代書屋ヒイラギと花言葉

クリヤ

文字の大きさ
11 / 46
第1話 別れと紫陽花

(11)紫陽花の花言葉 〜終〜

しおりを挟む
 ヨウスケからの長い手紙をじっくりと読んでいるうちに、実はユカリは自分の心にあるしこりの正体とその答えを見つけていた。
 「これからでも誤解を解くことはできますよ?」
 ヨウスケのユカリを責めているような内容の手紙に納得がいかないのか、ヒイラギがそんな提案をユカリにしてきた。
 「ふふふ。ありがとうございます。でもそれは、無理だと思います」
 ヒイラギは、この手紙を代書したのは3日前だと言っていたのだが、ヨウスケからの手紙に書かれていた日付は10年前のものだった。
 手紙から受ける印象からすると、ヨウスケはすでにこの世にはいないかも知れない。
 そうヒイラギにユカリが伝えると、ヒイラギは顔の前で手を振って否定した。
 「本業のほうの代書は、何というか……、時や場所を越えるのです」
 「え? どういう意味ですか?」
 「手紙を受け取るかたの心の準備が整った時に、手紙は届くのです。
  ヨウスケさんの手紙が今、届いたということは、そういうことです」
 「分かる気がします。10年前のわたしなら、手紙を読まないかも知れません。
  読んでも、納得いかずに怒りの感情に支配されてしまったと思います」
 ユカリの話に頷きながら、ヒイラギはさらに話を続けた。
 「だからこそ、返信のほうもいつ出したとしても、読むべきかたに届くのです」
 「亡くなったかたにでも、ですか?」
 「もちろんです。それは、まだ受取人のかたが生きている時代に届く場合もあります。もしくは、あの世と呼ばれる場所に届くことさえ、あるようです」
 「それは信じがたいお話ですね。オカルトめいていて……」
 「そう思われても仕方ないですね。でも、自分は過去から届いた手紙も未来から届いた手紙も代書したことがあります。こちらから出した手紙も同じように届くはずです。ある学問分野では、時間の概念も死の概念も無いという考えもあるらしいですから」

 ヨウスケの手紙を読む前のユカリなら、もしくはもっと以前のユカリなら。
 『どうして約束を破ったの?』とか『なぜ自分に直接聞かなかったの?』とかいう、ずっと長く疑問に思っていたことを聞きたくて代書を頼んだことだろう。

 だけれど、手紙を読んだことで、それはユカリの中で消化されてしまった。
 長らくユカリの心にあったしこりの正体は、『自分が諦めてしまったという後悔』だった。
 そして、それは自ら選んだことだったんだと思い知った。
 ヨウスケのことを本当に大切に思うなら、どうやっても会って話す必要があった。
 1年後に寺に向かうくらいなら、ヨウスケの実家にでも、元の勤め先にでもヨウスケの消息を尋ねることはできたのだ。
 ヨウスケも同じだ。
 そんなにユカリを想っていたのなら、人の言葉など真に受けずに、約束の場所に来てみれば良かったのだ。
 もしくは、文句を言いにでもいいからユカリの実家を訪れてみれば、誤解は解けたはずだ。
 それをしなかったのは、相手への想いより、自分がこれ以上傷つきたくないという思いのほうを優先したからだ。

 「そういう意味では、わたしたちは似た者同士だったんでしょうね。
  過去のことを蒸し返して、長年連れ添ったであろうヨウスケさん夫婦の間にヒビを入れるほどの気持ちは、わたしにはもう持てない。だから、返信は必要ないんです」
 カラッとした笑顔で、ユカリは言った。
 「でも、誤解させたその女性のことは許せるんですか?
  その女性がいなければ、おふたりは約束の日に会えて、幸せになれたかも……」
 ヒイラギは、まだ心配そうに、ユカリにそう問いかけた。
 「許すとか許さないとかいう立場に無いんですよ、わたしは。
  彼女は、手段はどうあれ、自ら動いて、ヨウスケさんを手に入れた。
  そういうことが大切だったんだと今なら分かります。
  彼女は、ヨウスケさんに恋をしていた。
  わたしは、恋をすることに夢中になっていただけなのかも知れません」

 ユカリがすべてを話し終えて代書屋を出ると、もうすっかり日が沈んでいた。
 来た時と同じ道を駅へと向かった。
 それなのに、来た時に見た石畳の道と青いアジサイはどこにも無かった。
 そこで、ユカリは唐突に思い出していた。
 あの石畳の道も青いアジサイの花も、あのお寺で見たものだったことを。
 青いアジサイは、ヨウスケの青い瞳と似た色をしていたことを。
 ユカリは、いつの間にかアジサイを見ないようにして生きてきたことを。

 不意に頬を伝う自分の涙に気づいたユカリは、そっと人差し指でその涙を拭った。
 「それでもやっぱり、わたしなりに好きだったのよ」
 誰に聞かせるでもない言葉が、ぽろりとユカリの口から零れる。

 東の空には、満月が出ていた。
 月見坂を下りるユカリを、その光は柔らかく照らしていた。

 青い紫陽花には、『辛抱強い愛情』という花言葉がある。
 雨期を耐え忍んで咲く様子から、その言葉ができたという。
 互いに離れていても、気持ちが変わらずにいたふたりに似合いの花だった。
 ふたりの関係は、おそらく何事も無ければ愛情によって結ばれていたことだろう。
 その一方で、紫陽花には『移り気』との花言葉も存在する。
 土の性質によって、花の色を変えるその姿から連想されるものである。
 咲く場所で色を変えるそのさまは、寄り添う女性によって気持ちが変わってしまったヨウスケの姿のようでもあった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ヤクザに医官はおりません

ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
彼は私の知らない組織の人間でした 会社の飲み会の隣の席のグループが怪しい。 シャバだの、残弾なしだの、会話が物騒すぎる。刈り上げ、角刈り、丸刈り、眉毛シャキーン。 無駄にムキムキした体に、堅い言葉遣い。 反社会組織の集まりか! ヤ◯ザに見初められたら逃げられない? 勘違いから始まる異文化交流のお話です。 ※もちろんフィクションです。 小説家になろう、カクヨムに投稿しています。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

秋月の鬼

凪子
キャラ文芸
時は昔。吉野の国の寒村に生まれ育った少女・常盤(ときわ)は、主都・白鴎(はくおう)を目指して旅立つ。領主秋月家では、当主である京次郎が正室を娶るため、国中の娘から身分を問わず花嫁候補を募っていた。 安曇城へたどりついた常盤は、美貌の花魁・夕霧や、高貴な姫君・容花、おきゃんな町娘・春日、おしとやかな令嬢・清子らと出会う。 境遇も立場もさまざまな彼女らは候補者として大部屋に集められ、その日から当主の嫁選びと称する試練が始まった。 ところが、その試練は死者が出るほど苛酷なものだった……。 常盤は試練を乗り越え、領主の正妻の座を掴みとれるのか?

課長と私のほのぼの婚

藤谷 郁
恋愛
冬美が結婚したのは十も離れた年上男性。 舘林陽一35歳。 仕事はできるが、ちょっと変わった人と噂される彼は他部署の課長さん。 ひょんなことから交際が始まり、5か月後の秋、気がつけば夫婦になっていた。 ※他サイトにも投稿。 ※一部写真は写真ACさまよりお借りしています。

子持ち愛妻家の極悪上司にアタックしてもいいですか?天国の奥様には申し訳ないですが

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
胸がきゅんと、甘い音を立てる。 相手は、妻子持ちだというのに。 入社して配属一日目。 直属の上司で教育係だって紹介された人は、酷く人相の悪い人でした。 中高大と女子校育ちで男性慣れしてない私にとって、それだけでも恐怖なのに。 彼はちかよんなオーラバリバリで、仕事の質問すらする隙がない。 それでもどうにか仕事をこなしていたがとうとう、大きなミスを犯してしまう。 「俺が、悪いのか」 人のせいにするのかと叱責されるのかと思った。 けれど。 「俺の顔と、理由があって避け気味なせいだよな、すまん」 あやまってくれた彼に、胸がきゅんと甘い音を立てる。 相手は、妻子持ちなのに。 星谷桐子 22歳 システム開発会社営業事務 中高大女子校育ちで、ちょっぴり男性が苦手 自分の非はちゃんと認める子 頑張り屋さん × 京塚大介 32歳 システム開発会社営業事務 主任 ツンツンあたまで目つき悪い 態度もでかくて人に恐怖を与えがち 5歳の娘にデレデレな愛妻家 いまでも亡くなった妻を愛している 私は京塚主任を、好きになってもいいのかな……?

貧乏大家族の私が御曹司と偽装結婚⁈

玖羽 望月
恋愛
朝木 与織子(あさぎ よりこ) 22歳 大学を卒業し、やっと憧れの都会での生活が始まった!と思いきや、突然降って湧いたお見合い話。 でも、これはただのお見合いではないらしい。 初出はエブリスタ様にて。 また番外編を追加する予定です。 シリーズ作品「恋をするのに理由はいらない」公開中です。 表紙は、「かんたん表紙メーカー」様https://sscard.monokakitools.net/covermaker.htmlで作成しました。

雪の日に

藤谷 郁
恋愛
私には許嫁がいる。 親同士の約束で、生まれる前から決まっていた結婚相手。 大学卒業を控えた冬。 私は彼に会うため、雪の金沢へと旅立つ―― ※作品の初出は2014年(平成26年)。鉄道・駅などの描写は当時のものです。

腹黒上司が実は激甘だった件について。

あさの紅茶
恋愛
私の上司、坪内さん。 彼はヤバいです。 サラサラヘアに甘いマスクで笑った顔はまさに王子様。 まわりからキャーキャー言われてるけど、仕事中の彼は腹黒悪魔だよ。 本当に厳しいんだから。 ことごとく女子を振って泣かせてきたくせに、ここにきて何故か私のことを好きだと言う。 マジで? 意味不明なんだけど。 めっちゃ意地悪なのに、かいま見える優しさにいつしか胸がぎゅっとなってしまうようになった。 素直に甘えたいとさえ思った。 だけど、私はその想いに応えられないよ。 どうしたらいいかわからない…。 ********** この作品は、他のサイトにも掲載しています。

処理中です...