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第1話 別れと紫陽花
(11)紫陽花の花言葉 〜終〜
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ヨウスケからの長い手紙をじっくりと読んでいるうちに、実はユカリは自分の心にあるしこりの正体とその答えを見つけていた。
「これからでも誤解を解くことはできますよ?」
ヨウスケのユカリを責めているような内容の手紙に納得がいかないのか、ヒイラギがそんな提案をユカリにしてきた。
「ふふふ。ありがとうございます。でもそれは、無理だと思います」
ヒイラギは、この手紙を代書したのは3日前だと言っていたのだが、ヨウスケからの手紙に書かれていた日付は10年前のものだった。
手紙から受ける印象からすると、ヨウスケはすでにこの世にはいないかも知れない。
そうヒイラギにユカリが伝えると、ヒイラギは顔の前で手を振って否定した。
「本業のほうの代書は、何というか……、時や場所を越えるのです」
「え? どういう意味ですか?」
「手紙を受け取るかたの心の準備が整った時に、手紙は届くのです。
ヨウスケさんの手紙が今、届いたということは、そういうことです」
「分かる気がします。10年前のわたしなら、手紙を読まないかも知れません。
読んでも、納得いかずに怒りの感情に支配されてしまったと思います」
ユカリの話に頷きながら、ヒイラギはさらに話を続けた。
「だからこそ、返信のほうもいつ出したとしても、読むべきかたに届くのです」
「亡くなったかたにでも、ですか?」
「もちろんです。それは、まだ受取人のかたが生きている時代に届く場合もあります。もしくは、あの世と呼ばれる場所に届くことさえ、あるようです」
「それは信じがたいお話ですね。オカルトめいていて……」
「そう思われても仕方ないですね。でも、自分は過去から届いた手紙も未来から届いた手紙も代書したことがあります。こちらから出した手紙も同じように届くはずです。ある学問分野では、時間の概念も死の概念も無いという考えもあるらしいですから」
ヨウスケの手紙を読む前のユカリなら、もしくはもっと以前のユカリなら。
『どうして約束を破ったの?』とか『なぜ自分に直接聞かなかったの?』とかいう、ずっと長く疑問に思っていたことを聞きたくて代書を頼んだことだろう。
だけれど、手紙を読んだことで、それはユカリの中で消化されてしまった。
長らくユカリの心にあったしこりの正体は、『自分が諦めてしまったという後悔』だった。
そして、それは自ら選んだことだったんだと思い知った。
ヨウスケのことを本当に大切に思うなら、どうやっても会って話す必要があった。
1年後に寺に向かうくらいなら、ヨウスケの実家にでも、元の勤め先にでもヨウスケの消息を尋ねることはできたのだ。
ヨウスケも同じだ。
そんなにユカリを想っていたのなら、人の言葉など真に受けずに、約束の場所に来てみれば良かったのだ。
もしくは、文句を言いにでもいいからユカリの実家を訪れてみれば、誤解は解けたはずだ。
それをしなかったのは、相手への想いより、自分がこれ以上傷つきたくないという思いのほうを優先したからだ。
「そういう意味では、わたしたちは似た者同士だったんでしょうね。
過去のことを蒸し返して、長年連れ添ったであろうヨウスケさん夫婦の間にヒビを入れるほどの気持ちは、わたしにはもう持てない。だから、返信は必要ないんです」
カラッとした笑顔で、ユカリは言った。
「でも、誤解させたその女性のことは許せるんですか?
その女性がいなければ、おふたりは約束の日に会えて、幸せになれたかも……」
ヒイラギは、まだ心配そうに、ユカリにそう問いかけた。
「許すとか許さないとかいう立場に無いんですよ、わたしは。
彼女は、手段はどうあれ、自ら動いて、ヨウスケさんを手に入れた。
そういうことが大切だったんだと今なら分かります。
彼女は、ヨウスケさんに恋をしていた。
わたしは、恋をすることに夢中になっていただけなのかも知れません」
ユカリがすべてを話し終えて代書屋を出ると、もうすっかり日が沈んでいた。
来た時と同じ道を駅へと向かった。
それなのに、来た時に見た石畳の道と青いアジサイはどこにも無かった。
そこで、ユカリは唐突に思い出していた。
あの石畳の道も青いアジサイの花も、あのお寺で見たものだったことを。
青いアジサイは、ヨウスケの青い瞳と似た色をしていたことを。
ユカリは、いつの間にかアジサイを見ないようにして生きてきたことを。
不意に頬を伝う自分の涙に気づいたユカリは、そっと人差し指でその涙を拭った。
「それでもやっぱり、わたしなりに好きだったのよ」
誰に聞かせるでもない言葉が、ぽろりとユカリの口から零れる。
東の空には、満月が出ていた。
月見坂を下りるユカリを、その光は柔らかく照らしていた。
青い紫陽花には、『辛抱強い愛情』という花言葉がある。
雨期を耐え忍んで咲く様子から、その言葉ができたという。
互いに離れていても、気持ちが変わらずにいたふたりに似合いの花だった。
ふたりの関係は、おそらく何事も無ければ愛情によって結ばれていたことだろう。
その一方で、紫陽花には『移り気』との花言葉も存在する。
土の性質によって、花の色を変えるその姿から連想されるものである。
咲く場所で色を変えるそのさまは、寄り添う女性によって気持ちが変わってしまったヨウスケの姿のようでもあった。
「これからでも誤解を解くことはできますよ?」
ヨウスケのユカリを責めているような内容の手紙に納得がいかないのか、ヒイラギがそんな提案をユカリにしてきた。
「ふふふ。ありがとうございます。でもそれは、無理だと思います」
ヒイラギは、この手紙を代書したのは3日前だと言っていたのだが、ヨウスケからの手紙に書かれていた日付は10年前のものだった。
手紙から受ける印象からすると、ヨウスケはすでにこの世にはいないかも知れない。
そうヒイラギにユカリが伝えると、ヒイラギは顔の前で手を振って否定した。
「本業のほうの代書は、何というか……、時や場所を越えるのです」
「え? どういう意味ですか?」
「手紙を受け取るかたの心の準備が整った時に、手紙は届くのです。
ヨウスケさんの手紙が今、届いたということは、そういうことです」
「分かる気がします。10年前のわたしなら、手紙を読まないかも知れません。
読んでも、納得いかずに怒りの感情に支配されてしまったと思います」
ユカリの話に頷きながら、ヒイラギはさらに話を続けた。
「だからこそ、返信のほうもいつ出したとしても、読むべきかたに届くのです」
「亡くなったかたにでも、ですか?」
「もちろんです。それは、まだ受取人のかたが生きている時代に届く場合もあります。もしくは、あの世と呼ばれる場所に届くことさえ、あるようです」
「それは信じがたいお話ですね。オカルトめいていて……」
「そう思われても仕方ないですね。でも、自分は過去から届いた手紙も未来から届いた手紙も代書したことがあります。こちらから出した手紙も同じように届くはずです。ある学問分野では、時間の概念も死の概念も無いという考えもあるらしいですから」
ヨウスケの手紙を読む前のユカリなら、もしくはもっと以前のユカリなら。
『どうして約束を破ったの?』とか『なぜ自分に直接聞かなかったの?』とかいう、ずっと長く疑問に思っていたことを聞きたくて代書を頼んだことだろう。
だけれど、手紙を読んだことで、それはユカリの中で消化されてしまった。
長らくユカリの心にあったしこりの正体は、『自分が諦めてしまったという後悔』だった。
そして、それは自ら選んだことだったんだと思い知った。
ヨウスケのことを本当に大切に思うなら、どうやっても会って話す必要があった。
1年後に寺に向かうくらいなら、ヨウスケの実家にでも、元の勤め先にでもヨウスケの消息を尋ねることはできたのだ。
ヨウスケも同じだ。
そんなにユカリを想っていたのなら、人の言葉など真に受けずに、約束の場所に来てみれば良かったのだ。
もしくは、文句を言いにでもいいからユカリの実家を訪れてみれば、誤解は解けたはずだ。
それをしなかったのは、相手への想いより、自分がこれ以上傷つきたくないという思いのほうを優先したからだ。
「そういう意味では、わたしたちは似た者同士だったんでしょうね。
過去のことを蒸し返して、長年連れ添ったであろうヨウスケさん夫婦の間にヒビを入れるほどの気持ちは、わたしにはもう持てない。だから、返信は必要ないんです」
カラッとした笑顔で、ユカリは言った。
「でも、誤解させたその女性のことは許せるんですか?
その女性がいなければ、おふたりは約束の日に会えて、幸せになれたかも……」
ヒイラギは、まだ心配そうに、ユカリにそう問いかけた。
「許すとか許さないとかいう立場に無いんですよ、わたしは。
彼女は、手段はどうあれ、自ら動いて、ヨウスケさんを手に入れた。
そういうことが大切だったんだと今なら分かります。
彼女は、ヨウスケさんに恋をしていた。
わたしは、恋をすることに夢中になっていただけなのかも知れません」
ユカリがすべてを話し終えて代書屋を出ると、もうすっかり日が沈んでいた。
来た時と同じ道を駅へと向かった。
それなのに、来た時に見た石畳の道と青いアジサイはどこにも無かった。
そこで、ユカリは唐突に思い出していた。
あの石畳の道も青いアジサイの花も、あのお寺で見たものだったことを。
青いアジサイは、ヨウスケの青い瞳と似た色をしていたことを。
ユカリは、いつの間にかアジサイを見ないようにして生きてきたことを。
不意に頬を伝う自分の涙に気づいたユカリは、そっと人差し指でその涙を拭った。
「それでもやっぱり、わたしなりに好きだったのよ」
誰に聞かせるでもない言葉が、ぽろりとユカリの口から零れる。
東の空には、満月が出ていた。
月見坂を下りるユカリを、その光は柔らかく照らしていた。
青い紫陽花には、『辛抱強い愛情』という花言葉がある。
雨期を耐え忍んで咲く様子から、その言葉ができたという。
互いに離れていても、気持ちが変わらずにいたふたりに似合いの花だった。
ふたりの関係は、おそらく何事も無ければ愛情によって結ばれていたことだろう。
その一方で、紫陽花には『移り気』との花言葉も存在する。
土の性質によって、花の色を変えるその姿から連想されるものである。
咲く場所で色を変えるそのさまは、寄り添う女性によって気持ちが変わってしまったヨウスケの姿のようでもあった。
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