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第5話
硝子の棺
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陽明山の標高が1000mを越えたあたりで、霧は濃密なミルク色へと姿を変えた。
バイクのヘッドライトが照らし出すのは、わずか2m先の濡れたアスファルトだけだ。
湊は厳の広い背中にしがみつき、李から渡されたメモリーカードの感触をポケット越しに確かめていた。
やがて道は舗装が途切れ、錆びついた鉄柵に突き当たった。
地図上には存在しない、かつての政府軍用観測所跡。
だが、湊の持つ端末は、その地下から膨大な電力消費に伴う微弱な電磁波を感知していた。
「……ここだね、厳。」
「ああ。死臭がする。」
厳はバイクを草むらに隠すと、プロの手つきで銃の動作を最終確認した。
2人は影のように静かに、コンクリートの亀裂から地下へと滑り込んだ。
内部は、外の廃墟からは想像もつかないほど無機質な空間だった。
埃1つない廊下に、LEDの冷たい光が等間隔で並んでいる。湊の指先が、壁に埋め込まれたタッチパネルの上を滑った。
「1、2、3……。セキュリティレベルは5。でも、李のカードにプリインストールされていた暗号キーが通る。……やっぱり、ここはあの『寄生虫』たちの心臓部だ…」
湊の操作で重厚な防熱ドアが音もなくスライドした。その先に広がっていた光景に、湊は息を呑んだ。
広大な地下ホールを埋め尽くしていたのは、青い光を明滅させる無数のサーバーラックだった。
それはまるで、冷たい電子の海に沈む「硝子の棺」のように見えた。
ファンの駆動音だけが、重く、低く響いている。
「厳、あれ……」
湊が指差したのは、ホールの中心にある巨大なモニター群だった。
そこには、数100万、数1000万という単位の個人データが、まるで株価チャートのようにリアルタイムで変動しながら表示されていた。
湊は近くのコンソールに端末を繋ぎ、そのデータの正体を解析し始める。
「……信じられない。これ、ただの資産データじゃない。……『人格のコピー』だ…」
「人格のコピーだと?」
厳が周囲を警戒しながら問い返す。
「そう。SNSの発言、クレジットの利用履歴、移動ログ、家族構成……それらをAIで統合して、本人と寸分違わない『仮想の個人』を作り上げてる。このサーバー1台1台が、誰かの人生のデジタルな写し身なんだ。……そして、その仮想人格たちが、マフィアの隠し口座を運用し、架空の商取引を行い、マネーロンダリングのダミーとして24時間働き続けている…」
湊の指が震えた。画面をスクロールすると、ある特定のフォルダに辿り着く。
そこには、馴染みのある2人の名前があった。
『Asagiri Minato / Kudou Gen – Status: Fugitive (Tracking)』
その中を開くと、2人が日本で暮らしていた頃の、誰にも見せたことのない日常の断片が、冷徹なパラメータとして数値化されていた。
「……僕たちの名前も、厳の過去も、全部ここに閉じ込められてる。僕たちがどんな風に笑って、どんな風に愛し合ってきたかまで、奴らの資金洗浄の『信頼スコア』に利用されてるんだ……」
「……俺たちの魂を、土足で踏みにじっているというわけか?」
厳の瞳に、極道としての凶暴な静寂が宿った。
それは組織を捨ててなお、彼の中に眠る「暴君」の覚醒だった。
その時、ホールのスピーカーから、乾いた拍手の音が響いた。
『素晴らしい解析能力だ、朝霧湊。……いや、ハッカー名“雨鴉”と呼ぶべきかな?』
合成された機械的な声が、天井から降り注ぐ。
ホールの奥から、2挺のサブマシンガンを構えた防護服姿の警備員たちが現れた。数は4人。だが、その後ろにはさらに多くの気配がある。
「寄生虫の親玉か?」
厳が銃口を声の主——監視カメラ——へ向けた。
『親玉、という表現は正しくない。我々はシステムだ。……久藤厳。君のような旧時代の暴力では、この情報の海は枯らせない。君たちのデータは、すでにこのサーバー群の深層で無数に分岐し、複製されている。我々を破壊すれば、君たちの存在した証拠もすべて消えるが……いいのか?』
「……厳、騙されないで。」
湊が立ち上がり、キーボードに指を置いた。その表情には、もはや迷いはなかった。
「僕たちがここにいた証拠なんて、データの中にはない。……厳が僕に触れた時の熱さとか、一緒に見た景色の色は、こんな冷たい硝子の箱には入ってないんだ!」
湊は李から譲り受けた端末の「最終コマンド」を入力した。
それは、サーバーの冷却システムを強制停止させ、過負荷による熱暴走を引き起こす、自爆プロトコルだった。
「120秒で、ここにあるすべてを焼き払う。」
「……交渉決裂だな。」
厳が不敵に笑い、先頭の警備員の眉間に向けて引き金を引き絞った。
地下センターは、一瞬にして電子の悲鳴と、硝煙、そして紅い警告灯が渦巻く戦場へと化した。
バイクのヘッドライトが照らし出すのは、わずか2m先の濡れたアスファルトだけだ。
湊は厳の広い背中にしがみつき、李から渡されたメモリーカードの感触をポケット越しに確かめていた。
やがて道は舗装が途切れ、錆びついた鉄柵に突き当たった。
地図上には存在しない、かつての政府軍用観測所跡。
だが、湊の持つ端末は、その地下から膨大な電力消費に伴う微弱な電磁波を感知していた。
「……ここだね、厳。」
「ああ。死臭がする。」
厳はバイクを草むらに隠すと、プロの手つきで銃の動作を最終確認した。
2人は影のように静かに、コンクリートの亀裂から地下へと滑り込んだ。
内部は、外の廃墟からは想像もつかないほど無機質な空間だった。
埃1つない廊下に、LEDの冷たい光が等間隔で並んでいる。湊の指先が、壁に埋め込まれたタッチパネルの上を滑った。
「1、2、3……。セキュリティレベルは5。でも、李のカードにプリインストールされていた暗号キーが通る。……やっぱり、ここはあの『寄生虫』たちの心臓部だ…」
湊の操作で重厚な防熱ドアが音もなくスライドした。その先に広がっていた光景に、湊は息を呑んだ。
広大な地下ホールを埋め尽くしていたのは、青い光を明滅させる無数のサーバーラックだった。
それはまるで、冷たい電子の海に沈む「硝子の棺」のように見えた。
ファンの駆動音だけが、重く、低く響いている。
「厳、あれ……」
湊が指差したのは、ホールの中心にある巨大なモニター群だった。
そこには、数100万、数1000万という単位の個人データが、まるで株価チャートのようにリアルタイムで変動しながら表示されていた。
湊は近くのコンソールに端末を繋ぎ、そのデータの正体を解析し始める。
「……信じられない。これ、ただの資産データじゃない。……『人格のコピー』だ…」
「人格のコピーだと?」
厳が周囲を警戒しながら問い返す。
「そう。SNSの発言、クレジットの利用履歴、移動ログ、家族構成……それらをAIで統合して、本人と寸分違わない『仮想の個人』を作り上げてる。このサーバー1台1台が、誰かの人生のデジタルな写し身なんだ。……そして、その仮想人格たちが、マフィアの隠し口座を運用し、架空の商取引を行い、マネーロンダリングのダミーとして24時間働き続けている…」
湊の指が震えた。画面をスクロールすると、ある特定のフォルダに辿り着く。
そこには、馴染みのある2人の名前があった。
『Asagiri Minato / Kudou Gen – Status: Fugitive (Tracking)』
その中を開くと、2人が日本で暮らしていた頃の、誰にも見せたことのない日常の断片が、冷徹なパラメータとして数値化されていた。
「……僕たちの名前も、厳の過去も、全部ここに閉じ込められてる。僕たちがどんな風に笑って、どんな風に愛し合ってきたかまで、奴らの資金洗浄の『信頼スコア』に利用されてるんだ……」
「……俺たちの魂を、土足で踏みにじっているというわけか?」
厳の瞳に、極道としての凶暴な静寂が宿った。
それは組織を捨ててなお、彼の中に眠る「暴君」の覚醒だった。
その時、ホールのスピーカーから、乾いた拍手の音が響いた。
『素晴らしい解析能力だ、朝霧湊。……いや、ハッカー名“雨鴉”と呼ぶべきかな?』
合成された機械的な声が、天井から降り注ぐ。
ホールの奥から、2挺のサブマシンガンを構えた防護服姿の警備員たちが現れた。数は4人。だが、その後ろにはさらに多くの気配がある。
「寄生虫の親玉か?」
厳が銃口を声の主——監視カメラ——へ向けた。
『親玉、という表現は正しくない。我々はシステムだ。……久藤厳。君のような旧時代の暴力では、この情報の海は枯らせない。君たちのデータは、すでにこのサーバー群の深層で無数に分岐し、複製されている。我々を破壊すれば、君たちの存在した証拠もすべて消えるが……いいのか?』
「……厳、騙されないで。」
湊が立ち上がり、キーボードに指を置いた。その表情には、もはや迷いはなかった。
「僕たちがここにいた証拠なんて、データの中にはない。……厳が僕に触れた時の熱さとか、一緒に見た景色の色は、こんな冷たい硝子の箱には入ってないんだ!」
湊は李から譲り受けた端末の「最終コマンド」を入力した。
それは、サーバーの冷却システムを強制停止させ、過負荷による熱暴走を引き起こす、自爆プロトコルだった。
「120秒で、ここにあるすべてを焼き払う。」
「……交渉決裂だな。」
厳が不敵に笑い、先頭の警備員の眉間に向けて引き金を引き絞った。
地下センターは、一瞬にして電子の悲鳴と、硝煙、そして紅い警告灯が渦巻く戦場へと化した。
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