この手に抱くぬくもりは

R

文字の大きさ
36 / 49
紅茶の香りと決意

2話 紅茶と小さな騒動

しおりを挟む
花園の空気が、ひんやりと澄んでいた。
その静けさの中に、低く落ち着いた声が響く。

「今回は招待してくれてありがとう」

男は一歩前に進み、背筋を伸ばして一礼した。
堂々とした立ち姿からは、確かな自信と気品が漂う。

「セリウス・リーベンハウス。見えないかもしれないが、私はオメガだ」

隣に立つ子どもの肩に手を添え、柔らかく微笑む。

「この子はミレオ。私の息子だ。遅れてしまって申し訳ない」
 
その所作は落ち着いていて、どこか堂々としたものだった
 
ルシアンは一瞬驚いて目を瞬かせたが、すぐに柔らかな笑みを浮かべて答える。
「いえ、まだ時間内ですから。どうぞお気になさらず。ようこそ、我が家へ」

差し伸べられたルシアンの手を取って、セリウスは軽く頭を下げた。
その瞬間、花園に漂っていた緊張がわずかにほぐれていく。

セリウスが席につくと、お茶会は本格的に始まった。
最初こそ場は張り詰めていたが、彼の落ち着いた声と温かな笑みが、次第に空気を和ませていった。
 
「私はこうした集まりに慣れていないもので、礼儀に欠けるかもしれませんが……どうかご容赦を」
 
頭を下げる仕草に、長年の鍛錬を思わせる凛とした美しさが宿る。
 
ルシアンは微笑んで首を振った。
「私も今回が初めてですから、どうぞお気になさらずに。肩の力を抜いて楽しんでくださいね」

そのやりとりをきっかけに、オリシアやエレナも笑顔を交わし、花園にはようやく、やさしい笑い声が満ちていった。
 


そんな穏やかな空気の中で、小さな出来事が起きた。

ルシアンがふと子どもたちに目を向けた瞬間――
アベルの手が滑り、紅茶がカイエンの服へこぼれてしまった。

「あっ……!」

カイエンの服に紅茶の染みが広がり、アベルの顔がみるみる青ざめる。
「ご、ごめんなさい……!」
声が震え、涙がぽろぽろとこぼれ落ちた。
 
カイエンは怒らず、ただ小さく唇を噛んだ。
「……これ、大切なお洋服だったのに……」

その目にも、涙がにじむ。
その様子にユリウスもどうしていいかわからず、オロオロと立ち尽くした。
ノエルとミレオも慌ててキョロキョロと周囲を見回し、子どもたちのテーブルには一気に緊張と不安が広がった。

ルシアンは静かに席を立ち、穏やかな声で言った。
「大丈夫。だれも悪くないよ。ゆっくり息を吸ってごらん」
 
そのやわらかな声に、アベルの肩が小さく震え、ユリウスの表情も少しほぐれる。
ユリウスはハンカチを取り出し、カイエンの服を押さえながら笑顔を見せた。

「ねえ、大丈夫。すぐきれいになるよ」

エレナも軽やかに言葉を添える。
「服は洗えばどうにかなりますわ。お気になさらないで」

張り詰めていた空気がふっと緩み、ルシアンはハンナに視線を向けた。
「ハンナ、着替えをお願いできる?」

「かしこまりました」
ハンナはすぐに頷き、奥の部屋へと小走りに消えた。
 


少しして、カイエンが着替えを終えて戻ってくる。
両腕を広げて、笑顔を弾ませた。

「この服、すっごくかっこいい!! 気に入った!」
 
その勢いに、子どもたちの目が一斉に輝く。
「ほんとだ、すごく似合ってる!」
「かっこいい! その色、いいなあ」

自然と会話が弾み、先ほどの涙はいつの間にか笑い声へと変わっていた。

ユリウスはアベルの隣に腰を寄せ、小さく囁く。
「……よかったね」
アベルは一瞬きょとんとしたのち、ぱっと笑みを浮かべて頷いた。

ルシアンの胸に、やわらかな温かさが広がる。
 
「素敵なお洋服をありがとうございます」
エレナが軽く会釈して礼を述べると、ルシアンは柔らかな笑みを浮かべ答える。
「いいえ、気に入っていただけて良かったです」

「子どもたちはすぐに打ち解けるな」
セリウスも静かに目を細め、柔らかい声で言った。

「ミレオを産む前までは騎士として働いていたのだが……こうして子どもを見ていると、穏やかな気持ちになる」

「騎士、だったのですか?」
ルシアンは思わず息をのむ。
 
セリウスは淡く笑みを浮かべ、ゆっくり頷いた。
「ああ。今はもう剣を置いたが……かつては、毎日が戦いの連続だった。
 だからこそ、こうした時間がどれほど尊いか、身に沁みて分かるんだ」

静かな声に、どこか遠い記憶の重みが滲む。
ルシアンはただ、その横顔を見つめるしかなかった。

――同じオメガなのに、まるで世界が違う。
胸の奥に、尊敬と憧れが混じり合う。
 


午後の風が花園を撫で、紅茶の香りが柔らかく広がっていく。
お茶会は滞りなく進み、笑い声と穏やかな会話に包まれたまま、夕陽が影を長く伸ばしていった。

初めてのお茶会を終えたルシアンの胸には、確かな充足感が残っていた。
誰も欠けることなく、穏やかに微笑み合えた――それだけで十分だった。
 
けれど、それ以上に心に残ったのは、セリウスの存在だった。
男のオメガとして、強く、そして静かに生きるその姿。

――いったい、どんな人生を歩んできたのだろう。

エレナは別れ際に微笑んで言った。
「今度は、私のお茶会にもいらしてくださいね」
オリシアもアイリスも笑顔で頷き、再会を楽しみにしているようだった。

その光景を眺めながら、ルシアンの胸に温かな光が灯る。

「今日は楽しかった。お母様、最初は緊張してたけど……とっても楽しそうだったよ」
ユリウスの笑顔に、ルシアンは思わず頬をゆるめた。

――自分だけじゃない。ユリウスも、楽しめたんだ。

胸の奥で、小さな幸福が音を立てて広がっていく。
穏やかな夕暮れの光が、ルシアンの頬をやさしく照らしていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

流れる星、どうかお願い

ハル
BL
羽水 結弦(うすい ゆずる) オメガで高校中退の彼は国内の財閥の一つ、羽水本家の次男、羽水要と番になって約8年 高層マンションに住み、気兼ねなくスーパーで買い物をして好きな料理を食べられる。同じ性の人からすれば恵まれた生活をしている彼 そんな彼が夜、空を眺めて流れ星に祈る願いはただ一つ ”要が幸せになりますように” オメガバースの世界を舞台にしたアルファ×オメガ 王道な関係の二人が織りなすラブストーリーをお楽しみに! 一応、更新していきますが、修正が入ることは多いので ちょっと読みづらくなったら申し訳ないですが お付き合いください!

無自覚オメガとオメガ嫌いの上司

蒼井梨音
BL
ベータとして生きてきた無自覚オメガの小国直樹は、オメガ嫌いの白鷹課長のいる部署に異動になった。 ビクビクしながら、なるべく関わらないように仕事をしてたのに、 ペアを組んでいた先輩が倒れてしまい、課長がサポートすることに。 そして、なぜか課長にキスされてしまい…?? 無自覚オメガ→小国直樹(24) オメガ嫌いの上司→白鷹迅(28)アルファ 第一部・完 お読みいただき、ありがとうございました。 第二部 白鷹課長と一緒に住むことになった直樹。 プロジェクトのこととか、新しくできた友だちの啓さんのこととか。 相変わらず、直樹は無自覚に迅さんに甘えています。 第三部 入籍した直樹は、今度は結婚式がしたくなりました。 第四部 入籍したものの、まだ番になってない直樹と迅さん。 直樹が取引先のアルファに目をつけられて…… ※続きもいずれ更新します。お待ちください。 直樹のイラスト、描いてもらいました。

ただ愛されたいと願う

藤雪たすく
BL
自分の居場所を求めながら、劣等感に苛まれているオメガの清末 海里。 やっと側にいたいと思える人を見つけたけれど、その人は……

奇跡に祝福を

善奈美
BL
 家族に爪弾きにされていた僕。高等部三学年に進級してすぐ、四神の一つ、西條家の後継者である彼が記憶喪失になった。運命であると僕は知っていたけど、ずっと避けていた。でも、記憶がなくなったことで僕は彼と過ごすことになった。でも、記憶が戻ったら終わり、そんな関係だった。 ※不定期更新になります。

起きたらオメガバースの世界になっていました

さくら優
BL
眞野新はテレビのニュースを見て驚愕する。当たり前のように報道される同性同士の芸能人の結婚。飛び交うα、Ωといった言葉。どうして、なんで急にオメガバースの世界になってしまったのか。 しかもその夜、誘われていた合コンに行くと、そこにいたのは女の子ではなくイケメンαのグループで――。

前世が悪女の男は誰にも会いたくない

イケのタコ
BL
※注意 BLであり前世が女性です ーーーやってしまった。 『もういい。お前の顔は見たくない』 旦那様から罵声は一度も吐かれる事はなく、静かに拒絶された。 前世は椿という名の悪女だったが普通の男子高校生として生活を送る赤橋 新(あかはし あらた)は、二度とそんのような事ないように、心を改めて清く生きようとしていた しかし、前世からの因縁か、運命か。前世の時に結婚していた男、雪久(ゆきひさ)とどうしても会ってしまう その運命を受け入れれば、待っているの惨めな人生だと確信した赤橋は雪久からどうにか逃げる事に決める 頑張って運命を回避しようとする話です

黒獅子の愛でる花

なこ
BL
レノアール伯爵家次男のサフィアは、伯爵家の中でもとりわけ浮いた存在だ。 中性的で神秘的なその美しさには、誰しもが息を呑んだ。 深い碧眼はどこか憂いを帯びており、見る者を惑わすと言う。 サフィアは密かに、幼馴染の侯爵家三男リヒトと将来を誓い合っていた。 しかし、その誓いを信じて疑うこともなかったサフィアとは裏腹に、リヒトは公爵家へ婿入りしてしまう。 毎日のように愛を囁き続けてきたリヒトの裏切り行為に、サフィアは困惑する。  そんなある日、複雑な想いを抱えて過ごすサフィアの元に、幼い王太子の世話係を打診する知らせが届く。 王太子は、黒獅子と呼ばれ、前国王を王座から引きずり降ろした現王と、その幼馴染である王妃との一人息子だ。 王妃は現在、病で療養中だという。 幼い王太子と、黒獅子の王、王妃の住まう王城で、サフィアはこれまで知ることのなかった様々な感情と直面する。 サフィアと黒獅子の王ライは、二人を取り巻く愛憎の渦に巻き込まれながらも、密かにゆっくりと心を通わせていくが…

春風の香

梅川 ノン
BL
 名門西園寺家の庶子として生まれた蒼は、病弱なオメガ。  母を早くに亡くし、父に顧みられない蒼は孤独だった。  そんな蒼に手を差し伸べたのが、北畠総合病院の医師北畠雪哉だった。  雪哉もオメガであり自力で医師になり、今は院長子息の夫になっていた。  自身の昔の姿を重ねて蒼を可愛がる雪哉は、自宅にも蒼を誘う。  雪哉の息子彰久は、蒼に一心に懐いた。蒼もそんな彰久を心から可愛がった。  3歳と15歳で出会う、受が12歳年上の歳の差オメガバースです。  オメガバースですが、独自の設定があります。ご了承ください。    番外編は二人の結婚直後と、4年後の甘い生活の二話です。それぞれ短いお話ですがお楽しみいただけると嬉しいです!

処理中です...