異世界特殊清掃員

村井 彰

文字の大きさ
上 下
6 / 16
第二章・赤い夢

セイとアギ

しおりを挟む
 王都で暮らし始めて四日目の朝。
 昨日は一日休みを貰っていたので、今からがサクにとって二度目の出勤となる。と言っても、部屋の片付けや必要な物の買い出しに追われていたせいで、あまり休み明けという感覚はない。
 住み慣れた。とは、まだまだ言い難い部屋の中を見回した。ベッドと食卓と小さな台所と。必要最低限の家具だけが、こじんまりと並んでいる。トイレは共同、風呂はないものの、アパートからそう遠くない場所に大きな風呂屋があるので、そう不便も感じない。濃い仕事の後に風呂屋に行くと嫌がられる、とルタがこぼしていたが、その言葉の意味は、まだあまり考えないようにしていた。
 姿見に自分を映して、軽く身だしなみを確認する。とはいえ、既に作業着に着替えているので、あまり服装の乱れようもないのだが。
「……よし」
 短く整えた髪を手櫛で直して部屋を出る。前回は昼からの勤務だったが、今回はまだ早い時間だ。二階の角部屋から隣にあるルタの部屋の前を通って、下に降りる。
「おはようございます!」
「えっ?!」
 その途中、いきなり階段下の死角から元気よく挨拶されて、サクは足を踏み外しそうになった。暴れる心臓を押さえつつ、恐る恐る下を覗き込むと、サクと同じ作業着を着た若い男の人が、にこにこと手を振っている。
「やだなあ、そんなに驚くことないじゃない。ねえ、キミが噂の新人ちゃんでしょ?」
「え、あの」
「ごめんねえ、僕あんまり部屋にいないから、今まで挨拶できなくて」
 戸惑うサクを気にする様子もなく、男の人はリズミカルに階段を登ってきて、サクの二段下で立ち止まった。
「はじめまして、僕はアギです。よろしくね」
 細い目をさらに細めて、アギが右手を差し出してきた。反射的にその手をとって、挨拶を返す。
「あ、えっと、新人のサクです。よろしくお願いします」
「ふふふ。サクちゃん、今日がはじめましてだけど、噂は聞いてるよ。この前はガラさんのとこと一緒に仕事したんでしょ?どうだった?ルタにいじめられなかった?あいつあほだから誰にでもケンカ売るんだよね。やばいでしょ」
 怒涛のように捲し立てたかと思うと、今度は一人で笑いだした。なんというか、思っていたのとずいぶん印象が違う。骨董品を集めるのが趣味などと聞いていたから、てっきりもっと老成した雰囲気の人なのかと思っていたのに。
「と、喋ってたら遅刻しちゃうね。歩きながら話そ。ウチの相方もそのうち来ると思うから」
 そういう間にも階段を駆け下りて、早く早くと手招きなどしている。なんだか、ルタとは違う意味で自由な人だ。
 事務所に向かうまでの間も、そこの路地裏には猫の親子が住んでいるだとか、ペルさんの私服が意外と少女趣味で可愛いだとか、細かいうえにわりとどうでもいいような話が延々とアギの口から飛び出してきた。とりあえず、この人がいれば退屈するということは絶対になさそうだ。
「おはようございまーす!」
 陽気に挨拶しながら、アギが事務所の扉を開く。中では既にペルが待っていた。彼女の住居は事務所の二階にある。
「おはよう。相変わらず元気ね」
「それが取り柄ですからねー」
 ペルの前に歩み寄って、アギがヘラヘラと笑う。
「セイは……また遅刻かしら」
「あーたぶん、直接ここに来ると思いますけど」
「すみません!遅くなりました」
 直後に、バタバタとした足音が響いてきたかと思うと、勢いよく事務所の扉が開かれた。
 アギが言っていた相方の登場かと、後ろを振り向いて、サクは自分の目を疑った。
 というのも、息を切らせながらそこに立っていたその人が、まるでおとぎ話に登場する王子様が、そのまま現実の世界に抜け出してきたかのような、とんでもない美形だったからである。
「ずいぶん慌ただしい登場ね、セイ」
「いやあ、はは……別れの挨拶に時間がかかってしまって」
「はいはい、どうせ女の子のことでしょ?イヤだねえ爛れた大人は。新人の教育に悪いったら」
 アギがわざとらしく舌を出してみせる。なるほど、この人が女好きのセイか。しかし、この見た目ならモテるのも納得だ。
 サクが呆気にとられていると、こちらに気づいたセイが、ぱっと顔を綻ばせた。大輪の花が開いたような。とは、男性に使うべき表現ではない気もするが、とにかくそうとしか形容しようのない華やかな笑顔を浮かべて、セイがこちらに近づいてくる。サクは咄嗟に後ずさろうとしたが、それより早くセイに両手を掴まれた。
「ちょ、ちょっと……」
「君がサクくんだね!ずっと会いたかったんだよ!いやあ、話には聞いていたけれど、本当にこんな可愛らしいレディがうちに来てくれただなんて。何か困ったことはないかい?いくらでもボクを頼ってくれて構わな」
「セクハラ禁止!」
 止める間もなく、アギが手にしたモップの柄でセイの脇腹を思いっきり突いた。踏まれたカエルのような声をあげて、セイがその場に蹲る。
「うっ、ぐ……ひ、ひどいよアギくん……」
「女の子と見れば、すぐ口説くのやめなって、僕いっつも言ってるよね?ていうか年の差考えなよ、事案だよ」
「いや、別に口説いたつもりは……」
「その気がないなら、なお悪いよ?」
 座り込んだままのセイの脇を、さらにアギがモップでつつく。これは、さすがに止めるべきだろうか。
「あなた達、その辺にしなさい。サクちゃんが引いてるわよ」
「はーい、すみませーん」
「す、すみません……」
 ペルがため息をつきながら仲裁に入ると、アギが素早くモップを戻して姿勢を正した。セイも脇腹を擦りながら、のろのろと立ち上がる。どうやら皆ペルには頭があがらないようだ。
「さあさあ、仕事の話に入るわよ。こっちに来て」
 ペルの声に応えて、セイとアギが机の前に並ぶ。サクも二人の間に収まるようにして、机の上に広げられた資料を覗き込んだ。
「今回はどこですか?」
「ここから、そう遠くないわ。西地区の骨董屋……アギなら知ってるでしょ」
「え、もしかしてロンさんのところですか」
「アギさんの知り合いの方ですか?」
 サクの問いに、アギが頷く。
「僕がよく行く店だよ。どこから仕入れてるんだか知らないけど、いわくつきの怪しい物ばっかり並べてる、なかなかやばめの店」
「そのようね。そして今回ついに、当たりを引いてしまった、と」
「と、言いますと」
 ペルが資料をペラリと捲る。
「今回処理して欲しいと依頼されたのは、小型の夢魔。人に悪夢を見せて心を弱らせ、生気を奪う種類の魔物ね」
「あー……もしかして、それにロンさんが?」
 首を傾げるアギを、上目遣いにペルが見上げる。
「そういうこと。昨日の夜、店で倒れているところを奥さんに発見されて、ロンさんは現在治療中。その手元には、先日仕入れたという古い香炉と、その中に小さな夢魔がいたそうだけど、驚いた奥さんが箒で殴ったとかで、夢魔の方はそのまま死んでしまったそうよ」
「箒……」
「夢魔は、悪魔系の中でも精神を蝕む恐ろしい種族だけど、本体はすごく弱いんだよ。香炉に収まるくらい小型のものならなおのこと。軽く踏み潰されただけでも死んでしまうよ」
 肩をすくめながら、セイが説明してくれる。踏まれただけで死ぬなんて、まるでネズミや虫ケラのようだ。
「じゃあ今回は、その気の毒な夢魔の死体を回収するだけでいいんですか?」
「そうね。あとは、パニックになった奥さんが暴れて散らかした店内の片付けも、ついでにやっておいて欲しいと言われているけれど。仕事としては比較的楽な方じゃないかしら」
「そうですか。良かった、またこの前みたいな仕事だったら、どうしようかと思いましたよ」
 セイがホッと胸を撫で下ろす。
「何かあったんですか?」
「二日前に僕らで受けた仕事がね、結構やばかったんだよ。早朝から王都の南の果てまで行かされたと思ったら、そこら一面に、バラッバラのぐっちゃぐちゃになったガルムらしき死体が……」
「うわあ……」
 ガルムと言えば、狼のような姿をした魔物だ。サクの故郷の近くにも生息していて、村ではガルムが寄ってこないように、亡くなった人や家畜は全て火葬にするのが習わしとなっていた。
「仲間同士で喰いあった、とかだったんでしょうか」
「どうかなあ。ガルム達は凶暴そうに見えてだいたい臆病だから、屍肉を漁るばっかりで、生きている動物を襲うことってないんだよね。かといって警備隊の人達の仕事なら、すぐうちに依頼するのがルールだし」
「なんにせよ、できればあんな光景は、もう見たくないけれど」
「仕事は仕事よ。似たような依頼があれば、また行ってもらうことになるわ」
「そうですよね……分かってます」
 セイが肩を落として項垂れる。よほど衝撃的な光景だったらしい。サクにしても、あまり想像はしたくないが。
「まあいいじゃん、とりあえず今回は楽できると思えばさ。ペルさん、もう現場に向かっていいんですか?」
「ええ。先方に話は通っているから、奥さんから鍵を受け取って、現場に入ってちょうだい」
「りょうかいでーす」
 ペルが頷いて答えたのを見て、アギは敬礼のようなポーズをとると、その姿勢のままでサク達に向き直った。
「それじゃ、早速準備して行こっか。近くだから歩いて行くよ」
「そうだね。サクくん、今日一日よろしくね」
 セイもこちらに体を向けて微笑んでくれる。
「はい!よろしくお願いします!」
 サクは元気よく、二人に答えたのだった。
しおりを挟む

処理中です...