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第二十五話
昨日から巣立ち、明日に迷う
しおりを挟む(泣かせてしまうなんて、私がしっかり兄君と話が出来ていれば……。)
拗れてしまった要因は多々あれど、自身が長年身分を隠してきたことや無理な日程を組んだこと、マリセウスとヘルメスの年齢差による恋愛は僅かな時間で受け入れられるわけがない。
グレイの不信感の主張は最もだ。最もすぎて、しっかりと反論が出来なかった。ヘルメスのように直情的に訴えることも出来たはずなのに、どうすれば相手が納得してくれるのだろうと焦る気持ちが先行してしまった自分。無意識のうちに打算じみた発想をしていたことに自己嫌悪を抱かずにはいられなかった。
離れから内廷へと続く渡り廊下は内廷と外邸を結んでいるそれと同じで壁のないアーケードとなっている。四季折々の花の様子を眺めながら歩ける通路になっており、そこに降りて散策することも出来る。
ヘルメスはとにかく足が速い。走った方向がこちらなら、もう内廷の自室へと駆け込んでしまったのかもしれない。追いついたらなんて声をかけようかと思っていると、庭から啜り泣く声が聞こえる。
その方向へ目をやると青空の色をしたワンピース姿の彼女が、噴水の端に顔を突っ伏して泣いていたのだ……。
あんなにも可憐で明るいヘルメスが、悲壮に満ちている姿をしているのを見てマリセウスはまた胸が痛む。
すぐに駆け寄ろうとするも庭へ降りられるステップが見当たらず、やむ無く欄干を飛び越える。軽々と鮮やかに降り立つ姿は王子そのもの……と、踏み締めた地面を見ると芝が少し潰れている。疑問には思ったがそれよりも彼女だと、早足で側に行く。
「ヘルメス、大丈夫かい?」
「ぅ……すんっ、」
マリセウスの声を聞いても未だに泣きじゃくるヘルメスは、恐る恐ると顔を上げた。
すると、額が何か擦ってしまったように赤くなっている……噴水の石部分に擦り寄ってしまうくらいに泣いてしまっていたのかと思ったが、よく見るとほんの僅かに緑色がついている。
「額の擦り傷、どうしたの?」
「ぐずっ、ここに来るとき……降りる場所なかったから、飛び越えて……そしたら、顔から落ちた……。」
……大人として叱るべきなのだろうが、それだけ今の彼女は心を酷く乱していたのだ。
自室で泣き腫らしてしまえば侍女らは心配してしまうだろうしマリセウスだって放ってはおけない。だったらここらで一気に涙を枯らせば……と残された僅かな理性が焦らせ、欄干をかっこよく飛び越えようとしたときにつま先を引っ掛けてしまい顔面からダイブしてしまった、らしい。
ヘルメスをよく見ればワンピースの前も少なからず汚れていたし、額だけではなくて鼻の頭にも擦り傷ができていた。
さすがにこれは……そう思った彼は持っていた青のデルフィニウムの刺繍の入ったハンカチを取り出し、噴水の水を祝福の力で球体状にしてから不純物を取り除いて綺麗な水を作りあげた。縮んだそれをハンカチの上に乗せてると染み込み、瞬く間に水の球体は姿を消した。
水で湿らせたハンカチを優しく擦り傷に当てて、汚れを落として雑菌が入らないようにする簡単な応急処置。それを裏返して涙で腫らす瞼にも優しくトントンと拭ってあげたのだった。
「……ごめんなさい。」
「そんな、大したことじゃないよ。これくらいの傷なら跡も残らないさ。」
「いいえ……兄が、本当に、ごめんなさい。」
涙を残さず拭き取ってもらったのに、またポロポロと小さな真珠を溢すようにヘルメスは涙を流してしまう。
涙ながらにマリセウスのぶつけられたであろう目元に……しかしそこには直接触れるのを避けて頬に手を添えた。
涙を流す瞳は痛みによる辛さではなく、これからの幸せを願ってくれなかっただけではなく自分を否定され、愛する人を貶された悲しさに満ちていた。
「……いいや、私のせいだよ。言葉が義務的な文言になってしまっただろうし、ここまでの積み重ねがあるにも関わらず信頼されていると思い込んだ私自身の問題だったんだ。君は懸命に頑張っているじゃないか。」
頬に手を添えてくれている小さな手に自分の年相応に老けた手を重ねた。
「でも……兄さんは私も信用してくれてなかった。子供の頃そのまま大きくなっただけだって思われていた。……いくら頑張っても、駄目なのかな。」
だんだんと声も涙に混ざり、それが深くなっていく。
彼女がどんなに頑張っても、義兄はまだ子供扱いをするのなのだろう。マリセウスは再会したあの日からヘルメスをずっと見てきた。幼さが少しずつ消えかけていくのは寂しくもあったが、ますます愛しさが増して『他の男にも狙われてしまう』なんて余計な心配すら出てきたほどだ。
そんな彼女がまたしても声を上げて泣き出してしまった……。
「ヘルメス……。」
あまりにも共感出来てしまう悲しみと痛み。だけどもそれを言葉にして慰めるのは難しい。
だからマリセウスは『君は一人じゃない』と伝えるために、小さな彼女を自分の腕の中に優しく収めた。顔は胸に埋めさせ、涙を溢してもそこで受け止めてあげられるように。
「……マリス様?」
彼の意図がわからず、思わず胸から顔を離したが、優しくまた胸に戻された。
その間にこれまた優しく髪を撫でてくれる……その手が大きくて暖かく、胸の鼓動もよく聞き取れた。とても落ち着きのあるテンポが耳心地がよい。
「君が頑張っている事を、ご両親も陛下たちも……キリコやナタリア、勿論私も知っているさ。兄君はきっと心配してくれているだけなんだよ。」
「……だからって、あんな言い方されたら。」
少しばかり拗ねたような口調。それを発した自分でも驚くくらいに先程までの落ち込んだ気持ちがちょっと元気が出てきていた。
……ヘルメスは彼の広さに甘えてしまったことが何度もあった。魔宝飾店グッデンバーグに行ったときだって自分は自由に動き回ってしまっても叱責もされず、初めて王都を歩いたときだって自分の行きたいところに連れて行ってくれた。夫婦になるのだから夫になる彼を立てねばいけないのに、ヘルメスの我儘ばかりを叶えてしまっている。
今だって、我儘のひとつに過ぎない。大人だったらこれぐらいのことは自分で解決しなきゃいけないのに……。
頭に登った熱が下がってきて自分自身を顧みる心の余裕が出てきたヘルメスは、兄が信用してくれなかった理由が図星だったことに傷ついてしまったのだと認めざる得なかった。こうやって彼の胸に身を預けているのがこんなに甘くて落ち着いている……親離れ出来ない幼い子供なのだ。
「私も、兄君に信用されるように頑張るよ。君がこんなに頑張ってより素敵な人になったじゃないか。」
「……マリス様は大人ですから、きっとすぐ信頼されますよ。」
「君も大人だよ。大人は子供に大きな責任を持たせないからね。」
それに大人は子供を恋愛対象になんかしないよ?……自分が遥かに歳上なのを揶揄したように自虐的に笑った。
ああ、そうだった。この人はそういう人だ。私に恋してくれて優しくて、フォローのつもりで自分を下げてしまう。この一ヶ月間、そんなやり取りを許してしまってからか定着しつつある。
しかしヘルメスは彼を立たせたいし彼の役に立ちたい。まだ思考が幼い自分が外見だけ大人びてもいけない、彼に頼れるような妃にならなければ王太子の立場が危うくなる。……甘えるのはやめないといけないのに、今だけはこうしている事を許してほしいと、また我儘が出てしまっていた。
「……私は、兄さんの信頼とは関係なく、マリス様の隣に立って支えられるような人間になりたいです。」
「うん。」
「頑張りを知ってもらいたいから頑張るんじゃなくて、将来の自分自身やマリス様のために努力したいです。」
「うん。」
「だけど……今だけは、甘えてもいいですか?」
「勿論。」
細い腕がマリセウスの背中に通る。
自然と彼女の涙は治り、安らぎを求めるのように自身の体温に身を任せてくれていた。
どうすればいいのか、自分はどうなのかと悩んでいたかもしれない。だがマリセウスはヘルメスに何も考えを押し付けずに彼女が自ら答えを見つけて宣言した。
それは大人として大切なことだ。もうヘルメスは幼さと別れを告げてもいいのだ。胸を張れる淑女になれると誰もが思うだろう。
(……信頼か。)
ただ、マリセウスの答えは見つからない。
義兄にどうやって信頼されるべきなのか、簡単そうで複雑な答えに行き着くことに迷いが生じていたのだった。
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