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第4話(前編)「彼女が遠ざかっていく」(王子視点)
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レオンハルト・フォン・エルステッド――第一王子である僕は、執務室で書類に目を通していた。
いや、正確には「目を通しているふりをしていた」と言うべきか。
文字が、まったく頭に入ってこない。
頭の中は、彼女のことでいっぱいだった。
エリーゼ・ローゼンタール。
僕の婚約者。
そして――僕が、幼い頃から愛し続けている、たった一人の女性。
「……おかしい」
呟いて、羽根ペンを置く。
彼女の様子が、明らかにおかしい。
この一週間、いや、もっと前から――彼女は変わってしまった。
あの天真爛漫な笑顔が消え、代わりに作り物のような笑みを浮かべるようになった。
蒼色のドレス――僕の瞳の色を、彼女はもう選ばない。
あの可愛らしい髪飾りも、リボンも、全て消えた。
そして――
彼女は、僕から距離を取ろうとしている。
「くそ……」
思わず机を叩いた。
執務室の扉が、ノックされる。
「失礼いたします」
入ってきたのは、側近のクラウスだった。
「殿下、お顔の色がよろしくありませんが」
「……問題ない」
「本当に? ここ数日、ずっとそのような顔をされていますが」
クラウスは僕の幼馴染で、遠慮のない男だ。
「エリーゼ様のことでしょう?」
図星を突かれ、僕は黙り込んだ。
「やはり。噂は聞いております」
「噂?」
「エリーゼ様が、最近様子がおかしいと」
クラウスが椅子に座る。
「社交界でも話題になっているそうです。以前はあんなに明るかったのに、最近は大人しくなられたと」
「……そうか」
僕だけが気づいているわけではないのか。
ならば――原因は何だ。
「殿下、失礼ですが一つお聞きしても?」
「何だ」
「エリーゼ様に、何か心当たりは?」
「……ない」
僕は首を振った。
「むしろ、僕は彼女に『君のままでいい』と何度も伝えた」
「それは……」
「だが、彼女は変わろうとしている。『良い婚約者になる』と言って、自分を押し殺している」
苛立ちが込み上げる。
僕は彼女の、あの我儘が好きなのだ。
僕のために時間をかけ、僕のために悩み、僕のために選んでくれる。
それが、どれほど愛おしいか。
「殿下」
クラウスが真面目な顔で言った。
「もしかして、誰かがエリーゼ様に何か言ったのでは?」
「……それも考えた」
僕は立ち上がり、窓辺に向かう。
庭園が見える。あそこで、つい先日彼女とお茶をした。
彼女は、苺のタルトに手をつけなかった。
あんなに好きだったのに。
「調べてみましょうか?」
「いや」
僕は首を振った。
「彼女が話してくれないなら、無理に聞き出すべきではない」
「ですが――」
「僕は、彼女を信じたい」
そう言いながら、胸の奥に不安が渦巻く。
彼女は、僕を信じていないのではないか。
僕の言葉を、信じてくれていないのではないか。
その夜、僕は寝室で一人、過去を思い返していた。
エリーゼと初めて会ったのは、彼女が七歳の時。
僕は十二歳だった。
小さな女の子。
栗色の髪に、琥珀色の瞳。
そして――とても、我儘だった。
いや、我儘というより――芯が強かった。
「このドレス、嫌!」
パーティの前、彼女は侍女に叫んでいた。
「ピンクは似合わないもの! 私は、レオンハルト様とお揃いがいいの!」
周囲の大人たちは眉をひそめた。
「侯爵令嬢ともあろう方が、なんて我儘な」
「あれでは、良い婚約者にはなれませんわね」
けれど、僕は思った。
彼女は――自分の意志を、曲げない。
それが、僕には眩しく見えた。
「レオンハルト様」
彼女が僕に駆け寄ってきた。
「私、ピンクのドレスは着たくないの。でもみんな、我儘だって言うの」
「そうか」
僕は膝をついて、彼女と目線を合わせた。
「でも、君が嫌なら、着なくていい」
「……本当?」
「ああ。君は、君の好きなものを選べばいい」
彼女の目が、きらきらと輝いた。
「レオンハルト様、優しい! 大好き!」
そう言って、彼女は僕に抱きついた。
小さな体。
温かい体温。
そのとき、僕は決めた。
この子を、守ろう。
この子の我儘を、全部受け止めよう。
この子が、笑顔でいられるように。
それが――僕の、たった一つの願いだった。
いや、正確には「目を通しているふりをしていた」と言うべきか。
文字が、まったく頭に入ってこない。
頭の中は、彼女のことでいっぱいだった。
エリーゼ・ローゼンタール。
僕の婚約者。
そして――僕が、幼い頃から愛し続けている、たった一人の女性。
「……おかしい」
呟いて、羽根ペンを置く。
彼女の様子が、明らかにおかしい。
この一週間、いや、もっと前から――彼女は変わってしまった。
あの天真爛漫な笑顔が消え、代わりに作り物のような笑みを浮かべるようになった。
蒼色のドレス――僕の瞳の色を、彼女はもう選ばない。
あの可愛らしい髪飾りも、リボンも、全て消えた。
そして――
彼女は、僕から距離を取ろうとしている。
「くそ……」
思わず机を叩いた。
執務室の扉が、ノックされる。
「失礼いたします」
入ってきたのは、側近のクラウスだった。
「殿下、お顔の色がよろしくありませんが」
「……問題ない」
「本当に? ここ数日、ずっとそのような顔をされていますが」
クラウスは僕の幼馴染で、遠慮のない男だ。
「エリーゼ様のことでしょう?」
図星を突かれ、僕は黙り込んだ。
「やはり。噂は聞いております」
「噂?」
「エリーゼ様が、最近様子がおかしいと」
クラウスが椅子に座る。
「社交界でも話題になっているそうです。以前はあんなに明るかったのに、最近は大人しくなられたと」
「……そうか」
僕だけが気づいているわけではないのか。
ならば――原因は何だ。
「殿下、失礼ですが一つお聞きしても?」
「何だ」
「エリーゼ様に、何か心当たりは?」
「……ない」
僕は首を振った。
「むしろ、僕は彼女に『君のままでいい』と何度も伝えた」
「それは……」
「だが、彼女は変わろうとしている。『良い婚約者になる』と言って、自分を押し殺している」
苛立ちが込み上げる。
僕は彼女の、あの我儘が好きなのだ。
僕のために時間をかけ、僕のために悩み、僕のために選んでくれる。
それが、どれほど愛おしいか。
「殿下」
クラウスが真面目な顔で言った。
「もしかして、誰かがエリーゼ様に何か言ったのでは?」
「……それも考えた」
僕は立ち上がり、窓辺に向かう。
庭園が見える。あそこで、つい先日彼女とお茶をした。
彼女は、苺のタルトに手をつけなかった。
あんなに好きだったのに。
「調べてみましょうか?」
「いや」
僕は首を振った。
「彼女が話してくれないなら、無理に聞き出すべきではない」
「ですが――」
「僕は、彼女を信じたい」
そう言いながら、胸の奥に不安が渦巻く。
彼女は、僕を信じていないのではないか。
僕の言葉を、信じてくれていないのではないか。
その夜、僕は寝室で一人、過去を思い返していた。
エリーゼと初めて会ったのは、彼女が七歳の時。
僕は十二歳だった。
小さな女の子。
栗色の髪に、琥珀色の瞳。
そして――とても、我儘だった。
いや、我儘というより――芯が強かった。
「このドレス、嫌!」
パーティの前、彼女は侍女に叫んでいた。
「ピンクは似合わないもの! 私は、レオンハルト様とお揃いがいいの!」
周囲の大人たちは眉をひそめた。
「侯爵令嬢ともあろう方が、なんて我儘な」
「あれでは、良い婚約者にはなれませんわね」
けれど、僕は思った。
彼女は――自分の意志を、曲げない。
それが、僕には眩しく見えた。
「レオンハルト様」
彼女が僕に駆け寄ってきた。
「私、ピンクのドレスは着たくないの。でもみんな、我儘だって言うの」
「そうか」
僕は膝をついて、彼女と目線を合わせた。
「でも、君が嫌なら、着なくていい」
「……本当?」
「ああ。君は、君の好きなものを選べばいい」
彼女の目が、きらきらと輝いた。
「レオンハルト様、優しい! 大好き!」
そう言って、彼女は僕に抱きついた。
小さな体。
温かい体温。
そのとき、僕は決めた。
この子を、守ろう。
この子の我儘を、全部受け止めよう。
この子が、笑顔でいられるように。
それが――僕の、たった一つの願いだった。
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