。これで、どこがいい人なのか。
「サクちゃん大丈夫かい?女の子一人じゃ大変だと思うけど……」
それに比べて、ガラのなんと紳士なことだろう。サクは笑って、力こぶを作るふりをして見せた。
「平気です!力仕事は得意なので」
元気よく答えると、バケツを片手に持って、駆け足で裏口に向かった。サクは身長的には小柄な方だが、力だけなら大抵の女の子には負けない自信がある。伊達に十八年も農家の娘をやってきたわけではない。
薄暗い通路を抜けて、闘技場の外に出た。少し辺りを見回すと、なるほど、さっきは気づかなかったが、植え込みに隠れるような場所に小さな井戸がある。
もうすぐ夕刻になるはずだが、日差しはまだまだ厳しい。流れる汗を袖口で拭いながら、井戸の脇にバケツを置く。そして滑車にぶら下がるようにしながら水を汲み上げる間、ふと顔をあげると、植え込みの向こうの小路を小綺麗な格好の男女が通っていくのが見えた。
男性の方は皺一つない真っ白なシャツを、女性の方は空の色をそのまま織り込んだような、鮮やかな青色のドレスを身にまとっている。
サクの地元では見たこともないような見事な装いに、思わず見とれていると、ドレスの女性と一瞬目が合った。不躾だったかとすぐに視線を逸らそうとしたものの、女性が目を背ける方が早く、彼女はそのまま隣を歩く男性の手を取り、足早にその場を去って行ってしまう。
すべて、ほんの僅かな間の出来事だった。けれどサクには分かってしまった。女性の目に宿った軽蔑の色。まるで汚らしい物でも見るかのようなそれは、確かにサクへと向けられていた。
自分の今の姿を見下ろしてみる。昨日支給されたばかりの作業着は、すでに汗と埃に塗れて酷い有様だ。実家にいた頃も似たようなものだった。毎日、土と泥に塗れて牧場を駆け回って。だから、あの女性のような美しいドレスなんて、一度だって着た事がない。母も祖母も友人達も、みんなそうだったし、それを恥ずかしいと思ったこともなかった。それなのに。
掃除屋風情。門番の男に言われた言葉が、また脳裏を過ぎる。
桶に溜まった水の中に写っているのは、いつもの冴えない自分。その姿に、なんだか無性に腹が立った。
「…………っ」
衝動に任せて桶の縁を掴み、勢い良く自分の頭の上でひっくり返す。
目を閉じて息を止める。汲み上げたばかりの井戸水は冷たく澄んで、照りつける日差し火照っていた頭と体を、一気に覚醒させてくれた。
「……はあ」
犬のように、ぷるぷると首を振って髪に溜まった水気を飛ばす。馬鹿みたい。今の自分は仕事をしているんだ、あの女性と比べてなんになる。
力尽くで冷ました頭で、自分の状況に向き直る。闘技場の中で先輩達を待たせているんだ。こんなことで落ち込んでいる場合じゃない。さっさと水を汲み直して戻らなくちゃ。
ふと見上げた空は、嫌になるくらい晴れ渡っていた。
「見えるか新入り。ここが闘技場の中だよ」
ルタが顎で道の先を示す。その脇から通路の向こうを覗き込んだサクは、視界に飛び込んできた物に思わず口を押さえた。
「あれが……ドラゴンですか?」
通路の向こうの広場の中心で横たわっている生き物。いや、正確には、もう生き物ではない。ワニのように長く突き出た顔に、大きく捻れたツノ。全身を覆う黒光りする頑丈そうな鱗は、一部が無惨に剥げ落ちて、地面に散らばっている。
「私、あんなの初めて見ました……」
サクの故郷の周りにも、ときおり野生の魔物が姿を現すこともあったが、さすがにドラゴンなんて強力な魔物は見たことがない。その体も、実家で世話をしていた牛より大きい。
「ああいうデカい奴は、魔物狩りの時に根こそぎ狩られちまってるはずだからな。俺も、ここに来るまでドラゴンなんざ見たことなかったよ」
そういってルタが肩をすくめた。こんな魔物まで、王都は管理下に置いているのか。
「あれ?待ってください、今から私達があれを片付けるんですか?」
「だから、さっきからそう言ってんだろうが」
今さら何を言ってるのか、とルタが呆れた声をあげる。
「あんなの、どうやって……」
「それを今から説明するからね。ほら行くよ二人とも」
いつの間にか、ガラが先頭に立って手招きしている。
「あ、今行きます!」
急いで駆け出したサクの後ろで、ルタもため息をつきながら着いてきた。
試合場に足を踏み入れた瞬間、眩しい太陽の光に目を射抜かれた。闘技場には天井がなく、頭上からは太陽の光が容赦なく降り注いでいる。建物の二階ほどの高さから、こちらを見下ろす形で取り囲んでいる客席の上にも、当然の如く屋根はない。急に雨が降ったりしたら、どうするのだろう。
「さあーて、どっから手ぇつけますかねえ」
「ああ、その前に。少し待ってくれるかい」
そういってガラは、ドラゴンの死体に歩み寄ると、目を閉じて両手を組み合わせた。それを見たルタが露骨に顔を顰める。
「あのなあ、ガラさんのこだわりに文句つける気はないけどよ。王宮の近くでは、それやめろって、いっつも言ってんだろ。魔王信仰だと思われたらどうすんだ」
「魔王信仰?」
耳慣れない言葉に首を傾げる。
「そのまんまだよ。人間のくせに魔王を信仰してる奴らのことだ。今の王政に不満を持ってて、魔王が統治してた時代に戻そうとしてるヤバい連中だよ」
「そんな……今の王様にどれだけ不満があったとしても、魔王の方が良いだなんて、いくらなんでもおかしいですよ。だって人間を滅ぼそうとしていたんですよ?」
「俺に言われたって知らねえよ。とにかく、そういう連中もいるってことだ。実際会ったことは無いがな」
そういって、ルタが、ふんと鼻を鳴らした。二人のやり取りを黙祷しつつ聞いていたガラが、苦笑して顔をあげる。
「別に魔王や魔物を信仰しているつもりはないんだがねえ。この大地で命を落とした者は皆、精霊の元に還って、大地を巡る。私は、それは魔物であっても同じだと思っているんだ。だから、人にするのと同じように、彼らにも手を合わせる。ただ、それだけのことだよ」
「そんな理屈、騎士団のやつらに通用するとは思えねえな。王家に反抗してると思われたら、速攻牢屋にぶち込まれてもおかしくねえ。そこまでしてガラさんが魔物なんかのために祈ってやる必要ねえだろ?」
苛立ったようにルタが言う。
しかし、ルタがわざわざ、そうやってガラを心配する素振りを見せるとは、なんだか意外だった。
「もしかして、ルタさんって案外いい人なんですか?」
「あ?案外って何なんだよ。どっからどう見てもいい人だろうが俺は」
「いや、見た目は別に……」
むしろ目つきも口調も態度も悪いし、どこからどう見ても、素行のよろしくない人に見える。
「……お前は大人しそうなツラして、遠慮を知らねえな」
眉を寄せてぼやくルタの後ろで、ガラがおかしそうに笑った。
「おや、さっき会ったばかりだというのに、もう仲良くなったようだね」
「どこがだよ!おい、もういいだろ、さっさと終わらせて帰るぞ。こんなとこに長居したくねえ」
そういってルタが作業着の袖を豪快に捲ると、鍛えられた二の腕が顕になった。
「さて、まずはこいつをどうにかしねえとな」
そういって、ルタがドラゴンの死体を足先で小突く。
「ガラさん、こいつも加工業者に流すのか?」
「ああ、そうだね。騎士団からそっちにも依頼が行っているそうだから、この後引取りに来てくれるはずだよ」
「加工業者?」
首を傾げるサクに、すかさずガラが答えてくれる。
「ドラゴンの鱗や魔獣の毛皮といった素材は、家具や装飾品に加工される。物によっては、高級品として取り引きされているくらいだ。王家にしてみれば、闘技場で倒された魔物をそのまま業者に卸せば、一石二鳥ということだね」
「まったく、金儲けに余念のないこった」
皮肉っぽくルタが笑う。
そういえば、仕事を探して初めて王都にやってきた頃、中心部のあたりで変わった色の毛皮をまとった人を何人か見かけたが、今思えば、あれは魔獣の毛皮だったのか。
「さて、業者に卸すっつうことは、なるべく傷つけないように運び出さねえとな。ガラさん、俺台車借りてくるわ」
そういって、ルタは先ほど入ってきたのとは別の大きな通路に駆けて行った。馬車ごと入れそうな広さがあるので、おそらく試合の時はあそこから魔物を試合場に入れるのだろう。
「じゃあ、待っている間、私達はゴミ拾いでもしておこうか。ああ、作業の時は、ちゃんと手袋をつけるんだよ。怪我しないようにね」
そういって、ガラが皮製のゴミ袋を持って微笑む。周りをよく見れば、観客が投げ入れたと思われるゴミがあちこちに散乱していた。多くは果物の皮や食べ物の包み紙の類だが、中には砕けた瓶の欠片まで混じっている。こんな物を投げて、中で戦っている人に当たったらどうするつもりなのだろう。
ガラと手分けして、試合場の上を片付けていく。陽を遮るものがないため、直射日光に炙られた額から汗が流れ落ちて、石で出来たタイルの隙間に染み込んでいく。
汗を拭おうと顔をあげた時、ちょうどルタが大きめの台車を引いて戻ってきたところだった。
「おい、こいつ引き上げるから手伝ってくれ」
ルタに呼ばれて、サクとガラは作業を中断して彼の元に駆け寄った。横たわるドラゴンの横に台車を固定し、その首に縄を掛けながらルタが言う。
「俺が引き上げるから、下から押してくれ」
頷いて、ガラと二人でドラゴンの足を支えた。そのまま、思い切り力を込めて押しあげる。びっしりと詰まった鱗のせいか、見た目以上に重い。
「あーくそ、尻尾が邪魔くせえな。切るか」
当たり前のように言われた一言に、思わず耳を疑った。
「……切るんですか?」
「おう。価値が下がるとか言って、業者にはあんまいい顔されねえけどな。そもそも運び出せなきゃどうしようもねえ」
軽い調子で言いながら、引き上げかけたドラゴンをおろし、背負ってきた道具箱の中から細身のノコギリのような物を取り出した。淡い青に光る刀身は、おそらく普通の鋼などではないのだろうが、なんという鉱石で出来ているのか、サクには判別できない。
「普通は滅多にないことなんだけど、闘技場だと大型の魔物が扱われるからね。運び出すために、やむなく解体する必要が出てきたりもする」
「そもそも、こっちがバラす必要ないくらい、ぐっちゃぐちゃになってる時もあるけどな」
ルタがしれっと恐ろしいことを言う。どうやって戦えば、こんな魔物をぐっちゃぐちゃに出来ると言うのか。
雑談のついでのような勢いで、ルタがドラゴンの尻尾のつけ根に足をかけ、青いノコギリでガリガリと削り始めた。岩でも削っているような、硬い音が闘技場の中に響く。到底生き物を解体しているとは思えない。
「サクちゃんは、初めてのわりに随分落ち着いているねえ。なかなかショッキングな光景だと思うけど」
見るともなしにルタの作業の様子を見守っていると、ガラにそう言われた。
「あ、ええと……実家が畜産農家で、食肉の加工とか、子供の頃から手伝わされてたんです。だから、この位は別に」
サクの答えに、ルタが短く笑う。
「食肉加工ねえ。確かに似たようなもんかもな。おい、新入り知ってるか?ドラゴンの肉ってのは、この辺じゃ高級食材なんだぞ。牛なんかより脂がのってて美味いんだと。俺は食ったことねえけど」
「え、じゃあこれも食べるんですか?」
思わず目の前に転がっているドラゴンを見つめる。爬虫類じみた見た目といい、金属のような光沢を放つ鱗といい、この状況を抜きにしても、まったく食欲をそそられる要素がない。
しかし、サクの疑問に対して、ガラが即座に手を振って否定する。
「いやいや、さすがにこれは食用にはならないよ。今から運び出したんじゃ鮮度も落ちるし、そもそも衛生的に良くないからねえ」
「食用のやつは、また別に管理してるんだろ?それこそ農家みてえな感じで」
食用ドラゴンの専門農家……緑のまきばに放牧されるドラゴンの群れを想像してしまい、サクはなにやら複雑な気持ちになった。こんな強そうな魔物でも、その扱いは牛や豚と変わらないのか。そういえば、海の向こうの遠い異国では、牛と人を戦わせる娯楽もあるらしい。
「おーし、こんなもんでいいか。もう一回引き上げるぞ」
自分の腕より太い尻尾を軽々持ち上げて台車に放り投げたルタが、再び台車の上に立つ。
切り取ったばかりの部分を乱暴に扱ったせいで、濃紺のつなぎの肩に、べったりと黒っぽい体液が付いてしまっているのだが、ルタの方は気にする様子がない。もしかしなくても、作業着が濃い色に染められているは、このためか。
いろいろと思うところがありつつも、再びガラと二人でドラゴンの体を支えて、傾けた台車の上に、今度こそ引き上げる。そうして縄で死体を固定すると、試合場の端までルタが引いて行った。この後、業者が来て、そのまま持っていくのだろう。
「さて、と。あとはいつも通り、試合場の掃除かな」
辺りを見回すガラに、駆け戻ってきたルタが頷く。
「洗剤かけてモップな。この辺大雑把でいいとこだけは助かるわ」
そういって、ルタは足元に転がっていた鉄製の錆びたバケツを拾いあげると、いきなりサクの方に放り投げた。
「うわ、ちょ、危ないでしょ!投げないでくださいよ!」
飛んできたバケツを、慌てて頭の上でキャッチする。危うく頭にバケツを被ってしまうところだった。
「悪い悪い。さっきの裏口のとこに井戸があるから、それで水汲んできてくれ」
まったく悪いと思っていなさそうな口調で詫びつつ、ルタが犬を追い払うような仕草をする。これで、どこがいい人なのか。
「サクちゃん大丈夫かい?女の子一人じゃ大変だと思うけど……」
それに比べて、ガラのなんと紳士なことだろう。サクは笑って、力こぶを作るふりをして見せた。
「平気です!力仕事は得意なので」
元気よく答えると、バケツを片手に持って、駆け足で裏口に向かった。サクは身長的には小柄な方だが、力だけなら大抵の女の子には負けない自信がある。伊達に十八年も農家の娘をやってきたわけではない。
薄暗い通路を抜けて、闘技場の外に出た。少し辺りを見回すと、なるほど、さっきは気づかなかったが、植え込みに隠れるような場所に小さな井戸がある。
もうすぐ夕刻になるはずだが、日差しはまだまだ厳しい。流れる汗を袖口で拭いながら、井戸の脇にバケツを置く。そして滑車にぶら下がるようにしながら水を汲み上げる間、ふと顔をあげると、植え込みの向こうの小路を小綺麗な格好の男女が通っていくのが見えた。
男性の方は皺一つない真っ白なシャツを、女性の方は空の色をそのまま織り込んだような、鮮やかな青色のドレスを身にまとっている。
サクの地元では見たこともないような見事な装いに、思わず見とれていると、ドレスの女性と一瞬目が合った。不躾だったかとすぐに視線を逸らそうとしたものの、女性が目を背ける方が早く、彼女はそのまま隣を歩く男性の手を取り、足早にその場を去って行ってしまう。
すべて、ほんの僅かな間の出来事だった。けれどサクには分かってしまった。女性の目に宿った軽蔑の色。まるで汚らしい物でも見るかのようなそれは、確かにサクへと向けられていた。
自分の今の姿を見下ろしてみる。昨日支給されたばかりの作業着は、すでに汗と埃に塗れて酷い有様だ。実家にいた頃も似たようなものだった。毎日、土と泥に塗れて牧場を駆け回って。だから、あの女性のような美しいドレスなんて、一度だって着た事がない。母も祖母も友人達も、みんなそうだったし、それを恥ずかしいと思ったこともなかった。それなのに。
掃除屋風情。門番の男に言われた言葉が、また脳裏を過ぎる。
桶に溜まった水の中に写っているのは、いつもの冴えない自分。その姿に、なんだか無性に腹が立った。
「…………っ」
衝動に任せて桶の縁を掴み、勢い良く自分の頭の上でひっくり返す。
目を閉じて息を止める。汲み上げたばかりの井戸水は冷たく澄んで、照りつける日差し火照っていた頭と体を、一気に覚醒させてくれた。
「……はあ」
犬のように、ぷるぷると首を振って髪に溜まった水気を飛ばす。馬鹿みたい。今の自分は仕事をしているんだ、あの女性と比べてなんになる。
力尽くで冷ました頭で、自分の状況に向き直る。闘技場の中で先輩達を待たせているんだ。こんなことで落ち込んでいる場合じゃない。さっさと水を汲み直して戻らなくちゃ。
ふと見上げた空は、嫌になるくらい晴れ渡っていた。
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すれ違い、逃げ回り、勘違いし続けるナターシャと、
天然すぎて誤解が絶えないシャーリー。
そんな二人が、魔王軍の襲撃、国家危機、王宮騒動を通じて、
少しずつ距離を縮めていく。
魔法で国を守る最強魔術師。
料理で国を救う特級厨師。
――これは、“敵でもライバルでもない二人”が、
ようやく互いを認め、本当の友情を築いていく物語。
すれ違いコメディ×料理魔法×ダブルヒロイン友情譚!
笑って、癒されて、最後は心が温かくなる王宮ラノベ、開幕です。
『異世界庭付き一戸建て』を相続した仲良し兄妹は今までの不幸にサヨナラしてスローライフを満喫できる、はず?
釈 余白(しやく)
ファンタジー
毒親の父が不慮の事故で死亡したことで最後の肉親を失い、残された高校生の小村雷人(こむら らいと)と小学生の真琴(まこと)の兄妹が聞かされたのは、父が家を担保に金を借りていたという絶望の事実だった。慣れ親しんだ自宅から早々の退去が必要となった二人は家の中で金目の物を探す。
その結果見つかったのは、僅かな現金に空の預金通帳といくつかの宝飾品、そして家の権利書と見知らぬ文字で書かれた書類くらいだった。謎の書類には祖父のサインが記されていたが内容は読めず、頼みの綱は挟まれていた弁護士の名刺だけだ。
最後の希望とも言える名刺の電話番号へ連絡した二人は、やってきた弁護士から契約書の内容を聞かされ唖然とする。それは祖父が遺産として残した『異世界トラス』にある土地と建物を孫へ渡すというものだった。もちろん現地へ行かなければ遺産は受け取れないが。兄妹には他に頼れるものがなく、思い切って異世界へと赴き新生活をスタートさせるのだった。
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