怪異探偵の非日常

村井 彰

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心霊現象はレンズの向こうに

4話 怪異の原因

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  依頼は取り下げ。その言葉を聞いた早坂は、驚いて腰を浮かせた。
「取り下げって……なんで?昨日の今日じゃないですか」
「知らん。一応理由を訊いてみたが、とにかく『ぬいぐるみを返して欲しい』の一点張りだった。今日この後取りに来るらしい。暇なことだな」
  柱にもたれて肩をすくめる井ノ原から、机の上に大人しく座り込むこっぺいに視線を移す。沙苗がこのぬいぐるみを大切にしていたのは分かるが、預かることも昨日は了承してくれたのに。
「井ノ原がよっぽど信用ならん事に気づいたんだろうな。懸命な判断だと思うぞ。依頼人さんには、改めてウチに持ち込んでくれて構わないと伝えてくれ」
  ウンウンと頷いている宗明を無視して、井ノ原が片手でこっぺいを拾い上げる。
「そういう訳だ、さっさと帰るぞ。邪魔したな宗明」
「おうおう、本当に邪魔だったわ二度と来るな。……ああ、兄さんだけならいつでも来ていいぞ。バイト希望なら、なお歓迎だ」
「はは……」
  何故かは知らないが、早坂は宗明に気に入られてしまったらしい。苦笑で返しつつも世話になった礼はしっかり伝えて、早坂は古い寺を後にした。本当は井ノ原の事について、もう少し詳しい話を聞きたかったのだが、こうなってしまったら仕方がない。
「舞浜さん、すぐに来るんですか?」
「本人はそう言ってたな」
  事務所への階段を上がりつつ、井ノ原が背中で答える。時刻はまだ朝の十時過ぎ。依頼を受けたのが昨日の夜だと言うのに、いくらなんでも急過ぎやしないだろうか。
(そうだ、坂上なら何か聞いてるかも)
  ちょうど花耶と約束した定期報告もしなくてはならない頃合だ。
  ポケットから取り出したスマホを開いて見ると、なんと画面にはズラリと花耶からのメッセージ通知が並んでいた。通知音を切っていたせいで気づかなかったらしい。
  通知の数に緊急性を感じた早坂は、事務所には入らず扉の脇に止まって、そのまま花耶に通話をかけた。案の定、ワンコールですぐに耳慣れた花耶の声が聞こえてくる。
『ちょっと、連絡遅いんだけど。何してたわけ』
「人と会ってたから通知切ってたんだよ。もしかして、舞浜さんの事か?」
『そうよ。そっちにマイマイさんから連絡あった?』
「ああ……ついさっき井ノ原さんに電話してきて、やっぱり依頼は取り下げで、ぬいぐるみを返して欲しいって」
  早坂が手短に状況を説明すると、花耶が「そう……」とため息混じりに呟いた。
「なんか知ってるのか?」
『ん、直接聞いたわけじゃないけど、昨日SNSの方で、ちょっと様子がおかしくて。夜中に“やっぱりこっぺいが居ないとだめなんだ。こっぺいじゃないと”って書き込んで、それっきり』
「それは……」
  ちょっと様子がおかしい、どころではないのではないか。
『DM送っても既読すら付かないし、さすがに心配になって……』
「まあそりゃ心配するよな……って言っても、こっちもなんの進展もないし、何がなにやらなんだけど」
  その時、コンコンと響いた硬い音に、ハッと思考を奪われる。見ると、井ノ原が事務所の入り口にもたれて、こちらに視線を送っていた。今のは指の背で扉を叩いた音だったらしい。
「悪い。井ノ原さんに呼ばれてるから、またあとで連絡する」
『え、ちょっと』
  花耶との会話をやや強引に打ち切って、早坂は井ノ原に向き直った。
「坂上から連絡だったんですけど、舞浜さん、昨日から様子がおかしかったみたいで……」
  たった今花耶から聞いた話を、そのまま井ノ原に伝える。全て聞き終えた後で、井ノ原は小さく「そうか」と呟いた。
  何か思うところがあるのか、井ノ原は少し考える素振りを見せたが、それ以上は何も言わなかった。
「おい。舞浜沙苗が来る前に、事務所の中を片付けとけ」
  と、それだけを指示して、井ノ原はさっさと事務所の中に引っ込んでしまう。
  こういう時の井ノ原は、食い下がっても何も答えてくれない。その事はこの半年で嫌という程理解しているので、早坂の方も何も聞かずに事務所へと戻った。

  それから一時間も経たないうちに、舞浜沙苗は慌ただしい足取りで事務所にやって来た。早坂が中へ案内するなり、机の上に置かれていたこっぺいを手に取って、沙苗は安堵の息を吐いた。
「ああ、よかった……」
  そう言ってぬいぐるみを抱き締める彼女は、心なしか昨日よりも顔色が優れないように見える。
「舞浜さん。お電話でも確認しましたが、そちらのご都合での契約破棄という事で、規定のキャンセル料はいただきますが、本当にそれでよろしいですか?」
  そんな沙苗の様子には一切触れず、井ノ原は淡々と金の話を持ち出す。沙苗の方も特に反駁するわけでもなく、素直にそれを受け入れた。
「はい……本当に、お騒がせしてしまって申し訳ありません」
  ぺこりと頭を下げる沙苗の手には、未だに禍々しい姿をしたままのこっぺいがいる。
「舞浜さん、本当にいいんですか……?結局俺たち、何も」
  余計な事を言うなとばかりに井ノ原に横目で睨まれたが、早坂はそう訊ねずにはいられなかった。目の前に明らかな怪異があるのに、そして一度はそれをどうにかして欲しいと依頼されたのに。本人の希望とはいえ、それを途中で放り出してしまう事が、早坂にはどうしても気がかりだったのだ。
  しかし、そんな早坂の前で、沙苗はゆるく首を横に振っただけだった。
「いいんです。一晩離れてみて分かったんです。私、この子が居ないとだめなんだって」
  言いながら、沙苗がウサギの頭を撫でる。
「あの、こっぺいくんが居ない事で何かトラブルとか」
  早坂はさらに食い下がろうとしたのだが、その寸前、扉の外から響いてきた、勢いよく階段を駆け上がる音に邪魔された。条件反射で出迎えようと、早坂は入り口に足を向ける。しかし、それよりわずかに早く井ノ原に止められた。
「井ノ原さん?」
「待ってろ。たぶん、客じゃない」
  井ノ原が小声で囁いたのとほぼ同時に、事務所の扉が乱暴に開かれる。その先に現れたのは、肩で息をしながらこちらを睨みつける、坂上花耶の姿だった。
「坂上?どうしたんだ、そんなに慌てて」
  早坂が呑気な調子で訊ねると、花耶の鋭い視線がそのまま早坂の方に向いた。それがあまりに鬼気迫る様子だったので、早坂の肩が小さく跳ねる。
  長髪を振り乱す美人というのは、絵面的にかなり怖い。怪談の類にこういうモチーフが多い理由が分かった気がした。
「な、なんで、そんなに怒ってるんだ……?」
「なんで、じゃないわよ!なに突然通話切ってくれてんの?バッカじゃない?!」
「あ……」
  そういえば、後で連絡すると言ってそのまま忘れていた。
  無言で目を逸らす早坂の横顔に、今にも噛みつかんばかりの圧が突き刺さる。視線で井ノ原に助けを求めたが、当然のように無視された。
「ハナさん、大丈夫?彼氏さんとケンカしちゃったの?」
  そんな二人の間に入ってくれたのは、他でもない舞浜沙苗だった。とはいえ発言の内容自体は、微妙に的はずれではあったが。
  沙苗のおっとりした声に毒気を抜かれたのか、バツの悪そうな表情で、花耶は早坂から視線を外す。
「別に、彼氏じゃないですから。ていうか、こんなやつどうでもいいんです。私はマイマイさんの事が心配で……全然連絡つかないし」
「え?……あ、ごめんなさい。昨日はあんまり眠れなくて、メッセージも見てる余裕がなかったの」
「眠れなくて?」
  つい早坂が口を挟むと、沙苗は控えめに頷いた。
「そうなんです。よく分からないんですけど、眠るたびに怖い夢を見て、目が覚めてしまって。誰かに見られているような気もして、とにかく落ち着かないの」
「マイマイさん、それって少し前から言ってませんでした?不眠症気味で、病院にも行ったって」
  花耶の問いに、沙苗はこっぺいと握手するように、もふもふした手の先を触りながら答えた。
「確かに行ったわ。だけど、病院ではストレスじゃないかって言われただけで、ちゃんとした原因とか分からなくて……でもね、こっぺいと一緒だったら、ちゃんと眠れるって気がついたの。見られてる感じもこっぺいが傍に居たら無くなるし、怖い夢を見てもこっぺいと話してたら忘れられて」
  でも。と、沙苗が声のトーンを低くする。
「そのうち、こっぺいまでどんどんおかしくなってしまって……それで怖くなって、ここに依頼させてもらったんだけど、でもダメだった。その、お二人がじゃなくて、私が」
「あ……もしかして、俺達がこっぺいくんを預かったせいで、また怖い夢を?」
「はい。それも、今までよりもずっと……ずっと怖い夢でした」
  その答えを聞いた早坂は、咄嗟に井ノ原の方を振り向いていた。
  こっぺいを預けた側の沙苗と、預かった側の早坂が、同時に全く同じ体験をしている。この事実が示すものはなんだろう。
  デスクにもたれるようにして三人のやり取りを聞いていた井ノ原は、少し首を傾げて沙苗を見た。
「怖い夢を見るというのは、眠るたびに必ずですか。それとも自宅で眠った時にだけ?」
  井ノ原にそう訊かれ、沙苗は記憶を手繰るように視線を彷徨わせた。
「えっと……言われてみれば、電車や会社の休憩時間にうとうとしてしまった時は、別に……」
「では、誰かに見られているような気がするというのは?それも自宅でだけですか」
「は、はい」
  沙苗が頷いたのを見て、井ノ原は「そうですか……」と呟いた。そして、少し考えるような間を置いて、こう続ける。
「舞浜さん。もしよろしければですが、依頼を取り消される前に、一度ご自宅を拝見しても構いませんか?もちろん、信頼のおける方に同席していただいて結構ですので」
  突然の井ノ原の提案に、沙苗は驚いた様子でこっぺいを抱き締める手に力を込めた。
「今から、ですか……?」
「ええ。もしかしたら、悪夢の原因を見つけられるかも知れません。実際に現場を見るまで、確約は出来ませんが」
「本当に?……それなら、お願いしようかしら」
  二つ返事で了承しようとした沙苗を、花耶が慌てて止めに入る。
「マイマイさん!またそんな簡単に……」
「大丈夫よ。ねえ、よかったらハナさんも一緒に来てくれない?」
「え?」
「“信頼のおける人”に同席してもらってもいいって。ね?」
  そう言って沙苗が笑うと、花耶はそれ以上何も言えない様子でため息を吐いた。どうやら、沙苗はなかなかの人たらしのようだ。
「では、早速案内していただいても?」
「はい。ちょうど車で来てますから、皆さん乗ってください」
  こっぺいを抱いた沙苗は、少しだけ元気を取り戻した様子でそう応えた。

  そうして、早坂達は連れ立って沙苗の自宅へと向かう事になった。
  全ての怪異の原因を、探るために。
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