お隣さん家の圭くんは

角井まる子

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忘れてはいけないこと

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「麻実ちゃん!」

呼ばれて振りむけば、そこにはずっと小さい圭の姿。
腰ぐらいの身長しかなくて、サラサラの髪の毛には天使の輪。
大きな瞳はキラキラと光を蓄えていて、まさに地上に舞い降りた天使のよう。
そんな圭が、まっすぐにわたしを見て、微笑んでいる。
懐かしい景色に、なんだかこころが温かく――

「なまいきね!麻実さまと呼びなさいって言ったでしょう!」

幼い頃の、甲高い自分の声が後ろから聞こえる。
今度はそちらにばっと振り抜けば、ムスッとした可愛くないわたし。

「ごめんなさい、麻美さま」
「ふん。ばかには何度言っても分からないのね」

しょんぼりとした美少年に、どちらかと言えば不細工寄りな女子が、何がそんなに偉いのかふんぞり返って命令している。
痛い・・・見ているこっちが痛いよ!
ちょっとそこの生意気なわたし!あんたがそんな偉そうな態度をとるから、その後のわたしの人生は真っ暗なのよ!
今すぐその天使のような圭に土下座して謝んなさい!なんなら靴でも舐めなさい!
なんて言ってももちろん聞こえるはずもなく。
その後も痛々しいやり取りを延々と見せられる。
目を逸らしたくても、身体が無い。目を隠す手が無い。深い後悔と恥ずかしい気持ちが、ただただ積もっていく。


フッと画面が変わり、もう少し成長した圭の姿。
周りには、クラスの女子や男子が楽しそうに会話している。

「あ、麻美ちゃん!」

少し大人びて、より神々しさを増した圭の美貌が、嬉しそうに破顔する。
周りの子も、つられて圭の視線の先を見やる。

「・・・なに」

呼びかけられたわたしは、視線を下にしたまま嫌そうに答える。
見るからに暗い。ただでさえ不細工なのに、猫背と陰気な雰囲気が不細工さに拍車をかけている。
近寄るなオーラが、近寄りたくないオーラとなって周りの人間を遠ざけていた。

「よかったら、一緒に遊ばない?」
「遊ばない。いま忙しいの」

その失礼な言いざまに、周りの子がざわざわと噂し始める。

「なにあれ。生意気ー」
「優しい圭くんが、せっかく声かけてあげてるのに、何様?」
「昔はすっげー強気で、圭にえらそーな事言ってたくせにな」

くすくす、きゃははと子供たちが笑う。

「みんな、そんな事言わないで。麻実ちゃんを悪く言うなら、どっか行って。・・・麻実ちゃん、気にしないでいいからね?」

圭は麻実の側に寄ってきて、心配そうな顔を向けてくる。

・・・やめて。そんな事言ってわたしを庇わないで!そんな目で見ないで!
わたしはあんたに酷い事いっぱい言ったのに。優しくされる資格なんてないのに!

取り囲まれたクラス中の子供たちからはクスクスと嘲笑。
怖い。圭の顔を見たくない。顔を上げたくない。

「大丈夫だよ、僕は麻実ちゃんの味方だよ」

いつもより、優しい圭の声。
・・・ほんとう?本当に圭はわたしの味方?
――そうだよ。ぼくはいつでも、君の味方だよ。
そうなの?圭が味方でいてくれるなら・・・

顔を上げたら、真っ暗な闇の中に、人型をしたどす黒い塊。
ニタリ、と歪に口を引き裂いて笑う。
圭の優しい声で「僕がいつでもそばにいるよ」とその化け物は囁く。

「違う!お前は圭じゃない!」
「僕は圭だよ?お前が望むから、僕は圭だよ」
「違う違う!そんなの圭じゃない!」
「じゃあどんな圭がいいの?」
「圭はいつも優しくて、綺麗で、お前みたいな汚い化け物じゃない!」
「ふふふ。馬鹿だな麻実ちゃん。そんなの、お前に許されると思っているの?」
「・・・え?」

化け物に、たくさんの目玉がぎょろり、と剥き出てくる。
血走った大きな目玉は、怒りと悲しみに涙を流していた。

「僕の靴、隠したよね。教科書、落書きいっぱいされた。嫌いな虫を、給食に入れられた。体操服に、マジックでバカって書かれたりもした。僕のお小遣いは、いつも麻実ちゃんのお菓子に使われていた」

真っ赤な血の涙を流しながら、麻美にじりじりと近づいてくる。

「そんな僕が、君に『優しく』すると思う?」

化け物の目玉が、一斉に麻実を睨みつける。
足がすくんで動けない麻実と、どんどん大きくなっていく化け物。
ガバァっと左右に大きく裂いた口で、化け物は麻美を飲み込んだ―――







はっと、麻美は目を覚ました。

天井には見れた学校の電球。
・・・あの時、わたし倒れたんだっけ。
そっか。保健室で寝てたんだ。

忘れたころに、いつも同じ夢を見る。
決して忘れるな、と言われるように、幼い頃の過ちと自分の立場を思い知らされる。

大丈夫。今度は間違ったりしない。

麻実はぐっと目を瞑り、まずは落ち着こうと深呼吸を繰り返した。


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