孤島の花嫁~転生先は滅亡寸前の小国でした~

村井 彰

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第五章 希望の光

2話 来訪者

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  いつの間にか雨音が止んでいる事に気がついて、翔真は自室の窓から顔を出してみた。
  海とは反対の方を向いているこの窓からは、美しい城の中庭がよく見える。一瞬吹き抜けた風に混じって、濡れた土の匂いがここまで届いた。ここ数日は降ったり止んだりの曇天続きだったが、そろそろまた真っ青な空を見られるだろうか。
「いけません、ショウマ様。まだ安静にしていてください」
  翔真がぼんやりと灰色の空を見上げていると、部屋の掃除をしてくれていたメリノが近づいてきて苦言を呈した。
「大丈夫だって、もう一週間も休んだし……むしろそろそろ運動しないと逆に不健康だよ」
  大きな怪我どころか、風邪すらもろくに引いた事のない翔真は、こんなに長い間部屋に引きこもったのも初めてだ。安静にしている間も勉強だけは続けていたが、いい加減少しは体も動かしたい。幸い腹部の傷はもうほとんど塞がっている事だし。
「そういや、オレのこの怪我って、レクトさんが手当てしてくれたんだっけ。医療の知識まであるんだから、あの人ほんとすごいよな」
「レクト様は幼い頃、猟師の後を着いていって、獲物を解体する様子を観察するのがお好きだったそうですよ。そこから、生き物の体の構造や医術に興味を持たれたそうです」
「うわあ……」
  知識欲に支配された変態、というのはそういう意味か。いや、助けてもらったのだから何も言うまい。
  自分の体を見下ろして、ようやく包帯の取れた腹部に軽く触れてみる。様子を見に来てくれたレクトいわく、翔真の体を貫いたナイフは奇跡的に臓器をほとんど傷つけず、後遺症などが残る事もないだろうとの事だった。その代わり、へその上辺りに傷跡が残るかもしれないとも言われたが、それくらいで済むなら安いものだ。
  臍の辺りをポンと軽く叩いて、翔真はベッドの方に移動して腰を下ろした。こうして傷が癒えると、今度は他の事が気になってくる。今の翔真が一番気がかりなのは、“あのヒト”のことだ。
「……あのさ、メリノ」
「何でしょうか」
  羽根帚で床を掃いていたメリノが、手を止めてこちらに視線を合わせた。
「メリノはさ、あのヒトのこと何か聞いてる? ラギムを襲ってきた翼のヒトのこと……何者なのか、何であんな事したのか、とか」
  それを聞いた途端、メリノは困った様子で頬に手を当てた。
「直接私が見聞きした訳ではないのですが……城内の噂では、ヴェーバルさんに捕らえられた後、そのまま地下牢へと投獄されたそうです。それからレクト様やヴェーバルさんが何度か聴取されたそうなんですが、その……ほとんど会話にならなかったそうで」
「会話にならない? 言葉が通じないってこと?」
「いえ、そうではなく……」
  メリノがなにやら言葉に困っている様子なのを察して、翔真は話題を少し変えることにした。
「えっと……あのヒトさ、翼があったってことは有翼人プテリクスなんだよね? 災害の日に、住んでた大陸ごと滅んだって話だったけど……」
「それは……おそらく間違いないと思います。信じ難いことですが、生き残りがいたということなのでしょう」
「生き残り……」
  この世界は、たった一つの国だけを残して全て滅びてしまったのだと聞いていた。この国に暮らす人々以外のヒトは存在しなくて、どこまでも続く海の先には何も無いのだと。翔真だけじゃない、この国に住む誰もがそう思っていた。
  だけど、そうじゃなかった。この広大な海の向こうで、生き延びていたヒトがいたんだ。
  もちろん、あのヒトが明らかにラギムの命を狙っていたことを考えれば、あまり気楽なことも言っていられないのは分かっている。だけど、どうしたって興味を惹かれてしまうも事実だ。
「……そのヒト、会えないかな」
  翔真がポツリとこぼした言葉を聞いて、メリノは驚いたように目を瞬いた。
「会うだなんて……彼は罪人なのですよ? 陛下の御命を狙い、ショウマ様を傷つけたのですから、言い訳の余地すらありません。そんな相手と会うなんて、危険過ぎます」
「それは、そうかもしれないけど……でも、危険だからって、いつまでも放っておけないだろ? あの時ラギムのそばにいたオレになら、何か話してくれるかもしれないし……まあ、単純な好奇心もあるけど」
「ですが……」
「気になるのなら、会ってみるか?」
  突如、会話に割り込んできた男の声に驚いて、翔真とメリノは同時に声がした方に視線を向けた。
「ラギム!」
  無意識に浮かれた声を上げながら、翔真は立ち上がってラギムの元へ駆け寄った。翔真が目覚めてからも、ラギムは毎日会いに来てくれているのだ。
「陛下……よろしいのですか?」
「ああ。ショウマの言う通り、このままずっと奴を地下牢に放り込んでおく訳にもいかんからな。どのみち私が自ら事情を聞くつもりでいたんだ。それなら、あの場にいたショウマも同席させるのが筋だろう」
  そう言って、ラギムは翔真の方を見上げた。その表情は、どこか強ばって見える。
「……本当に、オレが一緒にいていいの?」
「構わん。今更お前に何かを隠そうとも思わんからな」
  そういう言い方をするということは、ラギムは自分が狙われた理由に心当たりがあるのだろう。それも、本当なら翔真に知られたくない類いの。
「……どんな話でも、オレはちゃんと聞くよ。ラギムに関わることなら、どんな些細な話でも知りたいし」
  翔真がまっすぐに目を見て答えると、ラギムは苦笑しながら肩をすくめた。
「お前はそう言うだろうと思った。……だが、それなりの覚悟はしておいてくれ。おそらく、あまり愉快な話にはならんだろうからな」
  そう言って、ラギムは翔真の肩を軽く叩いた。
  何か事情があるにしろ、相手は間違いなくラギムに敵意を……いや、殺意を持っていた。そんな相手と楽しく歓談できるなんて、翔真だって端から考えていない。その上こうやって釘を刺されれば、興味よりも不安が上回ってくる。
  だけど、それでも、話を聞かないという選択肢は翔真の中に無かった。
  自分の目の届かない場所で、彼を狙ってきたやつとラギムが会うなんて、そんなのは耐えられない。万が一何かが起きた時に、どうしてあの時オレはそばにいなかったんだって、そんなふうに自分を責めるのは絶対にイヤだ。
  だから……
「ラギム。オレ、ちゃんとそばにいるから」
  その言葉を聞いたラギムは、少し驚いた顔をして、
「ありがとう」
  そう小さく呟いて、微笑んだのだった。


  *


  実のところ、この城の中にも、玉座の間というものが存在する。
  とはいえ、ラギムが気さくに城内を歩き回っているのと、そもそも謁見を求めてくるような客がいないせいで、長らく使われていなかったそうだ。なので当然のごとく、翔真がその中に入るのも初めての事である。
「すげえ、RPGに出てくる部屋だ……!」
  一瞬、自分が何のためにここへ来たのかも忘れて、翔真はわくわくしながら辺りを見回した。
  窓が無くても息苦しく感じないくらい大きな部屋は、奥の方が数段高くなっていて、そこにいかにも高級そうな椅子が二脚並んでいる。その玉座の向こうには、翔真がこの国で初めて見たのと同じ、美しい戦乙女と怪魚が戦う様子を描いた絵画が飾られていた。漫画やゲームで散々見たものに比べれば、幾分か手狭にも感じるが、雰囲気は十分だ。
「なあラギム。この椅子って何で出来てんの? なんか変わった色だけど」
「なめした魚の皮だ」
「へえー!」
  感嘆の声を上げながら、深緑色をした座面を撫でてみる。表面はひんやりとしていて、薄くも滑らかで、たしかに牛などの革とは違った手触りだ。
  玉座を撫で回してはしゃぐ翔真を見上げて、ラギムは少し眉を寄せた。
「……ショウマ。今日は遊びに連れ出した訳ではないぞ」
「あ、ごめん……」
  ラギムに叱られて、翔真はしょんぼりとその場を離れた。たしかに浮かれている場合ではない。
「……そんなに気になる事が多いのなら、後でレクトにでも訊けば良い。それより、立ちっぱなしでは辛いだろう。お前もそこに座れ」
  入り口から見て左側にある玉座に腰を下ろして、ラギムは自分の隣を指さした。
「そこって……」
  ラギムが座っているのと同じ形の玉座を見て、翔真はそれきり言葉に詰まってしまった。
  こういう場所で王様の隣に座っていいのは、その奥さんだけと相場が決まっている。
「えっと……オレは大丈夫だから立ってるよ。ほら、休んでばっかりだと筋力落ちちゃうし」
「そうか? 無理はするなよ」
  首を傾げるラギムに頷き返して、翔真はその脇に立った。今の翔真がラギムの隣に座る訳にはいかない。たとえラギムが許してくれたとしても。
  そうして翔真達が落ち着いたのを見計らったようなタイミングで、室内にノックの音が響いた。この部屋には、ちゃんと扉がある。
「失礼いたします。陛下、いらっしゃいますか」
「ああ、入れ」
  ラギムの声に応えて扉を開いたのは、レクトだった。心なしかいつもより厳しい表情をしたレクトは、玉座の横に控える翔真をチラリと見たが、何も言わなかった。翔真がこの場にいる時点で、ラギムが同席を許した事が明白だからだろう。
「例の有翼人プテリクスは?」
「現在ヴェーバルに連行させています。ですが、十分にお気をつけください。どうやらかなり興奮しているようで……」
  やや早口にレクトがそう言った直後、
「ベタベタ触んじゃねえつってんだろうがこのクソ女! ケモノ臭えんだよ!!」
  扉を閉めていてもビリビリと伝わるくらいの大音量で、いかにも頭の悪そうな叫び声が響いてきて、翔真は目を剥いた。ケモノ臭い女というのは、まさかヴェーバルのことか。そんな酷い言い回しをする人間がファレクシアにいるとは思いたくないのだが、ということはつまり。
  頭痛を抑えるように額に手を当てて、レクトは深々とため息を吐き出した。
「……お聞きになった通りです。脅そうが宥めようがずっとあの調子でして、まるで会話になりません。正直、向かい合っているだけで苦痛でした」
  見た事もないくらい疲れきった様子のレクトを見て、翔真は事情を察した。たった一声聞いただけだが、例の有翼人プテリクスがあまり理性的なタイプでは無さそうな事がヒシヒシと伝わってきた。理詰めで会話するタイプのレクトとは相性最悪だろう。
「陛下、失礼しますよ」
  翔真が唖然としているうちに騒がしい声が近づいてきて、その合間にヴェーバルの落ち着いた声がした。そうして、ラギムが返事をする前に扉が開き、姿を現したヴェーバルが肩に担いでいたのは。
「このヒトが、有翼人プテリクス……」
  後ろ手に縄をかけられ、丸太か狩りの獲物のように抱えられてやってきたのは、背中に真っ白な翼を生やした青年……いや、少年と言っても差し支えのない見た目をした男だった。
「まったく……少しは大人しく出来ないのかお前は」
  苦々しい声を上げながら、ヴェーバルは面倒くさそうに少年を床に下ろした。その間も、少年はずっとギャーギャーと下品な言葉を喚き続けている。
(いや……だけど、めちゃくちゃ美少年じゃないか? 言ってることヒドいけど)
  大きな翼ごと細い縄でぐるぐる巻きにされて座り込んでいるので、細かい身長は定かではないが、横で彼を抑え込みながら立つヴェーバルと比較するに、おそらく身長は一六○センチに満たないくらい。体つきは細く華奢で、赤茶色の髪とクリクリした大きな瞳が子リスをイメージさせる。黙っていれば女の子だと言っても通用しそうだ。
「てめえ、さっきから何ガンつけてやがんだぶっ殺すぞ」
「ええ……」
  様子を見守っていた翔真を睨みつけ、少年はすかさず暴言を吐いてきた。黙っていれば美少女だが、一秒たりとも黙っていないのでただのチンピラでしかない。
「あ……? つうかてめえ、俺の邪魔しやがったデカブツじゃねえか。てめえ何モンだ? どう見てもファレクシア人じゃねえだろ」
  小動物のように愛くるしい顔を不審げに歪ませて、少年はそう言った。やはり、外の人間から見ても明らかなくらい、翔真の存在は異質らしい。
「オレはファレクシアの……ていうか、この世界の人間じゃないよ」
「は? んだそれ、舐めてんのか」
「からかってる訳じゃないよ。あんたもこの世界のヒトなら、オレみたいなのがいるはずない事くらい、分かるんじゃないの」
  なるべく冷静を装いながら翔真がそう言うと、少年は少し考え込むような間を置いて、そして嘲るように笑った。
「は、なるほどな。どうやったのか知らねえが、異世界から連れて来た奴隷に護衛させてんのか。いかにもクソ野郎がやりそうなこった」
  そう言って、少年はラギムの方へ鋭い視線を向ける。
「奴隷って……オレはそんなんじゃ」
  あまりにも聞き捨てならない言い草に食ってかかろうとした翔真を、ラギムは手を上げて制した。
「お前が恨んでいるのは私一人のはずだろう。これ以上、他の者を侮辱するのなら、相応の処罰を覚悟しておけ」
「覚悟……? 覚悟すんのはテメーの方だ。オレはお前をぶっ殺すためにここに来てんだぞ。忘れたとは言わせねえ」
  ラギムが口を挟んだ途端、少年の目に宿った暗く激しい光がなんなのか、翔真には一瞬分からなかった。だが数秒後に、その理由と共に理解した。
  これは、憎悪だ。これまで翔真の周囲には存在しなかったその感情を、この少年はラギムに対して抱いている。
「……仲間の復讐か」
「そうだよ。分かってんじゃねえか。お前に殺された仲間のために、俺はお前を殺す。そのためだけに、今日まで生きてきた」
  先ほどまでの荒ぶった様子が嘘のように、少年の口調は穏やかだった。だからこそ、翔真に向けて言った脅しとは違うのだと分かる。
  復讐だとか、ラギムがこの少年の仲間を殺しただとか、翔真には到底受け入れられないようなやり取りが当たり前のように交わされている。そして何より翔真の不安を煽るのは、同じやり取りを聞いているはずのヴェーバルやレクトが、それらの不穏な言葉にまるで動じる様子がないということだ。
  もしかして、翔真以外はみんな知っているのだろうか。この少年が言う“復讐”の意味を。
「殺された、か……あの日、城門の前から去っていった有翼人プテリクスは、五人いたと記憶しているが」
「みんな死んだよ。羽ばたく気力も無くなって海に落ちたやつ、食いモンが無くて弱って死んだやつ、何もかも嫌になって自分から死んだやつもいた。……あの災害の日、めちゃくちゃになった大陸から必死で逃げてきた俺らを、お前が受け入れてりゃ、誰も死なずに済んだんだ」
「それは無理だと当時も説明したはずだ。ファレクシアの城内も酷い混乱状態で、水も食料も薬も、何もかもが不足していた。他国の避難民を五人も受け入れられるような余裕は到底無かった」
「てめえの国のやつが無事なら、よその国のやつらなんて何人死んでも関係ねえってか」
「……そうだ」
  ラギムの答えを聞いた瞬間、少年は弾かれたように地面を蹴って、こちらに飛びかかってこようとした。だがその前に、脇に控えていたヴェーバルに軽々と抑え込まれてしまう。
「離せよ……っ、くそ……」
  少年がどれだけ暴れても、ヴェーバルは顔色ひとつ変えない。ヴェーバルも、レクトも、ラギムも、みんな翔真の知らない人になってしまったかのようで怖かった。
「……は、噂に聞いてた通りだな。ファレクシアの兄王は情に篤くてお人好しなのに、弟の方は合理主義の冷血漢だってよ。……あの優しい王様も、災害で死んじまったんだろ? お前が代わりに死んでりゃ良かったんだ。そうすりゃ俺らも助かってたかもしれないのに」
  少年の言葉に、初めてレクトが顔色を変えた。
「黙って聞いていれば……!」
「よせ」
  ラギムに鋭く遮られて、レクトは少年に掴みかかろうとしていた手を止めた。そんなレクトには目を向けず、ラギムは玉座から立ち上がって、少年の前へと歩み出る。
「ラギム……」
  思わず呼び止めようとしたが、ラギムは振り向きもしない。その横顔は人形みたいに冷たく無表情で、近づく事すら許されない空気をまとっていた。
「お前の言い分は良くわかった。お前が今日まで生き延びてこの島へ来た理由は、私を殺すためだったと」
「そうだよ。お前さえ死んでくれれば他には何もいらねえ」
「そうか。だが、その願いも聞いてやる訳にはいかんな」
  冷たく言い捨てて、ラギムはヴェーバルの方へ顔を向けた。
「こいつはもう牢へ戻さなくて良い。その代わり、空を飛べないよう翼は縛ったままにしておけ。単独行動もさせるな」
「よろしいんですか」
「牢へ入れておくのもタダではないからな。それに、若い男の働き手は貴重だろう」
  淡々としたラギムの言葉を聞いて、少年はまた暴れ出した。
「ふざけんな! なんで俺がこの国のために働いてやんなきゃいけねえんだ!!」
「嫌なら出ていけば良い。この国以外に行き場所があるならの話だが。……言っておくが、私はお前に殺されてやるつもりは無い。復讐以外の生き方を探しておいた方が身のためだぞ」
「てめえ……っ、舐めてんじゃねえぞぶっ殺す!!」
「一度失敗したくせに威勢だけは良いな。……ああそうだ。これだけは伝えておこう」
  そう言って、ラギムは少年の前に膝をついたかと思うと、手を伸ばしてその顎を乱暴に掴んだ。
「私の事は、今後どれだけ狙っても構わん。だが、次に周りの人間を巻き込んでみろ。その時こそ、お前の行き場所はこの世界のどこにも無くなると思え」
  その口調は、翔真が今まで一度も聞いた事がないくらい冷徹で、聞いているこちらまで背筋が凍るようだった。
  この人は本当に、翔真のために泣いてくれたあの人なのだろうか。
「くそが……! ふざけやがって、絶対、殺してやるからな……」
  怒りに声を震わせる少年から手を離し、ラギムは何も言わず立ち上がった。そうして、全てに興味を無くしてしまったかのような様子で、さっさと部屋を出て行ってしまう。
  ラギムがいなくなった部屋の中は、まるで周囲の空気全てが重さを持ってのしかかってくるようで、翔真はその場を一歩も動くことが出来なかった。
  自分は今、何を思えばいいのだろう。
  目の前で俯いたままの少年を憎めばいいのか。それとも、優しいあの人の冷酷な一面に失望すればいいのか。
  そのどちらもが自分の中にあって、そしてどちらも正しくないと思った。
「ショウマ」
  ヴェーバルの落ち着いた声に、翔真はハッと顔を上げた。
「ショウマ。行ってやりな」
  そう言って、ヴェーバルは長い鼻で出口を指した。ラギムの後を追えと言われているのだ。
「ヴェーバル……」
  そうだ、約束したはずだ。そばにいるって。だったら迷うな。自分の気持ちなんか今はどうだっていいから、あの人を独りにしちゃダメだ。
「……ありがとう、ヴェーバル。オレ行ってくる」
  そう言って、翔真は駆け出した。もう一度。いいや、何度でも、大切な人の手を取るために。
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