孤島の花嫁~転生先は滅亡寸前の小国でした~

村井 彰

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第五章 希望の光

3話 果ての世界に

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  部屋を飛び出して城内を駆ける翔真の足は、迷うことなくあの場所へ向いていた。
  景色が綺麗で、風が気持ち良くて、滅多に人が来ない。一人で何かを考えたい時にはうってつけの場所。
「ラギム!」
  塔へと続く、いつもの外廊下を歩いて行く背中を見つけると同時に駆ける足を速める。けれどラギムは振り向きもしない。
「ラギム! 待てって!」
  ラギムが止まろうとしない事に焦れて、翔真は勢いのままその背中に飛びついた。
「うわ……っ」
  当然のごとく、翔真の体を受け止めきれず、ラギムの体が前のめりに傾いて倒れそうになる。
「おっと、危ない」
  その様子を見た翔真はすかさず両足に力を込めて、背中側からその体を支えた。ハグのつもりだったのに、どちらかと言うと背負い投げのような格好になってしまった。
「いきなり何をするんだ! 危ないだろう!」
「ごめんごめん。怒るなよ」
  わざと軽薄に笑って答えると、ラギムは呆れた様子でこちらを振り向いて小さく息を吐いた。
「まったく……」
  そう呟いて、もぞもぞと翔真の腕から逃れたラギムは、何も言わずに翔真と向き合った。その表情は、いつものラギムと同じだ。少なくとも、翔真の目にはそう見えた。
(良かった)
  さっきまでのラギムは、やっぱりただの一面でしかない。ちゃんと、翔真が知っているラギムもここにいるんだ。
  けれど、そう安心したのも束の間。ラギムはふいと足元に視線を落として、翔真から目を逸らしてしまった。未だ雨に濡れた廊下は、そこかしこが太陽の光を反射してキラキラと輝いているのに、それを見つめているラギムの瞳は、どこか虚ろに沈んで見える。
「ラギム。こっち向いてよ」
  そう声をかけてみるけれど、ラギムはなかなか顔を上げない。焦れったくなった翔真がほっぺたに触ると、ラギムは熱いものを押し当てられたようにビクッと体を震わせた。そうして、躊躇いながら翔真の指先に触れて、何かを確かめるようにギュッとその手を握ってくれる。
「…………お前に、軽蔑されても仕方のない覚悟で連れ出したんだ。それなのに、どうして追ってきたんだ」
「軽蔑なんてしてないからだよ。……いや、そりゃビックリしたし、ショックだった事もあるけど、でも、それだけで全部イヤになったりなんてしないから」
  人の心は、善と悪だけでは測れない。少なくとも翔真は、ラギムからたくさんの優しさと暖かさを受け取ってきたのだから。ゆっくりと心に降り積もった思いは、そう簡単に無くなったりしない。
「……それにさ、オレは当時の事は何も知らないけど、それでもラギムがただの意地悪であの子達を追い出したなんて思ってないよ。仕方ない事だったんだろ」
「仕方ない、で済ませて良い話ではない。私が受け入れなければ彼らがどうなるか、分かった上で拒んだのだから、そこに罪が無いとは言えない」
「でもラギムはこの国の人達を守ったんだから、オレはそれが間違いだとは思わないよ」
「だが、兄上ならもっと上手く出来たかもしれない。この国の者も、有翼人プテリクス達も、皆救ってやれたかもしれない。……あの時、あの場にいたのが、私じゃなければ」
「ラギム……」
  災害の日からずっと、ラギムが笑えないでいたというその理由が、ようやくわかった気がした。
  今の翔真が何を言っても、ラギムが抱えている傷はもう癒せない。切り捨てたものの重さに引き裂かれた心には、今更どんな言葉も届かないだろう。
「……もっと、早くに出会えてたら良かったのに。その時にオレがいたって何も出来なかっただろうけど、それでも、ラギムのそばにいたかったな」
「やめてくれ。あんな情けなくて弱い姿、お前に見られたくない」
「弱くたって良いじゃん。オレはそういうところも……」
  好きだよ。と言いたかったけれど、ラギムの苦しそうな表情を見て、翔真はその言葉を飲み込んだ。ラギム自身が自分の弱さを許していないのに、横で見ているだけの翔真が彼に何を言えるというのだろう。
(ラギムが、王様じゃなければ良かったのに)
  そうすれば、こんな重責に苦しめられる事も、誰かに憎まれる事もなかった。翔真だって、きっと何の気兼ねもなく思いを伝えられたかもしれない。
(こんなふうに思うのは、勝手すぎるのかな)
  それでも、好きな人にただ笑っていて欲しいと思うのは、我儘わがままなことなのだろうか。

  *

  それから、良くも悪くも島内の様子は一変した。
  海の向こうからやって来たヒトがいるということ。そして、そのヒトは国王陛下に深い恨みを持っているらしいこと。生き残りがいた事を素直に喜べない状況に、誰もが戸惑いを隠せないでいた。
  そうして、有翼人プテリクスの少年と対面したあの日から三日。翔真はなぜか、再び彼と向き合っていた。それも今度は二人きりで、だ。
「……えっと。キミさ」
「あ? 気色悪い呼び方してんじゃねえぞ」
「いや、だってキミの名前知らないし」
「パッセルだ」
  無愛想に名乗って、少年、もといパッセルは、ムスッとして黙り込んでしまった。
(二人っきりで話したいって言ったの、早まったかな)
  翔真は基本的に人見知りしない質の人間だが、パッセルは今まで周りにいなかったタイプ過ぎて、どうコミュニケーションを取ったらいいのか分からない。
(でも、レクトさんかわいそうだったしな……)
  ため息を吐き出したいのをぐっと堪えて、翔真は膝の上で拳を握った。
  ここは、いつもレクトが教室として使っている城内の一室で、部屋の左手に大きく開いた窓からは、暖かな日差しに照らされる中庭がよく見える。しかし、そんな平和で穏やかな景色とは一転、部屋の中の空気はずっしりと重たい。
  そもそも、なぜこんなことになっているのかと言えば、今から数十分ほど前、翔真がこの教室の前を通りかかった事が全ての始まりだった。


「他人を馬鹿にするのもいい加減にしなさい!!」
  廊下にまで響き渡るほどの叫び声に驚いて、翔真はギクリと足を止めた。今の声はレクトのものか? あの人があんな大声を出すなんて。
  声が聞こえてきたのは、いつも翔真が通っている教室の中からだった。今日は学校は休みの日だが、レクトに資料を借りようと思って探していたら、とんでもない場面に遭遇してしまったらしい。
  翔真はおっかなびっくり教室に近づいて、入り口からそっと中を覗いてみた。
  いつもは数人の子供達が机を並べている教室に、今はレクトと、大きな翼を細い鎖でぐるぐる巻きにされた少年の二人しかいない。少年は椅子の上に胡座をかき、机に肘をついて、いかにもやる気のなさそうな体勢だ。そして対するレクトは、少年の向かいに立って額に青筋を浮かべている。
「バカにしてんのはテメーだろ? いちいち回りくどい喋り方しやがって、おベンキョーできます自慢か? ウゼーんだよガリ勉野郎」
「よくもまあ、次から次へとそのように下品な言葉を吐けるものですね……陛下のご命令がなければ、今すぐ全ての羽根を毟り取って海に捨ててしまいたいくらいですよ」
「陛下陛下って魚のフンかよテメーは。……いや、糞はテメーの大好きな国王陛下の方だったなあ?」
  そう言って、少年が品のない笑い声をあげた瞬間、青白いレクトの顔が、一瞬で真っ赤に染まったのが分かった。
「この……っ」
  勢いに任せてレクトが拳を振り上げるのが見えたと同時に、翔真は慌てて教室に飛び込んでいた。
「ちょ、レクトさん、ストップストップ! 暴力はダメだよ!」
「離しなさい! この無礼者の舌を引き抜いて陛下の御前で詫びさせなくては私の気が済みません!!」
「そんなことしてもラギムは喜ばないって! レクトさんなら分かるだろ!」
  小柄なレクトを抱きかかえるようにして必死に止めると、ぶるぶると震えながらも、レクトはどうにか拳を収めてくれた。こういう時、体を鍛えておいて良かったと実感する。
「キミもさ……ラギムのこと許せない事情は聞いたけど、さすがに言い過ぎだよ。ましてレクトさんは関係ないはずだろ」
  少年の方に視線を向けて注意してみるが、少年はそっぽを向いてまるで聞いていない。
  再びレクトが拳を握るのを見て、翔真は咄嗟に口を開いていた。
「あのさ、レクトさん。オレ、このヒトと二人で話してみたいんだけど、いい?」
  翔真がそう言った途端、少年とレクトが同時に顔を上げた。
「ですが……」
「頼むよ」
  翔真が言葉を重ねると、しばらく逡巡していたレクトは、ようやく微かに頷いた。
「……わかりました」
「あぁ?! おい待て! 俺はこいつと話すことなんてねえぞ!!」
「あとはお任せします」
  少年の怒鳴り声を無視して、レクトは足早に教室を出て行った。本当にもう限界だったのだろう。
  レクトの足音が遠ざかって行くのを聞き届けて、少年の方に視線を向けると、途端に忌々しそうに睨まれた。その目つきに怯んでしまいそうになるが、ここで負ける訳にはいかない。
「……そういう訳だからさ、しばらくオレとのお喋りに付き合ってよ。いいだろ?」
  そう言って、翔真はわざと少年の目の前で、見せつけるように拳を合わせてみせた。暴力をチラつかせるのは好きじゃないけれど、この少年のような手合いには、そういう分かりやすい方法が効果的な場合もある。
「……んだってんだよ、くそ……っ」
  案の定、少年は鬱陶しそうに悪態を吐きながらも、席を立つことはしなかった。つくづく、自分が平均以上の大男で良かったと思う。
(ちょうどいいや。この子とは、ホントに話してみたかった事もあるし)
  持ち上げていた拳を下ろすと、翔真は余っている椅子を運んで来て、少年の向かいに腰を下ろした。ちょうど、学校の放課後に、友達と教室で駄弁ダベる時と同じスタイルだ。
  そんな状況にどこか懐かしい気持ちになりながら、翔真は異国の少年と向き合う覚悟を決めたのだった。


  そうして、翼を持つ少年、パッセルと二人きりになった翔真は、教室に吹き込んで来る爽やかな風を感じつつ、意を決して口を開いた。
「……あのさ。パッセルにとっては許せない悪いやつかもしれないけど、それでもラギムは、オレやこの国の人達にとって、すごく大切な人なんだよ。それに、パッセルが思ってるほど残酷で無慈悲な人でもない。切り捨てた物の重さに、ちゃんと傷ついてる。見た目には分かりづらいかもしれないけど」
「はあ? だからなんだってんだよ。あいつも傷ついてんだから許してやれってか?」
「そうじゃない。パッセルが今まで抱えてきた気持ちを無理やり捻じ曲げるつもりはないよ。キミがあの人を傷つけようとしたら、オレは全力で止めるけど、それでも、恨む事自体を止めようとは思わない……ただ、オレの方にもあの人を庇う理由があるんだって事だけは、知ってて欲しいんだ」
  翔真のその言葉が想定外だったのか、パッセルは少し驚いたように翔真の顔を見上げて、どんぐりのような瞳を何度か瞬いた。
「……んだそれ、意味わかんねえ」
  その言葉とは裏腹に、パッセルの口調からは少しだけ棘が減ったような気がする。この調子なら、意外とまともに会話できそうだ。
「……パッセル。嫌な質問だったら答えなくて良いんだけどさ、ひとつ教えてくれない? ……パッセルは、この島に来るまでどうやって生き延びてきたの?」
  それは、ずっと気になっていた事のひとつだった。
  この世界にかつてあった大陸は、次々に降り注いだ隕石や、それにより相次いだ地震のせいでめちゃくちゃになったのだという。そこは到底ヒトが住めるような場所ではなくなったのだと聞いていたけれど、今目の前にいるパッセルは、確かにこの島の外からやって来たのだ。
  翔真の問いを咀嚼するように瞬きを繰り返していたパッセルは、小動物のようにちょこんとした眉を軽く寄せて、それでも素直に答えてくれた。
「……人が住んでる島がここしかないってだけで、ファレクシアの他にひとつも島がない訳じゃねえ。俺はそういう無人島の中で、比較的暮らしやすいとこにたまたま流れ着いて、そこでどうにか獣や魚を獲って生活してた。その時にはとっくに一人になってたから、ちいせえ島でも食うもんには困らなかったんだ。……ホントは、風が収まったらすぐにでもファレクシアに飛んでいってあの野郎をぶっ殺してやるつもりだったけど、嵐の中をめちゃくちゃに飛んできたせいで、ファレクシアがある方角すら分からなくなってたからな。気づいたらこんなに時間食ってた」
「……そっか」
  何でもない調子で語られる壮絶な過去に、翔真はそれ以上何も言えなかった。
  誰もいない島で何年も、たった一人で暮らし続けるなんて、それはどれほどの孤独だったのだろう。普通ならとっくに気が狂っていてもおかしくない、そんな時間を支えていたのは、きっと彼の“復讐心”だ。
  仲間の仇をとる。そのためにラギムを殺す。翔真にとっては到底受け入れ難いそれらが、パッセルにとっては生きるための唯一の理由になっていたのだろう。
「……そうだ」
  膝に視線を落としていた翔真の耳に、ポツリとした呟きが届いて、翔真は慌てて視線を戻した。顔を上げた先では、同じく俯いたままのパッセルが、ぽつぽつと言葉を零している。
「……そういや、誰かとこんなマトモに喋ったの、めちゃくちゃ久しぶりだわ」
  思ってもみなかった事に気づいたような、そんなキョトンとした表情は、あどけない子供のようで。これこそが、彼の本来の表情なのかもしれないと思った。
「オレで良かったら、またいつでも話そうよ」
「は? 羽根も生えてねえやつがチョーシに乗んじゃねえよ」
「どういうマウントの取り方……? 言っとくけど、オレは羽根生えてないけど空は飛んだことあるよ」
「あ?! 嘘つくんじゃねえよ、羽根も無いのに飛べるわけねえだろ!」
「オレが元々住んでた世界では、みんな普通に飛んでたよ。飛行機っていう、空飛ぶでっかい乗り物があって……」
「空飛ぶ乗り物なんかあるわけねえだろバーカ」
「ホントにあるんだって! 今から説明してやるからよく聞けよ!?」
  パッセルに乗せられて声を荒らげながら、翔真は机の脇に引っ掛けられていた黒板を手に取り、拙い手つきで飛行機の絵を描き始めた。
  あれ、そういえば飛行機ってどんな形だっけ。改めて描いてみると、細かいところが全然思い出せない。
「なんだそのへにゃへにゃしたやつ。丸焼きにされる寸前の鳥か?」
「違うんだって……!」
  己の画力のなさに絶望して頭を抱える翔真をバカにしつつも、パッセルはどこか楽しそうに見える。そういえば、年の近い男子と喋るのは、翔真にとってもずいぶん久しぶりの事だ。

  閉ざされていると思っていた世界は、本当はどこまでも果てしなく続いていて、その先で出会えたヒトがいる。
  こうしてパッセルと話している間、翔真の頭の片隅で、ずっとチラチラと浮かんでいた思いがあった。
  このどこまでも広い世界で奇跡的に生き延びていたヒトが、パッセルただ一人だけだと、どうしてそう言い切ることが出来るのだろうか、と。


  *


  そうして、パッセルと話し込んだ日の翌日。丸一日以上一人で考え込んだ翔真は、胸の奥にひとつの決意を固め、ラギムの元へと向かっていた。
  時刻は既に深夜。ずいぶん遅い時間になってしまったが、それでも今会いたい。決意が鈍る前に、どうしても伝えておきたい事があるからだ。
「ラギム、まだ起きてる?」
  奥の部屋から明かりが洩れているのを見て、翔真は控えめに声をかけた。個室に扉が無いだけあって、この国の人達はプライベートの境界も少々曖昧だ。たぶん勝手に部屋に入ってしまっても怒られないのだろうが、翔真の方がどうにも意識してしまう。
「ショウマか? 入れ」
  ラギムの声が聞こえて、ようやく翔真は部屋に足を踏み入れた。奥の部屋に入ると、壁掛けランプに薄らと照らされながら、大きなベッドの手前に腰を下ろしているラギムの姿が見えた。
「えっと……こんばんは」
  自分から来たのに若干の気まずさを感じながら、翔真はそう言った。部屋の中はとても静かで、ベッドの頭側に開いた窓から夜風が吹き抜けていく音だけが、やけに大きく響いている。それから……香でも焚いているのだろうか、甘い花のような香りが風と共にこちらへ届いて、なんだか頭がくらくらした。
「ショウマ? そんなところに立ってないでこちらへ来い」
「あっ、うん」
  呼ばれるままに翔真はベッドへと駆け寄って、ラギムの隣に腰を下ろした。近くで見たラギムの横顔に、ひどく影が落ちて見えるのは、明かりのせいだけだろうか。
「えと……ごめん、こんな時間に突然」
「構わない。ちょうど眠れないでいたところだ」
  何でもなさそうにラギムは言う。けれど、たまたま今夜だけ眠れなかった、という訳でもないのだろう。
「オレがいたら余計眠れないんじゃない?」
「そんなことはない」
  そう言って小さく笑うと、ラギムは不意に翔真の肩に手をかけてきた。
「えっ……う、わ」
  完全に油断していたせいで、ベッドについていた手がずるりと滑った。そのままラギムの細い体すら支えきれずに、翔真はベッドの上に仰向けに倒れ込む。
「ちょ、危ないだ、ろ……」
  のしかかってくるラギムに文句を言おうとして、翔真はハッと息を呑んだ。唇が触れ合いそうなくらい近くに、ラギムの顔があったからだ。
「え、あ、ラギム……?」
  なんで、何も言わないんだろう。真剣な表情で翔真を見つめているラギムは、なんだか知らない人みたいで、胸が苦しくなる。触れられている肩がやけに熱くて、火傷してしまいそうだった。
「……っ」
  翔真の上に乗ったままのラギムがわずかに身動ぎをした拍子に、ひと房垂れた長い髪が翔真の頬をくすぐって、背筋に痺れたような震えが走った。
  さっきよりも、ずっと甘い香りがする。これは香炉から漂っているものなのか、それともラギム自身の香りなのか。
  翔真に覆い被さるようにして、ラギムが少しずつ顔を近づけてくる。このままでは、本当に唇が触れ合ってしまいそうだと、酔っ払ったみたいにぼんやりとした頭で考えた。
  ああでも、それでも別に良いかな、なんて。
「…………ふ」
  そうして唇が重なるよりも早く、弾けたような吐息に唇を撫でられて、翔真は目を瞬いた。
「……え?」
「ふふ……お前は本当に、お人好しというか、なんというか……」
  そう言って、翔真の首筋にぽふんと顔を埋めたラギムの肩が小刻みに震えているのに気づいて、さっきとは全く違う意味で全身が熱くなった。
「か、からかったな?!」
  ラギムの肩を掴んで、強引に引き剥がす。そのまま翔真の隣に転がされたラギムは、それでも愉快そうに笑っていた。
「はは……っ、まったく、いつ怒り出すかと思っていたのに、まさか無抵抗で見ているだけとは」
「な、んだよもう……っ、オレは本気で……」
  本気で、キスされても良いと思ったのに。
  なんて言えるわけもなくて、翔真はぎゅっと唇を噛んだ。弄ばれたようであまり良い気はしないはずなのに、ラギムが楽しそうに笑っているからいいやと思ってしまう。惚れた方が負けって、こういうことなのか。
「いつまで笑ってんだよ」
  ムッとしてラギムの肩を小突くと、ラギムはようやく笑いを収めて、こちらに視線を向けた。その視線の奥に、慈しむような優しい暖かさが滲んでいる気がして、心臓が跳ねるように高鳴る。
  こんな些細なことで、動揺して、振り回されて、一喜一憂して、胸が苦しくなって。
  その全てを、心から愛おしいと思う。
(ずっとずっと、この人と一緒にいたいな)
  ずっとこれからも、この人の隣で、つまらない事で笑って、怒って、いろんな感情を分け合って生きていきたい。
  そうだ。だからこそ、ちゃんと言わなくちゃ。
「あのさ、ラギム」
「なんだ?」
  少し首を傾げたラギムの手を取って、翔真はその手をしっかりと握った。決意が鈍らないように。思いをきちんと伝えられるように。
「あのさ。オレ、ラギムにどうしても伝えたい事があってここに来たんだ。だから、聞いてくれる?」
  翔真の真剣な様子が伝わったのか、横になったまま、ラギムはこちらに体を向けてくれた。
「……オレ、昨日さ、パッセル……あの有翼人プテリクスの子と話したんだ。それで思ったんだよ。もしかしたら、この世界には他にも、パッセルみたいに生き延びてるヒトがいるんじゃないかって。地図で見た世界は、あんなに広かったんだから、この国以外にも、ヒトが暮らせる場所はまだ残ってるかもしれないだろ。……だからさ、オレ、旅に出たいんだ。会ってみたいんだよ。この世界に、まだいるかもしれない、誰かに」
  翔真が言葉を切るまで、ラギムは黙って聞いてくれていた。いや、呆れて物も言えない様子だったと言った方が正しいか。
  受け入れ難い何かを、それでも必死に受け入れようとするように、ラギムはキラキラの瞳を何度も瞬かせて、そして震える唇を開いた。
「お、前は……自分が何を言っているのか分かっているのか? 外の世界は、この島など比べ物にならないくらい、果てしなく広大だ。しかも、災害の後、大陸の奥地がどうなっているか、まともに調べた者はいないのだぞ。そんな場所で、いるかも分からない生き残りを探す? ……馬鹿な。下手をすれば、二度とこの島には帰って来られないかもしれないのに」
「……分かってる、つもりだよ。オレ一人でやれるとも思ってないし、すぐに旅立てるとも思ってない。だけどいつかはやってみたいんだ。この世界が本当はどれだけ広いのか、オレもこの目で見てみたい。オレ、本当はここに来た時からずっと思ってた。この世界に住んでる異種族のヒト達に会ってみたいって。だから、少しでもその可能性があるなら賭けてみたい。……二度と帰れない旅になるかもしれない事も、オレなりに何度も考えた。それでも、どうしても気持ちは変わらなかったよ」
  ラギムの手をしっかりと掴んだまま言い切った時、目の前で瞬く金色の瞳の奥には、様々な感情の色があった。
  驚き、呆れ、失望。次々に浮かんでは消えていく感情の中で、最後に残ったものは、
「……お前も、私を置いて行くのか」
  どこまでも深い、悲しみだった。
「ラギム……」
  深く傷ついたような声音に、胸が押し潰されそうに痛んだ。それなのに、翔真はこれからさらにラギムを惑わせるような言葉を告げようとしている。自分が後悔したくないという、身勝手な理由だけで。
(……それでも、オレは諦めたくない)
  ここでようやく見つけた夢も、大切な人と一緒に歩む未来も。
「ラギム。ひとつだけ、オレのお願い聞いてくれない?」
「……なんだ」
「オレが、いつか旅に出る時が来たらさ……その時は、ラギムも一緒に来て欲しいんだ」
「…………私、が?」
「うん。……もちろん、無理にとは言わないよ。危険な道のりになるかもしれないし、何があってもオレが守るつもりだけど、ラギムはそういうのイヤだろうから……」
「そうじゃない。そういう問題じゃないだろう。私がこの国を離れることなんて、出来る訳がない」
  翔真の言葉を遮って、ラギムは言う。
「離れられないのは、ラギムがこの国の王様だから? 王様だから、この国を守らなくちゃいけないから、どこにも行けないの?」
「そうだ。今さら聞かれるまでもない」
  そう言ったラギムの口調には、少しの迷いも無かった。きっと、それは彼にとって、あまりにも当たり前のことだからだろう。だけど。
「この国を守るのってさ、ラギム一人でやらなくちゃいけない事なのかな」
「……なに?」
「オレはここに来たばっかりだけどさ、この国の人達はみんな、強くて優しい人ばっかりだって知ってるよ。みんなこの国を大切にしてて、だけど、それ以上にラギムに笑ってて欲しいと思ってる。……レムルさんが、前に言ってた。この国のために、ラギム一人を犠牲にするような事は望んでないって。オレも、きっと他のみんなも、それはおんなじだよ。だから、この国を守る役目は、ここに住んでる人みんなで分け合っていけば良いんじゃないかなって」
「そ、んな……私は、そんなこと……」
  縋るように翔真の手をキツく握って、ラギムはそれきり言葉を失ってしまったようだった。
「ラギム。いつかでいいから、聞かせて。ラギム自身の答えを。オレはいつまででも待ってるから」
  細い手を握り返して、そう伝える。これ以上、翔真から言えることはもう無い。ラギムがどんな答えを出したって、それを受け入れるだけだ。
  ……でも、もしもラギムがこの手を取ってくれるのなら、その時はどこまでだって連れて行こう。優しいこの人が、誰も傷つけなくていい場所へ。何のしがらみも無く笑っていられる場所へと。
(きっと、約束するから)
  だから、今はただ、繋いだ手の温もりを感じながら、甘い香りに身を委ねよう。
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