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第5話(前編)「約束したのに、また」
しおりを挟む殿下と約束した。
もう二度と、逃げないと。
あの温かい腕の中で、私は確かに頷いた。
けれど――
「エリーゼ様、今日の舞踏会のドレスですが」
マリアが二着のドレスを持ってくる。
一着は、深い蒼色。
殿下の瞳の色。
もう一着は、上品な銀色。
私の手が、蒼色のドレスに伸びかける。
でも――
「銀色の方で」
「……エリーゼ様」
マリアが困ったような顔をする。
「本当によろしいのですか? 殿下は、きっと蒼色を――」
「大丈夫よ」
私は笑顔を作った。
「たまには違う色も、いいでしょう?」
マリアは何も言わなかったが、その表情は明らかに納得していなかった。
私も――本当は、蒼色が着たい。
殿下の色が、着たい。
でも。
昨日、殿下に抱きしめられて。
優しい言葉をかけられて。
私は思ってしまった。
殿下は、優しすぎる。
私のために、無理をしているのではないか、と。
◆
王宮の大広間は、華やかな装飾で彩られていた。
今夜は、近隣諸国の使節を招いた舞踏会。
私は殿下の隣に立ち、微笑みを浮かべている。
「エリーゼ」
殿下が小さく囁く。
「その、ドレス……」
「はい。どうですか?」
私は裾を軽く持ち上げて、くるりと回ってみせた。
殿下の表情が、僅かに曇る。
「……綺麗だ」
その言葉に、嘘はないと思う。
でも――
殿下の瞳には、落胆の色が浮かんでいた。
「蒼色ではないのか、と思っただけだ」
「ああ……」
私は笑顔を繕う。
「たまには、違う色もと思いまして」
「そうか」
殿下は何も言わなくなった。
ただ、その手が――私の手を、いつもより強く握っていた。
音楽が流れ始める。
舞踏会の開幕だ。
「エリーゼ、踊ろう」
殿下が手を差し出す。
私はその手を取り、舞踏室の中央へ。
周囲の視線が集まる。
第一王子と、その婚約者。
誰もが注目する、二人。
音楽に合わせて、体が動く。
殿下のリードは完璧で、私はただ身を任せるだけでいい。
「エリーゼ」
「はい?」
「君は、昨日の約束を覚えているか」
心臓が、どきりと跳ねる。
「もちろん、覚えています」
「なら――」
殿下の腕に、力が込められる。
「なぜ、また銀色のドレスを選んだ」
「それは……」
「昨日、僕は言ったはずだ。君のままでいい、と」
「はい……」
「なのに、君はまた――自分を押し殺している」
殿下の声が、低くなる。
「僕の言葉は、君に届いていないのか」
「届いています!」
思わず、声が大きくなってしまう。
周囲の視線が、一斉に集まった。
慌てて声を落とす。
「届いています……でも……」
「でも?」
「殿下は、優しすぎるんです」
私は殿下の胸元を見つめたまま、呟いた。
「私の我儘を、全部受け入れてくださる。でも、それは……」
「それは?」
「殿下が、無理をしているのではないかって……」
殿下の動きが、止まった。
音楽はまだ流れているのに。
周囲の人々は踊り続けているのに。
私たちだけ、時が止まったように。
「エリーゼ」
殿下が私の顎に手を添える。
顔を上げさせられ、蒼い瞳と目が合う。
「僕は、無理などしていない」
「でも――」
「君の我儘を受け入れるのは、僕の喜びだ」
真剣な眼差し。
「それを、無理だと思うか?」
「……分かりません」
正直に答えた。
「殿下がそう言ってくださるのは、嬉しいです。でも、周囲は……」
「また、周囲か」
殿下の表情が、険しくなる。
「エリーゼ。君が気にしているのは、周囲の目だけか?」
「それは……」
「それとも――」
殿下が身を屈めて、私の耳元で囁く。
「君は、僕を信じていないのか?」
「……っ!」
胸が、締め付けられる。
違う。
信じていないわけじゃない。
ただ――怖いだけ。
殿下の優しさが、いつか尽きてしまうのが。
あの本の令嬢のように、私も捨てられてしまうのが。
「殿下……私は……」
言葉を探す。
でも、何も出てこない。
殿下はため息をついた。
「今夜は、もういい」
「え……」
「疲れたのだろう。部屋で休むといい」
殿下が私の手を離す。
その瞬間、世界が冷たくなった気がした。
「殿下……」
「僕は、ここに残る。使節との挨拶がまだ残っているから」
殿下は背を向ける。
「先に帰っていてくれ」
「お待ちください!」
思わず、殿下の袖を掴んだ。
殿下が振り返る。
その表情は――とても、悲しそうだった。
「エリーゼ。君が僕を信じてくれるまで、僕は待つ」
「殿下……」
「でも、それがいつになるのか――僕にも、分からない」
そう言って、殿下は人々の中へ消えていった。
残された私は、ただその場に立ち尽くすしかなかった。
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