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紅茶の香りと決意
10話 静かな執務室と、重なる影 sideレオニス
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レオニスは片腕にユリルクを抱え、静まり返った廊下を進んだ。
執務室の扉を押し開けると、机に突っ伏したジョーンの姿が目に入る。
「本当に……子どもを職場に連れてくるなんて……」
ジョーンの声には諦めが滲んでいる。レオニスはそれを意に介さず、椅子に腰を下ろした。
「ジョーン、紹介しよう。二番目の子、ユリルクだ」
小さな声が元気よく響き、幼い手がぱたぱたと振られる。普段は見せない柔らかな笑みが、自然とレオニスの口元に浮かんだ。
「か、可愛いですね……」
ジョーンは頬をかすかに緩めたが、すぐに背筋を伸ばす。可愛いのは認めるが、仕事中の父子に振り回される焦りが、声の張りに現れていた。
「じゃなくて! 可愛いのは本当ですけど……レオニス様、仕事してください!」
「当たり前だ。仕事はする」
レオニスは膝の上のユリルクを支えながら書類に目を落とす。だが、無邪気に手を振る小さな息子を見つめる胸の奥が、自然と緩むのを感じていた。
突然、ジョーンが慌てて立ち上がり、声を張る。
「待ってください! その書類は陛下に渡すものですから、ユリルク君に触らせないでください!」
机の上の書類がぐらりと揺れ、インク壺の表面に小さな波紋が広がる。レオニスはユリルクを抱き直し、微かに微笑む。膝の上で小さな手を高く掲げる息子に、自然と頬が緩む。
「いや、笑ってる場合じゃないです! その書類、めちゃくちゃ大切なんですよ!」
ジョーンの声には焦燥が混じる。
「うん? ああ、まぁ何とかなるだろう」
レオニスは肩をすくめ、軽く返す。
ユリルクが机の上のペンに手を伸ばす。小さな頬がぷくりと膨らみ、真剣そのものだ。
「ま、待って! それも触っちゃ――」
「おっ、ペンまで持ってきてくれるのか」
レオニスは嬉しそうに息子の頭をぽんと撫でた。
「違う違う違う! インクこぼれたら終わりですから!」
ジョーンは両手で頭を抱え、天井を仰ぐ。
控えめなノック音が響き、扉が開く。顔を覗かせた事務官は、膝の上のユリルクを見て固まった。まばたきを繰り返し、何度も視線を往復させる。レオニスは淡々と視線を返し、事務官の慌てぶりを静かに観察した。
「ありがとう」
ジョーンが短く告げると、事務官は青ざめた顔で部屋を飛び出す。ユリルクは小さな手をひらひらと振り、「ばいばーい!」と声を上げた。レオニスは微かに笑みを漏らす。
「ジョーン、どうした? 変な顔して。仕事しろよ」
「変顔してません! あんたのせいでしょうが!」
ジョーンの声に、レオニスは肩の力を抜きつつ、膝の上の息子を撫でた。
━━━
時計を見やると、会議の時間が迫っていた。会議室までは遠くない。けれど、できるならこのまま、もう少しだけユリルクと一緒にいたい。
「父上は少しお仕事で離れないといけない。会議は違う日にするか」
膝の上の頬に指をそっと添え、レオニスは小さな声で告げる。
背後で椅子が軋む音がし、ジョーンの声が響いた。
「ダメに決まってるでしょ! 王弟殿下も来るんですよ!」
「アイツなら大丈夫だろう」
レオニスは肩をすくめる。顔を赤く染めるジョーンの反応に、思わず小さく笑みが漏れた。
膝の上のユリルクを撫で、視線を落とす。小さな瞳が父を見上げる様子に、胸の奥が熱くなる。
「……そうか。じゃあ、ユリルク。父上、会議に行ってくるよ。ジョーンと一緒にご飯を食べてな」
小さな手がぱたぱた揺れるのを見て、レオニスは微笑む。ジョーンもため息混じりに笑みを返し、ユリルクを抱き取った。
━━
会議から戻ると、ジョーンの顔には疲労の色が濃く残っていた。青ざめた頬、薄く浮いた隈、落ちた肩。対照的に、ユリルクは無邪気に笑い、腕の中で小さな手をぱたぱた振っている。部屋の空気が一瞬で明るくなるのを、レオニスは目の端で確認した。
「どうした、ジョーン? そんなに疲れた顔をして」
声をかけられ、ジョーンはかすかに肩をすくめ、俯いたまま答える。
「……周りの圧力がすごすぎて。食堂に入った途端、二度見されるわ、女性たちからは質問攻めにされるわで……」
レオニスは心の奥で軽く息を吐いた。
ユリルクを見下ろすと、小さな手と笑い声が柔らかく響く。胸の奥が温かくなる。
「ユリルク、ご飯はちゃんと食べられたか?」
「あーい! おいちねー!」
その愛らしい反応に、レオニスは自然と頬を緩めた。ジョーンも思わず笑みを返す。
「うん、かわいいな……」
「ユリルクくんは、食堂でもみんなの人気者でしたよ」
ユリルクを撫でながら頷く。――その時、背後から聞き覚えのある声が響いた。
「たしかに、かわいいな!」
振り返ると、王弟殿下アレクサンドルが立っていた。ジョーンは目を大きく見開き、慌てて立ち上がる。
「この国の光に……ご挨拶申し上げます!」
「いやいや、そんな堅苦しい挨拶はいらん。楽にしろ」
アレクはにこやかに微笑む。
レオニスは眉をひそめ、目の前の男を見据えた。
また護衛を巻いて現れたのだろう。そう確信できるほど、アレクの顔には悪戯な笑みが浮かんでいた。
「……何しに来た」
低く問う声にも、アレクは悪びれた様子を見せない。
彼は軽く肩をすくめ、部屋を見回すようにしてから、膝の上のユリルクに視線を落とした。
その瞳が一瞬、柔らかく細まる。けれどすぐに、いつもの軽薄な笑みに戻る。
「子どもを連れてるって噂、城中で広まってたぞ。ジョーンは話題の中心だな」
軽口のつもりなのだろう。だが、レオニスにはただの無神経な茶化しにしか聞こえなかった。
ため息が漏れる。アレクが戻る気など、初めからないのだ。
横でジョーンが気まずそうに目を逸らした。
「えっ……あー、食堂の時の……」
小声で呟いたその一言に、レオニスは軽く眉を吊り上げる。
「何?私の子だぞ」
その鋭い一言に、アレクは両手を上げて苦笑した。
「わかってるって。だが、普通は職場に子どもを――」
「規律に“禁止”とは書かれていない」
レオニスの淡々とした返しに、アレクは「参った」とばかりに肩をすくめる。
その隣で、ジョーンが小さく頭を抱えた。
「……書いてなくてもダメだと思いますけどね」
嘆息混じりの声に、アレクが明るく笑う。
場を軽くしようとしているのだろうが、どこか浮いていた。
やがてジョーンが真顔に戻り、慎重に尋ねる。
「それで、護衛を巻いてまで王弟殿下がこちらに何用ですか」
アレクは軽く笑いながらも、どこかで真剣さを滲ませる。
「まあ、レオニスに頼みがあってな」
その瞬間、レオニスの答えは決まっていた。
「断る」
「まだ何も言ってないだろ!」
アレクが声を上げる。だがレオニスは動じなかった。
「お前の頼みがろくなことじゃないのは分かってる」
その冷ややかな言葉に、アレクが頭をかく。
しばし沈黙。アレクが小さく呟く。
「……ローゼリア叔母上に言いつけるぞ」
「お祖母様に言いたいなら、好きにしろ」
興味の欠片もない返答。アレクはすぐに白旗を上げた。
「やっぱりやめとく。叔母上には勝てん」
レオニスは小さく笑い、膝のユリルクを抱き直す。
「懸命な判断だ」
その柔らかな一瞬を破るように、アレクの声が低く落ちた。
「だが今回は、本当に大事な話だ」
軽口の影がすっと消える。
レオニスは短く息を吸い、ジョーンに視線を送った。
「ユリルクを頼む。……あと、こいつに紅茶を」
ジョーンは一瞬ためらったが、すぐに頷く。
しかし、アレクがそれを止めた。
「いや、ジョーンにも聞いてほしい。仲間は多いほうがいい」
その提案に、ジョーンはわずかに顔をしかめる。
「……無理です……」
だが「王族の頼みだ」と言われ、結局は観念したように頷いた。
レオニスは静かに息を吐く。
「おい、ジョーンまで巻き込むな。いつもなら私だけで済む話だろ」
アレクの瞳がわずかに真剣味を帯びた。
「今回はそうはいかない。ジョーンは学園時代からの知り合いで、お前の部下でもある。信頼できる人間だ」
レオニスはユリルクを抱き直し、わずかに目を伏せる。
「……すまない、ジョーン。巻き込んでしまって」
ジョーンは静かにうなずき、紅茶の用意に向かった。
その背を見送りながら、レオニスはアレクを鋭く見据える。
――“大事な話”。
その言葉が、胸の奥に重く沈んだ。
執務室の扉を押し開けると、机に突っ伏したジョーンの姿が目に入る。
「本当に……子どもを職場に連れてくるなんて……」
ジョーンの声には諦めが滲んでいる。レオニスはそれを意に介さず、椅子に腰を下ろした。
「ジョーン、紹介しよう。二番目の子、ユリルクだ」
小さな声が元気よく響き、幼い手がぱたぱたと振られる。普段は見せない柔らかな笑みが、自然とレオニスの口元に浮かんだ。
「か、可愛いですね……」
ジョーンは頬をかすかに緩めたが、すぐに背筋を伸ばす。可愛いのは認めるが、仕事中の父子に振り回される焦りが、声の張りに現れていた。
「じゃなくて! 可愛いのは本当ですけど……レオニス様、仕事してください!」
「当たり前だ。仕事はする」
レオニスは膝の上のユリルクを支えながら書類に目を落とす。だが、無邪気に手を振る小さな息子を見つめる胸の奥が、自然と緩むのを感じていた。
突然、ジョーンが慌てて立ち上がり、声を張る。
「待ってください! その書類は陛下に渡すものですから、ユリルク君に触らせないでください!」
机の上の書類がぐらりと揺れ、インク壺の表面に小さな波紋が広がる。レオニスはユリルクを抱き直し、微かに微笑む。膝の上で小さな手を高く掲げる息子に、自然と頬が緩む。
「いや、笑ってる場合じゃないです! その書類、めちゃくちゃ大切なんですよ!」
ジョーンの声には焦燥が混じる。
「うん? ああ、まぁ何とかなるだろう」
レオニスは肩をすくめ、軽く返す。
ユリルクが机の上のペンに手を伸ばす。小さな頬がぷくりと膨らみ、真剣そのものだ。
「ま、待って! それも触っちゃ――」
「おっ、ペンまで持ってきてくれるのか」
レオニスは嬉しそうに息子の頭をぽんと撫でた。
「違う違う違う! インクこぼれたら終わりですから!」
ジョーンは両手で頭を抱え、天井を仰ぐ。
控えめなノック音が響き、扉が開く。顔を覗かせた事務官は、膝の上のユリルクを見て固まった。まばたきを繰り返し、何度も視線を往復させる。レオニスは淡々と視線を返し、事務官の慌てぶりを静かに観察した。
「ありがとう」
ジョーンが短く告げると、事務官は青ざめた顔で部屋を飛び出す。ユリルクは小さな手をひらひらと振り、「ばいばーい!」と声を上げた。レオニスは微かに笑みを漏らす。
「ジョーン、どうした? 変な顔して。仕事しろよ」
「変顔してません! あんたのせいでしょうが!」
ジョーンの声に、レオニスは肩の力を抜きつつ、膝の上の息子を撫でた。
━━━
時計を見やると、会議の時間が迫っていた。会議室までは遠くない。けれど、できるならこのまま、もう少しだけユリルクと一緒にいたい。
「父上は少しお仕事で離れないといけない。会議は違う日にするか」
膝の上の頬に指をそっと添え、レオニスは小さな声で告げる。
背後で椅子が軋む音がし、ジョーンの声が響いた。
「ダメに決まってるでしょ! 王弟殿下も来るんですよ!」
「アイツなら大丈夫だろう」
レオニスは肩をすくめる。顔を赤く染めるジョーンの反応に、思わず小さく笑みが漏れた。
膝の上のユリルクを撫で、視線を落とす。小さな瞳が父を見上げる様子に、胸の奥が熱くなる。
「……そうか。じゃあ、ユリルク。父上、会議に行ってくるよ。ジョーンと一緒にご飯を食べてな」
小さな手がぱたぱた揺れるのを見て、レオニスは微笑む。ジョーンもため息混じりに笑みを返し、ユリルクを抱き取った。
━━
会議から戻ると、ジョーンの顔には疲労の色が濃く残っていた。青ざめた頬、薄く浮いた隈、落ちた肩。対照的に、ユリルクは無邪気に笑い、腕の中で小さな手をぱたぱた振っている。部屋の空気が一瞬で明るくなるのを、レオニスは目の端で確認した。
「どうした、ジョーン? そんなに疲れた顔をして」
声をかけられ、ジョーンはかすかに肩をすくめ、俯いたまま答える。
「……周りの圧力がすごすぎて。食堂に入った途端、二度見されるわ、女性たちからは質問攻めにされるわで……」
レオニスは心の奥で軽く息を吐いた。
ユリルクを見下ろすと、小さな手と笑い声が柔らかく響く。胸の奥が温かくなる。
「ユリルク、ご飯はちゃんと食べられたか?」
「あーい! おいちねー!」
その愛らしい反応に、レオニスは自然と頬を緩めた。ジョーンも思わず笑みを返す。
「うん、かわいいな……」
「ユリルクくんは、食堂でもみんなの人気者でしたよ」
ユリルクを撫でながら頷く。――その時、背後から聞き覚えのある声が響いた。
「たしかに、かわいいな!」
振り返ると、王弟殿下アレクサンドルが立っていた。ジョーンは目を大きく見開き、慌てて立ち上がる。
「この国の光に……ご挨拶申し上げます!」
「いやいや、そんな堅苦しい挨拶はいらん。楽にしろ」
アレクはにこやかに微笑む。
レオニスは眉をひそめ、目の前の男を見据えた。
また護衛を巻いて現れたのだろう。そう確信できるほど、アレクの顔には悪戯な笑みが浮かんでいた。
「……何しに来た」
低く問う声にも、アレクは悪びれた様子を見せない。
彼は軽く肩をすくめ、部屋を見回すようにしてから、膝の上のユリルクに視線を落とした。
その瞳が一瞬、柔らかく細まる。けれどすぐに、いつもの軽薄な笑みに戻る。
「子どもを連れてるって噂、城中で広まってたぞ。ジョーンは話題の中心だな」
軽口のつもりなのだろう。だが、レオニスにはただの無神経な茶化しにしか聞こえなかった。
ため息が漏れる。アレクが戻る気など、初めからないのだ。
横でジョーンが気まずそうに目を逸らした。
「えっ……あー、食堂の時の……」
小声で呟いたその一言に、レオニスは軽く眉を吊り上げる。
「何?私の子だぞ」
その鋭い一言に、アレクは両手を上げて苦笑した。
「わかってるって。だが、普通は職場に子どもを――」
「規律に“禁止”とは書かれていない」
レオニスの淡々とした返しに、アレクは「参った」とばかりに肩をすくめる。
その隣で、ジョーンが小さく頭を抱えた。
「……書いてなくてもダメだと思いますけどね」
嘆息混じりの声に、アレクが明るく笑う。
場を軽くしようとしているのだろうが、どこか浮いていた。
やがてジョーンが真顔に戻り、慎重に尋ねる。
「それで、護衛を巻いてまで王弟殿下がこちらに何用ですか」
アレクは軽く笑いながらも、どこかで真剣さを滲ませる。
「まあ、レオニスに頼みがあってな」
その瞬間、レオニスの答えは決まっていた。
「断る」
「まだ何も言ってないだろ!」
アレクが声を上げる。だがレオニスは動じなかった。
「お前の頼みがろくなことじゃないのは分かってる」
その冷ややかな言葉に、アレクが頭をかく。
しばし沈黙。アレクが小さく呟く。
「……ローゼリア叔母上に言いつけるぞ」
「お祖母様に言いたいなら、好きにしろ」
興味の欠片もない返答。アレクはすぐに白旗を上げた。
「やっぱりやめとく。叔母上には勝てん」
レオニスは小さく笑い、膝のユリルクを抱き直す。
「懸命な判断だ」
その柔らかな一瞬を破るように、アレクの声が低く落ちた。
「だが今回は、本当に大事な話だ」
軽口の影がすっと消える。
レオニスは短く息を吸い、ジョーンに視線を送った。
「ユリルクを頼む。……あと、こいつに紅茶を」
ジョーンは一瞬ためらったが、すぐに頷く。
しかし、アレクがそれを止めた。
「いや、ジョーンにも聞いてほしい。仲間は多いほうがいい」
その提案に、ジョーンはわずかに顔をしかめる。
「……無理です……」
だが「王族の頼みだ」と言われ、結局は観念したように頷いた。
レオニスは静かに息を吐く。
「おい、ジョーンまで巻き込むな。いつもなら私だけで済む話だろ」
アレクの瞳がわずかに真剣味を帯びた。
「今回はそうはいかない。ジョーンは学園時代からの知り合いで、お前の部下でもある。信頼できる人間だ」
レオニスはユリルクを抱き直し、わずかに目を伏せる。
「……すまない、ジョーン。巻き込んでしまって」
ジョーンは静かにうなずき、紅茶の用意に向かった。
その背を見送りながら、レオニスはアレクを鋭く見据える。
――“大事な話”。
その言葉が、胸の奥に重く沈んだ。
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