異世界特殊清掃員

村井 彰

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第三章・約束

不可解な依頼

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「おはよーっす」
 事務所の扉が開いて、相変わらず怠そうな様子のルタが入ってくる。
「おはようございます、ルタさん」
 椅子の背もたれに掛けられたままの、誰かの上着を畳んでいたサクは、手を止めてルタに挨拶を返した。今日は少し早めに着いたので、目についた場所を軽く片付けていたのだった。事務所には清掃員達が私物を持ち込んだりしているので、必然的に物が増えて、放っておくとどんどん散らかっていく。
「あれ、ルタさん一人ですか?」
 ガラの姿を探して視線を彷徨わせるも、見当たらない。いつもギリギリのルタやセイはともかく、ガラが一番最後なんて珍しい。
「あー、ガラさんは、この前の仕事でぎっくり腰やっちまって当分休みだ。年なんだから無理すんなつったのに」
「えっ、ガラさん大丈夫なんですか?」
「おう。すぐ病院連れてったし、しばらく休んでりゃ良くなるってよ」
「そうですか……」
 ほっと胸を撫で下ろした後で、ふと気がついた。ガラが休みということは、まさか。
「もしかして、今日は私とルタさん二人でやるんですか」
「そうだな。まあ、お前ももう一ヶ月以上働いてんだから、そろそろ一人分として扱っても問題ないだろってことだ。足引っ張んなよ」
 そういって、片手をひらひらさせながら、ルタはいつもの定位置である左端の席に座った。
 自分でも仕事にはずいぶん慣れてきたように思うが、ルタとの距離感は相変わらずである。すなわち、特に不仲でもないが二人きりになるのはやや気まずい、という程度の関係。ナナとは仲良くなれたけれど、友達の友達もまた友達、というわけにはいかないようだ。
「あ、そういえばルタさんは最近ナナに会いました?この頃見かけないなって」
「あ?あー……そういや見ないな。まあ、あいつがふらふらしてんのなんて、いつものことだしな。ほっといても、そのうちまた顔出しにくるだろ」
「そう、ですよね」
 ルタの言う通り、根無し草のような暮らしをしているナナは、王都のあちこちを渡り歩いて、警備隊としての仕事をこなしているのだと言っていた。だからひとつ所に長く留まらないのは分かっているのだが。
「約束、忘れちゃったのかなあ……」
 二人で西地区に買い物に行った翌日、ナナは王都の端の方の村に巡回に行く、といって出て行った。サクちゃんのお給料日頃には帰るから、と言い残して行ったのに、そんな日はもうとっくに過ぎてしまっている。忘れているだけなら、まだいい。もしも何かトラブルに巻き込まれて帰れなくなっているのだったら、どうしよう。
「……なんか知らねえけど、見かけたら捕まえといてやるよ」
 サクがよほど、しょぼくれた顔をして見えたのか、珍しくルタが優しい声で言う。この粗暴な先輩は、人が本当に困っている時には、ちゃんと気遣うような言葉をかけてくれるのだった。
「……ありがとうございます」
 小声で礼を言うと、それを待っていたかのようなタイミングで、事務所奥の階段から、ぱたぱたという可愛らしい足音が聞こえてきた。
「おはようございます、ペルさん」
「おはよーゴザイマス」
 続けざまに挨拶した二人に、ペルが微笑んで答える。
「はい、おはよう。ちゃんとそろっているわね」
 ペルに促され、サクもルタの隣に座った。それを見届けて、彼女も向かいの席に着く。
「さて、もう聞いているとは思うけど、ガラさんがしばらくの間お休みだから、当面はあなた達二人で組んでもらうことになるわ」
「うっす」
「わかりました」
 正直、不安しかないが、文句を言っても仕方ないので素直に受け入れておく。ペルはひとつ頷いて、今日の依頼について説明を始めた。
「今日、早い時間に集まってもらったのは、現場がかなり遠方だからなの。西の外れ……街の境界線の辺りね」
「またか?アギんとこも何回か行ってたろ」
「そうね。場所は毎回違うのだけど、依頼の内容はほぼ同じ。街の境い目辺りで、酷く損傷した魔物の死体があるから片付けてくれってね」
 その内容には聞き覚えがあった。たしか、初めてアギとセイの二人に会った時、大変な依頼だったとこぼしていた、あれだ。
「そういう依頼って、よくあることなんですか?」
 サクの問いに、ペルが難しい顔をする。
「警備隊から直接依頼がくるケースでなら、珍しくないんだけどね。魔物退治でやり過ぎたから後始末しておいてくれ、とか」
「金払うのが嫌で、ばっくれたんじゃねーの」
「それなら近隣の住民が黙っていないでしょ。そもそも依頼主は、魔物退治の依頼なんて誰も出していないと言っているわ」
 なるほど、ようするに、魔物に困らされている住民が警備隊に依頼を出し、彼らは退治した魔物の後始末をうちに依頼する、というサイクルになっているらしい。だが、今回の依頼は、その例には当てはまらない。
「なんだか不気味ですね、出処不明の魔物の変死体なんて。それも、発見されたのは一度じゃない」
「そうね。似たような依頼は、これで三件目かしら」
「三件も……」
 サクは、机の天板に浮かぶ、捻れた形の木目に視線を落とした。どうにも嫌な感じだ。理由が分からないというのは、それだけで不安を掻き立てられる。
「まあ確かに気味の悪い話ではあるけどよ。俺らは俺らの仕事をすればいいだけだろ。なんでそうなったか、なんて関係ねえよ」
 机に頬杖をついて、いつもの調子でルタが言う。良くも悪くも、ぶれない人だ。
「ルタは単純ね。だけど、それでいいわ。私達は私達のやるべきことをしましょう」
 ペルはそういって、部下達の顔を交互に見回した。
「それじゃあ早速だけれど、今日もよろしくお願いね。屋外での仕事だから、野生の魔物に気をつけるのよ」
「はい!」
「了解っす」
 短く答えて、二人同時に席を立った。そうだ、ガラの急病や不可解な依頼にばかり気を取られていたけれど、今日からは半人前の見習いじゃない、一人前の清掃員として仕事をするのだ。気を引き締めなくては。
 なんとなく、ルタに仕事のできないやつだとは思われたくなかった。
「さっさと行くぞ、新入り。曇ってきたから雨具も出しとけ」
「わかりました」
 サクが頷いたのを見て、ルタは軽く片手をあげると、素早い動作で事務所の扉に手をかけた。
「んじゃ、俺は馬車回してくるから。戻ってくるまでに道具やらなんやら、俺の分も用意しといてくれ」
「え、ちょっと」
 早口で言い残すと、ルタはさっと扉を開けて出ていった。背後を振り向くと、ペルが苦笑している。もしや上手い具合に面倒な準備を押し付けられたのでは。
「……はあ」
 仕方ないので、ペルに手伝ってもらいつつ、倉庫から必要な道具を出して用意していく。そうしてまとめた二人分の荷物を持ち、ペルに礼を言って事務所を出ると、たしかにルタの言っていた通り、外は雨の匂いがした。なるべく急いで終わらせないと、嵐になるかもしれない。
 濁った空の下を、サクは駆け出した。

 *

 馬車に揺られること約二時間。この時刻なら太陽はもう十分な高さに昇っているはずだが、分厚い雲に隠されて、光は地上に届かない。
「そろそろ着くぞ新入り。降りる準備しとけ」
 悪路を行く馬車の音にかき消されないように、ルタが怒鳴る。道が分からないサクの代わりに、今日はルタが手綱を握っているのだった。
 綺麗に整備されていた道は、いつの間にか荒れた土の地面に変わり、整然と並んでいた建物の群れは、すっかり姿を消していた。
 すぐに持ち出せるよう、サクが掃除用具をまとめて手に取った頃、馬車はゆっくりと止まった。
「ここ、だな……明らかに」
 苦さの混じったルタの声を聞くまでもなく、サクも察していた。空気の匂いがはっきりと澱んでいる。鉄錆びたような、生臭いような、そんな匂いだ。
 周囲を見回してみるが民家の影は遠く、辺りには荒涼とした草原が広がるばかりだ。そして馬車が停まっているところから少し離れた場所に、古いインクをこぼしたような、赤黒い染みが広がっている箇所があった。
「……あそこですね、現場」
「だな。さっさと行って、終わらせようぜ」
 ルタが再びゆっくりと馬車を進める。現場に近づくごとに嫌な匂いはどんどん強くなっていき、染みにしか見えなかったものが、はっきりと像を結んだ時、思わずサクは自分の口を覆った。
「うわ……」
 草むらにべっとりとまとわりつく、どろどろとした赤黒い液体。その中に混じる、ピンク色のてらてらとした塊は、魔物のはらわたか。すぐ近くに転がる巨大な狼のような頭部に気がついて、サクは慌てて身を引いた。
「こりゃまた、えげつないな。最初に見ちまった依頼主はお気の毒だな」
 まったくだ。なんの心構えもなく、いきなりこんなものを見たら、サクならこの先ずっと夢に見てうなされるかもしれない。正直、心構えがあってもきつい。
「やっぱり、なんかおかしいですよこれ。別の魔物に襲われたんだとしても、誰か人間がやったんだとしても、ここまでバラバラにする必要なんてありますか?」
 口を覆ったまま、くぐもった声でサクが尋ねる。しかし、ルタは静かに首を振っただけだった。
「さあな。考えたって仕方ねえよ」
「でも……」
「ひとつひとつの仕事に深入りすんな。俺らができるのは後始末だけなんだ、考え込んでも良い事ねえぞ」
 そういって、ルタは作業着の袖を捲り、
「はあ、こんなんだったら、いっそひと雨来てくれた方が綺麗になるかもな」
 そう呟いて馬車を降りると、匂いを嫌がってか、不機嫌そうに足を踏み鳴らす馬をなだめ、少し離れた場所の木に繋いだ。
「俺は頭やら足やら形の残ってるとこを運び込むから、お前はこれで腸かき集めてこい。仕分けはしなくていいぞ。こんだけバラバラだと、加工業者に引き渡してもどうしようもねえから、事務所で焼却処分するだけだしな」
 差し出された鉄製の長いトングと大ぶりのバケツを黙って受け取る。いつかのドラゴンのように、素材として加工できる魔物なら業者に引き取られるが、そうでない場合は事務所の近くにある焼却炉で燃やされて終わりだ。毒を持っていたりしてそのまま焼却できない場合は、教会に浄化を依頼することもあるが。
 そういった魔物の死体を焼却炉に運び入れた後、こっそり手を合わせるのが、いつしかサクの習慣になっていた。ガラの影響もあるが、サク自身、彼らも同じ生き物であることを忘れないでいたいと思ったからだ。
 現場に降り立って一歩踏み出したところで、そのまま一瞬足が止まった。踏み出した足のすぐ先は、魔物の体液でじっとりと濡れている。
「…………ふぅ」
 躊躇っていても仕方がない。サクは小さく息をつくと、思い切って再び足を踏み出した。支給品のブーツ越しに、湿った草の感触が伝わってきて、背筋に悪寒が走った。かぶりを振って寒気を追い出し、現場に向き直る。多少距離があるとはいえ、見える場所に民家があるのだ。死体を放置しておいたら、それこそ匂いに惹かれて別の魔物が寄ってくるかもしれない。ここでいい加減な仕事をすれば、住民達を危険に晒してしまう恐れがあった。
 ルタの方も作業を始めたのを視界の端にとらえて、サクも覚悟を決めた。

 頭も手足も無くしたガルムの胴体に近づいて、その周りに撒き散らされた腸をかき集めていく。ガルムは姿形は狼にそっくりだが、その体は馬のように大きい。胴体だけとはいえ、これを運び込むのは骨が折れそうだ。
「あれ、なんだろうこれ」
 誰に言うでもなく、口の中で呟いて身を屈めた。汚れた草むらの中に、場違いにきらきらと光る小さな石が落ちている。深く考えず、それに手を伸ばそうとして、サクはぎくりと動きを止めた。
「え……」
 これは。なんでこれが、こんなところに落ちているんだろう。真っ赤な炎を閉じ込めた、親指ほどの大きさの、きらきらした石。これは、ナナの大事なペンダントじゃないか。
「…………っ」
 心臓の音が、やけに耳につく。落ち着け、これはナナがたまたまこの辺りで仕事をして、うっかり落としてしまっただけかもしれない。そうだ、だから拾っておいてあげなくちゃ。そして次に会った時に返すんだ。こんな大事なものを落とすなんて、しょうがないねって。
 なぜか震えの止まらない手で、ペンダントを拾おうとする。その時、視界を過ぎったものに気がついた瞬間、サクの周りから全ての音が消え去った。
「あ……」
 明らかに魔物のものではない真っ白なそれは、人間の、手首だった。長い指と整った爪、シミひとつない綺麗な肌。あの日、二人で街に出た日に何度も見た。これは、この手は、ナナの。
「い、や……」
 考えたくない、認めたくない。なのに、思考はサクの感情に反して、おぞましい答えを導き出そうとする。嘘だ、こんなのは。こんなの……
「いやあああああああああっ」
 意識する前に、口から悲鳴が飛び出していた。体中の酸素を絞り出して、視界がちかちかと明滅しても、止められなかった。嫌だ、誰か、嘘だと言って。
「な、なんだ?!いきなりどうしたんだよ!?」
 サクの異変に動揺しながら、ルタがこちらに駆け寄ってくる。肩に触れた手の重さに抗いきれず、サクはその場に崩れ落ちた。
「お、おい。何があったんだよ、なあ」
「……ぁ……」
 上手く言葉を発することができない。体を支えるルタの腕に縋りついて、サクは震える指で、たった今自分が目にした物を指した。
「なんだ……?」
 ルタが不審げに視線を向けた直後、その腕がひどく強ばったのを感じて、サクの意識は暗闇に溶けていった。
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