王宮家庭教師は、ドールハウスに溺れる

クリヤ

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第2話 住み込みの家庭教師

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 王子の唇が、テオのものと重なり合う直前になっても。
 テオは、まだ分かっていなかった。
 深夜に部屋を訪れた王子の目的が、テオ本人にあるということを。
 ただ、王子の唇から漂う薔薇の香りと。
 テオの頬にサラサラとかかる王子の髪に。
 心奪われていた。


 *****

 「ようこそ、先生。私が、ヴィルヘルムです」

 執事らしき人に案内されて、長い廊下の先に、ようやく辿り着いた部屋。
 豪奢な部屋の装飾に負けない程の煌びやかさで出迎えたのは、王子その人。
 絹の糸で出来ているのではと思うような、艶やかな亜麻色の髪。
 肩につく程度に切り揃えられたそれは、窓からの風にサラサラとなびく。
 深みのある緑色の瞳が、エメラルドのように輝く。
 差し出された手のひらには、傷ひとつなく。
 つい伸ばしてしまった手を、テオは慌てて引っ込める。

 クスッ、と微笑んだ王子はテオの手を再び掴んでソファへと連れて行く。
 しっとりと柔らかなその手は、テオが触ったことのある誰とも違っていた。

 「あ、あの! 王子様。なぜ、私などを家庭教師に?」

 挨拶もそこそこに、疑問を口にしてしまうテオ。

 「まぁ、先生。とりあえず落ち着いていただいて。
  お茶は、いかがです? お菓子もお好きでしょう?」
 「え、えぇ。あ、ありがとうございます」

 白地に青い色で描かれた花の模様が美しいティカップ。
 執事がお茶を注ぎ入れると、その香りが辺りに広がる。
 テオが受け取ったカップは、あまりに軽く。
 まるで、何も持っていないかのようにも思える。

 (すごい……。王宮は、カップまでキレイなんだなぁ……)

 日頃は、重たい器しか使っていないテオ。
 見るもの全てが珍しく、輝いて見える。

 (お菓子もサクサクで、ホロホロほどける……)

 甘いものを何より好むテオ。
 いつでも口にできるようにと、干した果実を持ち歩いているくらいだ。
 初めて口にする菓子の、とろけるような甘さと後味に魅了される。
 だから、テオは気づかなかった。
 初めて会う王子が、自分の好みを知っていることに。

 「改めて、お願いします。私の家庭教師になっていただきたいのです」

 カップをカチャリとソーサーに置くと、王子は口を開いた。
 モグモグさせていた口の中の菓子を、テオは急いでお茶で流し込む。

 「……えぇっと。王子様は、大学で魔道政治学を専攻されているとか」
 「えぇ、そうです」
 「とても優秀な成績だと聞いています」
 「ははは。そうですか」
 「私が教えられることなど、あるとは思えないのです」
 「先生には、実務としての魔道学をご教授願いたいのです」
 「それなら、私よりも適任のかたが多くいらっしゃいますし」
 「そう、かも知れませんね。
  しかし、私が望むのは同世代の先生なのです」
 「はぁ。……それは、またなぜです?」
 「師というよりは、友のような形で。気負わずに、議論を重ねたい。
  そんな風に思うのは、おかしなことでしょうか?」

 少し切なげにも見える瞳で、うかがうように合わせられる王子の目。
 ドキン!
 そのまなざしに見つめられた瞬間に、テオの胸が大きく高鳴る。

 (痛っ! なんだろう? 胸が苦しい……?)

 「あ、あのっ! それは、決しておかしなことでは……」
 「そうですか。それは、安心しました。
  それでは、今日からお願いできますね?」
 「えっ? あの、それは! 色々と準備もありますし」
 「えぇ、そうでしょう。それは、全て、こちらのレイにお任せください」
 「は? はい。でも……」
 「王宮家庭教師は、住み込みになります。
  レイ、先生をお部屋にご案内して差し上げてくれ」
 「はい、王子。先生、どうぞこちらへ」

 レイと呼ばれた執事に案内されて、テオは自分の部屋へと向かう。
 家庭教師を辞退するために、王宮を訪れたはずだった。
 それなのに、いつの間にか、引き受けることになっている。
 しかも、住み込みだとは聞いていない。

 「こちらです。必要なものがあれば、いつでもお知らせください」
 「あ、あの! 一度、家に戻ろうかと」
 「失礼ながら、先生に必要なものは揃えさせていただきました」
 「え?」
 「こちらで、ご確認ください」

 用意された部屋は、テオのひとり暮らしの部屋よりもよっぽど広い。
 大きなベッドに、デスク、ソファ、本棚までもが揃えられている。
 ソファとセットのテーブルの上には、色とりどりの果物。
 ガラスの蓋付きの器には、カラフルな菓子が見える。
 驚いたことに、テオの数少ない私物は、すでに運び込まれていた。

 「これは……、私のアパートの部屋に入ったのですか?」
 「事情をお伝えしますと、大家が準備してくださったと聞いています」

 (あのアンおばさんめ! いつも勝手なんだから! あっ!)

 「あのぅ。家賃の……」
 「あぁ。支払いが滞っていた分でしたら、王子が代わりに支払いを」
 「え⁉︎  そんな! そういうわけには!」
 「それは、王子とお話しください。私は、これで失礼を」

 執事が部屋を出て行くと、テオは一気に気が抜ける。
 高級そうなソファに恐る恐る腰をおろす。
 落ち着かずに、部屋をキョロキョロと見渡す。
 自分に起こっていることの整理がつかずに、ボーッとしてしまう。

 トントントン! トントン!
 どのくらい時間が経ってしまったのかは、分からない。
 急に扉が叩かれる音がして、テオは飛び上がる。

 「ひゃい! ひゃ、は、はい!」

 焦りながら開けた扉の先には、王子がひとりで立っていた。

 「王子様⁉︎  なぜ、こちらに?」
 「先生が、部屋を気に入ってくれたか気になってね」

 砕けた口調になった王子が、スルリとテオの部屋に入ってくる。

 「え、えぇ。とても素敵です。私には、不相応ではないかと……」
 「そんなことはないよ。先生は、『私の』家庭教師なのだから」
 「そう、でしょうか?」
 「そうだよ」
 「は、はい。あ、王子様にお茶もお出ししないで……」

 バタバタと備え付けのキッチンへと向かうテオ。
 その後ろ姿に、王子が色気を含んだ視線を送っている。
 そんなことには、テオは気づくはずもない。
 『私の』と強調された言葉にも、まだ気づいてはいなかった。
 キッチンから聞こえるガチャガチャした騒音。
 王子は、ふふふと微笑んで、ゆっくりとソファに沈み込んだ。
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