オジサマ王子と初々しく

ともとし

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第三十八話

鳴音

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 妻がまさか自分のために船内を名前を呼びながら探してくれているなど知らず、マリセウスは暗闇に目が慣れるまで壁にもたれ掛かり体力の温存をしていた。
 すると次第に周囲のものが輪郭が浮き上がるような形で徐々に見えてきた。散乱した工具、天井に吊るされていたはずの照明、魔法石操作板が頭上にあり扉が自分の身長よりも上にあること。ここでようやく船が上下逆転されている状況になっていることに気がついたのだ。そうなるとどうして窓から光が差さないのかという疑問に踏み込めた。
 ここは船底といえども窓から光が差してはいた。進水する前にこの船体を確認する機会があったので記憶している。ちょうど海の中と空が見える高さにあり、仮に逆転することがあっても光は確保出来ているはずなのだ。だが今は糸一筋すら感じさせないとしたら……クラーケンであろう。

 (どう考えても、この子の親が転覆させたのだな……。)

 未だに伸びている腕の中にいる幼子に目を落として、まだ息があることを改めて確認した。

 神海獣の子供が誤って人間のいる海域に流れて来てしまうことはある。その都度、親が彼らを探しに来ることもよくあるが……。
 野生動物ならびに水棲動物を勝手に持ち帰って飼うことは勿論なのだが餌やり、ましてや危害を加えるなどはアスター大陸でも厳しく罰せられる。さらに言うなら幻想的な生き物たち神秘が集う神海王国ハンクスで、幼い神海獣を傷つけるなど以ての外だ。最悪の場合は死に値する罰を下さねばならない。
 ……だとすると、本当に誰がここまで酷いことをしたのだろうか?野生動物同士の争いではないのはわかる。なにせ傷ついたのに木箱に閉じ込めている。しかも人が乗船する船にそれを積み込んだのだ。悪質なことこの上ない。マリセウスは腕の中にいるクラーケンの幼子に同情しつつも、小さく怒りが込み上げていた。それと同時にじわじわと『嫌な記憶』も呼び起こしかけている。

 (さて……どうしたものか……。)

 ここから脱出するならば部屋を出る、当然。しかし困ったことが数点ほどあるが、最も問題なのは灯りがないことだ。天井に設置されていた光石は工具によってモノの見事に粉砕されてしまった(幸い、根こそぎ壊れたので怪我の心配などはない)。となると壁の燭台に設置されている光石を使えばなんとかなりそうではある。衝撃を受けて灯りが消えてしまっているが、また衝撃を加えればと……もはや藁をも縋るとはこの事である。

 (大丈夫だ。今は希望がある。)

 そして今の船内の状況がどうなっているのかも問題である。この船底は木材が積まれている。固定されているベルトがあるとしても、逆さ吊り状態で重さに耐えられているのかもわからない。マリセウスはこの時点でまだ目視していないからわからなかったが、この考えは当たっていた。

 (確かどちらに光石があったか……。)

 抱えていたクラーケンの幼子を羽織っていたジャケットに包ませてあげ、これ以上にないほど優しく床に寝かせた。
 不幸中の幸いなのは、この部屋には余計なものがまるでない。足元に散らばる工具にさえ気をつければ壁際にある燭台まで行くのは容易なことだ。だから現時点では一番の安全圏に彼らはいる。そう、『現時点』ではだ。
 マリセウスは推察で、窓から光が差さないのはクラーケンが脚で塞いでいるのではと思ったわけだ。船底、転覆、纏わりつく脚……。自分の子供を救い出すためならば、こんな船をいつでも破壊することが出来る。そうなればいくら海面に出ている箇所にいるとだとしても、一番先に狙われるのは自分だ。何せ子供がここにいる、それも重傷だ。下手をすれば殺される。

 ……殺される。

 マリセウス自身がその可能性を示唆をしたというのに、この言葉がよぎった途端に一気に血の気が引いた。動かしていた手が止まり、息が詰まる。

 (……っ、ダメだ!しっかりしろ、呑まれるな!)

 頭を横に激しく振り、必死に雑念を落とそうとする。
 だがほんの少し、針で開けた小さな穴に口には出来ないような酷い記憶が濁流の如く流れ込む。

 不安になりそうな暗闇。
 聞こえてくるのは自分の呼吸と心音。
 走るのは激痛、支配するのは絶望。
 向けられるのは愛憎、残されたのは虚空。

 ダメだ、ダメだダメだダメだ!!
 今じゃない、しっかりしろ!!

 目を瞑り、何度も横に頭を振るう。空気が詰まった喉から無理やり息を吐かせて肺へ十分に酸素を取り入れる。何度も呼吸を繰り返して再び目を開く。せっかく目が暗闇に慣れてきたというのに、また周辺は輪郭が消えてしまった。
 ……だが、時間はない。無理やり手探りに灯りを見つけないと、また呑まれてしまう。今、命の危機に晒されていることを忘れてはならない。
 なんとか気持ちを辛うじて持ち直し、壁際に到達すると驚くほどあっさり燭台に手が触れた。

 「石は……よかった、壊れてない。」

 安堵感が心に差し込む。あとはどう灯すかだ。
 マリセウスはなんとか取り外そうと手にかけた……その時だ。

 部屋の外から激しく音を立てる破壊音がした。
 木材が置かれている方面、ドア窓から外を見るも光が差していない。恐らく今は海に沈んでいる甲板のあたりか、だとすれば船内が浸水が早まる。

 遠い破壊音だというのに、ひどい衝動を受けたマリセウスは身をこわばらせ、気絶していたクラーケンの幼子は目を覚ました途端に泣き出してしまった。

 『ぴゃぁああああ!!!!』

 「わっ!?」

 それは無理もないことだ。全身に激痛、周囲は暗闇、何が起こったのかもわからない激しい音。不安が不安を呼び、幼子の緊張感は限界まで来ていたに違いない。
 マリセウスはあまりの事に気が動転し、燭台から光石を外すべきか子をあやすべきか一瞬迷ってしまった。

 「ま、待ってくれ。落ち着いて!」

 大人がどんなに理知的に諭したとしても、本能のまま動く幼子にそんなものは届くわけがない。しかも泣いているのならば尚更だ。
 ようやく手にかけた燭台から離れ、子をあやそうとそちらに向かう。

 「大丈夫、大丈夫だから……!」

 『ママぁああーっ!!いたいよぉおおこわいヨォおおーっ!!』

 「……っ!」

 『やだぁああ……かえりたいぃいい……っ!!』


 ……同じことを昔、叫んだことがあった。
 だけども何度かしたらもうやめてしまった。
 もうこの激痛を感じたまま絶命するのだろうと幼いながら思っていたのに、生きてしまったことに後悔ばかりが付き纏った。いらないのに何故、存在が許されたのだろうかとずっとずっと思って生きなければいけなかった。心に出来た赤錆は落ちることはなかったのだ。

 濁流は再び流れ込んできた。

 「ぁ……ぁあ…………っ、」

 胸に無数の槍が貫く、息が詰まる、体が震える、恐怖が再来する。そして心は氷海に落とされた。

 「だ、れか…………っ、」

 幼子の鳴き声が脳にハウリングしてしまったマリセウスは、痙攣を起こしてその場に倒れ込んでしまったのだった。
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