縁仁【ENZIN】 捜査一課 対凶悪異常犯罪交渉係

鬼霧宗作

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事例1 九十九人殺しと孤高の殺人蜂【プロローグ】

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 空気が変わったと例えるべきか。ただでさえよどんでいた地下の空気が、ぴりぴりと刺激を伴って倉科に襲いかかってくる。実際には空調が動いているし、決してそんなことはないのであろうが、そう思えてしまうほどに、彼の存在感は大きかった。

 鉄格子の向こう側に、自分とは生きている世界が違う人間がいる。三桁近い人間を殺しておきながら、のうのうと生きている化け物が潜んでいるのだ。倉科は拳銃を鉄格子の向こうへと銃口を向けた。こうして顔を合わせるだけで、丸腰では太刀打ちできないと思わせるのは、やはり殺人鬼の貫禄かんろくなのか。

 黒のタンクトップに、履き慣らしたダメージジーンズ。露出した両肩にはトライバルタトゥーが入っている。刑務所に収容されているわけではないためか、髪は伸ばし放題。黒髪が肩までかかっていた。その黒髪から覗くは、まるで獣の瞳だ。鉄格子越しとはいえ、その威圧感だけで倉科は命の危機を感じた。こんな損な役回り、さっさと誰かに投げてしまいたい。

「泣きつきに来たわけじゃない。司法取引に来たんだよ。お前の待遇が少し改善されるかもしれないんだ。ありがたく思えよ――」

 及び腰のままでは雰囲気に飲み込まれてしまう。倉科は目に見えない威圧感に対抗すべく、引き金にかけた指にやや力を込めた。

「ひゃはははっ。日本じゃ司法取引なんてもん認められてねぇよ。死刑にするならさっさと死刑にしろよ」

 独特の笑い声を上げる彼に、倉科はつくづく自らの立場を呪った。何が悲しくて、こんな殺人鬼の相手をしなければならないのだ――。特殊勤務手当は目一杯貰っているものの、その他に特別手当のひとつでもつけて貰わねば割が合わない。

「ここは特殊なんだよ。俺から言わせりゃ治法外区域みたいなもんだ。お前みたいな殺人鬼はのうのうと生きてるわ、国民には全てが機密の訳の分からん施設だわでな。いまさら、司法取引がどうのこうのなんて言ったところで、それが通ると思うか?」

 確かに彼の言う通り、日本は司法取引を認めていない。海外になると犯罪者に対して、減刑などを引き換えに、捜査の協力や事件に関する重要な情報などの提供を促すという制度――司法取引が認められているのだが、日本国においては一切認められていない。けれども、ここはそもそも法を超越ちょうえつしてしまっている場所だ。司法取引だって暗黙の了解で認められている。大体、この凶悪な殺人鬼が、損得勘定なしで捜査に協力することなど、あり得ないのだから。あるとすれば、よほど彼が興味を示すような玩具を持って来た時だけだ。
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