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第三十六話
逃げるな頼るな考えろ!
しおりを挟む(……やらかしてしまった。)
出航を大きな声でアナウンスしている乗組員の言葉を耳にしながらも、ヘルメスは無意識に船尾までたどり着いた。まだ出航していない造船所内が見渡せる場所、工具が鳴り響き運ばれた木材の香りが漂う。
貴族令嬢には無縁な場所、普通の令嬢ならまず咽せてしまうだろう。幼い頃から走り回り林道を駆け抜けていたヘルメスにとっては懐かしさすら感じた。堅苦しい社交界もしがらみまみれの交流も、何もなかったのが心地よかったのだ。
そんな野生児が愛する夫のために社交もダンスもマナーも一から学び始め、自分でもそれなりに令嬢らしくなってきたというのに……夫にあんな悲しい顔をさせてしまった上に逃げ出してしまった。優しくて励ましてくれ、理解してくれていたのになんという仕打ち。
ヘルメスは己の浅ましさが恨めしくて仕方ない……いや、きっとこれはただの言い訳だ。本当はただ単に拗ねていただけなのだ。夫は絶対に自分以外のことで笑わないなどとたかを括っていた傲慢さのせいだ。
(昔の話をするのにも苦しそうで泣いていたのに……。)
涙して弱音を吐いた昨日の光景が蘇る。
……なんて酷い裏切り行為をしてしまったのだろう。本当に泣きたいのは夫の方なのに、ヘルメスは薄らと涙を浮かべてしまっていたのだ。
強くて真っ直ぐで、頼り甲斐のある背中が大好きで……そんな彼にも仄暗い過去があったのだ。太陽のように燦然と振る舞い、しかしながら見えない闇からもマリセウスを支えてあげないといけない。妃教育では『最悪の場合は妃自らが盾となり、王となる彼を守らねばいけない』と何度も教わって理解してきたのだ。いいや、理解してきたつもり……本当は理解したフリをしていたのかもしれない。
(ちゃんと、隣にいないと駄目なのに。)
無知であること自体は罪ではない。
無知であることを隠して横暴な振る舞いをすることが罪なのだ。
それを邪魔になるからと逃げ出してしまったヘルメスは罪なのかと尋ねられたら、今の彼女なら罪であると断言するだろう。
「ヘルメスっ、やっぱりどこか悪いのか!?」
「……兄さん。」
船尾に上がる階段下で兄が尋ねてきた。
夫が来てくれたら喜ぶどころか胸がより一層痛めてしまうから、ここにいたのが兄であることは助かった。しかし同時に、「マリス様は来てくれなかった」ことが少なからずショックであった。
このまま船を降りて頭を冷ましたほうがいいかも……ヘルメスにそんな考えがよぎるも、その発想は遅すぎた。ほんの少し揺れたと同時に先程まで足をつけていた地面と船が離れ始めた。
「あ……。」
唯一の退路を失った瞬間だった。
その頃のマリセウス。
無事に出航し、海路などの打ち合わせが終わると各々が持ち場へと戻っていった。その場に残っていたのは彼と従弟であるジョナサンの二人だけである。
ジョナサンは地図を片手に海路を確認して、到着する港には従兄の奥方が好きそうな魔法石の専門店がある。妻が大好きな彼はそれも込みできっと今回の件を誘っただろう。今頃、信じられないほどデレデレな顔をしているに違いない。……が、そうでもなかった。寧ろ逆である。
「はぁぁああ~……。」
マストに頭を預けて、肺や体全体に入っている酸素を全て吐き出しているかの如く、深くて重い溜息を吐き出した。
齢四十三の従兄は年齢以上に老け込んでいるように見えてしまうほど落ち込んでしまっていた。
「……どうしました、従兄上?」
「…………やらかしてしまった。」
先程の打ち合わせは完璧だったはずですよ、そうフォローするもそれは違うと否定する。
君たちのプランは完璧だし今回の試運転も安全が保障されている。万が一、何か起こればと用意されている救命具の備え付けも万全、心置きなく短いながらも良き航海が出来ると一息に褒めてくれたが、重い溜息と共に後悔の言葉が溢れた。
「ヘルメスは、本当は同行するのが嫌だったんだ。」
「……何かあったのですか?」
「十八の頃の話をした。」
その単語を聞いたジョナサンは驚愕したと言わんばかりに目を見開いて項垂れているマリセウスを見た。
全部は話せなかった、ただ、あまりの怖さに彼女の前で泣いてしまって情けないところを見せてしまったのだよと……言い訳のように話すと、従弟は切なそうな顔をしてしまう。
ジョナサンは深い事までは知らないが、マリセウスの身に起きたことは知っていた。それがどんなに辛いことか、口にするのも勇気がいる事なのもある程度理解している。
「それで、妃殿下に幻滅されたのですか?」
「違うよ。寧ろ受け入れようとしてくれている。ただね……彼女に私のことを抱え込んでほしくないのに、抱えてさせてしまったんだ。」
「妃殿下ご自身もそう申されたのですか?」
「いいや。でも魔法石が大好きなのに、はしゃげないほど元気を無くしていたんだ。気持ちの整理をさせる時間を奪ったのがつらくてね……。」
また全身の空気を抜くように深くて重い溜息を吐くも、どうにも居た堪れなくなってしまい、ジョナサンはついつい構ってしまう。
本当ならば踏み込むべきではないのだろうが、きっとこの男は背中を押すまで絶対に気が付かない。仕事以外はほぼポンコツなのを悲しいかな、わかってしまっていたのだ。
「ですが従兄上……しっかり話し合ってないのに、それはヘルメス妃殿下に失礼ではありませんか?」
「話し合うも何も、そうとしか思えないよ。」
「結論を勝手に決めてはいけませんよ。そんなの、貴方らしくもない。」
そうであろうという決めつけは自分の解釈と都合を押し付けている。自分にとって良いことだと考える場合もあればその逆もまた然り。
マリセウスは妻を大切しているのは承知している。大切なら話し合うのが当たり前であろうとジョナサンは諭す。
「もし過去の話をして嫌だと申していたら、それは確かに諦めるべき事案ではあります。ですが、ヘルメス妃殿下はきっと貴方を受け止めようとしているから抱えているのではありませんか?」
「……受け止めたいから?」
「気持ちの整理をすると言うのはそういう事です。今からでも構いません、お話ししてみては如何ですか?」
「いやでも……ヘルメスもきっと嫌だろうし……。」
「黙らっしゃい!!」
でもでもだって、それを繰り返す兄貴分についに弟分は語気を荒げた。普段はおとなしい従弟だが、こう見えて頑固一徹。筋を通さないと示しがつかないと言わんばかりに義侠に厚い。意外にも熱血漢な部分があるのだ。
女々しい言葉を繰り返し、それ以上に湿度の高いネガティヴ発言はさせまいとピシャリと制した。
「しのごの言わずに、とっとと行きなさい!そんな女々しい人に事業を任せておけません!!」
「え?や、だってもう試運転始まって、」
「行きなさい!!!」
「は、はいっ!!!」
あまりの剣幕に負けてしまったマリセウスは、ジョナサンの言葉に背中を蹴られたようにその場を後にしたのだった。
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