1 / 12
プロローグ
硝煙と雨の匂い
しおりを挟む
午前3時の東京は、深い海の底に似ている。
分厚い防音ガラスの向こうで、音もなく降りしきる雨が街のネオンを滲ませていた。
朝霧 湊は、キングサイズのベッドの中で浅い呼吸を繰り返していた。
隣には、圧倒的な存在感を放つ男が眠っている。久藤 厳。広域暴力団「久藤組」の組長であり、湊の秘密の恋人だ。
ほんの数時間前まで、獣のように湊を貪っていた男とは思えないほど、その寝顔は静かだった。だが、鍛え上げられた肩から背中にかけて、複雑な模様の刺青が刻まれているのがシーツの隙間から見える。
黒い鴉と真っ赤な牡丹。
それは彼が「あちら側」の人間であるという、消えることのない烙印だ。
湊はそっと手を伸ばし、厳の頬にある小さな古傷に触れようとした。
その瞬間、閉じていたはずの厳の目が、スッと開いた。
「...起こしたか?」
寝起きとは思えない、低く、芯のある声。湊はビクリと肩を震わせて手を引っ込めた。
「い、いえ...ごめんなさい。」
「謝るな。」
厳は身を起こすと、引き締まった腹筋を露わにしたまま、サイドテーブルの煙草に手を伸ばした。カチリ、とライターの音が響き、紫煙がゆっくりと立ち昇る。
その匂いは、高価な煙草の香りに混じって、どこか鉄錆のような、危険な匂いがした。硝煙の匂いだ。
「今日は、もう帰る。」
厳が短く告げた。
いつものことだ。彼は夜明け前には必ずこの部屋を出て行く。湊が1人で暮らしているという「設定」を守るために。
「...はい。気をつけて。」
湊がそう言うと、厳は煙草を灰皿に押し付け、湊の顎を強い力で上向かせた。
「いい子だ。...余計なことは考えるな。お前はただ、ここで俺を待っていればいい。」
それは、優しさというよりは呪縛に近い言葉だった。
重ねられた唇は熱く、乱暴で、それでいてどうしようもなく甘い。湊は抵抗することも忘れ、その熱に溺れた。
やがて厳が身支度を整え、仕立ての良いスーツに袖を通すと、そこにはもう完璧な「組長」の姿があった。
玄関のドアが重たい音を立てて閉まる。
後に残されたのは、乱れたシーツと、微かな残り香、そして圧倒的な静寂だけ。
湊は再びベッドに潜り込み、厳の体温が残っている場所を探して体を丸めた。
半年前に拾った、傷だらけの雨鴉。
その恩返しのように与えられたこの豪華な鳥籠で、湊は飼われている。
(いつか、バレる)
その恐怖は常に喉元に突きつけられている。
けれど、あの男がもたらす痺れるような非日常の熱から、湊はもう、逃れられなくなっていた。
分厚い防音ガラスの向こうで、音もなく降りしきる雨が街のネオンを滲ませていた。
朝霧 湊は、キングサイズのベッドの中で浅い呼吸を繰り返していた。
隣には、圧倒的な存在感を放つ男が眠っている。久藤 厳。広域暴力団「久藤組」の組長であり、湊の秘密の恋人だ。
ほんの数時間前まで、獣のように湊を貪っていた男とは思えないほど、その寝顔は静かだった。だが、鍛え上げられた肩から背中にかけて、複雑な模様の刺青が刻まれているのがシーツの隙間から見える。
黒い鴉と真っ赤な牡丹。
それは彼が「あちら側」の人間であるという、消えることのない烙印だ。
湊はそっと手を伸ばし、厳の頬にある小さな古傷に触れようとした。
その瞬間、閉じていたはずの厳の目が、スッと開いた。
「...起こしたか?」
寝起きとは思えない、低く、芯のある声。湊はビクリと肩を震わせて手を引っ込めた。
「い、いえ...ごめんなさい。」
「謝るな。」
厳は身を起こすと、引き締まった腹筋を露わにしたまま、サイドテーブルの煙草に手を伸ばした。カチリ、とライターの音が響き、紫煙がゆっくりと立ち昇る。
その匂いは、高価な煙草の香りに混じって、どこか鉄錆のような、危険な匂いがした。硝煙の匂いだ。
「今日は、もう帰る。」
厳が短く告げた。
いつものことだ。彼は夜明け前には必ずこの部屋を出て行く。湊が1人で暮らしているという「設定」を守るために。
「...はい。気をつけて。」
湊がそう言うと、厳は煙草を灰皿に押し付け、湊の顎を強い力で上向かせた。
「いい子だ。...余計なことは考えるな。お前はただ、ここで俺を待っていればいい。」
それは、優しさというよりは呪縛に近い言葉だった。
重ねられた唇は熱く、乱暴で、それでいてどうしようもなく甘い。湊は抵抗することも忘れ、その熱に溺れた。
やがて厳が身支度を整え、仕立ての良いスーツに袖を通すと、そこにはもう完璧な「組長」の姿があった。
玄関のドアが重たい音を立てて閉まる。
後に残されたのは、乱れたシーツと、微かな残り香、そして圧倒的な静寂だけ。
湊は再びベッドに潜り込み、厳の体温が残っている場所を探して体を丸めた。
半年前に拾った、傷だらけの雨鴉。
その恩返しのように与えられたこの豪華な鳥籠で、湊は飼われている。
(いつか、バレる)
その恐怖は常に喉元に突きつけられている。
けれど、あの男がもたらす痺れるような非日常の熱から、湊はもう、逃れられなくなっていた。
13
あなたにおすすめの小説
バツイチ上司が、地味な僕を特別扱いしてくる
衣草 薫
BL
理性的でクールなバツイチ上司・桐原恒一は、過去の失敗から、もう誰も必要としないと決めて生きてきた。
男が好きだという事実を隠し、「期待しなければ傷つかない」と思い込んできた部下・葉山直。
すれ違いと誤解の果てに、直が職場を去ろうとしたとき、恒一は初めて“追いかける”ことを選ぶ。
選ばれないと信じてきた直と、逃げないと決めた恒一。
二人の距離が近づくことで、直は「ここにいていい」と思える場所を見つけていく。
元ノンケ上司×自己肯定感低め部下の社会人BL。※ハッピーエンド保証。
平凡な男子高校生が、素敵な、ある意味必然的な運命をつかむお話。
しゅ
BL
平凡な男子高校生が、非凡な男子高校生にベタベタで甘々に可愛がられて、ただただ幸せになる話です。
基本主人公目線で進行しますが、1部友人達の目線になることがあります。
一部ファンタジー。基本ありきたりな話です。
それでも宜しければどうぞ。
雨鴉(あめがらす)の隠れ家 Season5
遊羽(ゆう)
BL
台北で自らの「過去のデータ」をすべて焼き払い、公的にはこの世から消えたはずの厳と湊。
二人がダナン港に降り立った瞬間から、物語は新たな戦局へと突入する。
李から受け取った「ゴミの主」への手がかりを追う二人は、霧島の紹介で謎の現地ガイド・フォンと接触。
しかし、フォンが導いた先には、厳がかつて日本の組織時代に葬ったはずの、凄惨な因縁が待ち受けていた。
国家規模の利権を操る謎の組織「アンダー・ドラゴン」の実態が、メコン川を流れる泥水のように、二人の平穏をじわじわと侵食していく。
さらに、湊の類まれなるハッキング技術に目をつけた第三の勢力が、二人の絆を引き裂くための非道な罠を仕掛ける。
20cmの体格差と20歳の年齢差。
もはや守られるだけの存在ではなくなった湊は、愛する厳の背中を支えるため、自ら血塗られた泥濘へと踏み込む決意を固める。
灼熱のアジアを舞台に、逃亡者から「狩人」へと変貌を遂げる二人の、命と愛を懸けた反撃が今、始まる。
【完】君に届かない声
未希かずは(Miki)
BL
内気で友達の少ない高校生・花森眞琴は、優しくて完璧な幼なじみの長谷川匠海に密かな恋心を抱いていた。
ある日、匠海が誰かを「そばで守りたい」と話すのを耳にした眞琴。匠海の幸せのために身を引こうと、クラスの人気者・和馬に偽の恋人役を頼むが…。
すれ違う高校生二人の不器用な恋のお話です。
執着囲い込み☓健気。ハピエンです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる