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第一章・王都ノスターム
夕暮れを過ぎて
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なみなみと水の注がれたバケツを持って、闘技場の中に戻る。二人はサクを待ちながら、ゴミ拾いの続きをしてくれていたようだ。
「やあっと戻ってきたか。たかが水汲みに、どんだけかかって…………なんでお前、そんなずぶ濡れなんだ?」
「えっと……暑かったので?」
「マジかこいつ」
完全に引かれている。正直、サク自身も戻ってくる途中で若干後悔したが、今さらどうしようもない。これだけの晴天なのだ、動いていればそのうち乾くだろう。
「……まあいいけどよ。んじゃ、さっさと仕上げしようぜ」
ルタはそう言いながら、サクから受け取ったバケツの水をその場にぶちまけた。さらにその上から、瓶に入った洗剤をドバドバと垂れ流す。
「ちょ、かかったんですけど……」
「どうせ濡れてんだからいいだろ、洗濯だ洗濯。ほれ、もう一回水汲み行ってこい」
空になったバケツを目の前に突き出される。この人はサクを何だと思っているのだろう。
「もう!いちいち命令しないでください!」
バケツを引ったくって来た道を戻る。ああもう。会ったばかりの人だし、あまり決めつけることはしないでおこうと思っていたけど、やっぱりダメだ。苦手だ、この人。
そうして、何度かバケツリレーを繰り返しているうちに、土埃やドラゴンの体液や、それから、あまり考えないようにしていたが、明らかにヒトの血痕に見えるものや、そんなもので汚れていた石造りのタイルは、少しずつ元の色を取り戻していった。
なんだかんだ、サクも掃除というもの自体は嫌いではない。汚れていたものが綺麗になっていく過程は、素直に気持ちがいい。
そして、サク達をじりじりと照らしていた太陽が闘技場の壁の向こうに消える頃、ようやく全ての作業が終了した。
加工業者がドラゴンの死体を引き取って行ったのを見届けて、三人で一息つく。
「さて、二人共お疲れ様。特にサクちゃん、初めてなのによくがんばったね」
「はい!ありがとうございます!」
背筋を伸ばして答える。その隣で、ルタが怠そうに肩をゴキゴキと鳴らした。
「はあ……あー疲れた、さっさと帰ろうぜ。腹減ったわ」
「ふふ、そうだね。事務所に戻ってペルさんに報告を済ませたら、みんなで何か食べに行こうか。ご馳走するよ。サクちゃんの歓迎会ってことで」
「いいんですか?」
ガラが目を細めて笑う。
「もちろん。さあ、そうと決まれば早く帰ろうか」
「やあったぜ、さんきゅーガラさん」
先ほどまでのだらけた空気はどこへ行ったのか。ルタが機敏な動作で、さっさと道具を片付け始めた。現金なものだ。
外に出ると、ここに来た時はあんなに青かった空は、すっかり赤みを帯びて、吹く風は随分涼しくなっていた。先輩二人に代わって馬車の手綱を握り、サクは夕暮れに染まりつつある街並みに目を向ける。
木々や山に覆われた故郷と違って、整備された街では、空までもが切り取られたように四角い。
まっすぐな道と、まっすぐな空。今日からこの街が、サクの帰る場所になる。
*
「はい、三人共お疲れ様!今日の分のお仕事は終わりね。もうあがっていいわよ」
事務所に戻ると、ペルが笑顔で迎えてくれた。この人の顔を見ると、なぜだかとても安心する。
「どーも。あ、そうだペルさん。解体用のノコ追加で発注しといてくれ。刃こぼれしちまった」
「ああ、はいはい、了解したわ。鉄より硬いロイン鉱石も、さすがにドラゴンの鱗には勝てないわね」
「まったくだよ。潰れた道具の分、騎士団に追加料金もらわねえと割に合わねえっつうの」
ルタが口の端を歪めて悪態をつく。そんなルタを宥めるように、ガラが笑った。
「まあまあ、なんにせよ無事に終わったんだから、いいじゃないか。そうだ、これからサクちゃんの歓迎会をする予定なんですが、ペルさんもご一緒にどうですか」
ガラの誘いに、ペルが嬉しそうに微笑んだ。
「あら、それは素敵なお誘いね。だけど、私はまだ仕事があるから、今日のところは遠慮しておきます。それより、アギとセイを誘ってあげるといいわ。あの二人も少し前に仕事を終えたところだから」
ペルの返答に、なぜかルタが、腕組みをしたまま肩をすくめてみせた。
「仕事が終わったからって、あいつらが大人しくしてるとは思えねえな。アギのやつは暇さえあれば、ふらふら出歩いて変な骨董品買い漁ってやがるし、セイはどうせ女のところだろ?」
「えっと……アギさんとセイさんって、どんな方なんですか?」
会話の流れから察するに、まだ会えていない同僚達なのだとは思うが、今のルタの台詞には不穏なものしか感じなかった。
「ああ、サクちゃんにはまだ紹介していなかったわね。その二人もあなたの先輩よ。近いうちに彼らとも一緒に仕事をしてもらうことになると思うから、よろしくね」
「あ、はい……」
果たして上手くやっていけるのだろうか。正直あまり自信がない。
「それじゃあ、ルタ。一応アギ達にも声を掛けておいてくれるかな。一度着替えてから、いつもの店で待ち合わせよう」
「はいよ。期待はすんなよ」
ボリボリと頭を掻きながら、ルタがもう片方の手をあげた。
「んじゃ、おつかれーっす」
それだけ言い残すと、さっさと事務所を出ていってしまった。とはいえ、彼も同じ寮に住んでいるはずなので、帰る場所はサクと同じである。
「あの、ガラさん。いつものお店って……」
「ペルさんの昔馴染みがやっているお店でね。私達の行きつけの店なんだよ。場所はルタも知っているから、連れて行ってもらうといい」
「……えと、ガラさんは?」
ガラも寮に住んでいるのではないのだろうか。それなら三人で一緒に行けばいいのに。
しかし、サクの期待も虚しく、ガラの返答はあっさりしたものだった。
「ああ、私は別の所に家を借りているから。サクちゃんは、ルタと二人は嫌かな」
「え、あ。いえ、その」
どう返事したものかと口ごもってしまう。しかし、これでは正直に答えたのと差程かわらない。
慌てるサクを見て、ガラが目を細めて笑った。
「ふふ、いいよ誤魔化さなくて。ルタはねえ、良くも悪くも正直すぎると言うか、言葉を飾るということを知らないから」
「それは……今日一日見ていて、なんとなく分かりました」
新入りのサクに対しても、宮仕えの騎士団に対しても、同じように不遜で尊大で。良く言えば平等、悪く言えば考えなしの印象を受けた。
「そんな調子だから、しょっちゅう人とぶつかるし、私もつい心配で口うるさくしてしまうんだけどね」
そういって微笑むガラは、なんだかルタの父親のようだ。
「私はね、君達は案外なかよくやれると思っているんだよ」
「……そう、でしょうか」
「そうだよ。経験からくる勘ってやつだ」
悪戯っぽく言うガラは、なんだか子供っぽくもあって。サクは少し意外な先輩の姿を見た気がしたのだった。
その後サクは、ペルとガラの二人に挨拶をして寮の自室に戻った。
部屋の隅に積み上げた箱の中から、詰めこんだままのタオルを取り出して、汗ばんだ体を拭いてから私服に着替える。最低限の荷物しか持ってこなかったけれど、お給料が入ったら、小さいタンスくらいは買うべきかもしれない。
麻のシャツに水色のパンツというシンプルな服装に着替えて外に出る。少々適当すぎたかと思ったが、部屋の外には、似たような格好をしたルタが、腕組みをして壁にもたれながら待っていた。
「よお。まさか隣同士とはな」
「……まじですか」
「嫌そうな顔すんじゃねえよ、可愛くねえな」
余計なお世話だ。
「えっと、アギさんとセイさんは」
「予想通り、どっちも留守だった。まあ、嫌でもそのうち会えんだろ」
「そうですね……」
早く会ってみたいような、会いたくないような。複雑な気持ちだ。
「それより、さっさと行こうぜ。ガラさんが待ってる」
そういうと、ルタはこちらを見もせずに外階段を降りていってしまう。
「あっ、ちょっと!私場所知らないんですから、置いていかないでください!」
慌てて後を着いて行くが、身長差のせいで、どうしてもこちらが小走りになってしまう。別にルタの背が特別高いわけではない。サクが平均より小さいせいだ。
「もう!」
意地になって階段を駆け下りると、ルタに無理矢理歩幅を合わせた。そうして、二人並んで街に繰り出す。
いつの間にか、空には夜の兆しが現れ始めていた。
夕暮れを過ぎても、王都の街並みは光に包まれている。立ち並ぶ店の入り口には灯りが点され、大通りには街灯が並んでいるからだ。街灯の一番上に埋め込まれている、炎をそのまま閉じ込めたような、揺らめく光を放つ石は、烈焼石だろうか。だとしたら、それなりの高級品のはずだが、それを惜しげもなく使っている点からも、この街の豊かさが窺える。
「きょろきょろしてコケんなよ」
「そこまで鈍臭くありませんから!」
言い返した直後、石畳の隙間に足をとられて転びそうになった。
「ばーか、だから言っただろうが」
「ば、ばかって言う方が、ばかなんですよっ!」
「ガキかよ」
そういって笑うルタの表情の方が、ずっと子供っぽい。そう思ったが、口には出さなかった。
二人の間に、わずかな沈黙が流れる。
「なあ。お前さあ、なんでこの仕事やろうと思ったんだ?正直、わざわざ選ぶにしては、いろいろ厄介な仕事だと思うけどな」
沈黙を破って、こちらを見ないままにルタが訊いた。
「聞いたらたぶん、怒りますよ」
「怒られるような理由なのかよ」
今度は呆れたように、ちらりと視線を向けられた。通りには多くの人が行き交っているが、誰も二人のやり取りには気を止めない。
「どうしても、この仕事じゃないといけなかったわけじゃないです……私が住んでいたのは、ここからずっと東の、山の中で。なんにもないところなんです。木と土と草ばっかりで。だから、もっと、いろんな景色を見たいって思って、それで王都に来たかったんです。それだけ」
「王都で働きたいだけなら、それこそ別に、うちじゃなくても良かったんじゃねーの」
ルタの問いから目を逸らすように、足元に視線を落とした。
「……王都って、端っこの方でも家賃高いじゃないですか。それで、住みこみで働けるところを探したら、ここしかなくて」
そんないい加減な理由で決めたのか、と怒られるに違いない。そう思って身構えたが、なぜかルタは少し笑っただけだった。
「なるほどな。まあわかるわ、俺も似たようなもんだったからな」
「……それは、どういう」
「ルタ?ルタじゃない?!やだ、ちょうど探してたのよ、すごい偶然!」
ことですか。と聞こうとした声は、突如後ろから駆け寄ってきた声にかき消された。
サクが、ぎょっとして振り向くと当時に、勢いよく走ってきた人影が、ルタの背中に思い切り体当たりする。
「いっ、てえ!何しやがるんだ、このくそ女!」
「あはは、ごめんごめん!久しぶりに会えたからテンションあがっちゃった」
怒鳴るルタに対して、けらけらと笑ってみせるのは、長く綺麗な髪をした女の人だった。素の背丈はおそらくルタと同じくらいだろうが、踵の高いブーツを履いているので、彼よりほんの少し目線が高い。
サクが呆然と見つめていると、ようやくこちらに気づいた女性が、ハッと口元を覆った。
「やだ、ごめんなさい、気がつかなくて。まさかルタが女の子を連れてるなんて……えっ、まさかとは思うけど、もしかして彼女?」
「それだけは絶っ対ありえないです!」
全力で否定したサクの横で、ルタが顔を引き攣らせる。
「お前ら……」
「私はルタさんの職場の新人です。絶対、断じて、間違いなく、彼女とかではありません」
サクの勢いに、女性が吹きだした。
「ふっ、ふふ……そうよね、ごめんね。ルタなんて態度が悪すぎて、あたし以外友達すらいないのに彼女とかないよね」
「おい、ナナ!てめえ勝手なことばっか言ってんじゃねえぞ!」
声を荒らげるルタを無視して、ナナと呼ばれた女性がこちらに向き直った。
「ね、あたしナナっていうの。ルタの友達だよ。あなたの名前を訊いてもいい?」
「サクです」
「サク!可愛い名前ね!ね、あなた達これからどこか行くの?」
「"ポルカ"だよ。ガラさんと待ち合わせしてる」
サクに代わって、無愛想にルタが答えた。途端にナナが顔を輝かせる。
「え、嘘。ガラさんもいるの?会いたい!ねえ、私も一緒に行っていい?」
「あ?ダメに決まってんだろ、来んな」
しっしっ、と手で追い払うような仕草をするルタに、ナナが唇を尖らせて反駁する。
「なんでよ。別にたかろうなんて思ってないわよ」
「そういう問題じゃねえ」
「あの、ガラさんに聞いてみればいいんじゃないですか?」
言い争いになりそうな気配を察して、二人の間に割って入った。ルタが渋い表情でこちらに視線を向ける。
「ガラさんに聞いたら絶対に断られないだろうが」
「だったら別にいいじゃない!ほら行きましょ!」
ナナはそういうと、片方ずつの手でルタとサクの腕をとって、意気揚々と夜の街を歩き出した。
「あっ、おいこら離せよ!」
抵抗するルタを引きずりながら、ナナは大通りを抜けて、裏路地の方に入っていく。
なんてパワーのある人なんだろう。出会った瞬間から圧倒されっぱなしだ。なによりルタが完全に振り回されているのも、ちょっとおもしろい。
ナナの先導で辿り着いたのは、通りから外れた場所にポツンと佇む、小さな店だった。入り口の立て看板には、可愛らしい手書きの文字で"ポルカ"と書かれている。
中に入ると、向かって右手にカウンター席が三つ、反対側に四人掛けのテーブル席が二つあり、その奥側でガラが待っていた。ガラはナナがいることに少し驚いた素振りを見せたものの、ルタの言った通り、あっさり受け入れて、そのまま四人で食事をする事になった。
ペルの昔馴染みだという店主は、彼女と同じ年頃の男性で、食事処の主というよりは、大工や鍛冶師といった方がしっくりきそうな、豪快な雰囲気の人だった。名前はヤムというらしい。
ヤムの作る料理は、どれも素朴で優しい味をしていた。とにかく今日は、いろいろなことを覚えるのに夢中で、すっかり忘れていたけれど、かなりお腹が減っていたことに今更ながら気がついた。
今日という一日は、まるで嵐のようで。新しい街に、新しい仕事、そして新しい出会い。単調な田舎暮らしの十八年よりも、遥かに目紛しく過ぎていった。
だけど目を回してなんていられない。
王都での暮らしは、まだ始まったばかりなのだから。
「やあっと戻ってきたか。たかが水汲みに、どんだけかかって…………なんでお前、そんなずぶ濡れなんだ?」
「えっと……暑かったので?」
「マジかこいつ」
完全に引かれている。正直、サク自身も戻ってくる途中で若干後悔したが、今さらどうしようもない。これだけの晴天なのだ、動いていればそのうち乾くだろう。
「……まあいいけどよ。んじゃ、さっさと仕上げしようぜ」
ルタはそう言いながら、サクから受け取ったバケツの水をその場にぶちまけた。さらにその上から、瓶に入った洗剤をドバドバと垂れ流す。
「ちょ、かかったんですけど……」
「どうせ濡れてんだからいいだろ、洗濯だ洗濯。ほれ、もう一回水汲み行ってこい」
空になったバケツを目の前に突き出される。この人はサクを何だと思っているのだろう。
「もう!いちいち命令しないでください!」
バケツを引ったくって来た道を戻る。ああもう。会ったばかりの人だし、あまり決めつけることはしないでおこうと思っていたけど、やっぱりダメだ。苦手だ、この人。
そうして、何度かバケツリレーを繰り返しているうちに、土埃やドラゴンの体液や、それから、あまり考えないようにしていたが、明らかにヒトの血痕に見えるものや、そんなもので汚れていた石造りのタイルは、少しずつ元の色を取り戻していった。
なんだかんだ、サクも掃除というもの自体は嫌いではない。汚れていたものが綺麗になっていく過程は、素直に気持ちがいい。
そして、サク達をじりじりと照らしていた太陽が闘技場の壁の向こうに消える頃、ようやく全ての作業が終了した。
加工業者がドラゴンの死体を引き取って行ったのを見届けて、三人で一息つく。
「さて、二人共お疲れ様。特にサクちゃん、初めてなのによくがんばったね」
「はい!ありがとうございます!」
背筋を伸ばして答える。その隣で、ルタが怠そうに肩をゴキゴキと鳴らした。
「はあ……あー疲れた、さっさと帰ろうぜ。腹減ったわ」
「ふふ、そうだね。事務所に戻ってペルさんに報告を済ませたら、みんなで何か食べに行こうか。ご馳走するよ。サクちゃんの歓迎会ってことで」
「いいんですか?」
ガラが目を細めて笑う。
「もちろん。さあ、そうと決まれば早く帰ろうか」
「やあったぜ、さんきゅーガラさん」
先ほどまでのだらけた空気はどこへ行ったのか。ルタが機敏な動作で、さっさと道具を片付け始めた。現金なものだ。
外に出ると、ここに来た時はあんなに青かった空は、すっかり赤みを帯びて、吹く風は随分涼しくなっていた。先輩二人に代わって馬車の手綱を握り、サクは夕暮れに染まりつつある街並みに目を向ける。
木々や山に覆われた故郷と違って、整備された街では、空までもが切り取られたように四角い。
まっすぐな道と、まっすぐな空。今日からこの街が、サクの帰る場所になる。
*
「はい、三人共お疲れ様!今日の分のお仕事は終わりね。もうあがっていいわよ」
事務所に戻ると、ペルが笑顔で迎えてくれた。この人の顔を見ると、なぜだかとても安心する。
「どーも。あ、そうだペルさん。解体用のノコ追加で発注しといてくれ。刃こぼれしちまった」
「ああ、はいはい、了解したわ。鉄より硬いロイン鉱石も、さすがにドラゴンの鱗には勝てないわね」
「まったくだよ。潰れた道具の分、騎士団に追加料金もらわねえと割に合わねえっつうの」
ルタが口の端を歪めて悪態をつく。そんなルタを宥めるように、ガラが笑った。
「まあまあ、なんにせよ無事に終わったんだから、いいじゃないか。そうだ、これからサクちゃんの歓迎会をする予定なんですが、ペルさんもご一緒にどうですか」
ガラの誘いに、ペルが嬉しそうに微笑んだ。
「あら、それは素敵なお誘いね。だけど、私はまだ仕事があるから、今日のところは遠慮しておきます。それより、アギとセイを誘ってあげるといいわ。あの二人も少し前に仕事を終えたところだから」
ペルの返答に、なぜかルタが、腕組みをしたまま肩をすくめてみせた。
「仕事が終わったからって、あいつらが大人しくしてるとは思えねえな。アギのやつは暇さえあれば、ふらふら出歩いて変な骨董品買い漁ってやがるし、セイはどうせ女のところだろ?」
「えっと……アギさんとセイさんって、どんな方なんですか?」
会話の流れから察するに、まだ会えていない同僚達なのだとは思うが、今のルタの台詞には不穏なものしか感じなかった。
「ああ、サクちゃんにはまだ紹介していなかったわね。その二人もあなたの先輩よ。近いうちに彼らとも一緒に仕事をしてもらうことになると思うから、よろしくね」
「あ、はい……」
果たして上手くやっていけるのだろうか。正直あまり自信がない。
「それじゃあ、ルタ。一応アギ達にも声を掛けておいてくれるかな。一度着替えてから、いつもの店で待ち合わせよう」
「はいよ。期待はすんなよ」
ボリボリと頭を掻きながら、ルタがもう片方の手をあげた。
「んじゃ、おつかれーっす」
それだけ言い残すと、さっさと事務所を出ていってしまった。とはいえ、彼も同じ寮に住んでいるはずなので、帰る場所はサクと同じである。
「あの、ガラさん。いつものお店って……」
「ペルさんの昔馴染みがやっているお店でね。私達の行きつけの店なんだよ。場所はルタも知っているから、連れて行ってもらうといい」
「……えと、ガラさんは?」
ガラも寮に住んでいるのではないのだろうか。それなら三人で一緒に行けばいいのに。
しかし、サクの期待も虚しく、ガラの返答はあっさりしたものだった。
「ああ、私は別の所に家を借りているから。サクちゃんは、ルタと二人は嫌かな」
「え、あ。いえ、その」
どう返事したものかと口ごもってしまう。しかし、これでは正直に答えたのと差程かわらない。
慌てるサクを見て、ガラが目を細めて笑った。
「ふふ、いいよ誤魔化さなくて。ルタはねえ、良くも悪くも正直すぎると言うか、言葉を飾るということを知らないから」
「それは……今日一日見ていて、なんとなく分かりました」
新入りのサクに対しても、宮仕えの騎士団に対しても、同じように不遜で尊大で。良く言えば平等、悪く言えば考えなしの印象を受けた。
「そんな調子だから、しょっちゅう人とぶつかるし、私もつい心配で口うるさくしてしまうんだけどね」
そういって微笑むガラは、なんだかルタの父親のようだ。
「私はね、君達は案外なかよくやれると思っているんだよ」
「……そう、でしょうか」
「そうだよ。経験からくる勘ってやつだ」
悪戯っぽく言うガラは、なんだか子供っぽくもあって。サクは少し意外な先輩の姿を見た気がしたのだった。
その後サクは、ペルとガラの二人に挨拶をして寮の自室に戻った。
部屋の隅に積み上げた箱の中から、詰めこんだままのタオルを取り出して、汗ばんだ体を拭いてから私服に着替える。最低限の荷物しか持ってこなかったけれど、お給料が入ったら、小さいタンスくらいは買うべきかもしれない。
麻のシャツに水色のパンツというシンプルな服装に着替えて外に出る。少々適当すぎたかと思ったが、部屋の外には、似たような格好をしたルタが、腕組みをして壁にもたれながら待っていた。
「よお。まさか隣同士とはな」
「……まじですか」
「嫌そうな顔すんじゃねえよ、可愛くねえな」
余計なお世話だ。
「えっと、アギさんとセイさんは」
「予想通り、どっちも留守だった。まあ、嫌でもそのうち会えんだろ」
「そうですね……」
早く会ってみたいような、会いたくないような。複雑な気持ちだ。
「それより、さっさと行こうぜ。ガラさんが待ってる」
そういうと、ルタはこちらを見もせずに外階段を降りていってしまう。
「あっ、ちょっと!私場所知らないんですから、置いていかないでください!」
慌てて後を着いて行くが、身長差のせいで、どうしてもこちらが小走りになってしまう。別にルタの背が特別高いわけではない。サクが平均より小さいせいだ。
「もう!」
意地になって階段を駆け下りると、ルタに無理矢理歩幅を合わせた。そうして、二人並んで街に繰り出す。
いつの間にか、空には夜の兆しが現れ始めていた。
夕暮れを過ぎても、王都の街並みは光に包まれている。立ち並ぶ店の入り口には灯りが点され、大通りには街灯が並んでいるからだ。街灯の一番上に埋め込まれている、炎をそのまま閉じ込めたような、揺らめく光を放つ石は、烈焼石だろうか。だとしたら、それなりの高級品のはずだが、それを惜しげもなく使っている点からも、この街の豊かさが窺える。
「きょろきょろしてコケんなよ」
「そこまで鈍臭くありませんから!」
言い返した直後、石畳の隙間に足をとられて転びそうになった。
「ばーか、だから言っただろうが」
「ば、ばかって言う方が、ばかなんですよっ!」
「ガキかよ」
そういって笑うルタの表情の方が、ずっと子供っぽい。そう思ったが、口には出さなかった。
二人の間に、わずかな沈黙が流れる。
「なあ。お前さあ、なんでこの仕事やろうと思ったんだ?正直、わざわざ選ぶにしては、いろいろ厄介な仕事だと思うけどな」
沈黙を破って、こちらを見ないままにルタが訊いた。
「聞いたらたぶん、怒りますよ」
「怒られるような理由なのかよ」
今度は呆れたように、ちらりと視線を向けられた。通りには多くの人が行き交っているが、誰も二人のやり取りには気を止めない。
「どうしても、この仕事じゃないといけなかったわけじゃないです……私が住んでいたのは、ここからずっと東の、山の中で。なんにもないところなんです。木と土と草ばっかりで。だから、もっと、いろんな景色を見たいって思って、それで王都に来たかったんです。それだけ」
「王都で働きたいだけなら、それこそ別に、うちじゃなくても良かったんじゃねーの」
ルタの問いから目を逸らすように、足元に視線を落とした。
「……王都って、端っこの方でも家賃高いじゃないですか。それで、住みこみで働けるところを探したら、ここしかなくて」
そんないい加減な理由で決めたのか、と怒られるに違いない。そう思って身構えたが、なぜかルタは少し笑っただけだった。
「なるほどな。まあわかるわ、俺も似たようなもんだったからな」
「……それは、どういう」
「ルタ?ルタじゃない?!やだ、ちょうど探してたのよ、すごい偶然!」
ことですか。と聞こうとした声は、突如後ろから駆け寄ってきた声にかき消された。
サクが、ぎょっとして振り向くと当時に、勢いよく走ってきた人影が、ルタの背中に思い切り体当たりする。
「いっ、てえ!何しやがるんだ、このくそ女!」
「あはは、ごめんごめん!久しぶりに会えたからテンションあがっちゃった」
怒鳴るルタに対して、けらけらと笑ってみせるのは、長く綺麗な髪をした女の人だった。素の背丈はおそらくルタと同じくらいだろうが、踵の高いブーツを履いているので、彼よりほんの少し目線が高い。
サクが呆然と見つめていると、ようやくこちらに気づいた女性が、ハッと口元を覆った。
「やだ、ごめんなさい、気がつかなくて。まさかルタが女の子を連れてるなんて……えっ、まさかとは思うけど、もしかして彼女?」
「それだけは絶っ対ありえないです!」
全力で否定したサクの横で、ルタが顔を引き攣らせる。
「お前ら……」
「私はルタさんの職場の新人です。絶対、断じて、間違いなく、彼女とかではありません」
サクの勢いに、女性が吹きだした。
「ふっ、ふふ……そうよね、ごめんね。ルタなんて態度が悪すぎて、あたし以外友達すらいないのに彼女とかないよね」
「おい、ナナ!てめえ勝手なことばっか言ってんじゃねえぞ!」
声を荒らげるルタを無視して、ナナと呼ばれた女性がこちらに向き直った。
「ね、あたしナナっていうの。ルタの友達だよ。あなたの名前を訊いてもいい?」
「サクです」
「サク!可愛い名前ね!ね、あなた達これからどこか行くの?」
「"ポルカ"だよ。ガラさんと待ち合わせしてる」
サクに代わって、無愛想にルタが答えた。途端にナナが顔を輝かせる。
「え、嘘。ガラさんもいるの?会いたい!ねえ、私も一緒に行っていい?」
「あ?ダメに決まってんだろ、来んな」
しっしっ、と手で追い払うような仕草をするルタに、ナナが唇を尖らせて反駁する。
「なんでよ。別にたかろうなんて思ってないわよ」
「そういう問題じゃねえ」
「あの、ガラさんに聞いてみればいいんじゃないですか?」
言い争いになりそうな気配を察して、二人の間に割って入った。ルタが渋い表情でこちらに視線を向ける。
「ガラさんに聞いたら絶対に断られないだろうが」
「だったら別にいいじゃない!ほら行きましょ!」
ナナはそういうと、片方ずつの手でルタとサクの腕をとって、意気揚々と夜の街を歩き出した。
「あっ、おいこら離せよ!」
抵抗するルタを引きずりながら、ナナは大通りを抜けて、裏路地の方に入っていく。
なんてパワーのある人なんだろう。出会った瞬間から圧倒されっぱなしだ。なによりルタが完全に振り回されているのも、ちょっとおもしろい。
ナナの先導で辿り着いたのは、通りから外れた場所にポツンと佇む、小さな店だった。入り口の立て看板には、可愛らしい手書きの文字で"ポルカ"と書かれている。
中に入ると、向かって右手にカウンター席が三つ、反対側に四人掛けのテーブル席が二つあり、その奥側でガラが待っていた。ガラはナナがいることに少し驚いた素振りを見せたものの、ルタの言った通り、あっさり受け入れて、そのまま四人で食事をする事になった。
ペルの昔馴染みだという店主は、彼女と同じ年頃の男性で、食事処の主というよりは、大工や鍛冶師といった方がしっくりきそうな、豪快な雰囲気の人だった。名前はヤムというらしい。
ヤムの作る料理は、どれも素朴で優しい味をしていた。とにかく今日は、いろいろなことを覚えるのに夢中で、すっかり忘れていたけれど、かなりお腹が減っていたことに今更ながら気がついた。
今日という一日は、まるで嵐のようで。新しい街に、新しい仕事、そして新しい出会い。単調な田舎暮らしの十八年よりも、遥かに目紛しく過ぎていった。
だけど目を回してなんていられない。
王都での暮らしは、まだ始まったばかりなのだから。
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これは、ひとりの少女が世界と己を知りながら成長していく物語。
※週2回(木・日)更新。
※誤字脱字報告に関しては感想とは異なる為、修正が済み次第削除致します。ご容赦ください。
※カクヨム様にて先行公開(登場人物紹介はアルファポリス様でのみ掲載)
※表紙画像、その他キャラクターのイメージ画像はAIイラストアプリで作成したものです。再現不足で色彩の一部が作中描写とは異なります。
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