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第四話「使用人の疑惑」
しおりを挟むヴァルモント公爵家の執事、セバスチャンは、長年の経験から多くのことに気づく目を持っていた。
そして最近、彼は一つの異変に気づいていた。
「……お嬢様が、笑っている」
メイド長のマルタが、驚いたように呟いた。
「ええ、しかも頻繁に」
二人は廊下の隅で、小声で会話していた。
「昨夜も、ベランダで何か話していらっしゃいました」
「独り言、ではないのか?」
「いえ、それが……誰かに話しかけるような口調で」
セバスチャンは眉をひそめた。
セシリア嬢が夜、ベランダで一人反省会をするのは、使用人たちの間では周知の事実だった。だが、最近は様子が違う。
「調査が必要だな」
「まさか、殿方では……?」
「それは困る」
二人は顔を見合わせた。
───
その夜、セバスチャンとマルタは、セシリアの部屋から少し離れた場所で見張りをしていた。
「お嬢様が、ベランダに出られました」
マルタが小声で報告した。
「何か見えるか」
「少々お待ちを……あっ」
「どうした」
「猫です」
「……猫?」
セバスチャンは目を細めた。
確かに、セシリアのベランダには、銀灰色の猫が座っていた。
そして、セシリア嬢は——
「まあ、なんということでしょう」
マルタが感嘆の声を上げた。
セシリアは、満面の笑みで猫を抱き上げていた。
「お嬢様が、あんなに笑顔で……」
「しかも、猫に話しかけている」
二人は、遠くからセシリアの様子を観察した。
彼女は猫を抱きしめ、優しく撫で、何かを語りかけている。その表情は、昼間の冷たい仮面とはまるで別人だった。
「……なるほど」
セバスチャンは小さく頷いた。
「お嬢様は、猫がお好きだったのですね」
「ええ、それも相当に」
二人は安堵のため息をついた。
「殿方でなくて、よかったですわ」
「まったくだ」
───
翌朝、使用人たちの間で緊急会議が開かれた。
「つまり、お嬢様は猫に癒されていらっしゃる、と」
料理長が確認するように言った。
「ええ、間違いありません」
セバスチャンが頷いた。
「それなら、我々にできることがあるのでは?」
若いメイドが手を上げた。
「お嬢様のために、猫が快適に過ごせる環境を整えるべきだと思います」
「賛成です」
「ええ、お嬢様のお役に立てるなら」
使用人たちは、次々と頷いた。
セバスチャンは少し考えた後、静かに言った。
「では、こうしよう。ベランダに、猫用の小さな寝床を用意する。ただし、お嬢様に気づかれないように」
「あと、ミルクも用意しましょう」
「上質なものを」
使用人たちは、目を輝かせて計画を練り始めた。
───
その夜、セシリアがベランダに出ると、いつものように猫が待っていた。
「ルナ!」
彼女は猫を抱き上げた。
そのとき、ベランダの隅に、小さなクッションが置かれていることに気づいた。
「……あら?」
隣には、小さな皿にミルクが入っている。
「これ、誰が……」
セシリアは戸惑ったが、すぐに理解した。
「使用人たちが、気を遣ってくれたのね」
彼女は小さく笑った。
「ルナ、あなた、愛されているのよ」
猫——アルベルトは、セシリアの腕の中で複雑な気持ちになった。
(使用人たちめ……余計なことを)
だが、セシリアが嬉しそうにしているのを見て、何も言えなかった。
「さあ、ミルクを飲む?」
セシリアは猫を床に下ろし、ミルクの皿を差し出した。
アルベルトは一瞬、躊躇した。
(……私は皇太子だぞ)
だが、セシリアが期待に満ちた目で見ているのを見て、観念した。
彼は優雅に皿に近づき、少しだけミルクを舐めた。
「美味しい?」
セシリアが嬉しそうに聞いた。
アルベルトは小さく鳴いた。
「よかった」
セシリアは満足そうに微笑み、猫を再び抱き上げた。
「ルナ、今日はね……」
彼女はいつものように、今日あったことを語り始めた。
アルベルトは、彼女の腕の中で目を細めた。
(……まあ、使用人たちの忠誠心は認めよう)
彼の尻尾が、セシリアの手首にゆっくりと巻きついた。
───
翌日、帝国宮殿。
「殿下、昨夜は……」
「何だ」
側近の騎士、レオンハルトは、慎重に言葉を選んだ。
「……お召し物に、猫の毛が」
アルベルトは無表情のまま、自分の服を見た。
確かに、銀灰色の毛が数本ついていた。
「……気づかなかった」
「殿下、まさか本当に猫を飼っていらっしゃるので……」
「飼ってはいない」
「では……」
「詮索するな」
アルベルトは冷たく言い放った。
レオンハルトは口を閉じたが、内心では確信していた。
(殿下は、間違いなく猫に関わっている……いや、もしかして……)
彼の脳裏に、ある可能性が浮かんだ。
(殿下が猫に変身できる、という古い記録があったような……)
だが、それを確かめる術はなかった。
───
その夜も、猫は現れた。
「ルナ、見て。今日は新しいクッションが増えているわ」
セシリアは嬉しそうに言った。
ベランダには、さらに豪華な猫用ベッドが設置されていた。
「使用人たち、どんどん本気になっているわね」
セシリアは苦笑した。
「でもね、ルナ。あなたが一番好きな場所は……」
彼女は猫を抱き上げ、自分の膝の上に乗せた。
「ここでしょう?」
猫は小さく喉を鳴らした。
「私もよ。あなたがここにいてくれるのが、一番好き」
セシリアは猫を優しく抱きしめた。
アルベルトは、彼女の腕の中で目を閉じた。
(……ああ、その通りだ)
彼の尻尾が、セシリアの腰にしっかりと巻きついた。
(どんな豪華なベッドより、君の膝の上が一番いい)
だが、それを言葉にすることはできない。
今は、ただの猫として、彼女の温もりを感じることしかできなかった。
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