雨鴉(あめがらす)の隠れ家 Season5

遊羽(ゆう)

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プロローグ

泥濘の産声

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ベトナム、ダナン港。

貨物船のタラップを降りた瞬間、まとわりつくような熱気と、発酵した魚醤ヌクマムの匂い、そして終わりのない喧騒が2人を迎え入れた。

台北の湿気とはまた違う、生命の腐敗と再生が混ざり合ったような濃密な風が、湊の頬を撫でる。

「……着いたんだね、厳。」

湊は、眩しそうに目を細めて異国の地を見渡した。

手元にあるのは、偽装された新しいパスポートと、わずかな現金。

そして、ポケットの中で冷たく沈んでいる、李から託されたメモリーカードの写しだけだ。

「ああ。ここからは、ヤクザの看板も、日本の常識も届かない場所だ。」

厳が隣に並び、低く応えた。

黒いリネンのシャツ越しにもわかる、鍛え上げられた20cmの体格差。

彼は周囲の喧騒に溶け込みながらも、獲物を狙う猛禽類のような鋭い視線を港の影へと走らせている。

20歳の年齢差を感じさせない、戦う男の放つ色気が、熱帯の太陽に灼かれてさらに濃さを増していた。

2人は、もはやどこにも記録のない「亡霊」だ。

台北で自分たちの過去をデータごと焼き払ったことで、彼らを縛るものは何1つなくなった。

だが、それは同時に、何の後ろ盾もない泥沼に放り出されたことを意味していた。

港の喧騒を抜け、指定された路地裏のカフェへと向かう。

そこには、霧島が手配した現地ガイド、フォンが待っているはずだった。

古い木製のファンが緩やかに回る店内。湊は厳の背中に隠れるようにして、奥の席に座る小柄な人物に目を止めた。

「……フォン、だね?」

湊が問いかけると、アオザイを模した私服に身を包んだ、性別不詳の整った顔立ちの若者が顔を上げた。

その瞳には、かつて台北で見かけた「李」と同じ、深淵を覗き込んだ者特有の冷徹な光が宿っている。

「お待ちしておりました。……日本の元・暴君と、その『心臓』さん。」

フォンの流暢な日本語に、厳がわずかに眉を寄せた。

「俺たちの素性をどこまで知っている?」

「霧島さんから聞いたことと、私が調べたこと。……それから、このメコンを流れる死体たちが囁いている噂話くらいですよ。」

フォンは机の上に、1枚の古ぼけた写真を置いた。

それは、何10年も前のものと思われる、ジャングルの中に建つ古い監視塔の写真だった。

その塔の壁には、すすけながらもはっきりと、あの「泣いている龍」の紋章が刻まれている。

「李が言っていた『ゴミの主』は、この場所からすべてをコントロールしています。国家の予算を食い潰し、人々の日常を洗浄液に変える……アンダー・ドラゴンの真の巣穴です。」

湊は写真に手を伸ばした。指先が微かに震える。

ここから先は、もう引き返せない。

自分たちの平穏を奪い、未来を汚そうとした巨悪の根源へ、自ら飛び込んでいくことになる。

厳が湊の手の上に、自らの大きな掌を重ねた。

「怖気づいたか、湊。」

「……まさか。厳と一緒なら、ここが世界の果てでも構わないよ。」

湊が顔を上げ、不敵に微笑んだ。

その瞳には、かつての弱々しい書店員の面影はない。

厳と共に修羅の道を歩むことを選んだ、1羽の強い「雨鴉」の光があった。

外では、夕暮れ時のスコールが降り始めていた。

激しい雨音が、港の喧騒も、過去の亡霊も、すべてを押し流していく。

熱帯の泥濘の中で、2人の新しい、そして最後の戦いの産声が上がった。

「行こう。……俺たちの未来を取り戻しに…」

厳の言葉と共に、2人は降りしきる雨の中へと踏み出した。

彼らの物語は、ここからさらに激しく、緋色の連鎖を描き始める
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