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プロローグ
硝煙と雨の匂い
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午前3時の東京は、深い海の底に似ている。
分厚い防音ガラスの向こうで、音もなく降りしきる雨が街のネオンを滲ませていた
朝霧 湊は、キングサイズのベッドの中で浅い呼吸を繰り返していた。
隣には、圧倒的な存在感を放つ男が眠っている。久藤 厳。広域暴力団「久藤組」の組長であり、湊の秘密の恋人だ。
ほんの数時間前まで、獣のように湊を貪っていた男とは思えないほど、その寝顔は静かだった。だが、鍛え上げられた肩から背中にかけて、複雑な模様の刺青が刻まれているのがシーツの隙間から見える。
黒い鴉と真っ赤な牡丹。
それは彼が「あちら側」の人間であるという、消えることのない烙印だ。
湊はそっと手を伸ばし、厳の頬にある小さな古傷に触れようとした。
その瞬間、閉じていたはずの厳の目が、スッと開いた。
「...起こしたか?」
寝起きとは思えない、低く、芯のある声。湊はビクリと肩を震わせて手を引っ込めた。
「い、いえ...ごめんなさい。」
「謝るな。」
厳は身を起こすと、引き締まった腹筋を露わにしたまま、サイドテーブルの煙草に手を伸ばした。カチリ、とライターの音が響き、紫煙がゆっくりと立ち昇る。
その匂いは、高価な煙草の香りに混じって、どこか鉄錆のような、危険な匂いがした。硝煙の匂いだ。
「今日は、もう帰る。」
厳が短く告げた。
いつものことだ。彼は夜明け前には必ずこの部屋を出て行く。湊が一人で暮らしているという「設定」を守るために。
「...はい。気をつけて。」
湊がそう言うと、厳は煙草を灰皿に押し付け、湊の顎を強い力で上向かせた。
「いい子だ。...余計なことは考えるな。お前はただ、ここで俺を待っていればいい。」
それは、優しさというよりは呪縛に近い言葉だった。
重ねられた唇は熱く、乱暴で、それでいてどうしようもなく甘い。湊は抵抗することも忘れ、その熱に溺れた。
やがて厳が身支度を整え、仕立ての良いスーツに袖を通すと、そこにはもう完璧な「組長」の姿があった。
玄関のドアが重たい音を立てて閉まる。
後に残されたのは、乱れたシーツと、微かな残り香、そして圧倒的な静寂だけ。
湊は再びベッドに潜り込み、厳の体温が残っている場所を探して体を丸めた。
半年前に拾った、傷だらけの雨鴉。
その恩返しのように与えられたこの豪華な鳥籠で、湊は飼われている。
(いつか、バレる)
その恐怖は常に喉元に突きつけられている。
けれど、あの男がもたらす痺れるような非日常の熱から、湊はもう、逃れられなくなっていた。
分厚い防音ガラスの向こうで、音もなく降りしきる雨が街のネオンを滲ませていた
朝霧 湊は、キングサイズのベッドの中で浅い呼吸を繰り返していた。
隣には、圧倒的な存在感を放つ男が眠っている。久藤 厳。広域暴力団「久藤組」の組長であり、湊の秘密の恋人だ。
ほんの数時間前まで、獣のように湊を貪っていた男とは思えないほど、その寝顔は静かだった。だが、鍛え上げられた肩から背中にかけて、複雑な模様の刺青が刻まれているのがシーツの隙間から見える。
黒い鴉と真っ赤な牡丹。
それは彼が「あちら側」の人間であるという、消えることのない烙印だ。
湊はそっと手を伸ばし、厳の頬にある小さな古傷に触れようとした。
その瞬間、閉じていたはずの厳の目が、スッと開いた。
「...起こしたか?」
寝起きとは思えない、低く、芯のある声。湊はビクリと肩を震わせて手を引っ込めた。
「い、いえ...ごめんなさい。」
「謝るな。」
厳は身を起こすと、引き締まった腹筋を露わにしたまま、サイドテーブルの煙草に手を伸ばした。カチリ、とライターの音が響き、紫煙がゆっくりと立ち昇る。
その匂いは、高価な煙草の香りに混じって、どこか鉄錆のような、危険な匂いがした。硝煙の匂いだ。
「今日は、もう帰る。」
厳が短く告げた。
いつものことだ。彼は夜明け前には必ずこの部屋を出て行く。湊が一人で暮らしているという「設定」を守るために。
「...はい。気をつけて。」
湊がそう言うと、厳は煙草を灰皿に押し付け、湊の顎を強い力で上向かせた。
「いい子だ。...余計なことは考えるな。お前はただ、ここで俺を待っていればいい。」
それは、優しさというよりは呪縛に近い言葉だった。
重ねられた唇は熱く、乱暴で、それでいてどうしようもなく甘い。湊は抵抗することも忘れ、その熱に溺れた。
やがて厳が身支度を整え、仕立ての良いスーツに袖を通すと、そこにはもう完璧な「組長」の姿があった。
玄関のドアが重たい音を立てて閉まる。
後に残されたのは、乱れたシーツと、微かな残り香、そして圧倒的な静寂だけ。
湊は再びベッドに潜り込み、厳の体温が残っている場所を探して体を丸めた。
半年前に拾った、傷だらけの雨鴉。
その恩返しのように与えられたこの豪華な鳥籠で、湊は飼われている。
(いつか、バレる)
その恐怖は常に喉元に突きつけられている。
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