オジサマ王子と初々しく

ともとし

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不器用たちの愛情表現

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※2023年2月に開催されたオンラインイベント『歳の差なんて!』に合わせて書き下ろした作品です。
※第十一話「その航路は、」後のお話です。

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 「世界って、球体で出来ているんですか?」
 「そうらしいよ。東方の、ヴィナスと言う国があってね。その国の外交官達が航海を繰り返して判明したことなんだ。」

 世界地図を球体にしたそれを初めて見た婚約者は、不思議そうにそれを回しながら様々な大陸を眺めている。ヴィナス国が作った球体状の世界地図は、どこにどのような国があるのか、島から島への距離もほぼ正確に作られていると世界各国から絶賛されている。
 世界が丸いなんて不思議、大陸よりも海のが広いのかもしれないなど呟きながらしばらくぐるぐると回し、自分たちの暮らす大陸を見つけた。

 アスター大陸。この世界で唯一『神秘』が集い存在する不思議な大陸。自然の力が込められている石、魔法石はこの大陸に暮らす人々の生活基盤となっている。
 その為、世界地図の中心にはアスター大陸が描かれている。それがどういう意味かと言うと、文字通り『世界の中心』としての存在である。どちらかと言うと秩序よりも経済的観点での意味合いになるが。
 魔法石があれば世界の文明レベルは格段に上がるがそれはできない。なんせ全ての海洋を支配に置く海神ファ・ゼールの恩恵を与えられているのがアスター大陸だけなのだ。ひとたび魔法石がそこから離れればただの石になり、さらには『神の力を強奪した愚者』として天罰が下される。神秘を信じない者からすれば、科学的な根拠があるはずだと躍起になり研究を積み重ねているが……その答えに辿り着く頃には神秘を認めている、という結果が待っていた。
 故にアスター大陸が……悪い言い方をすれば、「独占状態」となっているのが今の世界だ。

 「ただ単に、他の国々が欲張りすぎるだけなのだけどね。」

 苦笑いをしながら王太子は、自分の婚約者が見つめている球体状の世界地図に目を落とした。
 大陸の南、そこからさらに広がる海原のほとんどが自国の所有海域である。そこには海神ファ・ゼールを始め、母神エギル・神海獣や精霊、幻想種の人魚たちが暮らしている。
 暮らしてはいるが、滅多に人間の前には現れることはない。そんな彼らと唯一交流出来るのが、アスター大陸の「始まりの巫女」の子孫たちだけなのだ。

 「じゃあ、マリス様はお会いになられた事があるのですか?」
 「子供の頃にね。私が五歳になる前だったかな、海神から祝福を授かる儀式があってそれ以来。確か、私たちの結婚式のときの司式者を任命してくれる時にも現れてくれるらしいんだ。」

 挙式の前日にその任命を両家の親族たち立会の元で行う。選考基準はこの国の司祭の誰かひとり。ある程度は王家が数名に絞り、その中から海神ファ・ゼールと母神エギルが最終的に選ぶそうだ。

 婚約者はスケールの大きな話をされて、未だ実感が湧かないのかまた手元の球体に目を落とした。
 現在地から南の海域ほとんどがこの国のもので、そこにはまだ見ぬ神や神獣がいると思うと、とんでもない所に嫁ぐ事となるという事実だけは理解出来た。

 (本当に、世界は広いなぁ……。)

 地図だとこんなに近い距離だと言うのに、一気に視界が広がった。自分の生まれた土地であろう所を指でなぞる。

 王太子の婚約者、ヘルメス・カートンはサンラン国という小国のカートン伯爵家で生まれ育った。国の南東、自然に囲まれ、草原を走り回ることが幼い頃から大好きで自由きままに育ってきた。
 魔法石の見解や研究論文を読むのがもっぱらの趣味で、専門家並みの知識量を持ち合わせた謂わばオタクな部分もある、好奇心旺盛な少女である。秋の生まれの十八歳、一ヶ月前まではまだ学生だった。
 本人は自己肯定感が低い所も少なからずある。淑女教育がしっかり身についておらず、社交も苦手でマナーなど欠いている箇所もあったため、遥か昔に出会った青年との約束を反故されるのも承知で過ごしてきたが、驚くことに再会を果たした日に恋に落ちてしまったのだ。それも純愛物語とも思わせるような両想い。それが目の前にいるマリス、と呼んだ王太子殿下だ。

 彼の名はマリセウス・ハンクス・エヴァルマー。神秘集うこの国、神海王国ハンクスの王太子殿下で「始まりの巫女」の子孫である。秋の終わりの生まれ、四十三歳。
 ヘルメスが三歳の頃、たまたま彼女と出会い再会を約束した当時の青年本人。再会も本当に偶然で、彼女が通っている学院の中庭で珍しい魔法石を鑑賞をしていた所をヘルメスが見つけて、その姿を見たマリセウスは遥か年下の彼女に一目惚れをしてしまったのだ。
 彼女と一週間ほど過ごすにつれ、王太子妃にしてしまえば彼女本来の魅力が失われてしまうと懸念してしまい、そのまま婚約を破談しようとすら考えたが、ヘルメスの純粋な恋心と決意を聞き入れて結婚を申し込み、互いの初恋を実らせた。

 そこから事態は急展開し、なんと再会して一ヶ月後に国を挙げての結婚式が執り行われてしまう事態になってしまった。おまけに妃教育なんてまともに受けていないヘルメスは、それまでに全ての教育を身につけてもらうという、酷く圧迫したスケジュールを組まされてしまった。国王デュラン曰く、「とっとと結婚してくれないと、他国の権力者がバカ息子の嫁にうちの娘を~とかうるせえんだわ!」らしい。迷惑この上ない。
 そんな事もあり、無理のあるスケジュールをこなしてきたヘルメスはストレスのせいで睡眠が満足に出来ずに、初期段階とはいえ円形脱毛症を発症してしまったのだ。さらに王太子妃として完璧な淑女になろうとするあまり、彼女の生き甲斐でもある走る事もやめてしまい、余計に追い詰めさせてしまっていたのだった。
 マリセウスは、「己を殺してまで妃になって欲しくない」と彼女らしくあって欲しいことを願い、この日海岸で500メートル走で勝負をしたのだ。王太子妃の役割と自分自身を混合しないで欲しい気持ちが伝わり、二人はまた将来に一歩前進したのだ。

 海岸での競争を終えて夕食までマリセウスの私室でのんびりと過ごしていた。
 とはいえ未婚の男女。さすがに部屋には数名の執事や侍女、部屋の扉は開放されており婚約者同士とはいえやましい事をしていないとアピールする必要はあった。ヘルメスはあまり気にしてないのだが、マリセウスは「この愛らしさを早く独占したい、早く」と少しヤキモキしていた。実父によって勝手に決められた結婚式なのだが、反対した割にはめちゃくちゃに浮かれていたのだ。表には出さないだけで。
 マリセウスの部屋の隣は二人の寝室となっており、さらにその隣はヘルメスの私室になっている。だがまだ夫婦の契りを交わしていない……ように「王族の一員ではない」ため、私室では過ごせないが故郷から自分の荷物が少しずつ運ばれてきているのはわかる。早く荷解きをしたいものの、まだ入れないのが煩わしいとヘルメスは言う。

 「荷解きなら、従者たちに任せておけないのかい?」
 「それはいいのですが、実は離宮に持ち込むつもりだったものがひとつ、後から持ち込む荷物の中に間違えて入れてしまったのでそれを取りに行きたかったのです……。」

 そういえば、本来なら今月の半ばにこちらに来る予定だったのに月初に突然前倒しさせてしまったものな……。大急ぎで荷造りも混乱してしまったのだろう。悪い事をしてしまったと改めて詫びると、ヘルメスは止めてくれる。

 「それは大事なものかい?」
 「はい、離宮で過ごすとなると尚更に。」
 「そんなにも。」

 マリセウスは少し悩んだ。
 もう数日すれば彼女の部屋にはなるものの、今は王宮内廷に招いた一人の客人に過ぎない。信じていないわけではないが、防犯の面など考慮すれば簡単には入れられないわけだ。
 しかし、とても大事なものらしい。出来れば持たせてあげたいのだが……と考えていると、ひとつ浮かんだ。

 「ナタリア。頼まれてくれないかい?」
 「はい。ご用とあらば。」
 「ヘルメスの代わりに、その大事なものを持ってきてもらえるかな。」

 ナタリアと呼ばれた女性。現在はヘルメス付きの侍女たちを取り仕切っている侍女長、以前でマリセウス付きではあったため、ここにいる使用人の中で最も信用出来る人物である。多少の無理難題をふっかけてしまうのは気が引けるが。

 「何か聞かれたら私の命だと言ってくれ。」
 「かしこまりました。」
 「ぇ、あの。大丈夫なのですか?」
 「大丈夫大丈夫。陛下に何か言われたら、元凶はお前だろって言い返すからさ。」

 なんだか少し不謹慎な冗談だなとヘルメスは半笑いするが、彼の補佐である文官騎士ジークは「やりかねない」と表情を崩さず、それを思っていた。

 それで何をお持ちすればよろしいでしょうか?とナタリアが尋ねてきたので快くそれを伝えようとすると、ハッと一瞬固まった。
 ヘルメスはマリセウスをちらりと見やると、彼女は手招きをして、聞こえないように耳打ちをする。ナタリアはそれを聞いて、「何故聞かれたくないのだろう?」と首を傾けたが、一人納得した人物がいた。ヘルメスがカートン伯爵邸から連れてきた、幼い頃からついている侍女のキリコだ。
 その願いを聞き入れるとそそくさと部屋を出て、目的の所に行こうとすると、そのキリコも早足でやってきた。

 「あ、あのナタリア殿。もしよろしければ私も同行してもよろしいでしょうか。」
 「そうですね。貴方が一緒なら心強いですし、お願いします。」
 「ありがとうございます!あれはお嬢様にとって大切なものなので、どうしても……。」
 「まぁ。何か思い入れなどあるのですか?」
 「そうですね……見ればわかる、という感じでしょうか。」

 ほんのり笑みを溢すキリコを見てもさっぱりわからない。きっと思い出深いものだろうと思うことにした。


 *****


 夕食も終わり、ハンクスに来る途中にもらったライドレールの設計図の複写のことを思い出したヘルメスは、お茶をしながらライドレールのことをあれこれとマリセウスに質問をしていた。
 動力にはこれだけの魔法石があり……そこから出力調整をどうするか……放熱や冷却も必要になり……など、専門家のやり取りと間違えるような恋仲の二人には色気もない会話だが、熱心な二人の満ちている表情は、どの恋人たちよりも煌めいているように思えた。と、その時ナタリアが会話の区切りのいいところに入ってきた。

 「失礼いたします、ヘルメス様。ご夕食前にお願いされた品をお持ちしましたが、よろしいでしょうか?」
 「もう見つけてくれたのですか?」
 「はい。キリコもいらっしゃったので、早く見つけられました。」

 部屋の外から顔を半分出したキリコと目が合い、途端に喜びが表情から溢れ出した。マリセウスに一言断り、彼女は自ら侍女の方へと歩んで行った。
 そんなにも大切なものなのかとマリセウスは当然のように思ってはいたが、あんなに可愛らしく笑顔を爆発させるくらい……規格外の愛らしさに心臓が止まるかとはなったが、なんとか持ち堪えた。部屋の外からまた嬉しそうな声が聞こえて、その姿が見えないのがなんとも煩わしい。
 ……覗き見るのは良い行いではない。しかし、やはり気になる。好きな人の笑顔はやはり見ていたいものだから。そう決め込んだ王太子は、足音を殺して出入り口付近までやってきた。が、やはり覗き行為はよくない。ので驚かせる形になるが、声をかけるべきだと方針を変えた。

 「ヘルメス。」
 「ふぇっ!?」

 名前を呼んでから顔を出してしまったせいで酷く驚いて変な声を上げさせてしまった。
 そんな彼女が何か抱えている。そこそこの大きさのそれを両腕で抱き込んでいるのだが、赤い毛が生えている。ウィッグなのか?とは思ったが、それは胴体らしきものもあるし尾もあった。……生き物?
 突然の王太子の登場に、先程まで和気藹々としていた雰囲気は完全になくなり、代わりに慌てふためいて混沌と化してしていた。……混沌としているのはヘルメスただ一人だけなのだが、落ち着いてほしいものだ。キリコが宥めて落ち着かせてくれてはいた。

 「それは……?」
 「ぅ、その……。ぬいぐるみ、です。」

 恥ずかしそうにそれに顔を埋めている姿がまた愛らしい。うっ!と、また息の根が止まりそうになるもなんとか耐えきった。
 きっと大事なものがぬいぐるみだと知られるのが恥ずかしかったのだろうか、ずっとモゴモゴとしている。よく見ると、それは耳も付いていて何かの動物をモチーフにしているようだ。可愛らしい婚約者に「どんな子なのか見せてくれるかな?」と優しくお願いしてみた。するとどうした事か、余計に真っ赤になりまたアワアワし出したのだ。

 「その、あの、あんまりお見せ出来ないというか……。」
 「もしかして、ヘルメスの手作り?」
 「い、いいえ!アレンジはしましたが、したのですがちょっと……。」

 また恥ずかしそうに、今度はぬいぐるみを強く抱きしめる姿がまた可愛らしいと思う一方で、彼女の腕の中にいるそれが羨ましくもあり妬ましさも覚えてしまうマリセウス。その心境を察した長年付いている侍女やバトラー達は「独占欲強すぎるのでは」「アホなのでは」と内心心配していたり、若干引いていたりもした。
 その気持ちを表に出さないよう、ヘルメスの視線の高さにまで合わせたマリセウスはニコニコしながら顔を覗き込んでいる。
 覗き込まれている本人はというと、面白がられているのか、はたまたこの王太子の事だから『可愛らしい』という純粋な気持ちで見られているのかと考えており、これはなんというか……いじわるだなんて思ってもいた。大好きな人の笑顔を向けられ続けていたら身がもたないとヘルメスは観念して、腕にいたそれをおずおずとマリセウスに差し出した。
 可愛らしく応答したせいで、また胸がキュンとして心臓が止まりそうになるも、今回も間一髪で踏み止まった。自分自身で『偉い!』と褒めながら。ありがとう、とお礼を言ってマリセウスはそれをヘルメスから受け取り、大事そうに手にした。

 「ところで、このモフモフくんの名前はなんていうんだい?」
 「名前は、まだないですね……。」

 そのモフモフくん(仮)を手渡され、反転させて初めて顔を見た。鼻筋が通っている猫のような口元。細長い顔立ちで、長い赤毛の立て髪が印象的なこのぬいぐるみ、どうやらライオンらしい。
 いや、パーツ的にはほぼライオンで確定なのだが、なんせ目がすごい。大きい金色のボタン(にしては大きすぎる気もする)が目になっているのだが……まさかこの箇所を魔改造、否、アレンジしたのだろうか?

 「アレンジをしたと言ったけれど、もしかして目の部分かな?」
 「はい、それ以外の箇所もボロボロでしたからキリコと一緒に直したんです。」
 「へぇー……二人とも器用なんだね。」
 「いえいえ、ほとんどキリコが直してくれたようなもので。」

 モフモフくん(仮)を抱えてまた部屋に戻って再び談笑を始めた。
 ヘルメスが言うには、引っ越しの荷造りも兼ねて大掃除をしていた最中に出てきたそうだ。このぬいぐるみは本来は兄の物であったが、目のボタンも両方取れており、立て髪もボサボサで今の姿とは全く想像がつかないほどに酷かったそうな。
 本来ならすぐに捨てられるはずだったが、間一髪のところでヘルメスの目に止まり、このような姿となって現在は彼女にとって大切な物となっている。

 「でもボロボロだったのに、それでも気に入ったなんて、どんな所がよかったのかな?」
 「ぇ?」

 そんな何気ない疑問を投げかれると、答えを濁しながらもまた赤面になっていた。

 「それは、その……。なんというか……見た目ですかね?」
 「見た目?」
 「目のボタンをその色にしたら、尚更、というか……。」

 仰々しいほどに金色のボタン。見ると自分の顔が映り込んでいるくらいには綺麗なものだった。
 そういえば……ヘルメスに心救われた日もこうだった。幼い空色の瞳の中に、自分の嫌いな金色の瞳が映り、その時にかけてくれた言葉でどれだけ世界が広がり己の小ささを知り、二の足を地につけて歩いていく勇気が生まれた思い出。

 しかし見た目がよかったとは、些か面食いな部分があるなと微笑ましく思っていると、周囲からは小さい声が漏れていた。

 「あー……確かに。」
 「それっぽい。」
 「似ていますね。」
 「惚気かな?」

 それらがする方へ振り向くと、咳払いをして襟を整えたり姿勢を正して口を閉じたりと。一体何に似ているのか知りたかったので尋ねようとすると、一度ヘルメスの顔を確認してから「申し訳ありません、お答え出来ません。」と断られた。
 似ている?とはなんの事だろうとマリセウスはモフモフくん(仮)をさらに凝視したが、全く心当たりがない。彼女の兄とは未だ面識を合わせていないから兄かもしれない、と思ったものの自分の侍女らがその人を知っているわけもない。
 だとしたら彼らが知っている人物……いやもしかしたら人物ではなくて動物という線もある。だとしたらライオンだろう、猫でもこんな大胆な髪はしていない。

 「あのぉ……マリス様?」
 「ん?ああ、すまない。そろそろこの子をお返ししないとね。ありがとう。」

 食い入るように見つめていたその光景を見ていて、「何に似ているかバレる」とでも思ったのだろうか。ヘルメスはその子をそろそろ……と小さく懇願していたので返却をするのであった。
 マリセウスからモフモフくん(仮)を受け取り、また両腕で大事そうに抱えて自分の膝に乗せるその姿はとても愛らしく、子供が出来たらこういう光景が見られるのかなと、随分先のことなのにすぐにビジョンが浮かんで微笑ましくなってしまう。そうしたらヘルメスに似た子がいいとさえ思った。

 「どうしました?」
 「……いやね、私とヘルメスに子供が出来たら、こんな風になるのかなって。」
 「私達の……ふふっ。でしたら私はマリス様に似た子がいいかな。」
 「えぇ~、私はヘルメスに似た子がいいなぁ。」
 「でもこの子みたいに……あ、いえ何も。」

 何かを口にしそうではあったが、すぐに口をつぐんでしまい、この会話はそこで終わってしまったのだった。

 *****

 翌日。午後からは再び妃教育を行うため、正午になる前にヘルメスは離宮に戻ることとなる。それまでの限られた時間をどうやった過ごそうかと昨晩はそれを練りながらベッドに入ったため、なかなか寝付けずに珍しく起こされることとなった。
 マリセウスの髪は実は長い。前髪を後ろに持っていき、襟足を簡単に結ってもらっているせいでそうとは思われていないが、前髪が特に伸びるのが早く、一時期は意図的ではあったが両眼が隠れるくらいには伸ばしていた。
 どんなに手入れが行き届いていようが、寝癖はかなりしつこい。本人もそれなりに悩んでいてが、「若い頃のツケか」と自嘲してとうに諦めていた。
 いそいそと自身である程度ナイトガウンから着替えて髭剃りを済ませると、そこから髪結の担当や身の回りの世話役の侍女達がやってくる。
 髪を整えて貰っている最中にマリセウスは今日のタスクや予定を確認している。「ヘルメスとどう過ごそうか」と自然と呟いてしまったらしく、それを聞いた老齢の髪結専属は思わず小さく笑った。

 「ん?どうかしたかい?」
 「ああ、いえ申し訳ありません。ヘルメス様は殿下をよく見ていらっしゃるなと思いましてね。」

 ほんのり火石(フレイムライト)で温められたブラシで癖毛を丁寧に真っ直ぐにしながら梳かす作業の手を止めず、彼女は話しを続けた。

 「いえね?私も昨夜は殿下たちの私室にいまして。ヘルメス様の抱えたあのぬいぐるみが大切だと言っている理由がわかって微笑ましくなりまして……。」
 「わかるのかい?」
 「ええ。最初は私の考えすぎかなと、ですが見た目がよかったと聞いて確信しましたのよ。」

 全体に椿油を馴染ませるようにブラシを梳かす。次第に髪が真っ直ぐに艶やかになる。
 鏡台の引き出しから何本か微妙に色合いの異なる赤のリボンを取り出して、今日は何色にしようと選んでいると二本だけ手元に残してあとは戻した。

 「殿下は、ご自身の瞳がお嫌いでしょう?」
 「まぁ、昔ほどではないけれど……。」
 「ヘルメス様はそれ以外の部分の殿下の特徴をよく見ておられて。あの大きな金色のボタンのようなものを瞳にした時は、きっと殿下の瞳がよほどお好きなのだとお思いになりましたよ。」

 前髪を後ろに持ってくる。綺麗なオールバックを作りつつ、長く残った前髪と襟足をひとつにする。

 「ん?それとあのぬいぐるみとどう関係あるんだい?」
 「まぁまぁ。お気づきになりませんか?私はあのモフモフな立て髪、まるで殿下に見えたのですよ。」

 尻尾を作り、綺麗にまとめて梳かす。先程までの寝癖でうねっていたそれとはまるで別物に早変わりした。

 「……まさか。私はライオンじゃないよ?」
 「ええ勿論。ですが、ちゃんとご自分の顔を鏡で見たことがありますか?」

 仕上げにリボンで束ねながら、結び終わるまでマリセウスは鏡に映った自分を見た。
 あの大きな金色のボタンよりかは小さい金色の瞳、すっと通った鼻筋、さっきまで寝癖でモフモフでボサボサだった赤みのある髪。
 ライオンみたいな顔か?とは思ったが、鼻筋はなんとなくそうも見えなくはない。だが、あれを自分に見立てているのはさすがに自惚れすぎではなかろうかと言おうとしたが、途端に昨晩のことを思い出した。

 子供が出来たら、彼女は自分に似た子がいいな。その返しは自分は彼女に似た子がいいと言ったとき。
 でもこの子みたいに……、そう言いかけていたときに、少し頬を染めていた。

 「はい、終わりました。それでは私はこれで失礼しますね。」

 もう一本のリボンを綺麗に畳んで前掛けのポケットに入れると、髪結は別の仕事があると早々に去ってしまった。

 「……この子みたいに、」
 『マリス様によく似た子がいいな。』

 そう言いたかったのだろうか?
 つまりあれは、自分の姿によく似ているから大切な物で、離れている間も彼女の傍にいたのだと思うと……自分自身を羨ましくも妬ましくも感じてしまっていた。
 それが事実なのかと肯定したら、あの時のヘルメスの全てが愛おしく……そして自分が愛されているとわかった途端、全身が震えた。なんて事だと口にして、上がる一方の口角を見られまいとくそこを手で覆い隠し、しかし胸のときめきのせいで体温が上昇して気がつけば鏡に映ったその姿は、耳まで赤くなるほどに恋に溺れているマリセウス自身を偽りなく見せつけてくるのだ。
 いけない、これはいけない。引き締めなければと両手で思い切り両頬を叩き、己を律した。あまりにも大きい音だったらしく入ってきた着替え担当が驚きのあまりに声をあげてしまった。……色んな意味でとても痛い。

 *****

 ヘルメスは少し困っていた。朝食を共にした王太子が変な顔をしたり急に顔を逸らしたり、なかなか目を合わせてくれないのだ。水流式の昇降運河の裏側を見学しても肩を並べてくれないし、あとたまに「煩悩っ!!」と言いながら壁に頭を打ちつけてくる始末。額の赤くなった部分を心配して覗き込もうとすると「み、見ないで!」と照れた幼女みたいに両手で顔を隠す。なんだこの王子かわいいな?とは思っても口に出来なかった。
 もしかして、午前はやりたい執務がたくさんあってそれが出来なくて苛立っているのだろうか?……だったらお泊まりデートなんて発想はしないから多分違う。
 何かしてしまったのだろうかと思い返すも、何も心当たりがない。だが、妙に照れているようにも見える。でも照れさせるような事は何ひとつしてないのにここまで出来るのか?マリセウスの奇行がますますわからない。

 せっかく婚前で二人になる数少ない機会だと言うのに、あまりいい気分にはなれなかった。夫婦になったら政務や社交界、立場から重積が大きくなってしまうヘルメスにとっては本当に貴重な時間なのだ。王太子の婚約者だと名前が上がっていないのは、混沌極まる自分達の中では不幸中の幸いとでも言うべきだろう。
 残り半月と少し、切り詰めた勉学をこなしきれるかもまだわからない。だからこそ英気を養いたいし明日に繋がるバイタリティも欲しいというのに。マリセウスを戒めようと思ったが、ちょうど時間切れになったようだ。

 「お嬢様。離宮行きの馬車の準備が終わりました。」
 「……ありがと。」
 「どうかなさいましたか?」
 「なんでもない。マリス様がおかしいだけで。」

 ハンクスに来て初めて不機嫌な顔をするヘルメス、そうとも知らずに「尊い……てぇてぇかよ……」と地面に五体投地になっているマリセウス。とんでもなくカオスな光景だった。

 「ずっとあんな調子なのですか?」
 「変な顔はするしエスコートしてくれないし、壁に頭を打ちつけたりして落ち着きなくて、なんか嫌。」

 わからんでもない。キリコだってドン引きするくらいにはおかしくなっている。あのスマートで紳士的な王子様はどこへ行ったのやら……。まぁヘルメスが可愛い愛しいと言いながら心肺停止するくらいの人間だから、多少の奇行はあってもおかしくはないだろうが、自傷行為までするのかと。
 ようやく呼吸が落ち着いてきたマリセウスはなんとか立ち上がった。それを確認して不機嫌気味に告げた。

 「それではマリス様。私はもう行きますね。」
 「ぇ?どこに?」
 「離宮に戻って妃教育の続きがありますので。」
 「ぇ、ちょっ!ちょっと待って!?まだ少し時間あるじゃないか!」
 「ありましたけど、無くなりました!マリス様が落ち着きなくて変なのがいけないのですよ!!」
 「ぇ……あっ。」

 それを聞いてようやく自分が浮かれすぎていて、ヘルメスに対して何も気遣ってなかったことに気がついた。
 せっかく昨日の海岸デートでお互いの気持ちを伝え合ったばかりだと言うのに、それを自ら率先して叩き壊してしまったのだ。
 さらに明らかに不機嫌、というよりも怒ってしまっている。マリセウスは彼女が限られた自由時間を当ててくれるよう調整してくれたというのに、それを袖を振るような真似をしたのは間違いない。こればかりは言い訳出来ない。途端に冷や汗が滝のように流れてくる。

 「ごめん、ヘルメス!ただ君と過ごすのが嬉しくてついはしゃいで……。」
 「でしたら、なんで目を合わせてくれないんですか!?」
  「そ、そりゃあ、あれだよ。昨日の今日というか。」
 「はっきり申してください!」
 「はっきり申したら死んじゃうよ私!?」
 「なんですかそれ!?」

 余計に怒りを逆撫でてしまい、とうとうヘルメスはそっぽを向いて馬車へ歩を進めた。このままでは怒らせたまま別れてしまうのはいけない。気まずくなって何も出来なくなってしまう。
 なんとか和解したいと願い、何度も名前を呼ぶも振り向いてくれない。かといって強引な真似をして止めるのはよくない。好きな人を怒らせるのはこんなにも辛いものなのかと、マリセウスはただただ名前を呼ぶ事しか出来なかった。
 しかし、意外な所に救いの神はいた。それはもう数歩で馬車に乗り込んでしまうと思った矢先だった。

 「ヘルメス様。お待ちしておりましたよ。」

 そこにいたのはマリセウス専属の髪結の侍女だった。

 「貴方は確か今朝の。」
 「はい。王太子殿下の髪結の婆でございます。もふもふちゃんの立て髪、綺麗に結ってありますよ。」

 そのモフモフくん(仮)は今は馬車の中にお座りしてお待ちしている、と聞いてヘルメスは少しだけ苛立ちが収まった。彼女が本当にあれをマリセウスによく似た子だと思っているのが確かなら、絶対にいい反応をすると髪結は信じていた。
 中にいるその子の姿を確認しようと、自らの手で扉を開けてみるヘルメス。……そこには可愛らしく座っているライオンのぬいぐるみ、その立て髪は予想をしていたものとは大分異なり「ひゃっ!?」と声を上げてしまい、勢いよく扉を閉めてしまったのだ。

 「どうしたんだい!?何かいたの?」
 「な、なんでもありませんっ!!マリス様には関係ないことですよ!!」

 明らかに動揺している。中に何があったのではなかろうか?マリセウスは窓からそれを見ようとしていてもカーテンがかかっているため、そこを確認出来ずにいる。仕方なく隙間を探って……としようとすると、ヘルメスが背伸びして妨害してくる。
 ならばと逆に傾いて、とするとまた背伸びしてディフェンス。それならばとマリセウス自身が背伸びして……となると、両手を上げて飛び跳ねながらディフェンスする。
 ……強行的にステップして馬車に近づこうとすると、ヘルメスはそれに合わせてまた妨害してくる。馬車の反対側に回ろうものならしっかりと張り付いて激しい防衛をする。
 あまりにも激しい攻防っぷりに、バスケットボールの選手かよ!と二人は内心思った。内心でもハモるのだから、本当に仲が良い。

 しかしこの熱い駆け引きは人生の経験値が多いマリセウスが圧倒的に有利。後退りを少しずつ、それに釣られてヘルメスも張り付いて馬車に行かせまいとディフェンスし続けている。
 それを見て大きく一歩素早く退がる。そのスピードに瞬時についていけない隙をついて、彼女の脇を飛び込み前転!ついにその防御を掻い潜った。
 「しまった!」の声を聞いたのを合図にして瞬間的にスピードを上げて振り切り、ついにマリセウスは馬車へ到達を果たした。……側から見たらわけのわからない攻防で、何故か感動すら覚えた。
 扉の取手を引き、中にヘルメスが動揺する何かが待っているそれを探し出そうとするも一瞬でそれは見つかった。マリセウスが仮称としてモフモフくんと呼んでいるそれがお利口さんに座っている。……が、それを見て異変にすぐ気づく。

 「……私?」

 ボサボサで大きな毛玉だった立て髪は綺麗にまとまっている。前髪を全て後ろに持っていき、襟足と一緒に後ろにひとつの束となって結ってある。
 あまりの変貌ぶりに驚き、モフモフくん(仮)を手に取り、観察をすると自分の使っているリボンと同じもので結ってある。ほのかに椿油の香りもしており、恐らくは少量ながら使用したに違いない。これが出来るのは一人しかいないはず……。

 「もしかして髪結の、」
 「み、見ないで下さいーっ!!」
 「おわわっ!?」

 がっつり見られたのにそんな対応しか出来ないが、最後の抵抗としてマリセウスの背後を引っ張ってなんとか抗議をしようとする。引っ張られてしまったマリセウスは、自分に余計にそっくりになったぬいぐるみを抱えたまま引きずり出されてしまった。
 よろめきながらも倒れないようにバランスを取りながらフラフラとして、ようやく二の足をついてキッチリと立ったその姿に加えて、似つかわしくない可愛らしいものが腕に抱えられていたのをヘルメスはしっかりと見てしまった。
 昨夜はまるで気づかれる事はなかったが、今のぬいぐるみの姿を見ればどんなに鈍感な人間でも察しがつくはずだ。昨夜のように慌てふためくような事はなかったが、頭の中は「バレた」「彼に見立ててアレを可愛がっている事を知られた」「恥ずかしい」で頭はいっぱいだった。この世の終わりのような表情で硬直しているのに、羞恥心で茹でた海老ほどの顔色になってしまっている矛盾の塊のようなヘルメスがいる。

 一方でマリセウスは、今朝この事実を知った。
 自分に見立てて側に置いて大切にされているのを知り、浮かれてしまった結果、彼女の機嫌を損ねてしまうという愚行を犯したがもし違っていたらどうしようとは考えてはいなかった。マリセウスもまた、ヘルメスを愛しているから信じていたのだ。……とは言っても、己が鈍かったせいで他人からようやくその事実を知ったわけだが。
 しかし、あれほどボサボサだったのがここまで綺麗になっていた事には驚いた。

 「もしかして、貴女が?」

 本来ならここに足を運ぶ事ない自分専属の髪結がいると言う事はそういうことなのだろうが、念のために尋ねると優しく笑顔になって頷いてくれる。

 「まさか髪の毛の癖の強さまで、殿下に似ていたのは驚きました。お人形の髪のようにサラサラとしていませんでしたが、とてもやりがいのある仕事でした。」

 粋な計らいだな、と思った。
 しかしヘルメスはまさかここまで忠実に再現してくれるように頼んだのだろうか?だとしたら、この子にはまた嫉妬を覚えてしまう。自分と会えない時をモフモフくん(仮)で埋めていると思うと……浮かれてしまうんじゃなかったとまた後悔する。

 「か、返してください!!」

 そんな事を思いめぐると、婚約者は真っ赤な顔そのままにマリセウスの腕を引き、ぬいぐるみの奪還を試みようとしている。なんという強引さ、そんなにも恥ずかしいのか。
 だが貴重な時間を棒に振って怒らせたこともあり、マリセウスは素直にその子を渡すとぎゅっと抱きしめて直様馬車に乗り込もうとする。
 はしたないなど言っていられない、とにかく居た堪れない。早く彼の前から立ち去りたかった。だが、それを止めたのはまたしてもその彼だった。

 「待ってヘルメス!」
 「嫌です!」
 「頼む、このままだと次に会うとき、気まずくて何も出来なくなるのは嫌なんだ!」
 「そ、そんなの別にいいじゃないですか!」
 「私は嫌だ!」

 お互い子供のような言い合いに、あまりにもらしくない感がある。それだけ二人の想いは必死なのかもしれない。
 大人の彼がいつもと酷く異なる言動に、違和感よりも想いが伝わったのかヘルメスはついに足を止めた。

 「……ごめん。ただ、言い訳になってしまうからどう切り出せばいいのか。」
 「……言い訳か理由かは、私が決めます。」

 拗ねた顔で言われた。それでもちょっと男前だと感じたが口にはしないでおこう。

 「実はね、モフモフくんが私に似ているって知ったのは今朝なんだ。……その、私の専属の髪結の侍女が、それとなく教えてくれてね。」
 「……ご自分では気が付かなかったのですか?」
 「全く気が付かなかった。仮に薄ら気がついたとしても、私の自惚れだと思ったから確信はなかった。」
 「……それで、何が言い訳なんですか?」

 その間もぬいぐるみを強く抱きしめていることに気がついていない。おまけに顔を埋めている。なんて愛らしくて、それでいて妬いてしまう光景なのだろうと色んな感情が入り混じりながら、彼はその時受けたときめきを言語にしようとしどろもどろと語る。

 「うん、それはね。ええっと……。そうやってその子を大事にして、可愛がっているということは……愛されてるって肯定していいのかと思ったら、嬉しくてつい。」

 そういう言い訳だ。どんなに喜ばしいことでも、相手を傷つけていいわけではない。逆に、相手の行動を盾にした酷い言い訳になりかねない。だからマリセウスは完全に自分の行いは悪いことだと認めた上での言い訳。ここから罵詈雑言に怒られようとも、なんら反論をするつもりはない。寧ろ妥当だと意を決した。本能のまま振る舞う二歳児のような言動をしてしまったのが悔やまれるほどの奇行だったと猛省している。

 だからこそ、誠意を示さねばなるまい。
 「申し訳なかった。」
 そう一言、頭を深々と下げて謝罪した。

 いつもなら周囲が『頭を上げてください』や『王族がそう簡単に頭を下げるべきではない』と止めに入るが、今回ばかりは誰も止めには入らなかった。皆が王太子の気持ち(もとい気持ち悪さ)を理解しているからか、止めに入るのは良くないと察したのだろう。

 ……だけども沈黙が長い。
 なんのリアクションもないのだ。せめて怒ってほしいのに、ずっと何もないのだ。
 もしかして怒ってもうここにはいないのだろうか?だとしたら当然の仕打ちとはいえ、さすがに堪えてしまう。
 きつく瞑っていた目を恐る恐る開いて頭を上げようかと思ったときだ。最初に視界に入ったのは石畳で、そこには見慣れた革靴が見えた。自分のではなくてヘルメスのだ。
 と、下げていた頭に何か柔らかい衝撃が走った。衝撃、とは言うがあまりいい例えが浮かばない。当たったのか乗せられているのか、それくらい判断が微妙なものだった。

 「……ヘルメス?」
 「今マリス様の頭を叩いているのは私じゃありません。モフモフくんです。」
 「え?」
 「モフモフくんは紳士的で優しいので、私の代わりに怒ってくれているのです。」

 そんなはずあるか、なんて言わない。ここは甘んじて受ける。彼女なりの叱責なのだから。

 「浮かれるのは仕方ないにしても、落ち着きを持ちなさい。」
 「はい。」
 「切り替えが出来ていないと今日みたいに他人にも迷惑をかけます。」
 「はい。」
 「あと、冷静になれないからといって自傷行為はやめてください。大人なんですから。」
 「……はい。」

 そうチクチクと言いながらもモフモフとしたぬいぐるみの前足でマリセウスの頭をポンポンと叩いてくる。
 物理的には痛くはないが、己の行いをこんこんと説かれると胸が痛い。

 「ちゃんと反省の言葉を述べなさい。……とモフモフくんはおっしゃってます。」
 「……私は婚約者の愛情に浮かれて、エスコートなどもせずに壁に穴を開けるほどの頭突きをした上に周囲の人々に多大なる迷惑をおかけしてしまい、申し訳ありませんでした。今後、王太子の立場に恥じない言動をするよう、ここに誓います。」
 「よろしい。面を上げよ。……とモフモフくんはおっしゃってます。」

 結局はずっとぬいぐるみがリードをしていた説教だった。自分に似ているそれが少し憎たらしいなどという想いがよぎるが自業自得なわけだから、小さな苛立ちは多分、そういう罰なんだと受け入れることにした。
 ようやく上げられた顔。最初に見るのは絶対に愛しいその少女の顔だと思いきや、仰々しいほど大きな目をしたライオンのぬいぐるみ……モフモフくん(仮)だった。ヘルメスはその子で自分の顔を隠しているようだった。

 「あの、ヘルメス……?」
 「……。」
 「まだ怒っているのかい?」
 「もう怒ってませんよ。」
 「……顔を見せてくれないかな?」
 「駄目です。」

 よくよく見たら、耳が赤い。なんだってそんなに赤く……。と、ふと思い出した。

 「もしかして、恥ずかしいのかな?」

 マリセウスの言葉は図星だ。
 ぬいぐるみの事を彼に似ているとわかって、彼と同じ金色の目にして、それなりに似せてしまった。サンラン国の実家にいる間はずっと会えない寂しさを埋めてきた。もうすぐで夫婦になれるのだから、本当はぬいぐるみなんて必要がない。だけども、やはり妃教育は大変でストレスだって無自覚に溜めていた。
 大好きな彼がそばにいてくれれば、嫌なことなんて吹き飛ぶ。多少の無理だってなんだって出来そうな気がする。だから、結婚するその日までの埋め合わせに必要だった。
 ……彼に、どれだけ自分が彼を愛しているのか知られてしまって恥ずかしかった。両想いなのに今更、かもしれないが恥ずかしいものなのは変わりがない。

 「……恥ずかしいですよ。」
 「モフモフくんが君の代わりに怒ってくれたことが?」
 「それも、あります。ですけれど、この子をマリス様に似せて、可愛がってるのが知られたのが、もっと恥ずかしいです……。」

 素直に答えてしまった。悲しいかな、それが末っ子の性というもの。
 だけども、隠すのは無理なのもわかっていた。なんせ王太子は大喜びであった。こちらが恥ずかしくなるくらいには、本当に爆発したような喜び方だった。
 逆にずっと気づいてもらえなかったら、それはそれで自己満足で済んだのかもしれないけれど……ここに来て改めて相思相愛なのが嬉しいのはヘルメスだって同じだった。

 きっとフォローしてくれたりするんだろうなぁー……でも君も浮かれるんだねぇ~みたいに言われるのだろうなぁ……と決してモフモフくん(仮)を顔から外さずに色々と脳内で巡っていた。

 「ねぇヘルメス。少しだけ、モフモフくんを下げてくれないかな?」
 「……恥ずかしい顔を見られたくないです。」
 「額を出すだけ。ね?」

 マリセウスからそう優しくお願いされると、顔を見られるわけではないから少なからず譲歩した。
 ぬいぐるみから少し額を出す格好になったヘルメス。何をされるのだろうかと思っていたその時、前髪が微かに動かされた。肌にも僅かに触れた感触で、それがマリセウスの手袋……ように手だとわかった。
 まさか、デコピンとかされる?そうだ、ぬいぐるみでやったとはいえ、相手は王族。無礼を働いたのだから叱責があってもおかしくない。途端に怖くなったヘルメスは強く絞るように目を閉じた。痛いのは嫌だけど、やらかしてしまった罰は受けねば……そう小さく怯えていたが、暖かいものが当たった。と、小さいながらもはっきり聞こえる音を耳にした。

 「ちゅっ。」

 「……へ?」

 たまらずぬいぐるみから顔を離して見上げてみると、すぐ側にマリセウス。かがんでいて、まるで額に顔を寄せていたような姿勢をしていた。名残惜しそうに離れていく……と、何やら照れながら唇を隠した。
 まだ温もりの残っていた額に手を添えてみる。どうなっているかなんてわかるわけがない。ただ、状況が起こったことを物語っている。
 まさか、まさかである。ヘルメスが正解に至りそうになると、腕にいたぬいぐるみがすり抜けて落ちそうになるのをマリセウスは寸前に受け止めた。そして持ち上げてこう言った。

 「ヘルメスを頼んだぞ、『私』。」

 撫でて、その子の額にも軽く唇を落として無事にヘルメスの腕に戻された。
 あまりにも自然に、余裕のある大人の笑みを向けられて完全に理解した。

 …………今のと、同じ事をされたのか!!

 途端、ヘルメスの胸は爆発を起こした。なんて流れるようにそんな愛情表現が出来るのだろう。体温が急激に上昇して、足がもつれかけてしまい、馬車の側で待機していたキリコが慌てて駆けて受け止めた。
 フラフラとした足取りになってしまったが、なんとか無事に馬車に乗り込むとキリコも慌てて乗り込み、程なくして出発した。
 その間、胸のバクバクとした酷く大きな音が聴覚を支配していて何も音も声も聞こえなかった。聞こえなかったが、マリセウスはずっとにこやかに手を振り続けてくれている……さっき額にキスをしてきた、自分と同じウブな人間だったはずなのに何事もなかったように見送ってくれている。それに答えようとぎこちなく、鼓動によって動きがおかしいが頑張って手を振りかえした。

 「……不意打ちなんて、卑怯だよぉお~…………。」

 マリセウス達が見えなくなり、ヘルメスは座席でうずくまって甘美の余韻にようやく浸るのであった。

 そして同時刻のマリセウス。
 婚約者の乗せた馬車が小さくなり、見えなくなるまで手を振り続けていた。そして、後ろ窓から見えるであろう人影が完全に確認できなくなるほど遠くに行くと手を振るのをやめて一息ついた。

 「ふぅ……。」

 一息ついて、思い返した。

 「ほっわぁあああーっ!!!!」

 そしてそのまま綺麗にブリッジをして、脳天を石畳に自ら直撃させた。

 「殿下!?何しているのですか!!」

 「はぁ、はぁ……しちゃった、やだ、額にキスしちゃった……恥ずかしいっ。」

 「自分でやっておいて、何言っているのです!?」

 「だって、だってあれだけ可愛いヘルメスを目の前にしたら、あれぐらい大人の余裕ぶってやりたいじゃない!!やりたいじゃない!?」

 ……さっそく先ほどの誓いを破った。あまりの照れとときめきが、慣れないことをさせてしまうような原動力となってしまい。恋の熱は本当に堅物である王太子を狂わせたのだ。

 「はぁ……はぁ……。早く、結婚してぇなぁチクショウ……!」

 割れた石畳に何度も拳を打ちつけながら、本能のまま悦の入った声で願望を唱えた。少なくても、これちゃんと落ち着けるのか?と周囲は引いたのは言うまでもなかったとか……。

 *****

 そしてその日の就寝時間。
 突然の甘美に打たれたヘルメスはなんとか気持ちを持ち堪えて午後の妃教育を済ませて、煩悩を振り払うように久々に走り込み、夕食と湯浴みを済ませてから早々にベッドに入った。枕元にはモフモフくん(仮)もしっかりいる。

 (……あんな事も普通に出来るんだ。)

 相思相愛とはいえ、不意打ちのスキンシップは初めて受けた。あれくらいなら両親や兄にはされては来たが、異性からの愛情表現は未だに慣れていない。ようやく手を繋げただけでも胸が騒がしいのに、昼間のあの行動に動揺を隠しきれない。
 いつものマリセウスなら、きっと卒倒しそうな行動をしたのだが、自身の立場に恥じない言動を……と誓った直後。有言実行が早すぎる。切り替えの良さは見習いたいものだと感心する。

 (……誰にでもして欲しくないなぁ。)

 きっと今後の交流などで、マリセウスは親しい人にはあのスキンシップをするのを目の当たりにするのかもしれないと考えると、ヤキモキしてくる。仕方がないと割り切れるはずなのに、ヘルメスは胸がジリジリするような……モヤモヤするような気分に苛まれた。彼女は嫉妬とは無縁の人生を歩んできたのだろうか、これが『ヤキモチ』または『妬ましい』感情とは未だに理解出来ておらず、ひとり深いため息を吐く。

 (……なんでこんな気持ちになるんだろう。)

 なかなか寝付けない。いつも眠れないのなら勉強をするのだけど、ストレスを溜めてしまったせいで円形脱毛症を発症してしまったので今後はやらないことにした。
 枕元にいたモフモフくん(仮)を引き寄せて、自分の上に持ち上げて顔を眺めた。
 髪結の侍女が今朝やってきたとき、マリセウスの専属だと名乗っていた。
 「もふもふちゃんの髪を整えさせて下さいませ」とにこやかにお願いされたので、快く受けたおかげで昼間のやり取りが生まれたわけだ。
 あんなに癖の多い立て髪が綺麗にまとまっていて、マリセウスのリボンを結っているので彼の再現度の高さがさらに増したのは言うまでもなく。

 (……額にキス、された。)

 高い高いしているそのぬいぐるみの額にもキスを落とした行為を目の当たりにした。よく自分に似たぬいぐるみにキス出来るな、なんて冷静になった今なら思える。だけども祈りを込めたようなやり方だった。神秘が集うこの国なら、きっとそれは本当に込められているのだろうとも信じてしまいそうになる。それくらい不思議な行為にも見えたし、された自分だって愛情を込められたのだろうと感じてしまう。……単純なスキンシップだと先程まで思っていたのに、愛情だと言い張ってしまうのは烏滸がましいのかもしれない。
 ただ、このモフモフくん(仮)にキスを落とす姿は……なんだかとても綺麗で、格好がよかった。自分がされた時はその顔を見れなかったのが悔しくてたまらない。と、ぼんやりしてしまったのだろうか、手を滑らせてぬいぐるみがヘルメスの顔面を強襲……ならびに落下した。

 「ぅぶっ。」

 顔面、というより顔の下半分に頭突きされたような図。
 なんだ私がマリス様に愛されてて悔しくなったか?なんて変なことを思ったが、口がモロに当たってしまったところに涎なんかかかっていないか、持ち上げて手触りで確認することに。
 別に口を開けてはいなかったが、無意識に半開きになってしまうことがたまにある。妃教育のときにも注意は受けたが、今回はちゃんと閉まっていた。偉い。

 (思い切り額に当たったなぁー……。そういえばマリス様もここら辺に、)

 ちょうどマリセウスがキスしたところにぶつけてしまった。恐らくここに、彼の唇は当てられたのだろう。
 ちょうど自分の唇もここにぶつけた。ここまで一致するだなんてすごいこともあるなぁ……とまたぼんやりしながら考えた。唇が当たった場所がほぼ同じ、その考えに至り、ヘルメスは少し「ん?」と思考が止まった。

 唇と唇が重なった。
 重なったら、まぁキスになるよな?
 ……キスに、なるよね?え?

 「…………ふわぁっ!?」

 そういうことだ。
 意図せずに、彼女は間接キスをしてしまったという事実にぶつかった。それこそ烏滸がましい考えではあったが、しかしながら彼らの周囲の人間がこれを見たなら十中八九『間接キスになる』と答えるのだろう、曇りなき目で。

 「~~っ、もう!マリス様めぇ!」

 外には漏れないような独り言で、思い切りぬいぐるみを投げようかと思ったが、さすがに彼に似ているのでそれは可哀想となり、ヘルメスは仕方なく……本当は仕方なくなんて思ってなさそうだが、自分の隣に寝かせた。
 ま、まぁ夫婦になったら一緒に寝るかもだから練習しないとね!なんて動揺する自分を強引に納得させた。

 その日はよく眠れたらしく、だけども間接キスを思い出すと動揺するようになってしまい、ヘルメスはその日からストレスを溜めないようにと早朝ランニングを始めたそうだ。

 王太子によく似たライオンのぬいぐるみの名前は、『マリちゃん』に決定したのはヘルメスだけの秘密になったそうな。

 【幕間、終】


おまけクソ4コマ。↓



●ッピーくんは埼玉県にいるゆるキャラだよ!埼玉県ってゆるキャラ多すぎね!?
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