26 / 49
紅茶の香りと沈黙
26話 何も言えずに、また遠ざかる sideレオニス
しおりを挟む
久しく足を踏み入れていなかった別館。
けれど——今日はどうしても、見ておきたかった。
「今回だけだ。会って、それで終わりにする」
そう自分に言い聞かせる。
あの夜を悔やんでいないわけではない。
レティーナを喪い、心は壊れかけ、理性も鈍っていた。
だが——
あんなふうに彼を傷つけたことは、決して許されることではなかった。
(ルシアンは、元気だろうか)
ただそれだけを確かめに来たはずだった。
セシリアが扉を開ける。
妙に明るい笑顔で迎えられ、一瞬違和感を覚えたが、深く考えず足を踏み入れる。
そこにいたルシアンは、何かに怯えるように、張りつめた顔でこちらを見ていた。
(……やはり、私は来るべきではなかったか)
迷いが胸をよぎる。
しかし、このまま何も言わずに立ち去るほうが、さらに無責任に思えた。
「……体調は、大丈夫か?」
やっとの思いで絞り出した言葉。
あまりに他人行儀だと、自分でもわかっていた。
けれど、それ以外が見つからない。
そのとき、タイミングを計ったように、セシリアが紅茶のトレイを持って現れた。
「おふたり分のお飲み物を、お持ちいたしました」
ルシアンの表情が、かすかに曇る。
(なぜ——?)
鼻をかすめたのは、はっきりとした紅茶の香り。
妊娠中のルシアンには刺激が強すぎる。
医師からも聞いていたし、ユリウスを身ごもっていたレティーナも紅茶を避けていた。
ハンナでさえ、そこには細心の注意を払っていた。
なのに、なぜ。
「……なぜ紅茶を出す?」
思わず声が低くなる。
怒りというより、呆れと戸惑い、そして——責任の所在への疑念。
「妊娠中なのは知っているはずだ。医師の指示を聞いていないのか、セシリア」
セシリアは言い訳めいた言葉を残し、慌てて部屋を出ていった。
レオニスはその背をしばし見送り、深く息を吐く。
(私は……何をしていたのだ)
数ヶ月、顔を見せることもできず、ただ距離を取ることしかしてこなかった。
そうすれば守れると思っていた。
だが現実は——この手で、もっとも無防備な彼を放り出していたのだ。
ルシアンの視線に気づき、思わず目を向ける。
彼は、ただ静かにこちらを見つめていた。
怯えても、怒ってもいない。
けれどその瞳の奥には、ほんのわずかに——
それでも確かに灯る、「安堵」の光があった。
胸が、痛む。
(ルシアン……)
もう、何も失いたくない。
心の底から、そう思った。
何を言えば、彼の心を救えるのだろう。
あの夜のことは言い訳できない。
レティーナを喪い、悲しみに沈み、彼の温もりにすがった——
それは自分の弱さだった。
だが、それでも。
ルシアンを、あんなふうに傷つけてよかったはずがない。
(……あの子は、子供なんて望んでいなかったはずだ)
レオニスは、重く沈んだ思いの底で何度も繰り返した。
望んでいない命。
しかも、その原因は自分にある。
——顔を見るのさえ、苦痛に違いない。
だから、こう言うしかなかった。
「……この前は、すまなかった」
それが彼をさらに傷つけると、知りもしないまま。
ルシアンは、何も言わなかった。
だからこそ、その沈黙が恐ろしかった。
彼の瞳には、わずかな期待と、深い失望と、静かな哀しみが——
すべて混ざり合って浮かんでいた。
レオニスは、その視線から逃げるように、何も言わず背を向ける。
「子供」の話を口にすることさえ、できなかった。
(今の私に、父親としての資格があるのか……?)
わからない。
何もわからなかった。
ただ、怖かった。
——また、失うのが。
レティーナを喪い、家族を守れなかった。
ユリウスの心を、どれほど傷つけてきたかも痛いほど知っている。
だからこそ、ルシアンまで——
自分のせいで、また壊してしまうのではないかと恐れていた。
そして——
時は、静かに流れていった。
けれど——今日はどうしても、見ておきたかった。
「今回だけだ。会って、それで終わりにする」
そう自分に言い聞かせる。
あの夜を悔やんでいないわけではない。
レティーナを喪い、心は壊れかけ、理性も鈍っていた。
だが——
あんなふうに彼を傷つけたことは、決して許されることではなかった。
(ルシアンは、元気だろうか)
ただそれだけを確かめに来たはずだった。
セシリアが扉を開ける。
妙に明るい笑顔で迎えられ、一瞬違和感を覚えたが、深く考えず足を踏み入れる。
そこにいたルシアンは、何かに怯えるように、張りつめた顔でこちらを見ていた。
(……やはり、私は来るべきではなかったか)
迷いが胸をよぎる。
しかし、このまま何も言わずに立ち去るほうが、さらに無責任に思えた。
「……体調は、大丈夫か?」
やっとの思いで絞り出した言葉。
あまりに他人行儀だと、自分でもわかっていた。
けれど、それ以外が見つからない。
そのとき、タイミングを計ったように、セシリアが紅茶のトレイを持って現れた。
「おふたり分のお飲み物を、お持ちいたしました」
ルシアンの表情が、かすかに曇る。
(なぜ——?)
鼻をかすめたのは、はっきりとした紅茶の香り。
妊娠中のルシアンには刺激が強すぎる。
医師からも聞いていたし、ユリウスを身ごもっていたレティーナも紅茶を避けていた。
ハンナでさえ、そこには細心の注意を払っていた。
なのに、なぜ。
「……なぜ紅茶を出す?」
思わず声が低くなる。
怒りというより、呆れと戸惑い、そして——責任の所在への疑念。
「妊娠中なのは知っているはずだ。医師の指示を聞いていないのか、セシリア」
セシリアは言い訳めいた言葉を残し、慌てて部屋を出ていった。
レオニスはその背をしばし見送り、深く息を吐く。
(私は……何をしていたのだ)
数ヶ月、顔を見せることもできず、ただ距離を取ることしかしてこなかった。
そうすれば守れると思っていた。
だが現実は——この手で、もっとも無防備な彼を放り出していたのだ。
ルシアンの視線に気づき、思わず目を向ける。
彼は、ただ静かにこちらを見つめていた。
怯えても、怒ってもいない。
けれどその瞳の奥には、ほんのわずかに——
それでも確かに灯る、「安堵」の光があった。
胸が、痛む。
(ルシアン……)
もう、何も失いたくない。
心の底から、そう思った。
何を言えば、彼の心を救えるのだろう。
あの夜のことは言い訳できない。
レティーナを喪い、悲しみに沈み、彼の温もりにすがった——
それは自分の弱さだった。
だが、それでも。
ルシアンを、あんなふうに傷つけてよかったはずがない。
(……あの子は、子供なんて望んでいなかったはずだ)
レオニスは、重く沈んだ思いの底で何度も繰り返した。
望んでいない命。
しかも、その原因は自分にある。
——顔を見るのさえ、苦痛に違いない。
だから、こう言うしかなかった。
「……この前は、すまなかった」
それが彼をさらに傷つけると、知りもしないまま。
ルシアンは、何も言わなかった。
だからこそ、その沈黙が恐ろしかった。
彼の瞳には、わずかな期待と、深い失望と、静かな哀しみが——
すべて混ざり合って浮かんでいた。
レオニスは、その視線から逃げるように、何も言わず背を向ける。
「子供」の話を口にすることさえ、できなかった。
(今の私に、父親としての資格があるのか……?)
わからない。
何もわからなかった。
ただ、怖かった。
——また、失うのが。
レティーナを喪い、家族を守れなかった。
ユリウスの心を、どれほど傷つけてきたかも痛いほど知っている。
だからこそ、ルシアンまで——
自分のせいで、また壊してしまうのではないかと恐れていた。
そして——
時は、静かに流れていった。
34
あなたにおすすめの小説
流れる星、どうかお願い
ハル
BL
羽水 結弦(うすい ゆずる)
オメガで高校中退の彼は国内の財閥の一つ、羽水本家の次男、羽水要と番になって約8年
高層マンションに住み、気兼ねなくスーパーで買い物をして好きな料理を食べられる。同じ性の人からすれば恵まれた生活をしている彼
そんな彼が夜、空を眺めて流れ星に祈る願いはただ一つ
”要が幸せになりますように”
オメガバースの世界を舞台にしたアルファ×オメガ
王道な関係の二人が織りなすラブストーリーをお楽しみに!
一応、更新していきますが、修正が入ることは多いので
ちょっと読みづらくなったら申し訳ないですが
お付き合いください!
無自覚オメガとオメガ嫌いの上司
蒼井梨音
BL
ベータとして生きてきた無自覚オメガの小国直樹は、オメガ嫌いの白鷹課長のいる部署に異動になった。
ビクビクしながら、なるべく関わらないように仕事をしてたのに、
ペアを組んでいた先輩が倒れてしまい、課長がサポートすることに。
そして、なぜか課長にキスされてしまい…??
無自覚オメガ→小国直樹(24)
オメガ嫌いの上司→白鷹迅(28)アルファ
第一部・完
お読みいただき、ありがとうございました。
第二部
白鷹課長と一緒に住むことになった直樹。
プロジェクトのこととか、新しくできた友だちの啓さんのこととか。
相変わらず、直樹は無自覚に迅さんに甘えています。
第三部
入籍した直樹は、今度は結婚式がしたくなりました。
第四部
入籍したものの、まだ番になってない直樹と迅さん。
直樹が取引先のアルファに目をつけられて……
※続きもいずれ更新します。お待ちください。
直樹のイラスト、描いてもらいました。
奇跡に祝福を
善奈美
BL
家族に爪弾きにされていた僕。高等部三学年に進級してすぐ、四神の一つ、西條家の後継者である彼が記憶喪失になった。運命であると僕は知っていたけど、ずっと避けていた。でも、記憶がなくなったことで僕は彼と過ごすことになった。でも、記憶が戻ったら終わり、そんな関係だった。
※不定期更新になります。
起きたらオメガバースの世界になっていました
さくら優
BL
眞野新はテレビのニュースを見て驚愕する。当たり前のように報道される同性同士の芸能人の結婚。飛び交うα、Ωといった言葉。どうして、なんで急にオメガバースの世界になってしまったのか。
しかもその夜、誘われていた合コンに行くと、そこにいたのは女の子ではなくイケメンαのグループで――。
黒獅子の愛でる花
なこ
BL
レノアール伯爵家次男のサフィアは、伯爵家の中でもとりわけ浮いた存在だ。
中性的で神秘的なその美しさには、誰しもが息を呑んだ。
深い碧眼はどこか憂いを帯びており、見る者を惑わすと言う。
サフィアは密かに、幼馴染の侯爵家三男リヒトと将来を誓い合っていた。
しかし、その誓いを信じて疑うこともなかったサフィアとは裏腹に、リヒトは公爵家へ婿入りしてしまう。
毎日のように愛を囁き続けてきたリヒトの裏切り行為に、サフィアは困惑する。
そんなある日、複雑な想いを抱えて過ごすサフィアの元に、幼い王太子の世話係を打診する知らせが届く。
王太子は、黒獅子と呼ばれ、前国王を王座から引きずり降ろした現王と、その幼馴染である王妃との一人息子だ。
王妃は現在、病で療養中だという。
幼い王太子と、黒獅子の王、王妃の住まう王城で、サフィアはこれまで知ることのなかった様々な感情と直面する。
サフィアと黒獅子の王ライは、二人を取り巻く愛憎の渦に巻き込まれながらも、密かにゆっくりと心を通わせていくが…
前世が悪女の男は誰にも会いたくない
イケのタコ
BL
※注意 BLであり前世が女性です
ーーーやってしまった。
『もういい。お前の顔は見たくない』
旦那様から罵声は一度も吐かれる事はなく、静かに拒絶された。
前世は椿という名の悪女だったが普通の男子高校生として生活を送る赤橋 新(あかはし あらた)は、二度とそんのような事ないように、心を改めて清く生きようとしていた
しかし、前世からの因縁か、運命か。前世の時に結婚していた男、雪久(ゆきひさ)とどうしても会ってしまう
その運命を受け入れれば、待っているの惨めな人生だと確信した赤橋は雪久からどうにか逃げる事に決める
頑張って運命を回避しようとする話です
春風の香
梅川 ノン
BL
名門西園寺家の庶子として生まれた蒼は、病弱なオメガ。
母を早くに亡くし、父に顧みられない蒼は孤独だった。
そんな蒼に手を差し伸べたのが、北畠総合病院の医師北畠雪哉だった。
雪哉もオメガであり自力で医師になり、今は院長子息の夫になっていた。
自身の昔の姿を重ねて蒼を可愛がる雪哉は、自宅にも蒼を誘う。
雪哉の息子彰久は、蒼に一心に懐いた。蒼もそんな彰久を心から可愛がった。
3歳と15歳で出会う、受が12歳年上の歳の差オメガバースです。
オメガバースですが、独自の設定があります。ご了承ください。
番外編は二人の結婚直後と、4年後の甘い生活の二話です。それぞれ短いお話ですがお楽しみいただけると嬉しいです!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる