名前を捨てた王女と、踊り子の恋― 人形王女の選択 ―

ria_alphapolis

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第1話 人形になる前の、最後の記憶

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――その頃の私は、ちゃんと笑っていた。

それを覚えている人は、もう城の中にはいない。

けれど確かに、私はかつて、感情を持つことを許されていた。

私の名はエレオノーラ。

この国の第一王女であり、そして――まだ"人形"になる前の少女だった。

---

## ◆

「エレオノーラ、走ると転びますよ」

母の声が、背後から優しく響く。

「大丈夫よ、お母さま!」

石畳の回廊を駆け抜けながら、私は振り返って笑った。ドレスの裾を片手で掴んで、もう片方の手で母に手を振る。靴音が廊下に響いて、侍女たちが慌てて道を開けてくれる。

その笑顔を、誰も咎めなかった時代。

母――女王セレスティーヌは、いつも少し困ったように、でも嬉しそうに微笑んでいた。金色の髪が陽光に揺れて、私はその姿が誇らしかった。

「あなたは本当に、風のような子ね」

「だって、城は広いんだもの! 全部見たいの!」

私は母の手を引いて、庭へ、回廊へ、城門の上へと連れ回した。庭師が育てているバラの蕾を覗き込んだり、兵士に挨拶したり、厨房で焼きたてのパンを分けてもらったり。

王女としての振る舞い?

そんなものは、後で覚えればいいと、母は言ってくれた。

「今は、感じなさい。喜びも、悲しみも、怒りも。それができるのは、生きている証なのだから」

その言葉の意味を、当時の私はよく分かっていなかった。

ただ、母の声が温かくて、その手が柔らかくて――それだけで、世界は満ち足りていた。

---

## ◆

母は、孤児院への慰問を欠かさなかった。

月に一度、必ず。どんなに政務が忙しくても、母はその予定だけは変えなかった。

「どうして、こんなに頻繁に?」

馬車の中で尋ねると、母は私の髪を撫でて答えた。

「忘れないためよ。この国には、私たちの知らない人生がたくさんある」

母の瞳は、いつもより少し遠くを見ていた。

「私たちは、城の中で生きている。それはとても幸運なことだけれど……それだけが、この国のすべてではないの」

私は頷いた。意味は半分も分からなかったけれど、母の言葉はいつも正しかった。



孤児院は、城下町の外れにあった。

決して華やかではないけれど、子どもたちの笑い声が絶えない場所。

私は、そこが好きだった。

城では、みんなが私に気を遣う。けれどここでは、子どもたちは私を「変な服の女の子」くらいにしか思っていなかった。

「王女さま!」

小さな手が、私のドレスの裾を引く。

年の頃は、私と同じか、少し下。黒髪で、少し大きな瞳の男の子だった。頬に泥がついていて、膝が少し擦りむいている。

「一緒に、踊って!」

「踊るの?」

私は驚いて、思わず笑った。

「うん! 見ててね!」

音楽なんてなかったけれど、彼はくるくると回り、楽しそうに跳ねた。両手を広げて、まるで鳥みたいに。

見よう見まねで、私も回る。ドレスの裾が広がって、世界がぐるぐる回る。

「上手だね!」

「ほんと?」

息を切らしながら笑うと、彼も笑った。

その笑顔が、胸に残った。

理由は分からなかった。ただ、忘れたくないと思った。



――それが、アデルだった。

この時はまだ、名前すら知らなかった。

けれど、不思議と忘れられなかった。

慰問のたび、私は彼を探した。彼も、私を見つけると嬉しそうに駆け寄ってきた。

「今日はね、新しい踊りを覚えたんだ!」

「見せて!」

「王女さまも、一緒にやる?」

「もちろん!」

それは、何でもない日々。

けれど確かに、私が"生きていた"証だった。

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