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第四十話
瀬戸際からの逆転
しおりを挟むそれを意味を理解するにはあまりにも容易だった。
天井となっていた窓を見やると海水がかかっている……違う、海面に面していた。
たった数分の談笑でここまで船は沈んでいる、神海獣の力は人間の想像を遥かに凌駕しているのが見て取れる。
マリセウスはこの時魔法石の存在を思い出し、すぐに水流石の操作盤に向かった。最低限の操作方法は頭に入っているから多少の操作は出来る。そして不幸中の幸いと言わんばかりに、水流石は上を向いている石(本来は後退する向きではある)がセッティングされていた。稼働レバーを力強く引き、最後の抵抗を見せつける。すると窓にかかっていた海面は少し引き、なんとか頭ひとつ抜け出すことに成功したのだ。
だが相手は神海獣、この抵抗がいつまで保つかはわからない。僅か数分でこの部屋の外は海水で満たされてしまっている、脱出するならば天井を壊して抜け出す以外の方法はない。しかしそれは現実的ではない、船舶の装甲は厚い上に頑丈。鉄の塊が海に浮かぶ、それ故の設計だ。習ったばかりの浅知恵ではあるものの、マリセウスはすぐに理解してしまった。
『どう足掻いても助かる見込みがない』。
今手元にあるのは水を操る自分の祝福、いつ消えるかもわからない光石、酸素にも限りのあるこの部屋……。やはり、危険な船内を潜水して抜け出す他がない。妻の顔色も先程よりよくなったものの、果たして確実に脱出出来るか。あまりにも無謀だ、勇気ではなく蛮勇だ。
己の不甲斐なさに歯を食いしばり、手元にあるカードで戦えない無力さに苛立ち、たまらず拳を作って壁を殴りつけてしまった。
『ぴぇっ!』
「っ、大丈夫。なんとかなるから……怖くないからね?」
驚いたクラーケンの幼子をあやしながらヘルメスは励ましているようで、自分達の置かれた身を理解してしまっているため、言葉に力がこもっていなかった。
ダメだ、人間は不安と怒りが伝染しやすい生き物だ。本来ならばこんな苛立つような真似をしてはいけない。しかしながら絶体絶命の状況が直様に好転するはずもない。
(こんなことなら、もっと早くに話しを聞いてあげればよかった……。)
絶体絶命の状況下で妻と互いの胸中をようやく話せたというのに。いや、もっと早く話せたはずだ。
どの時点で話せた?いくらでもあった。遡れば昨夜あたりだ。手紙を受け取っていた時点……朝食の時点でも出来ていた。魔法石なら妻は大いに喜ぶと浮かれていた。顔を見てあげれていれば。
造船所に着いて周囲を忙しなく見るほどの好奇心が本来ならばあったのだ。それなのに、ずっと側にいてくれた。この時点でも遅すぎるが、気づけるポイントだったのだ。
(見たことのない職人道具にだって……飛びつくはずだったのに。)
回想をした。あの時、好奇心を走らせないままずっと目で追っていた。目で追っているだけで……。
「…………。」
記憶の一片が二つほどひっかかった。
ひとつは遠い幼い頃の記憶。曽祖父に『磨いておきなさい』と言われた事。もうひとつは造船所でのやり取り。
瞬間、その二つが結合して光が差した。
「ぁ……ああーっ!!」
『ぴぃい!!?』
「ま、マリス様!?」
突然の奇声……いや奇声には感じ取れない。寧ろ明るさがある。
マリセウスは何を思ったのか床になっている扉を見つめた。窓の外は海水がすぐ真下。充満していると言ってもいいほどに逃げ場がない。それによく見れば扉の僅かな隙間から水が入ってきている……今は酸素があるから、この部屋に浸水してきても自分達の身長まで至らないはずだろう。
「ところで君、泳げるかい?」
『にぅ。痛いけど、多分泳げると思う。』
「それは尭孝。ヘルメス。」
「は、はいっ。」
「いいかい?今からこの扉を開けて、海水をこの部屋に入れる。」
「ぇ?」
真っ直ぐに通った声で伝えてくる。
決して自暴自棄などではない。本気の目、それでいて確信の強い光を宿している。
「不安になるのもわかる。だけども、絶対に君を守る。」
きっとこの先も今以上に険しく困難な出来事が待ち受けている。それに何度も当たってしまい、立ち上がれなくなりそうでも、私は絶対に君から離れず守り抜く……こんな時に愛を誓うなんて、なんという場違い。空気が読めないほどにもほどがあるが、ヘルメスはこの言葉に「私だって、貴方を守ります!」と力強く答えた。
それを聞いたマリセウスは、強張りしていた顔が綻んで頷いた。
「ありがとう。私も、君の言葉を信じるよ。」
こんな時に私の夫は私の好きな顔をするなんて……ヘルメスは心からそう思ったが、絶対に口にはしなかった。これ以上空気の読めない状況になったら危機感が薄れてしまうほどにリラックスしてしまうだろうから。
全く互いに不謹慎にもほどある夫婦である。
「……心の準備が出来たら、」
「もう大丈夫です。」
『に、にぅっ!』
「ちょっと覚悟決まりすぎじゃないかい?」
苦い笑いをしながらも、マリセウスは緊張感を帯びながらドアノブに手をかけた。
一か八かじゃない、絶対に助かるんだ!
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